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四話

 それは現実に起きた事とは思えない程、あまりにもあっけないものだった。しかし、現に王と第二王子、そして側妃の三人は物言わぬ物体となり果て、その光景が与えた衝撃は、いまだ震えるシャイラの両の手が示していた。


 その震えが身体に拡がらないよう、シャイラは両手をきつく握り合わせて、香菜姫の後ろを付いて歩く。国を、そしてウィリアム王子を守りたければ、香菜姫の頼みを断るのは、悪手でしかないのだから。


(それが死に損ないの王妃であれば、尚の事だ…)



  ◇*◇*◇



 慌しい足音を響かせながら部屋に駆け込んできた衛兵によって、シャイラにもたらされたのは、聖女召喚が成功したという、予定されていた物だけではなかった。

 異世界に拐かされた事に腹を立てた聖女によって、ウィリアム王子を始めとし、王やアルトン王子までもが捕えられ、その首を要求されているというのだ。そして、ウィリアム王子が最後に会いたい者として、≪母≫を指名したのだという。


 シャイラはその知らせに驚いたものの、すぐさま覚悟を決めた。


 あの場には、ビートン騎士団長をはじめとして騎士と衛兵、合わせて10名ほどが控えていたにも拘らず、そのような事態になったという事は、聖女の力がそれらを優に凌駕している事を示唆している。ならば、息子ウィリアムを助ける為には、≪母≫である我が身を差し出して助命を願う以外に、方法は無いと判断したためだ。


(そのためにも、きちんと礼を尽くさなければ)


 そんな想いでシャイラは側妃と共に、急ぎ召喚の間へと向かったのだが、聖女を普通の少女だと侮った側妃トリシャによって、それが台無しにされかけた。こともあろうに、聖女に対して高飛車な態度で命令し始めたのだ。

 慌てて口を閉じさせたものの、聖女が気を悪くしたのは明らかだった。とてつもない大きさの魔力が動く気配がしたのだ。そのため、シャイラは急いで謝罪を重ねると共に、自分の命を引き換えとした、息子の助命を願い出た。しかし、


(無理かもしれない…)


 そう思った。特にトリシャが再度口をはさんできた時には、もうだめだと絶望しかけたが、結果として条件付きではあったものの、何とかウィリアムの助命は受け入れられた。


 そこからはあまりに目まぐるしく事が進んだ為、シャイラは時間の感覚さえも、どうにかなったのではと感じた程だった。

 香菜姫と二人の幼子による怪しげな術が施され、ウィリアムがもがき苦しみ、そして気づけば王とアルトン、そしてトリシャの処刑が決まり、即座に執行されていたのだから。



 動かなくなった三人を見つめながら、シャイラは確信していた。恐らく香菜姫が望めば、この部屋の中どころか、この城中を屍で埋め尽くす事が可能なのだと。

 だからこそ、もし彼女が我々の味方をし、力を貸してくれるのなら、この国は守れるかもしれない……皆も又、そう思っているであろう事が、察せられた。だからこそ、誰も王達の処刑に口を挟まなかったのだ。


 なぜなら、第一王子であるウィリアムは生きているし、死に損なったとはいえ、その母である王妃も又、生きているからだ。王家の体裁はそれで何とか保たれるから、三人の犠牲は致し方ない。そんな声にならない思いが、部屋に満ちている気がしてならない。


 そして今、シャイラの目の前で不思議な呪文を唱えていた少女は、柔らかな光に包まれ、自ら付けた傷をきれいに治してしまった。彼女の聖女としての力と可能性を、改めて思い知らされる。


(なんとしても、彼女の協力を取り付けなければ。その為ならば、邪魔なプライドや感情は、棄ててしまおう。わたくしは、この国の王妃なのだ!)


