六十一話
(御行の式が切られた?!偶然……では、あるまい。あれほどの覇気の持ち主じゃ。しかし、あの衣装に、腰の物。おまけに……)
周王の言う覇気が気になり、御行の術を用いて、隣国へと潜入していた香菜姫は、今しがた見た光景について、思案していた。
「「姫様、あれは……」」
「周王、華王。一先ず、戻るぞ。話はそれからじゃ」
国境近くまで戻ると、術を解き、心配げに待つガレリア達の側へと降りる。
「ガレリアよ。妾をこちらの世界へと連れてきた術について聴きたい。あれは、誰にでも使えるものなのか?」
「いいえ。聖女様を召喚するのは、非常に特殊な魔法陣を用います。それは王家に代々伝わる魔導書に記されていて……あっ……」
そこで、思い当たる事があるのだろう、ガレリアが瞠目する。
「もしかして先程、神獣様が感じられた覇気は……」
眉間にシワを寄せたガレリアに、詳しい話は屋敷に戻ってからで宜しいかと尋ねられた姫は、自身も思案することがあるため、それに頷き、一先ずアベケットの屋敷へと戻る事になった。
***
「我がレストウィック王国と隣国・ロウェイ王国は、長きに渡り、ゲートヘルム帝国による侵略の脅威に晒されてきました。婚姻や条約が結ばれ、一時的に平和が訪れたこともありましたが、長期間続いた例はなく、直ぐに緊張状態へと戻りました。その最大の原因が、三冊の魔導書です」
棚に多くの書物が詰められた部屋で、ガレリアは大きな台に一冊の革製の絵草紙と、大陸の地図を広げながら、説明を始めた。その場には、ガレリアの父であるアベケット伯爵や、サイモン、そしてバーリー達も呼ばれており、皆、緊張した面持ちだ。
「『カエルラ(青)』、『ルフス(赤)』、『ウィリデ(緑)』。この三冊の魔導書は、今から千五百年以上昔、一人の神官が女神ドラーラから、賜わったと伝えられています。その神官はまだ年若い者でしたが、その信仰のあまりの深さに感銘を受けた女神が、己の力の一部を使えるようにと、与えたのだと」
ガレリアが絵草紙を、香菜姫の前に広げて見せる。そこには、青、赤、緑の書物を抱きかかえた神官の絵と共に、『カエルラには癒やしの術の習得方法が、ルフスには、聖なる器(聖杯)の作り方が、そしてウィリデには、聖なる器の材料と、それを集めるための術が書かれていました』と記されている。
「これは、一般に出回っている『聖者の魔導書』という本です。この本では、聖杯を作るのに成功し、癒しの術を習得した神官は、その術をすべての神官に広めることで聖者となり、その後、魔導書をドラーラ信仰に熱心な三つ国の王に献上したと書かれています」
ガレリアは絵草紙を閉じると、父であるアベケット伯爵へと視線を向け、伯爵が頷くのを確認した後、話を続ける。
「これは事実ではあるものの、全てでは、ありません。魔導書には、それ以外にも様々な魔術について書かれていた上に、それぞれに、『聖女』、『勇者』、『賢者』の召喚方法と、その為の魔法陣が描かれていたのです。しかし、その事は伏されたまま、『カエルラ』は我が国に、『ルフス』は隣国へ、そして『ウィリデ』は、ガニラ自治区のある場所にかつて存在した、ガリア国の族長へと、献上されたのです」
そこからの説明は、アベケット伯爵が引き継いだ。
「やがてガリア国はペルギニ王国に統合され、『ウィリデ』はペルギニ王家の手に渡ります。そして、今から三百年ほど前、ペルギニの姫がゲートヘルム帝国へと嫁ぐ際の持参金の一部として持ち出され、帝国の物となりました」
「その頃から、『三冊の魔導書を揃えると、神が召喚出来る』とか、『三冊の魔導書を手に入れた者は、神と同等の力が手に入る』という噂が、まことしやかに流れるようになりました。それが事実かどうかは、我々には判断しかねます。しかし、帝国の者達はそれを信じたのでしょう。我々に対して、執拗に魔導書を渡すよう迫り、応じなかった結果、侵略や強迫を繰り返し行うようになりました」
「あの魔導書は、我々にとって、国を守る為の最後の手段なのです。それを渡せるはずなど、ありません。実際、過去に一度、我が国は聖女を、隣国は勇者を召喚する事によって、帝国を追い払うのに成功しています。それ故、よけいに帝国は魔導書を欲しがり、我々は何としても渡すまいとしている訳です」
アベケット伯爵が話を締め括ると、再びガレリアが姫の方を向く。
「先程、神獣様が感じられた覇気ですが、おそらく勇者様のものと推測されます」
視線が、姫と白狐達に集まる中、香菜姫はどこまで話すべきか、考えていた。そして今の時点では、見た事のみを話す事にした。
「妾が見た者が、『勇者』かどうかは、判らぬ。じゃが、衣服や持っていた武器から鑑みるに、異界から来た者であるのは、間違いなさそうじゃ。それも、二年前に」
その言葉に、バーリーが頷く。
「隣も同じ時期に、魔素溜まりが出来たとしたら、納得ですな。おそらく、早々に勇者を召喚したのでしょう」
「それならば、理屈は通るの。じゃが、妾は【魔獣を一箇所に閉じ込めて、首を切る】のを見ておる。それは蠱毒を作るため、とも考えられる。少なくとも、隣国や、彼の者達が何を企んでいるか判るまでは、慎重に動いた方が良かろう」
(それに、あの御仁が二年も前に、勇者としてこの世界に来ていたのであれば、隣国には火薬どころか、鉄砲まであるやもしれん。さすれば、迂闊には手を出せん)
