五十二話
第三章スタート!
葬儀・戴冠式前夜。
(どうなっている?刑の執行は明後日だというのに、助けどころか、連絡さえ来ないなんて。帝国の連中は何をしている?まさか、わしは皇帝から見捨てられたのか……)
固いベッドで、元アークライト公爵・マックスウェルは、頭を抱えるようにして座っていた。城の地下牢の住人は、現在二名。マックスウェルと、城の衛兵だったダレン・ガリットソンだけだ。他の協力者達は皆、裁判所横の監獄に収監されているらしい。その為、誰が捕まり、どんな事を喋ったのか、一切判らずにいた。
オルドリッジからは、公爵に協力した者達全員、絞首刑が決まったと聞かされたが、中には自分可愛さから取り引きをして、助かった者が居るかも知れない。そう考えるだけで、腹立たしくて堪らないが、その事を知る術さえ、今はない。その事実が、一層マックスウェルを苛立たせた。
それでも捕まった当初は、直ぐに出れると思っていた。聖女のコマに成り下がったウィリアムではなく、公爵こそが王に相応しい事を、理解する者の手によって。
もしくは帝国の息の掛かった連中が、時置かずして助けに来るだろうと。なのに未だに牢獄に閉じ込められたままで、明後日には絞首台が待っている。
「ぐぅーっ、ごぉぉぉっ」
壁越しに聞こえてくる鼾に、苛立ちが更に募る。
(こんな状態で寝れるとは、神経が図太いのか、馬鹿なのか……)
ガリッドソンが、公爵家のブローチを所持していたと、オルドリッジが言っていたのを思い出す。それに関しては、少しばかり心当たりが在るものの、もう二十年以上昔の話だ。聞いた当初は、少しばかり興味がわいたが、今となっては、どうでも良かった。
(ふんっ、今さら顔も知らない相手を、息子だと言われてもな。それよりも……)
その時、湿気とカビの臭いに紛れて、甘い香りがしたため、思わず顔を上げると、そこにはフードを目深に被った男が立っていた。公爵と帝国との連絡係をしていた魔術士だ。マックスウェルの顔に、安堵の表情が浮かぶ。
「やっと来たか、待ちかねたぞ!さぁ早く、ここから出せ。こんなカビ臭い場所は、もう、うんざりだ!」
苛立たしげに命令する元公爵に、男は不思議そうに首を傾げる。
「何か勘違いしてない?僕は皇帝からの伝言を伝えに来ただけ。なんせ、あんたの失敗を、酷くお怒りでさぁ」
「た、確かに少しばかり手違いがあったが、機会さえ与えてもらえれば、こんな事は直ぐに挽回する!うだうだ言ってないで、早くここを開けろ!」
「駄目だよ。僕、そんな命令、受けてないもの。ただ、良い事を教えてあげる。あんたの処刑の時は、新しい王様や大勢の貴族達が、立ち会うんでしょ?なら、その時に面白い事が起きるかも知れないって、は・な・し。見物人も沢山居るだろうから、凄い事になるよ。いわゆる、血の雨が降るってやつー?」
愉しげに語られる男の言葉から、何等かの襲撃が行われると察した公爵は、ニヤリと笑う。
「あぁ、なるほど。ではその時に、わしを助ける算段だな」
「だから、楽しみに待っててねー」
男は元公爵の質問には答えず、口許に笑みを浮かべると、来たとき同様、唐突に姿を消した。離れた場所から鼾が聞こえる事から、何らかの睡眠薬を使って衛兵を眠らせ、忍び込んだのだろう。しかし、そんな些末な事は、今のマックスウェルにはどうでも良かった。
(おそらく、わしの処刑の場に集まった者達を、ウィリアム諸共……)
自分を罵倒したブラッカー侯爵や、オルドリッジが血みどろになって倒れている様を想像し、醜悪な笑みを浮かべる。
「ふはははっ、運はまだ、わしを見捨てていない!今に見ていろ、思い知らせてやる!」
次第に声が大きくなり、やがて笑い出した元公爵の頭からは、隣の独房のベッドで寝たふりをしながら、耳を澄ませている男の存在は、完全に消えていた……
一方、フードの男は、処刑場へと向かっていた。そこでは今、翌々日の公開処刑の為に、急ピッチで貴賓席の建設が進められており、すでに暗くなったにも拘らず、松明の明かりの下で、多くの作業員が仕事に精を出している。
「ほんと、馬鹿な男。助けてやるなんて、一言も言ってないのに。元から捨て駒だったことにさえ、気づいていないね、あれは。さて、馬鹿は捨て置き、お仕事、お仕事。何せ、例の物は取り扱いに気をつけないと、危ない代物だからねぇ。しかし、まさか小便から、あんな物が出来るとは……」
クツクツと笑いながら、作業員の一人に近づくと、何やら手渡して耳打ちする。相手が頷くと、手を振り、その場を後にした。
耳打ちされた作業員は、同じような風体の二人の男に声をかけ、互いに頷き合うと一人は貴賓席の裏へ、残り二人は少し離れた一般席の方へと向かう。それぞれ、小さな箱を手にしているが、戻ってきた時は手ぶらで、何事も無かったように、先ほどまで携わっていた作業に戻って行った……
****
葬儀・戴冠式当日。
(ついに、この日がきた)
ウィリアムは、朝から落ち着かなかった。
(今日をもって、自分は王に成るのだ)
その責任の重さは、想像していた以上に、彼にのし掛かり、息もつけない程だ。朝から苦しくもない服の襟元を、何度も引っ張る仕草を繰り返す。
(せめて、デリー達が側にいてくれれば……)
