番外編 温泉に行こう!
先週お知らせいたしましたが、今回は番外編で、アベケット領地、到着日の話です。
この世界の曜日は、
風の日、火の日、水の日、木の日、鉄の日、土の日、の六日間で一週間。
土の日は安息日で休み
アベケット領に到着した日の夕刻。
「聖女様。せっかくアベケット領に来たのですから、温泉に行きましょう!」
ガレリア、サイモンと共に、この地の領主であり、彼らの父でもあるアベケット伯爵への挨拶を終えた香菜姫は、廊下で待ち伏せしていたソフィーナに腕を掴まれ、そう誘われた。
「今日は水の日ですから、それほど混んではいないのですが、一応貸し切りにしてあります」
ガレリアが、前もって予定を組んでいたのだろう。既に準備は出来ているようだ。
「日によって、違うのか?」
「うちの領地では、鉄の日に汚れを落とし、安息日を迎える事が推奨されているので、鉄の日は凄く混みますね。それ以外の日も、汚れたと感じたら入りますし、治療や療養目的で、入る者はいますから。でも、それほど多くはありません」
伯爵邸から歩いてすぐの場所にある、ガレリアお勧めの浴場の前では、エリアナやバーリー達、討伐隊の面々がすでに待っていた。
「聖女様、こちらです」
エリアナが姫と華王を、女人用の入り口へと誘う。女性用という標示と、山吹色で女神ドラーラの絵姿が描かれてあるのは、幼い子や、字の読めない者でも、間違えないためだという。
周王も後に続こうとしたのだが、若武者姿を知っているバーリー達に捕まり、かつぎ上げられたまま、男用へと運ばれていった。こちらは男性用の標示と、銀鼠色で聖人の絵姿が描かれてある。
中に入ると、風呂場特有の匂いに加え、火山で嗅いた独特の匂いが満ちていた。湯上り後に着るのだと、貫頭衣のような物と、手ぬぐい状の物を渡され案内された先には、金物茶碗の置かれた水飲み場や脱衣場があり、その奥には、大きな石造りの浴槽が二つ見えている。
床には石が敷き詰められているが、滑らないよう、ざらついた加工がしてあり、壁際には棚がいくつも作り付けられ、全てに篭が入っていた。
「随分と広いの」
「そうですね。アベケット領には、全部で三十二個所、浴場がありますが、その中でもここは、一、ニを争う広さで、人気も一番高いんですよ」
「あぁ、お召し物はこちらで侍女が預かります。手入れなどで、何かご希望があれば賜りますが」
稚児姿となった華王が、てきぱきと姫の着物を脱がし、畳むのを見たソフィーナが声をかける。
「問題ない。これに入れれば良いのじゃろう」
篭を指差し、華王に指示を出す。
「妾の着物は、こちらに。華王は隣の篭を、使えば良かろう」
「あいな」
姫の着物を全て篭へとたたみ入れた華王が、小さく「脱」と呟くと、たちまち着ている物一式が、肌から離れ、全て篭に収まる。それを見たガレリア達が、驚きに目を見張る。
「やはりその術は、風呂の時に便利じゃの」
香菜姫の言葉に、華王は少し気まずげな顔をして見せるが、
「我は、加減が巧く為りもしたゆえ」
直ぐに澄ました顔になった。
湯に浸かる前に、身体を洗うのだと教えられ、ソフィーナの案内で、石造りの横長な湯桶の前に、低めの腰掛けと手桶が並べられた所へと向かう。
「姫様、お背中をお流し致しもす!」
華王が海綿と薄黄色の石鹸を手に、寄ってきた。
石鹸は、こちらの世界に来てから、知った物の一つだ。王宮で風呂を所望した際、湯船と共に供された物の一つだった。
どうやら煮詰めた灰汁と油を混ぜて固めた物らしく、海綿や手で泡を立て、それで身体を洗うのだとシャイラが教えてくれた。王宮の物は花の香りがしていたが、これは柑橘の香りがする。
「そういえば、今年は柚子湯に入り損ねたの」
柑橘の香りの泡で、全身を洗われながら、姫がぽそりと呟くと、すかさず華王が、
「これは、れもん、と言う果実の香りでありもす。先程、教わりもした」
「そうか。良い香りじゃの」
「あい」