先程、香菜姫が目にしたのは、互いに信長様、蘭ちゃんと呼び合う二人だ。織田 信長公と、その小姓である森 蘭丸で、間違い無いと思われた。
織田 信長。それは次郎爺が話してくれた数多の武将の中でも、群を抜いて特異な存在だった。
弟を殺害して尾張を統一し、二万五千の敵に対し、わずか二千の兵で奇襲をかけて成功させた策士であり、比叡山延暦寺を焼き討ち、長島では浄土真宗の信者二万人を焼き殺した残虐非道の第六天魔王だ。しかも、いち早く鉄砲を取り入れた先見の明の持ち主でもある。まさに、時代の寵児というべき存在だ。
そして、森 蘭丸。敵将にさえ、その才を認められるほど聡明で優秀な、信長公自慢の忠臣。
その二人を相手にするのかと思うと、流石の姫も、気後れしていた。なにせ経験や場数では、圧倒的に向こうが上だからだ。
『相手の腹の中や力量が判らぬのに、仕掛けるなど、愚策の極み』。次郎爺の声が蘇る。ならば今、出来る事から取り掛かるべきと、姫は判断した。
「まずは魔獣の遺骸を運んでいた者共の行動を、探りたいと思うておる。もし、あれを用いて蠱毒とされると、面倒じゃ」
先程狩られた魔獣の首はかなり大きく、クラッチフィールドに有ったものと同等の、魔素溜まりが出来る可能性がある。幸い、あちらの式はバレずに追跡を続けている。
(それとも、わざと見逃したか。あの時、式の方を僅かだが、見た気がする……)
結局、香菜姫の式の報告を待ち、蠱毒を作っている事が確かとなった時点で現場へと向かうことで、話がついた。
***
「姫様、あそこにおられたのは、ほんに、あの御仁達でありましょうか?」
用意された居室に戻った途端、周王が姫に訊ねる。
「おそらく、間違いなかろう」
「ならば、あの場所でご遺体が見つかっておらぬのも、道理」
頷きながら、尻尾が左右に揺れている。
「周王よ。なんだか、嬉しそうじゃの」
「滅相もありもせん!ただ、あの御仁が、あれほど簡単に討たれ自害したとは、どうしても信じる事が出来もせんでしたゆえ。しかし、ようやく得心しもした」
「確かにの。本能寺で明智方に討たれる直前に、こちらに召喚されたのならば、全てに説明がつく。結局、明智殿は最後まで、信長公を討った証を手にすることは、無かったのじゃから」
蘭丸を討った、信長公に怪我を負わせたと明智方の武将がいくら言おうと、首や遺体等の証がなければ、戯言でしかない。
(ほんに、心して事に当たらねば。相手は魔王と呼ばれた信長公じゃ。用心に用心を重ねても、足らぬ気がする)
その時ツイッと、鳥型の式が部屋へと入って来た。クルクルと旋回しながら、報告を始める。
『首、毒虫、樽。首、毒虫、樽…………』
「どうやら、蠱毒の準備をしておるようじゃな。現場を押さえに参るとしようぞ」
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式に導かれて着いたのは、昼間、ガレリア達と見た森の中に建てられた、小さな小屋の前だった。判り辛くするためだろう。蔓草や、茅等が周りに積まれている。
静かにすると約束した上で同行したサイモンは、口元に布を巻き、一応、声が漏れにくくしていた。そして腰には剣ではなく、丸太が装備されている。もし、この場にバビジがいたら、生け捕りにしたいという姫の要望に対処した結果らしい。しかし。
「急げ!今夜中に向こうへ運ばないと、ならないんだ!」
中から、そんな声が聞こえた途端。
「そんな事、させるかぁ!」
サイモンが叫びながら扉を蹴破り、中へと飛び込むと、相手が丸腰であろうが、武装していようが関係なく、手にした丸太で殴り始めた。
(生け捕りじゃと申したのに、忘れておらぬか?)
些か呆れはしたものの、その場は任せる事にした姫は、ドカンッ、バキンッと音がするのを聞きながら、次の準備として、付近一帯に水を撒くよう華王に指示していた。小屋は焼き払うつもりだが、森まで燃やすつもりは無いからだ。
「特に、あの辺りは念入りに頼む」
「畏まり!」
暫くして、ようやく小屋の中が静かになったので、中を伺うと、頭を砕かれ、絶命したも者もいたが、腕や脚を負傷しただけの者が大半だった。唯一立っていたのは、満足げなサイモンだけで、こちらは頬に擦り傷がある程度で、ピンピンしている。
香菜姫は、取り敢えず生きている者達は、捕縛して外へ出すよう周王に命じると、作りかけの蠱毒の樽に、手持ちの火薬玉をいくつか放り込む。そして毒虫が入れられた虫壷に油を注ぐと、サイモンと共に小屋を出た。
周王が小屋に火を放つと、一気に燃え上がり、盛大な破裂音がしで、小屋が吹き飛んだ。樽や魔獣の首の破片が飛散る。それらを氷壁で塞ぎながら見ていた姫だが、
「さて。いい加減、出て来られたらどうじゃ。織田 信長殿と、森 蘭丸殿」
その言葉に、少し離れた木の後ろから、びしょ濡れになった男が二人、姿を現した。
「なんだ、気づいておったのか。蘭ちゃんに上手く隠してもらっておったのに。しかも名まで、知られておるとはな」
森 蘭丸は、本来ならば森 成利とするか、大河のように森 乱と称するのが正しいのでしょうが、私の個人的な好みから、森 蘭丸としています。また彼は本能寺で安田 国継に討たれたとされていますが、こちらも確かな証拠がないので、殿と一緒に召喚された事にしています。