 身体の中心に、罪悪感という重く冷たい(しこり)が在るのを意識しながらも、国と我が子を守るために、シャイラは前へ進み続ける事を決意した。



  ◇*◇*◇



「オン コロコロ センダリマトウギソワカ、オン コロコロ センダリマトウギソワカ、オン コロコロ センダリマトウギソワカ」


 王妃シャイラを従えて部屋を出た香菜姫は、扉が閉まっても歩き出すことなく、その場で薬師如来の真言を三度唱えた。すると、柔らかな光がふわりと姫の全身を包み、先ほど自らつけた傷が跡形もなく消えていく。それを見たシャイラが、驚きに目を見開いたのが判った。


(ふむ。真言はこちらの世界でも有効のようじゃな。しかも思うていたよりも、早くきれいに消えたの)


 術の一つが有効なのを確認した香菜姫は、とりあえず思いついたことを実行する為、歩きだした。


「さて、シャイラ。先ほど首を落とした者達の部屋と、この城の金品のある場所に案内を頼めるか。このような時は大抵盗人が出るものじゃ」


「それは判りますが、なぜ香菜様自らが行かれるのか、お聞きしても?」


 二人の後ろから、声がかけられた。姫が立ち止まり振り向くと、今しがた出てきた扉の側に、禿頭の男が立っていた。

 地味な灰色で統一した衣服をまとった小柄な男だが、その眼差しからは知性と決意が見て取れる。男は一つお辞儀をすると、急いで二人の側までやって来た。


「其方は、なんじゃ?」


「後方から失礼いたしました。私はこの国の宰相を任されておりますオルドリッジと申します。香菜様にお聞きしたい事がありましたので、失礼とは思いましたが、声を掛けさせて頂きました」


「宰相?」


「主に実務を中心に引き受けております」


「摂政や関白のようなものか。まぁ、よい。妾はこの(のち)の身の振り方をどのようにするか、正直、まだ迷うておる。妾をこの世界へ浚ってきたことを許した訳ではないが、既に対価は貰ったからの。おまけに、もし本当に帰ることが叶わぬのならば、右も左もわからぬこの世界に飛び出す前に、ある程度の知識を身に着けたほうが得策だとも、理解しておる」


 そう言って、一瞬、遠くを見つめた後、目を閉じた。もう見ることの無い景色を懐かしむように。そして目を開けると、また歩き出した。


「じゃから、其方達がほんに妾の力を必要としているならば、妾がこの世界の事を学ぶ間、協力関係となるのも一策じゃと思うたまでじゃ。ただし」


 再び立ち止まり、今度は両脇を守るように歩く二匹の狐の背を撫でながら、王妃と宰相に探るような視線を向けた。


「仮に力を貸すとしても、妾は一人で全ての責を負うつもりは無い。もしその様なことを期待しているのであれば、妾は何もせずに、其方(そち)達が滅びるのを傍観するつもりじゃ」


 姫の言葉に対して、王妃の返答は早かった。


「もし聖女様にご協力頂けるのなら、絶対にその様な事にはならないと、お約束致します」


「私も同じく、確約いたします」


 オルドリッジも、王妃の言葉に追従する。二人の返答を聞いた香菜姫は軽く頷くと、言葉を続けた。


「それに妾は何事も無償でするつもりはない。其方達がどのように考えていたのかは知らぬが、妾は己の働きに見合った報酬を要求するつもりじゃ。その時に、受けとる物がない等というふざけた事態を許す気はないのでな。なので、ちぃとばかし見回っておくことにしたわけじゃ。なんせ今の妾には信用できる手の者が居らぬ故、手づからするしかあるまい」


 その言葉に納得したのか、「判りました」と呟いたオルドリッジは、香菜姫たちを先導するように、前に出て歩き始めた。


 

「こちらがアルトン第二王子の部屋になります」


 そう言ってオルドリッジが開けた扉の先は、香菜姫が見ても明らかに贅を尽くしたと判る、家具や調度品が置かれた部屋だった。そして、既に何者かが侵入していたらしく、部屋の奥の方から何やら物音がしていた。


「すでに居るようじゃな」 


 姫の言葉に、≪ふんっ!≫と鼻をならした周王が前足を軽く振ると、たちまち男が二人、紐でがんじがらめにされた状態で廊下に転がり出てきた。突然の事態に驚き、もがきわめいている男達の頭を、香菜姫が雪駄の爪先でゴン、ガンと蹴付(けつ)けながら、呆れたように言う。


