四十三話 貞享四年(1687年) 其の五
この作品が、『マンガBANG × エイベックス・ピクチャーズ 第一回WEB小説大賞』のコミカライズ賞を受賞いたしました!選んでくださった方々、ありがとうございます!そして、読んで下さる方々にも心からのお礼を!
「夜ノ梅を三本頼む。代金は此方から」
粽屋での事があってから、黒鉄は注文と同時に代金を渡すようにしていた。すると驚くほど早く品物が手渡される事が判ったからだ。
その証拠に、先客らしき武士と押し問答していた店番は、巾着を受けとるとすぐさま奥へと入り、竹の皮に包まれた物を三本手に戻ってきた。
それを持参した風呂敷に手早く包み、釣りの入った巾着を懐へとしまうと、なにやら言いたげな顔をしている武士に気づかない振りをして店を出た。
「だから金は後で必ず払うと、何度も言っておるではないか!」
そんな声が聞こえた上に、店から出てきた黒鉄の風呂敷を羨ましげに見る武士が数人おり、中には近づいて来ようとする者迄いたので、急ぎその場を離れた。
たかだか菓子程度で、襲われやしないだろうと思ったものの、用心に越したことはない。帰りの道は、辺りの様子を窺いながら、足早に戻る事にした。
頼まれた菓子を届けに行った際、本阿弥老人に香菜姫が通う道場の場所を訪ね聞いた黒鉄は、早速思いついた事を形にすべく、取り掛かった。
まず、屋敷から道場迄の最短の経路を調べ、それを基準に行き帰りの道順を幾通りか、考える。更に、少し遠回りとなるが安全な経路や、いざという時に逃げ込める場所を確認し、紙に書き出していった。
翌日の使いは『亀屋 松風 丸の大一つ』と書かれ、地図を見れば本願寺の側で、屋敷からも直ぐの場所だった。その為、使いのついでに、近場の物乞いや破落戸等の居そうな筋を確認して歩く。
そこで思いの外、物乞いが多いことに気がついた。中には子連れの者もおり、痩せ細った幼い身体は見ていて痛々しい。墓参りの帰りなのか、手桶を持った老人が手渡した何かを、子供が急いで口に入れるのを横目に見ながら、目当ての店へと向かうが、胸の内には言い様のない罪悪感が居座っていた。
亀屋の松風・丸の大は簾巻にされ、竹紐が結ばれた菓子で、広げるとかなりの大きさになりそうだ。それを風呂敷を使って背負うと、黒鉄は一旦、屋敷へと戻った。
昼からも引き続き、辺りを調べて廻っていたのだが、休憩がてら立ち寄った茶屋の女将が、どうやら事情通らしく、聞きもせぬうちから、あれこれ教えてくれるので、ついでとばかりに色々と聞いてみる事にした。
先ずは物乞いがいつ頃から増えたのか尋ねると、数年前に起きた飢饉のせいで、多くの農民が飢え、土地を捨てて非人となったのだと教えてくれた。
非人として登録されれば、非人小屋に入れるし、非人頭が仕事を斡旋してくれるという。それに物乞いも出来るから、少なくとも飢えて死ぬ事は無いという。
その話に、少し安堵した黒鉄は、ついでに菓子屋周りに武士が彷徨く理由も尋ねた。
すると此処だけの話だといいながら、彷徨いているのは、武家の中でも役の無い小普請組の侍達だと教えてくれた。彼等は、月に三回ある小普請支配との面会日が近くなると、少しでも覚えを良くしようと、贈り物の菓子を手に入れる為に奔走するらしい。
「うちみたいな店は関係あらへんけど、本に載るようなお店は、大変やて聞きますなぁ」
おかげで先日の武士達の様子が、切羽詰まったものだった事に合点がいった。就職が絡んでいたのだ。
(それにしても、俺は知らない事だらけだ)
