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六十六話

 バリン、ガシャッ!


 バンッ、パリーン!


 窓のガラスが割れ、机に置かれていた茶器が壁に叩きつけられる中、香菜姫は澄ました顔をしていた。


「この中じゃと、温かい茶は有り難いの」


 茶を啜りながら、呟く。瞬時に張られた華王の氷壁の中は、些か寒いものの、お陰で香菜姫一行は、覇気による被害を一切受けずに済んだ。

 エジャートンが氷壁の冷たさと厚みに驚いているが、白狐達の力を何度か目にしているガレリアとクラレンス翁は、肩をすくめながら、暖を取るために茶器に手を伸ばす。


 一方、不意を食らった蘭丸は壁に叩きつけられ、ラウルは床に倒れていた。


 しかし、それらも信長の目には入らぬようで、息も荒く香菜姫を睨みつけていた。


「わしが明智如きに追い詰められ、自害する等、絶対に有り得ぬわ!」


 謀反を起こされた挙げ句の自害。それは天下を取るために動いていた武将・信長にとって、余りにも屈辱的な最後に思えた。例え事実で無いにせよ、後世にはそう伝えられているという事が、許せなかったのだ。その為。


 バシンッ!


 再び覇気が放たれ、氷壁が衝撃に震えるが、砕けることはない。だからこそ、香菜姫は冷静に話すことが出来る。そして、その冷静さが信長の怒りの熱を、少しずつ削いでいった。


「落ち着かれよ。百年後の妾達には、そう伝わっていると、申しただけじゃ。実際、お二方の御遺体は見つからなかった故に、明智殿は謀反成功の証を得ることができぬまま、秀吉殿に討たれ申した」


「猿にか?!だが、あやつは備中に居った筈だが」


「急ぎ戻られたのじゃ。明智殿の本能寺襲撃から、わずか十三日後には、見事仇討ちを成功なされました」


「流石、猿じゃな。あの大軍をそれ程早く、動かしよったか!」


 可愛がっていた武将の活躍に、信長が破顔する。当時、高松城を水攻め中だった秀吉が、主君の仇討ちの為に即座に毛利と講和を締結し、急ぎ京へと戻った『中国大返し』。これは、次郎爺が好きな話の一つだった為、香菜姫は幾度か聞いた事があった。

 だが、それを詳しく話すよりも、先に伝えるべき事がある。


「はい。ただ残念な事に、本能寺襲撃の際、ご子息である信忠殿と津田 源三郎殿が、二条御新造にて亡くなられております」


「それは……真か?信忠ばかりか、源三郎までも……」


 香菜姫は無言で頷く。嫡男と五男の死の知らせは、信長に大きな衝撃を与えていた。覇気は完全に静まり、手で目元を覆って肩を落とし、力なく腰掛けに座るのを見ながら、香菜姫はその後の出来事を、大まかに語っていった。


 羽柴 秀吉が豊臣と名を改め大公となり、大坂の地に巨城を築き天下人となった事、その死後は関ヶ原で大きな戦が二度行われ、豊臣に勝利した徳川 家康が将軍となり、江戸に幕府を開いた事。その治世は既に五代続いている事等をぽつり、ぽつりと語る。

 いつの間にか意識を取り戻した蘭丸やラウルも、聞き手に回っていた。



「……猿が大坂で大公となり、康が江戸で幕府を開き将軍か。しかも既に五代も続いておるとはな。まさに、浦島太郎の気分だ」


 信長は瞑目しながら、呟く。


(こちらの僅か二年が、向こうでは百年以上とはな……わしは何処かで、またあの瞬間に戻れるかもと思っておったのだが……そうか、百年経ったか……) 


 蘭丸の手が、慰めるかのように背に当てられ、信長は思い出した。


(此奴の弟達もまた、あの場に居った。ならば、恐らく……)


 あの日、命令や指示を出す者が二人、突然消えたのだ。その後の混乱は想像に難くない。信長は、あの場にいた者達の顔を思い浮かべていた。それらの大半は、その混沌の中で命を落としたのだろう。仮に生き延びた者が居たとしても、百年たった今となっては、誰一人として残ってはいない。

 多くを失った事を改めて実感した主従二人は、無言のまま暫くの間、互いの背に手を回していた。


 その間に、ラウルが壊れた茶器を片付けて、新しい茶を運んでくると、皆に給仕した。それが済むと、今度は割れたガラスを風魔法を使って集めだす。それを眺めていた姫は、ふと疑問を感じた。


 (他に人が居らぬ訳では無かろうに、何故あの者だけが、用を請け負うておるのじゃろう?)


