五十六話
抜糸しました。そして、Tec(仮歯)が入りました。これで人前でも口が開けれます。一月ほど様子を見て、ブリッジにする予定。
後書きに、温泉に関する、ちょっとした小話があります。よろしければ、そちらもお読み下さい。
「例の男は、なかなか口を割りませんが、他の三人に関しては、少しずつですが、聞き出す事に成功しています」
襲撃犯を捕らえた翌日。香菜姫の部屋に進捗を伝えに来たのは、オルドリッジの補佐官だという、若い男だった。姫は、なんとなく見覚えがあると思ったが、男がデラノ・エジャートンと名乗ったため、直ぐにその理由が判った。
(あの者の身内か。そう言えば、弟がおると申しておったな)
姫の脳裏に、赤毛を後ろで縛り、不敵に笑う隻眼の領主の姿が浮かぶ。今、目の前で書類を見ながら説明している男は、兄のようなふてぶてしさは無いが、代わりに慎重や、生真面目という言葉が似合う雰囲気だ。説明も端的で判り易い。
(違う意味で、有能というわけか)
「今、判っているのは、彼らが雇われ魔術士で、ペルギニ王国の出身だということ位ですが、これからゲートヘルム帝国との関係を…」
「まて。そのペルギニとやらの国名、妾は初めて耳にする。悪いが地図を用いての、説明を頼む」
「これは、申し訳ありません」
「いや、こちらの不勉強じゃ」
(迂闊であったの。確かに、『国が三国のみ』という事はありえぬ。もう少し、この世界の事について知らねばならぬの)
エジャートンは、彼に同行していた衛兵に、至急、大陸地図を持って来るよう指示する。地図は直ぐに届けられ、それを机に広げての、説明が始まった。
そこには大陸が一つと、多くの島々が描かれており、レストウィック王国は、大陸のほぼ中央に位置しているのが判る。その東から南側に隣接しているのが、ロウェイ王国だ。こちらは、海岸線までが領土で、レストウィック王国よりも幾分広いのが見て取れる。
しかし帝国は、更に広大だった。最北に小さくシュミル真聖国、最南部にペルギニ王国、ガニラ自治区と記されている以外は、残りの全てが、帝国の領土だ。
レストウィック王国は北から南側にかけて、帝国領に囲まれる様に接している事になる。
「三人は、こちらのペルギニ王国出身の、魔術士達だと判りました」
指し示された国は、海に面した国らしく、多くの島を有している。
「国の領土自体は、さほど広くありませんが、交易が盛んで、他の大陸との繋がりも大きく、」
「他の大陸?」
「あっ、はい。更に大きな地図になら、それらも載ってます。もし、そちらもご覧になりたいのなら、持ってこさせますが……」
「いや、話の腰を折ってすまぬ。そちらに関しては、後日、改めて頼むとする。して、この国とペルギニは、どのような関係じゃ?交易はあるのか?」
「そうですね。我が国は本来なら肥沃な土地に恵まれているため、小麦や果実等の栽培が盛んです。その為、それ等を輸出し、海外の珍しい織物や、隣のガニラ自治区で取れる羊毛等を輸入していました。しかし、ここ二年は自国の民の為に、備蓄庫の小麦を開放している状況のため、交易は殆ど行われてないかと」
「では今現在、帝国とペルギニが協力関係に在るかどうかを、確認する術は?」
「申し訳ありません。私には、なんとも……ただ、外交に詳しい者が居りますので、後で説明に上がらせます。地図も、その時に」
「あい、判った」
「ところで、聖女様」
そこで言葉を切って、エジャートンは少し言い淀んだ後。
「実は、ご提案があるのですが。次の浄化先として、硫黄の採れる地域に行かれては、どうかと」
バビジ商会の会頭を指名手配としてからは、新たな魔素溜まりは出来てはいないものの、まだ浄化出来ていない魔素溜まりは数多く残っている。その為、今後の浄化先を決める話し合いが、この後、バーリーやビートンを交え、行われる事になっていた。
「硫黄か。そうじゃの、一考しておこうぞ」
「ありがとうございます」
姫の返事に、エジャートンは安堵の表情を浮かべる。