「くだらん事をするでない。死にたいか?」


「ひっ…」


「わ、我々は、ただお部屋の片づけを…」


「今は掃除の時間ではないし、お前たちは王子付きの侍従ではないだろうが!」


 オルドリッジに言われ黙り込んだところを見ると、図星だったのだろう。それに、ここに二人いるという事は、他の部屋にもいる可能性を示唆している。


「妾の国では、主の財を盗むのは重罪じゃ。その場で首を落とされても、文句は言えんぞ」


 さて、どうしてやろうかと、愉しげに笑う姫の言葉に、盗人たちは、顔色を悪くする。


 するとオルドリッジが、聞きたいことがあるので、自分がこの者たちを処理したいと言ってきた。既に召喚の間で起きた事は緘口令が敷かれているという。にもかかわらず、このような輩が出た原因を知りたいらしい。しかも、彼はいつの間にか兵士を二名、側に待機させている。


「人の口に戸は立てられぬものじゃと思うが、まぁ、好きにするが良い」


 そう言って、王子の部屋を呪符を使って封印すると、姫は次の部屋へと王妃を促した。


 次に向かった王の私室は、扉前に見張りの兵が居たせいか、さすがに荒らされてはいなかったが、側妃の部屋には侍女に扮した男が二人、入り込んでいた。

 しかも、周王によって捕らえた時には、すでにいくつかの宝飾品に手をつけていたらしく、それらが着衣のあちこちから顔を覗かせているので、言い逃れできない状況だ。


「わざわざ女人のふりまでして、ご苦労なことよの。どうする、オルドリッジ。こやつらも其方(そち)が調べるか?」


「出来ましたら」


「かまわん。まぁ、少々つまらんがの」


 そう答えると、香菜姫は捕らえた男たちの背や腹を踏みつけながら扉の前へと向かい、側妃の部屋にも呪符を貼り付けた。その間、足元から聞こえる「グゲッ」「ギィッ」などという声は聞こえないふりをする。


 憐れな盗人達はその後兵士に引き起こされ、オルトリッジの指揮の下、牢へと連れていかれる事となり、その際オルトリッジも事後処理があるからと、その場を辞した。



 その後、王の私室の警備を王妃に確認した香菜姫は、さらに大金庫や宝物室を見て周り、その安全性を確認した後、それぞれに人型の式を忍ばせていく。


「三峰神社の守り札が在れば一番良いのじゃが、とりあえずはこれで良かろう。さて、したい事はあらかた済んだゆえ、寝所に案内を頼む。後、何か食す物もな」


 シャイラにそう伝えると、すぐさま一つの扉の前に案内された。


 それは先ほど見た王子達の部屋と遜色無いほど豪奢なもので、部屋の奥には更に扉があり、その奥が寝所だと言う。その扉を開けて覗いてみると、垂れ幕の様な物の内側に、台に乗せられた寝具があった。


(これは、楽で良いな)


 周りを見渡し、着物を掛けられそうなものはないが、衣装用と思しきら棚があるので、あれを代用すれば、なんとかなるかと香菜姫が考えていると、扉を叩く音に続いて王妃の声がした。


「お食事をお持ちしました」


「入りたも」


 失礼しますと言ってシャイラと共に、車輪の付いた台を押した女が入って来た。香菜姫は、食事の準備をする女の作業を一通り見届けていたが、特に怪しいところは見受けられなかったため、今日はもう下がってよいとシャイラに告げた。すると王妃は扉の近くにある紐を示し、


「では、何か御用がありましたら、こちらの紐をお引きください。ベルが鳴り、使用人に知らせるようになっております」


「承知した」


 姫の返事に、「では、ごゆっくり」と言って王妃と女が退出するのを待ってから、運ばれてきた台の側に寄る。横に一つ腰掛けが置いてあり、そこに座って食べるようだ。

 先だっての警告を考えると、毒などが入っていることはあるまいと思ったものの、一応食べる前に強い浄化の力を持つ真言を唱えておくことにする。


「オン シュダ シュダ、オン シュダ シュダ、オン シュダ シュダ」


 唱えた途端、白く強い光が姫の周りに広がる。その光が消えるのを待ってから腰掛に座り、食事を始めた。


 汁物の入った深めの皿が匙と共に置かれており、平皿には大ぶりの饅頭のような物が置かれていた。そして小鉢には、一口で食べられる様に切られた果物らしき物が入れてある。

 汁物は動物の乳が使われているようで、いささか乳臭さが鼻についたものの、食べるには問題なく、饅頭のようなものは、香りから、小麦が原料のように思われた。その中には何も入っていないが、汁物と一緒に食べるとちょうど良い感じだ。