 その思考は、信長の言葉によって途切れる。


「聖女殿には、謂れのない怒りをぶつけてしまい、悪かった。ところで、わしの血筋、織田家がどうなったか、知っておるか?」


「信忠殿のご嫡男である三法師殿が継がれましたが、関ヶ原での戦で負けた際、断絶しております。それ以上詳しいことは、妾も知らぬ故……」


 しかし、知っている事が一つだけあった。香菜姫はそれを言うべきか、迷っていた。


(他にも生きておる親族はおられるだろうが、妾が知るのは、此れのみじゃ。はたして此れは、言うべき事なのかどうか……) 


 ちらりと周王の方を見ると、期待に満ちた顔で、こちらを見ている。もしここで姫が言わなければ、勝手に言い出し兼ねない顔だ。

 香菜姫は溜息をつくと、華王に氷壁を解くよう伝え、相手との隔たりをなくした上で、唯一知る事実を話すことにした。


「妾の父の名は、先も申した通り、土御門 泰福ともうすのじゃが、その両親、妾の祖父母にあたる者の名は泰広と佳恵と申しての」


 そこで少し言い淀む。華王を見ると、諦めろと言わんばかりに、そっぽを向かれたので、話を続ける。


「その佳恵の出自は、織田家であると聞いておりまする。信長殿の弟である信包殿の嫡男・信重殿の娘じゃと」


 その言葉には、信長や蘭丸だけではなく、クラレンス翁やガレリア達をも驚かせた。


「ち、ちょっと待て。なら聖女殿は、わしの甥の、娘の、孫にあたると云う事か?」


 かなり遠いが、一応血が繋がっているのは事実だ。其事もあり信長公は、周王のお気に入りの武人の一人だったのだから。驚く信長を、ニマニマしながら見ている周王の脛を、姫は軽く蹴りつけながら、


「そう聞いております」 


 頷き答える香菜姫を見て、信長の顔に笑みが浮かんだ。


「そうか、そうなのか!信包の玄孫というなら、わしの姪のようなものじゃ!おぉ、そうじゃ!なんなら、伯父上と呼んでくれても良いぞ!」


 上機嫌に語る信長は、どうやら遠い血縁者の少女を、唯一の家族として認定したようだ。


「そうなると聖女殿は些か堅苦しいの。では香菜殿、いや、ここはいっそ香菜ちゃん辺りが良いか?」


 楽しげに迷う相手を見ながら、


(魔王・信長公を伯父上と呼ぶのは、ちーとばかり、遠慮したいの)


 思ったものの、口には出さない。


「やはり血が繋がっておられたか」


 ぽそりと蘭丸が呟くのが聞こえたが、姫にはどういう意味なのか、判らなかった。


 ***


 母の名や兄妹の有無、祖母とは親しくしていたのか等、一通り、家族の話をさせられた後、香菜姫は本来の目的である蠱毒と火薬について、尋ねる事にした。


「魔素溜まりに対して執られた対策は、先程のお話で判り申した。では、倒した後の魔獣の遺骸は如何様にされたのか、お聞きしても?」


「商人が欲しいというので、売ってやったわ。それなりの値段を付けてくれたのでな」 


「その商人は、どちらの者かお判りで?」


「蘭ちゃん。あやつの名は、なんと言うたかの?」


「たしか、バビジと申しまておりました」


「其の者がどの様な人物か、ご存知で?」


「いいや。手広く商売をしている事と、南方のペルギニ王国の出だという位だ」


 香菜姫は、今聞いた言葉を全てを鵜呑みにする気はなかったものの、敢て疑う必要もないと判断した。華王に貸した式が手に入れた情報でも、この国と帝国と結びつけるものはなかったからだ。