今回の事で、軍関係者の間で一躍注目を集めている硫黄だが、元から色々な事に利用されているため、需要が高い物だという。そして、その採掘の管理を任されているのが、その近辺を領地とする、アベケット伯爵家だ。
武勇を誇る一族で、男女の区別なく武術をたしなみ、共に魔獣退治に出向くという。そのおかげで、かなりの数の魔素溜まりが在るものの、これまでは、なんとか凌げてこれたという。
「しかし、そのせいで、後回しにされがちでして……」
自分達の兵力だけでは、魔獣の退治は無理だからと、討伐隊の派遣を求める領地は多く、これまでも騎士団と手分けして、各地へと赴いており、同行する魔術士団も、帰宅する間も無い程の、忙しさだったという。
しかしその間も、まだか、早くと急かす声は止むことがなく、中には、自分達ではほとんど何もせずに安全な場所に閉じこもり、領民に被害が出ると、全ては討伐隊が遅れたからだと、責任転嫁する領主もいたらしい。
ウィリアムが王子でありながら、討伐に同行していたのは、そのような不満を言わせない為も、あったという。
今回も、今すぐ聖女を派遣してくれと言ってきた領地は多いという。しかも、優先されるのは、力の無い自分達であるべきだと、何もしない者ほど、声高に叫んでいるらしい。
「しかし、それはおかしいと思うのです。本来ならば、魔素溜りが多い領地から向かうべきです。それに、アベケット領が安定すれば、討伐要員として彼らを雇う事も出来ますから、結果的に早く討伐、浄化が終わると思うのです」
「しかし話の通じない者が、あまりに多くて」
項垂れるエジャートンを見ながら、オーズリー伯爵領での事を思い出して、姫も頷く。
「確かにの。妾も、お願いさえすれば、己は何もしなくて良いと考える者を、知っておる。虫酸が走るの」
姫の言葉に、エジャートンは思わず吹き出した。
「今回、聖女様たちが向かわれたら、彼等も一息つけるでしょう。ありがとうございます」
言いながら嬉しげに微笑む顔は、誰を思うのか、ひどく優しげだ。
(誰ぞ、大事な者でも、住んでおるのじゃろうか?)
***
オルドリッジの執務室へと向かった姫は、早速、先程の話をした。
「先程、エジャートンから、次の討伐·浄化場所として、硫黄の採掘場のある、アベケット領に行ってはどうかと提案されての。悪くない考えじゃと思うたのじゃが、どうかの」
それを聞いたオルドリッジが、頷きながら緩く笑う。
「悪くはありませんな」
バーリーも賛同したため、すんなりと決まった。
「して、それは、どの辺りじゃ?」
先程手に入れた地図を広げ、尋ねる。
「ロウェイ王国との国境に近い、この辺りになります」
バーリーが指したのは、王都からかなり南東に下がった場所だった。
「この一帯は地下水が豊富で、一部が湿地帯となっています。また、少し離れた場所には火山があり、炎を吐き出す魔獣も数種いる為、火山とその周辺は、一部を除いて、立ち入り禁止となっております」
オルドリッジが補足する。
「この火山の在る山脈の稜線が国境となるのか。ならば、隣国側でも、硫黄が豊富に取れる可能性が高いの」
「おそらくは」
「あい、判った。皆の準備ができ次第、出立するとしようぞ」
地図を丸める姫に、よろしいですかと、ビートンが手を上げ、発言を求める。
「今回は、新しい浄化方法の普及も兼ねて、その事に詳しいエリアナを同行させたいのですが。後、此方の領地の者が式典参加のために数名、王都に来ております。おそらくですが、彼らの内二名は、共に参りたいと申し出る事が予測されます。いかが致しましょう?」
「前回同様、周王に乗れるだけで向かい、足らずは、あちらの兵力で補うのであれば、構わん。それと、この国じゃが、硝石の鉱床があるか、調べられるか?」
隣国を指差す。
「地質に詳しい者を、直ぐに呼びましょう」
「頼む。鉱床がなければ、作っている筈じゃから、存外、見つけやすいやも知れん」
話は済んだとばかりに、立ち上がった香菜姫だが、部屋を出る寸前に、呼び止められた。
「聖女さま。お手数ですが、捕えた男達の口が、少しばかり軽くなるよう、対処したいと思っております。この後、少しだけ、お付き合いいただけますか?」
ビートンの提案に、香菜姫は笑顔で頷いた。
