六話
翌朝、ウィリアム自らが、食事の乗った台を押して入って来たのを見て、香菜姫は少しばかり驚いた。彼女の感覚では、身分の高い男達は決して女人の食事の世話などしないからだ。ましてや、昨日の事を考えると、尚更だ。
だが、彼は慣れた手つきで食事の準備をしており、その様子からは内心を窺い知ることは、出来そうになかった。やがて準備を終えたウィリアムは、腰掛けを引いて、香菜姫が座る補助までしてくれたため、姫は再び驚く事になった。そして。
「聖女様、召し上がりながらでよろしいので、少しばかり話しを聞いて頂いても、構わないでしょうか?」
そう言うと、夕べ王妃や宰相達と話し合った事ですがと前置きをしたうえで、王や側妃達についての今後の対応を、香菜姫に話し始めた。
用意された食事は昨夜と同じような物で、違うのは、お茶らしき物が入った、取っ手の付いた茶碗が在るくらいだ。姫は真言を唱え、それらを少しずつ口に運びながら、ウィリアムの話に耳を傾ける事にした。
「妾とて、むやみに民の不安を煽る気はないからの。昨日の三人に関しては、其方等に任すゆえ、よしなにするがよい」
そう言いながら、お茶を口に含む。ほうじ茶のような色をしているが、香りも味も全然違う。だが、嫌な味ではなかった。
(物事とは、得てして見た目通りとは限らんものよな)
そう考えながら、香菜姫は昨夜決めたことをウィリアムに話すことにした。ただし、その前に、幾つか確認しなければならない。
「一つ聞くが、妾が此処に居ることを知る者は、どれ程おるのじゃ?」
そのような事を聞かれると思っていなかったのだろう、ウィリアムは少し驚いた顔をしたものの、直ぐに答えを返してきた。
「まず、この城に居るものは、ほぼ全員です。後は各領地の領主にも、召喚の連絡は行っておりますので、それらを合わせると、かなりの数になると思われます」
「それは、少々面倒じゃな」
後々の事を考えれば、極力自分の事を知る者は少ない方が良いと思っていた香菜姫としては、嬉しくない返事だった。しかし、既に済んだことは、動かしようがないと、己に言い聞かせる。
「まぁ、仕方あるまい。では、ここからが本題じゃ。そもそも、妾はなにゆえ召喚されたのじゃ?」
「それは我が国の窮状を救って頂きたいと、」
「その窮状とやらが、どのようなものかを聞いておる。それと、妾は、何をする事を望まれていたのかもな」
「……少し長くなりますが、宜しいですか」
そう断りを入れたウィリアムは、自ら腰掛けを持ってきて、香菜姫の向かい側に腰掛けた。
「二年ほど前、突然魔素溜まりと呼ばれるものが、国中に現れました。そして、そこから多くの魔獣が涌き出す様に生まれたのです」
少し俯きながら、ウィリアムは、この世界についてと、ここ二年の間に起きた事について、順を追って話し出した。
それによって判ったのは、元々この世界は魔素と呼ばれるものに溢れており、全ての動植物は多かれ少なかれ、体内に魔素を有していること。
そのために人々は魔力を持っており、魔法を使う事が出来るのだが、希に、動植物でも魔力を使える物がおり、それらを総じて魔獣と呼ぶこと。そして、それら魔獣は、魔素溜まりと呼ばれる、魔素が異常に濃くなった場所で生まれるという事だった。
ただし、魔素溜まり自体はそう珍しいものではなく、森の奥や洞窟の中、渓谷の吹き溜まりのような所等に出来ては、数体の魔獣を生み出した後、自然に消えるらしい。
また、魔獣の多くは、生まれた地を生息地として、人里に出てくる事は、稀だという。
しかし、それが二年前、普段なら出来るはずもない平原や街道沿いに何ヵ所にも同時に現れた上に、そこから出てきた魔獣達が領民や馬車で移動する人々を襲い、畑を荒らし出した為に、大問題となったのだ。