特に飢饉に関しては、黒鉄は全く知らなかった。薬の行商について歩いていた頃も、貧しい村はいくつか見たが、子供だったせいか、そんなに深刻だとは思わなかったのだ。
それに干米を水で戻しただけの物ではあったが、一日に一回は必ず食べさせて貰えていたし、里に居るときも、雑穀混じりとはいえ、一日に二回、飯は供されていたからだ。
(俺は捨てられたと思っていたが、もしかしたら、安全な場所に託されたのかもしれない……)
思い返せば、寒い夜は、必ず抱え込んで凍えないようしてくれたし、生きる為の色々な事を教えてくれていた。本当に父だと信じ、慕っていたのだ。だからこそ、俺は置いていかれたのが辛かったのだと、今更ながらに思い至った。
既に時間が経ちすぎて、顔さえおぼろな父だった男。覚えているのは、分厚い掌の感触ぐらいだ。それでも。
(俺は元気にしていると、それだけを、いつか伝えられれば良いな……)
そう思えるように、なっていた。
それから二日後。
「これを見て頂けますか」
黒鉄は香菜姫の習字の稽古が終わるのを待ち、ここ数日かけて調べ、書き綴ったものを本阿弥老人に見せた。
「ふむ。一応、護衛としてどうすべきか、考えたという事か」
「はい。行き帰りの道も変則的に変えられるよう、少し遠回りになる経路も入れています」
「まぁ、ギリギリ及第点といったとこかの。ほれ、姫さんも見てみなされ」
「ふぅん、確かにの。少しはやる気になったようじゃな。じゃが、これでは、何処に甘味処が在るのか判らぬ。わざわざ遠回りするのに、楽しみが無いというのは妾としては納得いかぬな」
「急ぎ調べて、書き足しておきます」
それを聞いた香菜姫は、綴りを指先で摘まみ、ペラペラと振ると、
「では、来月より妾は三と七の付く日に道場に通う事になっておる。その際の護衛の任はそちに任せると父様に伝えておこう」
「ありがとうございます!」
「では、我らの意見も是非とも取り入れてもらわねば」
「そうよの。我の好みは……」
いそいそと黒鉄の側に寄り、甘味の好みを伝えようとする子狐達だが、
「何を言うておる。周王と華王は留守番ぞ」
「「なっ、何故です、姫様!!」」
「どちらもまだ影に潜むことは出来ぬからじゃ。狐を連れて、町中を歩くわけにはいくまいて」
神使は修行を続けるうちに、主の影に潜むことが出来るようになるのだが、子狐達はまだその術を習得していなかったのだ。
「でも、前回はお供いたしもした!」
「そうでありもす!」
「あの時は駕籠で出かけたからの。それに周王は直ぐに空を歩くであろう?あれは目立ってしょうがないゆえ」
「ならば、駕籠で……」
「それでは妾が寄り道出来ぬではないか。まぁ、そう案ずるな。ちゃんと土産は買うてくる」
「「そんな……」」
しょげかえる子狐達が、あまり哀れに見えたのだろう。
「せめて小さな犬にでも化けれれば、まだ抱えて行けそうだがな」
次郎爺がそう言うと、
「「犬……」」
子狐達は、何やらこそこそと相談しはじめた。
「周王、背に腹は代えられぬ。ここは例の術で……」
「いや華王。あのような術は……」
「おや、なんぞ方法が有るのか?」
次郎爺の質問に、周王が少し困ったように答える。
「我らはまだ変化はできもせぬが、化かす事なら出来もすかと……」
「どう違うのじゃ?」
「変化は形そのものを変えるのですが、化かすのは、そう見えるようにするだけの術でありもす」
「犬に化けるのではなく、犬に見せかけるという訳か。で、どうやるのじゃ?」
「姫様、お札に犬と書いて、それを我の頭にのせてくだされ」
「あいわかった」
香菜姫がさらりと書いた札を言われた通りにのせると、周王はトンと、飛び上がってくるりと回り、