***
「一応、手当ては、してもらったようじゃな」
地下牢の固いベッドの上で、ぼんやりと天井を見ていた男は、その声を聞いた途端、唯一残った腕を使って、起き上がった。
「お前、何しに来た!」
恐怖と憎悪が入り交じった顔で、香菜姫を睨みつける。
「別に取って食うわけではないわ。少し手伝って貰おうと思うての」
「誰がお前らなんかに、手を貸すか!」
「周王。口もじゃ」
「あいな。縛!」
たちまち紐で拘束され、口も塞がれた男を満足気に見ると、後ろに控えていた兵に、頷き合図する。
「さて、参るとするか」
「あぁ、あれの事は気にせぬでよい」
魔術士の演習場で、香菜姫は椅子に縛り付けられた三人のペルギニ人達を前にしていた。しかし三人の視線は、たった今、同じ様に縛り付けられた状態で運ばれてきた男に、集まっていた。当然、男の両膝下と片腕が無い事にも、気づいている。
「今日は、ちょっとした実験の続きを、しようと思うてな」
小さな箱の中身を、見せつけるようにしながら、
「これは其方達が宿屋に仕掛けていた火薬じゃ。どうもこの国の者達は、これの威力を今一つ、判っていない様なのでな。じゃから、見せてやろうと思うての」
にまりと笑うと、側に控えていた兵達に頷く。予め打ち合わせていた通り、兵達は手袋をはめた手と匙を使って、火薬を少量取ると紙に包み、余った部分を撚って、小さな火薬玉を作り始めた。
十五個程出来上がると、今度はそれを、ペルギニ人達の腕や足などに、紐で取り付けていく。そこで漸く、実験の意味が判ったのだろう。なんとか振り払おうと、身体を揺すり出すのを見て、香菜姫が笑う。
「安心せい。傷はちゃんと、手当してやる」
ペルギニ人達は、再び後から連れて来られた男を、凝視する。
少女の続きという言葉から、それは、既に一度行われたと、即座に解釈される。そして、男の失われた両膝下と片腕がその結果だと、彼らの頭は決めつけた。
これは、虚仮威し等ではない。
「なぁ、おい。し、死んだら、何も聞き出せないぞ!」
一人が声を上げるが、
「じゃから、言うておろう。手当はしてやると。何、喋れさえすれば良いのじゃ。手足の有無は関係ない」
カラカラと笑い声を上げていると、そこへ、遅くなりましたと、オルドリッジが到着する。
「ほぅ、前回の続きですか」
その楽しげな様子に、更にペルギニ人達の顔色が、悪くなる。
「おまえら、頭がおかしいのか?こんな事を楽しむなんて……」
一人が発した批判的な言葉に、香菜姫が不思議そうに首を傾げる。
「はて、赤子を連れた若夫婦や、病の母を見舞いに来た若者を吹き飛ばそうとしていた者達が、何を寝ぼけたことを」
三人組が宿屋を出たのを確認後、騎士団と魔術士達が秘密裏に火薬を回収したのだが、その際、その両隣の客を確認しているので、これは事実だ。
「あ、あれは依頼された仕事だったから、しかたなく……」
「妾のこれも、仕事じゃ」
そう話している間も、火薬を包んだ紙玉は、次々と男達の身体に結び付けられていく。魔術士の一団が来た時点で、着火方法に察しを付けたのだろう。その顔は、完全に色を失っていた。
「話すから!知ってることは全部、話す。だから……」
それを聞いた兵士が、どういたしますかと、手を止めて姫に質問してくるが、
「じゃが、真実を語るとは、限らん」
肩をすくめ、続けるように促すが、そこで空かさずオルドリッジが提案を出してきた。勿論、全ては事前に打ち合わせを済ませた、芝居だ。その後も、決めていた通りの会話を進める。
「そうですな。では、今回は、一人一回だけの爆破にしてはいかがでしょう」
「なんと、寛大じゃな。では、続きは嘘をついたと判明した時用として、取っておくか」
「あぁ、外す必要は無いぞ。直ぐに使うやもしれんからの。そうじゃの。魔術士にとって、失って困るのはどこじゃ」
「そうですな。利き手がつかえぬと、便利が悪いかと」
「ならば、そこにしようぞ。頼む」
「では、」
バートが小さな火の玉を三つ出し、狙いを定め、弾く。直ぐ様、ペルギニ人の手首に付けられた火薬玉に火が付く。
バァン、バァン、バンッ!