更にワシャワシャと泡立てた泡を、姫の背中に乗せて海綿で撫でるように擦っていく。背中に添えられる、小さな手の優しさに癒される。
「後でそれを妾にも貸してくれぬか。たまには、妾が華王の背中を洗うてやろうぞ」
「そんな、もったい!……でも、姫様が宜しいのなら、お願いしもうす……」
一応、遠慮して見せるが、嬉しそうな顔をしている辺りが可愛いらしく思え、香菜姫の頬が緩む。
香菜姫は、手桶の湯で泡を落とすと、隣の腰掛けに華王を座らせ、海綿を使って、泡を立てていった。
(意外と楽しいの)
小さな背中に泡を置き、柔しく擦る。
(そういえば、章とは一度も風呂に入ったことは、無かったの……此の様に背を洗ろうてやる事も、もう、叶わぬのじゃな……)
最近は、元の世界の事を思い出す事も少なくなっており、その事実を、姫は寂しく思っていた。
「聖女様、こちらは髪専用の石鹸です。ぜひとも使ってみて下さい!」
華王の泡を流していると、既に頭も身体も洗い終わったのだろう、頭に布を巻いたガレリアが、小瓶を二本手にして香菜姫の横に腰掛けてきた。
「あっなら、ぜひ私に洗わせて下さい!聖女様の髪、凄く長くて艶があって、気になっていたので」
同じ様な格好のソフィーナが、それを背後から奪い取り、姫の後ろに座る。
「えっ、だったら私は華王ちゃんの髪を洗いたいです!」
エリアナが負けじとばかりに声を上げ、華王の横に陣取った。
結果、姫はガレリアとソフィーナに、華王はエリアナに髪を洗われ、皆で頭に布を巻いて、湯船へと浸かった。
最近領地で流行っている物の話や、湯上がりには、れもんの汁を絞り、甘味を付けた飲み物が供される話を聞きながら、姫は肌を滑る湯の感触を堪能していた。
(たまには、こういうのも良いの)
***
男性用浴場へと連れてこられ、こちらも稚児姿となった周王は、今、サイモンに背中をガシゴシと擦られて、不貞腐れた顔をしていた。
「バーリー殿から、大人の姿にもなれると聞きました。ならば、ぜひ、お手合わせを!」
大きな手で背中を擦られ、周王は少し痛く感じたが、なんだかそれを口にすると、負けたような気になったため、黙っている。
「周王殿は、大層な人気でしたからな。『白銀の騎士様』とか、『天翔ける狐兜の勇者』などと呼ばれて。今、クラッチフィールドでは狐耳の兜が、子供達の間で大流行してるそうですよ」
「そうなのか?では、ぜひ一つ買い求めないと!いや、いっそ我が領地でも造らせよう」
ならば大人の兜も造らせて、皆で被ろうなどと言われ、盛り上がる。
周王は恥ずかしくて堪らなかった。あの時は、子狐丸を賜った嬉しさのあまり、少しばかり浮かれ、あの様な変化をしたのであって、常日頃から兜に耳を付けている訳ではない。
なのにいつの間にか、狐耳兜が己の印のように成っているのだ。
気がつけば頭にも石鹸の泡が乗せられ、サイモンの大きな手でガシガシと洗われている。意外と気持ちが良い、そう思った周王だったが、
「サイモン殿、流石にそれは如何なものかと」
バーリーの咎めるような声に、嫌な予感がした。
「そうか?俺はいつも、これで済ませるが」
「我々でさえ、髪用石鹸を使いますよ。それに子供の髪は細いので、そんな事をすれば、パサパサになってしまいます」
髪がパサパサになると聞いた周王が、慌てて手桶で頭に湯をかける。しかし、遅かった。
手に触れる髪はキシキシと音を立て、指通りが最悪になっていた。髪に両手の指を差し込んだまま、呆然とする周王に、バーリーが何やら酸っぱい匂いのする湯をかけ、わしわしと髪を揉み、又湯をかける。
「これで少し、ましになりましたから。後で髪用のオイルを付ければ、大丈夫ですよ」
言われて髪を触ると、確かにましになっていた。周王はバーリーに礼を言うと、サイモンを睨み付け、
「明日、手合わせをしてやろう。加減はしもさん!」
言い捨てると、湯船へと進み、ザブンと中に身を沈めた。