(味は大ぶりじゃが、そう悪くはないな)


 とりあえず全てを腹に納めると、香菜姫は今日これまでに起きた事に思いを巡らせた。もう父母や弟妹達、そしてさきやなつめ、黒鉄にも、二度と会えないのだろうかと考えながら、懐に入れていた簪を取り出して、眺める。


(これを挿してもらったのは、今日の昼の事だというのに…あの後屋敷に戻ったら、さきの作ったおやつを食べるはずじゃった。今日は冬至ゆえ、使用人達にも柚子湯が振舞われるのだと、なつめが楽しみにしていて…明日は母様と御神楽の稽古をして、黒鉄と体術の訓練があって、そうやって明日、明後日と過ごしていくはずであったのに、なのに何故妾だけがこんな場所に……ほんに妾は元から居らなんだ事になったのじゃろうか?)


 胸が締め付けられるように痛み、涙があふれてくる。ぽたぽたと落ちた雫が、紺地の袴に滲み広がっていった。すると、心配そうに二匹の狐が足にすり寄ってきた。


「姫様、悲しい?」


「姫様、辛い?」


「どうしようもなく辛いし、悲しい…じゃが、そうじゃな。お主等がおったの。周王も華王も、心配するでない、今だけじゃ。この様に弱いところをあ奴等に見せて、付け込まれてはかなわんからの。じゃが、今だけは……」


 そう言って床にしゃがみ込むと、二匹の狐をぎゅっと抱きよせ、肩を震わす少女は声を押し殺したまま、しばらくの間泣き続けた。 



 半時後、香菜姫は大きく息を吸い、そして吐き出した。散々泣いたら少し落ち着いたのだ。もっとも、自分をこんな目に合わせたこの世界の者達を、姫は絶対に許す気はなかった。しかし。


(対価は貰った。頭を冷やし、考えよ!)


 唇をかみしめ、己に言い聞かせる。


 城の主と側室、そしてその息子の首をはねたのだ。これは拐かしに対しては十分な対価であると思われた。なので、香菜姫はこのまま帰れない場合の己の身の振り方を、早急に決める必要があった。もっとも、答えは既に出ている。


 シャイラ達に話したとおり、この地に己の生きる為の基盤を作るのだ。そのためにも、不本意ではあるが、この国の者達に協力し、報酬を得るのが最善だと思われた。

 しかし、都合の良いように扱われる道具に成り下がる気は欠片も無いし、この世界の慣習におもねる気も無かった。その点において、ウィリアムを己の駒としたのは、良策に思えた。そのお陰で、シャイラもある程度は信用しても大丈夫だからだ。


(それにしても、此方に来てから妾の神力が、異常なまでに増えているのが気になるの。それに式が一向に減らぬのも解せんし。妾はこちらの神に選ばれて連れてこられたらしい故、その神とやらを見つけ出してニ、三発殴った後で説明させんと、どうにも腹の虫が収まりそうにないの。じゃが、そやつがどこに居るのか、皆目判らんし…)


 とりあえず、そこらは後々考える事とした。なにせ今、香菜姫には、切羽詰まった問題が他にあるのだ。


(ひとまず床に就く準備をしたいのじゃが、その前に、厠じゃ! 隣の部屋の衝立の裏に、樋箱(ひばこ)らしきものは在るが……あれが本当に樋箱なのか、判らん!)


 散々迷った挙げ句、香菜姫は扉近くの紐を強く引っ張った。

お読み頂き、ありがとうございます。


「オン シュダ シュダ」は、善無畏三蔵ぜんむいさんぞうというインドの高僧が作られたマントラです。あらゆる浄化に聞くと書かれていたので、此処で使用させていただきました。

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