五十八話
二頭立ての箱馬車が小さくなって行くのを眺めながら、ケンドリックは満足感に浸っていた。漸く、ここ何年もの間、悩みの元凶だった連中を、追い払うことに成功したのだ。
「これも、聖女様のおかげ、かな」
そう独り言ちながら、三日前の夜を、思い起こす。
***
祝宴後、深夜。
衛兵詰め所に隣接した小部屋では、ケンドリックによる、『寄生虫、追い出し作戦』第二幕が開こうとしていた。
ヤスミンを除く二名の令嬢達は、何も発言していなかった事を理由に、厳重注意をされた上で、既に両親と共に帰宅が許されていた。
しかしヤスミンとその両親は、聖女に対して侮辱的発言をしたという事で、未だに小部屋に閉じ込められたままだ。
(おそらく、ジリジリしながら、待っているだろう)
ケンドリックは、ほくそ笑んだ。取るべき手続きの為に、遅くなったのは嘘ではないが、あえて急がなかった、というのが正しい。全ては、状況を有利に働かせるためだ。
(どうせ、アイツらの事だ。『なぜ、自分達がこんな目に遭わなければいけないんだ!何も悪い事などしていないのに!』なんて、思っているはずだからな)
その予測は、正しかった。その時ヤスミンは、嘆き悲しむ母親を父と二人で慰めながら、なぜ、こんな事になったのかを、考えていたからだ。
「お母様。直ぐに、こんな間違い、正されます。お兄様だって、いつか判ってくれますわ」
言いながら、ヤスミンは溜息を漏らす。そもそも、今回の原因は、祝宴に遅れて現れた聖女にあると、彼女は思っていた。
この国の聖女だと言うのに、年寄りにエスコートされ、異国の衣装しか着るものを持たない少女に対し、哀れみを感じたヤスミンは、『可哀想な聖女に、自前のドレスを貸して上げようとしただけ』なのだ。確かに少しばかり、優越感を滲ませた言い方はしたが、それは申し出た親切に比べれば、些細な事だ。
にも関わらず、恥をかかされ、無礼者扱いされた事に、彼女は不満を抱いていた。
(あんな女だから、きっと誰も、エスコートをしたがらなかったのね。私だったら、あんな禿げたおじさんにエスコートされる位なら、出席を取りやめるわ)
宰相であるオルドリッジ自らが、エスコートを買って出た事に対する重要性を、ヤスミンは少しも認識していない。それどころか。
(私に、こんな酷い仕打ちをするなんて。よその世界から来て、寂しいだろうから、仲良くしてあげようと思っていたけれど、止めたほうが良さそうね)
寄り添う両親を、見る。
(それに、お父様は私を助けようとしただけなのに、怪我をさせらせたし、お母様に至っては、あの意地悪なお兄様の言葉に、傷つけられた被害者でしかないのに……)
身につけていた装飾品を奪っていった時の、異母兄の顔を思い出す。
(どんなに言葉を尽くしても、通じない相手って、いるものね……)
ヤスミンの母は、昔から何度も繰り返し、家族の大事さや、家族は協力し合うものだという事を、兄や祖母に語っていた。そして、無理をせず、自分達を頼って欲しいとも。
しかし、二人は頑なに、それを拒否し続けた。
(お母様は、お兄様はお祖母様に洗脳されているだけ、だと言っていたけど)
既に祖母が亡くなって五年経つ。なのに、母は未だに屋敷の女主人として振る舞う事を許されず、自分達は、客室住まいを強いられているのだ。
(この二年間だって、お兄様が留守にしている間、お屋敷を管理してあげようと、お父様とお母様は張り切っていたのに、結局、何一つ任せてもらえなかったし)
その時、扉を叩く音が聞こえ、ケンドリックが文官を従え入ってきた。
「さて、既に罪状はお聞きになったと思いますが、お三方への処遇が決まりました」
にっこり笑うケンドリックが、後ろで控えている文官に頷くと、文官は宰相直筆の書状を広げ、読み上げていく。
「《レランド・コルバーン名誉子爵及び、その夫人トリスタ・コルバーンと令嬢ヤスミン・コルバーンにおいては、今後三年間の王都への入都及び、五年間の王宮への立ち入りを、一切禁止とする》。以上です。従って、速やかな退去を求めます」
「そんな…いくらなんでも、厳し過ぎる」
「酷いわ、こちらの方が被害者なのに!」
「なんで……」