四人の幼馴染の顔を思い浮かべながら、思う。デラノ・エジャートン、ケンドリック ・ベックウィズ、サイモン・アベケット、そしてガリレア・アベケット。
祖父が選んだ側近候補達でもある彼等は、気心の知れた仲で、軽口を交わせる友人でもある。しかし、彼等が王宮に来れるのは、葬儀の直前になると聞いていた。特にサイモンとガリレアのアベケット兄妹は、直前迄、魔獣退治をしてから来ると、連絡が来ている。会えるのは、早くても葬儀が終わった後だろう。
ウィリアムは窓辺に立つと、秋薔薇の咲く庭園を見下ろした。
二日前、母・シャイラの父で、前辺境伯でもある祖父と少しの間だが、話をした場所だ。あの時ウィリアムは、ずっと聞きたいと思っていた事を祖父に訊ねた。
「辺境伯だったお祖父様から見た、ジェームズ二世は、どの様な王でしたか?」
「良き王であられたと。何より、民を愛し、国を愛しておられた。おそらくは己の命以上に。あの方に対して、とやかく言う者も確かに居りましたが、強さというのは、色々な形があるのだという事を、身をもって示された方だと思っております」
祖父の言葉に、聖女に処刑される際まで、生き延びようと抗っていた父の姿を思い出し、ウィリアムは首を傾げる。
「強さ、ですか。なんだか不思議な気がします。父は、前王は、強さとは縁遠い評判ばかりでした。恥ずかしながら、私の印象も似たようなもので…… なので、そんな風に言って貰えるとは、思ってもみませんでした」
「己の弱さを受け入れる事で、手に出来る強さもまた、存在するのかと。もっとも、実際にそれを手にするためには、やはり努力が必要でしょう」
「努力……」
「真に価値のある物は、努力無しには、手に入らないというのが、この爺の持論でして。古臭いと思われるかもしれませんが」
少し困ったように笑う顔には、幾つもの傷と深い皺にが刻まれているが、かつて最強の剣士と恐れられた人物とは思えないほどの、優しさが滲んでいる。先々代の王と、今、目の前にいる祖父は、盟友だったと聞く。そんな相手から、強さを手にしたと言わしめた父を、ウィリアムは少しばかり羨ましく思った。
「私は、どのような王になるべきだと、思われますか」
「それは私のような老人に、聞く事ではないかと。時は常に前へと進むもの。過去は色々な意味で、より良い未来を築く為の指針となりえるものですが、実際にこの国の未来へと押し進めるのは、貴方と、貴方の側にいる者達の、知恵と努力と行動に、他ならないのですから」
肩に置かれた手にも、多くの傷が見てとれる。戦い続けた戦士の手だ。
「悩み、語り合い、時に対立したとしても、向かう方角が、目指すものが同じならば、やがて解決出来ましょう」
長年の経験と努力に裏打ちされた言葉が、ウィリアムの心に染み込んでいく。目の前の祖父は、まるで大地に大きく根を張る巨木のように思えた。それに比べれば、己はまだ頼りない若木でしかない。だが、いつかきっと。そう思うと同時に、大木の下で、多くの民が幸せそうに笑う情景が、思い浮かんだ。
(自分の目指すのは、こんな治世かもしれない……)
ウィリアムは己の前に、一本の道が示された気がした。
「ありがとうございます。お陰で一つ、目標が出来ました。叶うかどうかは判りませんが、努力は怠らないつもりです」
「夢も目標も大きく持てば良いかと。それに、一見荒唐無稽な夢でも、望み続けていれば、存外叶うものです。この爺もつい先日、聖女様と聖獣様達のお陰で、長年の夢が叶えられました」
頷きながら片目を瞑り、いたずらっ子の様に笑う。ウィリアムが、ぜひその話を聞かせて欲しいと頼むと、昔話から始めるので、長くなりますから、部屋へと戻ってからにしましょうと言われたので、連れだって戻り、遅くまで話し込んだのだった。
(あの日、お祖父様と話せて良かった)
皆が慌ただしく立ち働いているのを眺めがら、大きく息を吸うと、肺一杯に冷たい空気が広がった。ノックの音がして、お支度の時間ですと掛けられた声に、入れと促す。
国を背負う覚悟は、今、出来た。
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(もし隣の男が俺の本当の親父だとしたら、ほとほと、よく似た親子と云うわけだ)
宰相が訪ねて来た日、王弟の証だと思っていた品が、実は公爵家からの盗難品だと知ったダレンは、隣の囚人が、当の公爵自身だということから、新たな推測を立てていた。
(欲の為に周りを欺き、人を殺し、捕まった時期まで同じだなんて、笑うしかない。しかも、自分だけが助かろうとする所迄、そっくりときた)
昨夜、寝た振りをしながら耳にした話は、新王をはじめとして、貴族や一般市民までを狙った襲撃計画だ。これを宰相に密告すれば、もしかしたら恩赦となり、死罪を免れる事が出来るかもしれない。
ダレンの頭の中は、朝からその事で一杯だった。もっとも、恩赦となっても、良くて鉱山労役の終身刑だろうが、それでも生きてさえいれば、後はどうとでも出来る、という思いもある。
だから、その日最初の食事を運んできた衛兵に、ダレンは小さな声で話しかけた。
(お互い様、だよな。あいつも俺の事は、気にも留めてなかったんだから……)
次回は、ちゃんと香菜姫が登場します。