「最初は、一過性の現象だと思っていたのですが、そうではありませんでした。いくら魔獣を倒し、浄化の魔法をかけても、数日もしないうちに別の魔素溜まりが現れたのです。おまけに徐々にその規模が大きくなっていきました。浄化の魔法を使える者は、王宮魔術士の中でも極少数な上に、頻繁に浄化をし続けたため、やがて魔力切れで倒れる者が出るようになって…」
しかも規模が大きくなっていくせいで、今では浄化魔法の使える魔術士全員で当たっても、一つの魔素溜まりを浄化する事が出来なくなっているという。
その結果、魔獣の数は増え続けてしまい、討伐する兵達の疲弊は甚だしく、犠牲者も増える一方ということだった。
「同盟国であるロウェイ王国に、救援をお願いしたのですが、それも断りの返事が返ってきました」
「それで切羽詰まって、妾を召喚したわけか。で、妾はその魔獣とやらを退治する事を望まれたのか?それとも、浄化の方か?もっとも、その様な事態を、妾一人でなんとか出来るとは思えんがの」
「もし可能なら、その両方を御願いしたいと思っていました。もっとも、優先してお願いしたいのは、魔素溜まりの浄化です。元を絶つ事さえ出来れば、後は我々がなんとか…」
香菜姫は、これは害虫駆除と似たような様な物かもしれないと、思った。仕方ないと言わんばかりにため息を一つ、つく。
「最初に申しておくが、妾は何事も無償でする気はない。必ず働きに見合った報酬を要求するつもりじゃ。それでも良ければ、其方達に協力しても良いと思うておる」
「よろしいのですか?!」
その言葉を聞いた途端、驚いて顔を上げたウィリアムに対し、姫は念を押すように言葉を付け加える。
「ただし、妾は妾の出来ることしかせんし、又、一人でする気もないからの」
「勿論です!聖女様にご助力いただけるなら、我々は盾にでも何にでも成りますので、ご要望があるのなら、なんでもおっしゃってください!」
(こやつ、もしや昨日同じようなことを言うたあげく、首を落とされかけたのを、忘れてはおるまいな?)
ウィリアムの言葉に、少しばかり眉をしかめた姫だったが、口には出さず、代わりに聞くべきことを口にした。
「して、その魔獣とは、いったいどのような姿形をしておるのじゃ?」
「あぁ、それに関しては、いろんな種類がいますので、一言では……後程図鑑をお持ちしますので、それをご覧頂けたら判りやすいかと」
図鑑がどの様な物かは、見れば判るだろうと判断した香菜姫は、
「ではその図鑑とやらと、この国の地図を持って参れ。できるだけ正確なものが良いな。あと、可能ならば、兵達には魔獣討伐のための準備をさせておくよう。早ければ、明日の朝にでも出立したいと思うておるのでな」
「明日ですか?!判りました。伝えておきます」
「それと、討伐の責任者にここへ来るよう、伝えおけ」
全てを了解したウィリアムがいそいそと食器を下げて退出したのち、香菜姫は魔素溜まりとやらの浄化の仕方について考えていた。
浄化の方法としては、真言と祝詞の二通りがあるが、どちらが適しているのか判らなかったからだ。
しかも、真言が有効の事は実証済みだが、祝詞がこの世界で通用するかどうかはまだ判っていない。
しかし、悩んでいても仕方がないので、とりあえず≪神拝詞≫を試してみることにした。
部屋の隅に置かれている陶器の盥に張られている水で手を洗い、備え付けられている柔らかな布で手を拭いた後、まずは二礼二拍手。
「祓え給い 清め給え 神ながら守り給へ 幸へ給へ」
すると、ふわりと清々しい風が吹き、周りの空気が変化したのが判った。一礼したのち、これがどれだけ魔素とやらに有効となるのか、想像がつかない香菜姫が思案していると、地図を手にした大柄の男が、部屋を訪ねて来た。