三人揃って騒ぎ出すが、その視線は文官ではなく、ケンドリックに集まっている。
その視線が、侯爵家の権限で撤回もしくは減刑させろと言っているように、ケンドリックには見えた。だから敢えて、違う話を持ち出す事にする。
「それより、なぜヤスミンがこの装飾品を着けていたのか、教えてもらえますか?私は使用の許可を与えた覚えが、ないんですが」
先程回収した装飾品を取り出し、見えやすいように、そばにあった机に置く。
「だって、昨日お屋敷に届いたのよ!貴方宛てだったけど、最近話題の宝飾店からだもの。当然、貴方からヤスミンへの贈り物だと思うでしょう?それに、もし違ったとしても、同じ屋敷に住む家族なんだから、問題ないはずよ」
夫人の想像通りの答えに、笑いそうになる。実は、これについては、既に執事から報告を受けていた。
宝飾店からの届け物だと判った途端にこの夫人は、執事が止めるのを無視して勝手に開け、そのまま持ち去ったのだという。
「大有りですよ。この装飾品は、私の、即ち侯爵家の物です。そして、爵位を含め、侯爵家に纏わる全ての物は、私が母方の祖父から譲り受けた物だ。何度も言っていますが、父も、父の後妻である貴女にも、ましてや二人の間に生まれたこの娘になぞ、勝手に触れる権利はありません」
「私達は、家族なのよ。なのにどうして、いつも……」
夫人が涙を浮かべながら反論するが、ケンドリックのうんざりとした表情は、変わることなく。
「だからこそ、これまでは貴女達が王都の侯爵邸に滞在するを、許していたのですよ。なのに、何を勘違いしたのか、最近は私が領地に出向いているのを良いことに、屋敷の管理権を寄越せと、執事や家政婦長に言ってたそうで」
「それが、そんなにおかしい事なの?だって、私達は少しでも貴方の役に立とうと思ったのよ。お屋敷の管理や、使用人の監督をしてあげれば、貴方も少し楽になると……」
「他家の使用人や財産を、当主が不在だからと、勝手に管理、監督して良い等という法はありません。それに、管理したければ、自領へ戻られて、そちらを管理される事をお薦めしますよ」
トリスタと結婚するに当たって、父は侯爵家の籍から出されている。それに伴い、父の実家である伯爵家との話し合いが持たれ、伯爵家からは、保有するコルバーン名誉子爵位を、侯爵家からは、小さな領地が譲り渡されていた。今の父の身分は領地持ちの、名誉子爵だ。
もっとも、子爵位は父の死後は伯爵家に返還されるため、ヤスミンが相続出来るのは領地のみだ。
それでも何も継ぐものの無い次男、三男からしたら、それなりに旨味のある結婚相手だと言える。
「あんな田舎では、ヤスミンに良い縁談など、みつけてやれないわ。せめて侯爵領の領都でないと」
「そうだ。お前がこちらに戻って来るのなら、我々が侯爵領の管理をだな……」
「必要ありません」
(そもそも王都の方が、ヤスミンの結婚相手を探すのに、都合がいいからと、無理やり王都の侯爵邸に居残ったくせに、今度は侯爵領の管理だと。笑わせる)
「なぜ、そうやって、何時まで経っても、私達を頼ってくれないの?お義母様もそう。お年なのだから、無理をせずに、私達に任せて欲しいと何度も言ったのに、結局、最後まてご自身がされていて……」
「祖母は、私の母の母ですから、当然でしょう」
「だって、私は貴方のお父様の妻なのよ!それに何度も、せめてヤスミンだけでも、侯爵家の籍にいれて下さいってお願いしてるのに、貴方はちっとも聞いてくれないし」
「ヤスミンには、侯爵家の血は流れていませんからね」
「お兄様は、いっつもそう。私は妹なのに、その事実を絶対に認めようとしてくれないのね……」
(相変わらず、言葉が一切通じない……)
ハンカチで、涙を拭ってみせるヤスミンを見ながら、
「父上。貴族籍法はご存知ですよね。いい加減、奥方達に教えて差し上げたら、いかがですか」
「あぁ。だが……」
「言い訳は、結構。私はもう、うんざりしてるので。なので、当主の権限で命じます。父上一家には、今後一切、王都、領地に関わらず、侯爵家が有する全ての屋敷への出入りを禁じます。これは別荘及び別邸も、例外なく含みます」
「そんな!だったら私達に、どこへ住めと言うの!」