 それに、魔素溜まりが蠱毒による物だという事も知らないようだった。これに関しては、伝えて良い事として、オルドリッチとも話はついている。


「では、その魔獣の遺骸が蠱毒の材料として、利用されていたのはご存知か?」


「蠱毒だと?!」


 その言葉に反応したのは蘭丸だった。


「では、先日聖女殿が爆破された小屋に有ったのは、蠱毒だと?何らかの呪術用具だとは思いましたが、まさかそれ程の物とは……」


「しかも、その蠱毒がそもそもの元凶での」


「それは、どういう事だ?」


 姫の言葉に信長が眉をしかめると、すかさずエジャートンが説明に入った。


「そもそも、魔素溜まり自体が蠱毒によって、発生しているのです。これは二年前から、我が国でも起きていたのですが、我々はその事に気づかず、ただ魔獣の討伐と浄化を繰り返しておりました」


 そこで香菜姫を指し示す。


「この度、聖女様がこちらに来られたお陰で、蠱毒の存在が明らかとなり、それに手を貸した者達の存在も判明しました。王位継承権を持つ貴族と、その隠し子等ですが、商人・バビジもその一人です。これら全ては、帝国が仕掛けた策であると云うのが、我々の考えです」


「蠱毒が魔素溜まりの原因……では、我々は知らぬうちに、敵に材料を与えていたということですか?」


 蘭丸の顔が青ざめる。己の編み出した対策が、まんまと利用されていたのだ。


「帝国と言えば、この国の横にある、デカくていけ好かない国の事だな。そもそも、わし等が此処に連れて来られたのは、魔素溜まりが原因だ。それが蠱毒を用いた帝国とやらの仕業だとすると、そいつ等が余計な事をしなければ、わしは今頃!」


 先程の怒りが再燃仕掛けるのを、蘭丸が諌めるように袖を引くき、エジャートンが話を進める。


「しかも、あの者達は火薬の製造にも成功しており、武器として使用し始めております」


「では先日、聖女様が小屋で使われたのは?」


「帝国製の物じゃ。この者達は、火薬の存在さえ知らなんだ。しかし、この国でも火薬が製造されていると情報があっての。確かめに参った次第」


 その言葉に、信長がにまりと笑う。


「鉄砲、か」 


「あれは、危険な武器ゆえ」


「心配せんでも、鉄砲は造っておらん。あれは散々使ったからな。それより今は、魔術を使った攻撃のほうが面白くてな!知ってるか、風に乗せると弓矢が面白いほど飛びよる。それに剣に炎を纏わせる者もあるのだぞ!」


(この御仁が、新し物好きであるのを忘れておったの……)


「では、なにゆえ火薬を作られたので?」


 その答えは、思いもよらないものだった。


「実はわし、花火が見たくてのぉ」


「花火……」


「知らぬか?こぅ、火をつけたら筒からバチバチと音を立てながら火花が吹き出す物だ」


「話には聞いたことが。実物は見たことはありませぬが」


「トルコ人の船長が、見せてくれてな。懇意にしていた宣教師の話では、空に向かって打ち上げる物があるらしい。わしはそれが見たいと思うたので、蘭ちゃんに頼んだのだ」


「打ち上げ狼煙が作れるならば、打ち上げる花火も作れるだろうと言われまして……」


 蘭丸は半ば呆れ、諦めた様な顔をしながら、首をふる。この二年、『あれが欲しい』、『此れを作れ』と散々言われ続けた挙げ句が、今回の花火だったからだ。


「苦労が絶えぬようじゃな」


「慣れております。味噌を作れと申された時よりは、些かマシだと」


「味噌があるのか?」


香菜姫の父・泰福と、信長公の血縁関係は一応事実だと思われます。ただ、母の名が『織田 信重の娘』としかなかったので、私が勝手に佳恵と名付けました。

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