昨日のビートンに劣らぬ体躯の持ち主で、白髪交じりの赤い前髪で隠してはいるものの、額に大きな傷痕があり、こちらも直ぐに武人だと判る。
「討伐隊隊長を務めるバーリーと申します。聖女様におかれましては、」
「堅苦しい挨拶はよい。其の方、まずは地図を広げよ」
そう命じられた男は、台の上に地図を広げながらも、チラチラと懐疑的な視線を姫に向けている。
「其方のその顔。女子に地図なぞ読めるのかという顔をしておるぞ。この世界の女子は、それほどまでに無能なのか?」
「い、いえ、そんなわけでは…」
「まぁよい。とりあえず知りたいのは、今居る場所と、各所の方角じゃ。これでいうと、何処にあたるのじゃ」
「今居られるのは、王都ウィルソルですから、ここになります。方角は地図の上部が北となっており、そしてこの線が国境、国の境を示す物です」
その地図は、動物の皮らしき物に書かれていた。それから読み取れる今いる国、レストウィック王国は、西側から北東にかけて山と森林に囲まれ、北東から流れ込む支流を持つ、大きな川が東側に流れており、それらに沿うように国境が定められていた。
王都と呼ばれる今いる場所は、そのほぼ中央に位置している。
山脈のある北側から西側にかけての国境から向こうはゲートヘルム帝国と記されてあり、こちらは敵対国だという。そして、東側と南側にかけての国境の外側にはロウェイ王国と記されていて、こちらは同盟国という話だった。
(ふむ、風水的には、そう悪くは無いようじゃの)
「では、魔獣とやらが出ておるのは?」
「全ての地域で被害が発生していますが、こちらとこちら、そしてこちらが現在最も被害の多い地域となります。特にこのあたりは魔素溜まりの出現が頻繁で、すでに無人の地となっているようです」
そう言って、いくつかの場所を示した。
「ふむ、どうやらこの世界においても、鬼門や裏鬼門は在るようじゃな。大半がそこに集中しておるの。…ん?ここ、クラッチフィールドは問題ないのか?」
其所は、ずばり鬼門に当たる場所のため、最も被害が多いと思ったのだ。しかも川が合流する所にあるため、二方向を川で遮られており、それ以外の方角にも山や森があるようなので、此処で被害が出た場合、逃げようがない気がしたのだ。しかし、
「現地からの報告ですと、今現在は被害は出ているものの、もうしばらくは領内の兵力で持ちこたえることが出来ると云うことです。むしろ、こちらのドーキンスから、新たな魔素溜まりが出現したため、被害が拡大しているので、早急に援軍を送って欲しいと要請がありました。どちらも、これまでに数回、討伐隊を送っています」
そう言ってバーリーが指し示したのは、鬼門よりも少し東にずれた場所だった。
(ふう…ん、変じゃの。まぁよい、調べれば済む話じゃ)
「では、地図の縮尺は、どうなっておる?それと、一応方位を見たいので、磁石があれば、ありがたい。後、物差しも欲しいの。あぁ、それから、後でよいから、この地図と同じ大きさの紙を一枚持ってまいれ」
矢継ぎ早に要求するが、紙以外は直ぐに出てきたため、あらかじめ用意していたのが判る。香菜姫はさっそく王都とドーキンスを結ぶように物差しを当て、質問を始めた。
「では、今いる場所から兵を出すとすれば、ここまではどれくらいかかる?」
「騎兵のみで向かっても、およそ三日はかかるかと。歩兵を加えれば、十日以上は」
「先程、ウィリアムにも言うたが、とりあえず、明日朝にでも出立したいので、騎兵での準備を頼みたい。数はどの程度、準備できようか?」
「今出来るのは、およそ三百騎かと……」