「父上ご自身の領地で、領主夫妻として生活をされれば良いかと。さて、出て行く期限として三日間、お時間を差し上げましょう」
「三日後の朝には、出て行って下さい。でないと、力づくで放り出す事になります」
「あ、あの聖女ね。あの失礼な女が、あなたに何か吹き込んだのね!そうに決まってるわ」
(今度は、聖女様を悪者にするのか)
自分に都合の悪い事は、全て他者の悪意ある企みにするのだ。そうして、自分は可哀想な被害者として、嘆き悲しんで見せる。しかも半ば本気で、そう思っているだけに、質が悪い。
だからケンドリックは昔から、この義母が大嫌いだった。そして、義母とそっくりな考え方をする異母妹も、その二人の言い分に耳を傾け続ける父にも、うんざりしていた。
元々病弱だった母が亡くなった時、まだ五歳だったケンドリックの為に、祖母はありとあらゆる伝手を使い、二日程で後見人の地位を手に入れていた。父が後見人となった時の問題点を、おそらく、その時点で見抜いていたのだろう。
その後、父は一年程で再婚し、その翌年にはヤスミンが生まれた。
ケンドリックとて、当初は生まれたばかりの妹が可愛かったし、『貴方の妹』という言葉も、嫌ではなかった。しかし、やれ、ヤスミンを侯爵家の籍に入れるべきだとか、女主人の部屋は、父親の妻である自分が使うべき等、繰り返し言われるようになった時点で、距離を置くようになっていた。
それでも、夫人に同情する使用人が、ケンドリックを懐柔しようとした事が何度かあった。しかし、そのような者達は、祖母が容赦なく辞めさせていった。侯爵家にとって、害悪にしか成らないと言って。
そんな祖母も、ケンドリックが十七歳になり、正式に爵位を継ぐのを見届けると、その三ヶ月後に眠るように亡くなっていた。
「先程の発言は、聖女様への不敬と認識します」
ケンドリックの思いを遮るように、文官の声が響く。言いながら、何かを記入している事に気づいた父が、夫人の発言を止めさせた。
「もう、黙りなさい」
「だって、あなた、酷いじゃないですか!家族の絆が、こんな形で壊されるなんて!」
あんたと俺が家族だった事など、一瞬たりともないのだと叫びたかったが、止めた。
***
馬車を見送るケンドリックの肩に、手が置かれる。誰か、なんて聞かなくても判る。長年の友人であり、夫人とヤスミンの敵でもあるガレリアだ。ある日、たまたま遊びに来ていた彼女に向かって、
『貴女、そんなに背が高かったら、誰もお嫁さんに貰ってくれないわよ。せめて小さく見えるように、少し、しゃがんで歩いたら?』
『あら素敵な思いつきね、ヤスミン。あなた、ぜひ、そうなさいよ』
その言葉で、二人は即座に友人から敵認定されたのだ。それ以降ガレリアは、一層背筋を伸ばし、颯爽と歩いている。
「行ったわね。これでもう、親切そうな顔で吐き出される、悪意たっぷりの戯言を聞かずに済むと思うと、ホッとするわ。ねえ、良いこと教えて上げようか。聖女様、あれより年下だったわ」
これには、さすがにケンドリックも驚いた。
「聞いたの。直に十五だって。だから、まだ十四歳」
「……人の成長は、環境次第って事か」
「まぁ、当人の才もあるだろうけど、周りの影響は、小さくないと思うわ」
こんなケンドリックだが、仲の良いアベケット兄妹を、羨ましく思った時期もあったのだ。
あの母親でなければ。手元に残された装飾品を思う。きちんと手順を踏みさえすれば、間違いなく、ヤスミンに贈られた物だったからだ。こっそり、荷物に紛れ込ませようかとも考えたが、止めた。
(あの母親の事だから、また、自分に都合の良い解釈をするのが落ちだ。あれはいくつかに分けて、働きの良かった兵士達への、下賜にでも使おう……)
この二年間、父の領地の魔素溜まりの対処をしていた者の多くは、侯爵家に属している。魔獣の討伐から、浄化の手配まで、全てだ。当然、その事に関しては、父にも手紙を送ったのだが、その返信には、いつになったら、屋敷の管理を自分達に任せてくれるのか、という事しか、書かれていなかった。
嫌な事を思い出したせいで、身体に力が入ったのが判ったのだろう。友人がポンポンと、背中を叩く。そのリズミカルな振動は、妙に心地よかった。