「ぎゃぁあっ!」
三人の手首から下が、弾け飛ぶ。しかし、その後は静かだ。全員、痛みと恐怖からか、気を失っていたからだ。運ばれていく仲間達を見ながら、縛り付けられた男は震えを止めることが出来ずにいた。
(聖女だなんて、とんでもない!あの女は、悪魔の使い、そのものだ…………)
『鞍馬の名水』
香菜姫がビートンに頼まれた、ちょっとした芝居を終えて、自室へと向かっていると、ユリアナが声をかけて来た。
「聖女様。前程、師匠から聞きました。アベケットに同行いたしますので、宜しくお願いします!」
ペコリと頭を下げて言った後、伺うような表情を浮かべて、聞いて来る。
「あの、もし向こうでお時間が在るようでしたら、温泉に寄ってみませんか?」
「ほう。温泉とな。そちは、行ったことが在るのか?」
「はい。前に浄化の遠征に行った時に。一度だけですが」
姫が、乗り気なのが嬉しかったのだろう。ユリアナが、途端に饒舌になる。
「いいですよー、温泉。少し変な匂いがしますけど、温まりますよし。それに、傷の治りも早いですし、お肌もツルンツルンになります!私、思わずお湯を瓶に詰めて、持って帰ろうかと思いました!」
それ程の物ならば、是非寄って見ようぞ言うと、笑顔のユリアナを残し、姫はその場を後にした。そして、自室に戻ると、
「実は、妾は温泉に入ったことがない故、ちぃとばかし楽しみなのじゃ。周王と華王はどうじゃ?」
「温泉ならば、仙界にも在りもしたゆえ」
「修行の時などに、幾度か入ったことがありもす」
「……そうなのか」
自分だけ、入った事が無いと判り、香菜姫の顔が曇る。しかし。
「あれ?でも姫様。何度か智乃様が、何処かの温泉を取り寄せておられもしたような?」
「あぁ、あれは鞍馬の名水じゃ。冷たい湧き水じゃが、効能高き水での。あの水を沸かして風呂に使うと、肌がスベスベするし、温まるのじゃ」
「姫様、それは恐らく温泉でありもす」
「そうなのか?じゃが、温泉とは熱き湯が湧き出るものであろう?有馬の湯なぞは、触れぬ程の熱さじゃと聞くぞ」
「稀に熱く無いものも在ると聞きもす」
「あい、間違いありもせぬ。先ほどの小娘が申しておりもしたのと、効能も同じだと」
言われてみれば、確かに蔵馬の名水と、先程エリアナが言っていた温泉の特徴が、一致する事に気づく。
「なんじゃ。妾も温泉に入った事があったのか」
嬉し気に、クスクスと笑いだす主を見て、狐達も笑い出す。
「姫様。温泉、楽しみでありもすな」
寝台に腰掛けた姫の膝に、頭を乗せてくる周王の背を撫でながら、お気に入りの大きな座布団の上で、尻尾を揺らす華王を眺める。
「そうじゃの」
緩やかな午後の、ほんのひと時。
【終わり】
鞍馬の温泉は結構長い間、温泉と気づれず、湧き水として利用されていました。
温泉だと知られたのは後々のことですが、ほんのり白色がかった湯はミネラルが豊富で、柔らかな湯触りが特徴です。そして、湯上り後のお肌は、すべっすべ!単純硫化水素泉です。