それは隊長にとって、討伐の規模を考えれば、あり得ない程少ない数だった。しかも、召喚した聖女が同行するのだから。しかし、今はそれが精一杯なのだ。だが、その不本意な数を聞いても、香菜姫は動じることなく受け入れる。
「あい判った。それで準備を頼む。ただ、その内二十名は、馬の準備は要らぬ。その者達は、妾と一緒に別行動とするゆえ」
「たかだか二十名ほどの兵士と別行動とは、いったい何処へ行かれるつもりなんですか、しかも馬も使わず…」
「其処らは後で判る故、心配要らぬ」
(しかし、こうなると、書くものが欲しいの。出来れば……)
そう考えていたら、突然香菜姫の手元に矢立が現れた。それも二つ。どうやら、たった今胸中で望んだ通りの墨用と朱墨用のようだが、いったいどこから現れたのか、皆目見当がつかなかった。
不思議に思って周王と崋王を見るが、どちらも首を傾げているため、あの者たちがした事ではないと判断する。
(まぁ、よい)
細かい事は後で考えることにして、地図に物差しを当てながら、鳥の形をした式に方角と距離を書き込んだ物を大量に仕上げていく。出来上がったそれらを、バサバサと捌きながら扇のように広げると、一気に息を吹き掛け命じた。
「急急如律令・尋地査集!」
香菜姫の手から離れた瞬間、それらは予め開けておいた窓から、一気に飛び立った。それはまるで生きた鳥のように数度旋回した後、各々の命じられた場所へと向かい、飛び去っていく。
「日が暮れるころ戻って来るゆえ、その頃又、此処に来るがよい」
窓枠から身を乗り出すようにして、その様子を見ていた討伐隊長の背中に、面白がるような姫の声が弾けた。
◇*◇*◇
王都ウィルソル・某所
(これは神がお認めになったに違いない!私こそ王に相応しいと!なんせ神が使わした聖女自身が、邪魔者を二人も始末してくれたのだからな!あのとき、王妃が余計なことをしなければ、三人とも始末出来たと思うと、少し腹立たしいが、あのような死に損ない、どうとでもできる)
豪華な調度で設えられた部屋で、その男はまだ昼だというのに強い酒の入ったグラスを手に、一人、祝杯を挙げていた。
(そもそも、王の息子だというだけで、あの愚鈍な男が王位に就いた時は、どれ程腹が立った事か。誰が見ても相応しくなど無いのに、小賢しい側近連中や王妃が奴の周りを固め、反対することさえ叶わなかったのだから。しかも、奴に息子が二人もいるおかげで、私の継承権は下がる一方だった)
当時の腹立ちを思い出したのだろう、一気にグラスの中身を開けると、ゴンッ! 叩きつけるようにグラスを置いた。喉の奥を通りすぎる酒の焼けるような熱が、過去の不快な思いを押し流す。大きく息をつくと、新たな酒を注ぎながら、ほくそ笑んだ。
(だが、今は私の上には死にぞこないの王子が一人いるだけだ。うまくあれと王妃を排除することが出来れば、私が王だ。そのためにも、あの生意気で気の荒い聖女を、手懐ける方法を見つけないと。まぁ、所詮は魔力が強いだけの小娘だ。弱みなど、いくらでもあるだろう。物か、金か、それとも男か。いずれにせよ、焦らずじっくりと考えればいい……それにしても、)
男は思い出したように、上着のポケットから小さなメモ書きを取り出した。そこには、昨夜盗みの罪で捕まった者達の解放を要求する文言が書かれてある。
それをぎゅっと握り、開くと、ポッと火がついて瞬く間に灰になり、その灰も手を一振りすると、消えてなくなった。
(混乱時とはいえ、手下を王宮に盗みに入らせるとは、あれは少々欲が深すぎる。少しばかり使えるからと厚遇していたが、どうやら調子に乗りすぎたようだ。そろそろ切った方が良いかもしれん。とりあえず牢にいる連中は、早急に黙らせるとするか……)