ぽんっ、
弾ける様な音とともに、犬の姿となった。色は些か茶色いものの、見た目は愛玩犬の狆そのものだ。
「確かに、犬にしかみえんの」
だが、当の周王は不本意極まりないという顔で黙っているため、代わりに華王が説明をする。
「これは野狐達が使う術で、いわゆる人を化かす術でありもす」
「ほう、野狐の。だが、野狐に札は書けぬだろうに」
「だから、木の葉を使いもす。あやつらは、木の葉に爪で引っ掻くようにして文字を刻み、札の代わりとしもす。やつらの化け姿が女、子供が多いのも、その字が簡単な物ゆえ」
どうやら野狐達にとって、『女』や『子』の字は簡単だが、『坊主』や『男』などは難しい部類に入るらしい。狐が木の葉で化ける話は昔からあるものの、まさかそのような使われ方をしていたとはさすがの次郎爺も知らなかったらしく、
「ふむ。木の葉がお札の代わりとなるとは、知らなんだな。じゃが、これで問題なく同行出来るの」
感心しながら、狆となった周王を抱き抱え、重さは
変わらないなと笑った。
その夜。
「さて、妾も準備をせねばの。護衛が決まったとはいえ、無防備なのは性に合わん。それに、転ばぬ先の杖と言うしの」
蝋燭の灯りの下、くふくふと笑いながら墨をする香菜姫は、何やら企んだ顔をしていた。
それを眺める侍女達は溜め息をつきながらも、主があまりに楽しそうな為、余計な事は言わずにいた。
貞享四年、弥生。
「ぐぎぎぎっ」
香菜姫は今、巻藁の前で弓と格闘していた。
「これ、姫さん。そんな、腕だけで力任せに引くのではなく、ほれ、こうして」
次郎爺が姫の横で自身の弓をすっと引いて、素引きの手本を示す。
「そのようにしておるつもりじゃが、そう見えぬか?。それはそうと、次郎爺よ。妾の弓は、皆とは大分形が違うようじゃが」
どう見ても、他の者達が手にしている物よりずっと短く、形もぐねぐねとして見える。しかも蒔絵が施されており、無意味に豪奢な造りなのも気になる所だ。
「姫さんのは短弓と言われる物で、どちらかというと携帯用での弓ですな。背丈に合わせた弓ができるまでの練習用として、泰福殿が蔵から持ってこられた物でしてな。まぁ、一応姫さんの力にあわせて弦が張ってあるので、引くのもそれほど大変ではないはず」
「せめて矢を番えれば、少しは雰囲気が出るのじゃが」
「それは、射形が出来てからの話ですな。基本のきの字も出来ない者が矢をつがえるなど、危ないだけ。先ずは地道に基本を覚えませんと」
「一回だけ、やってみたい……」
「畳の穴が増えるだけかと」
巻藁の後ろには矢が逸れた時のためだろう、畳が立てかけてあり、そこには幾度となく矢が刺さった跡がある。
「そんな事はないと思うぞ。妾がちょっと本気を出せば!」
「神力を使って飛ばすのは駄目ですぞ。巻藁が壊れてしまう」
「うっ…… じゃがそれなら、わざわざ道場に来る理由はなかろう」
「姫さん。道場に通うのは、己のが稽古をするだけではなく、他の者の稽古を見ることも、また大事でしてな。『見取り稽古』と言いましてな。他者が弓を引くのをつぶさに見て、それを己の稽古とするのです」
「例えば、今この部屋に居るもので、姫さんはどの者の射姿を上手いと御思いか」
次郎爺の質問に、姫が辺りを見回す。
「あそこの二人じゃな」
そう言って示したうち片方は、筋骨たくましい若侍で、力強く弓を引いており、もう片方は、すらりとした体躯だが、その動きは無駄がなく、見惚れるほど優美だ。
「では、どちらのように成りたいと思われますかな」
「細い方、かの」
「では、あの者の動きを頭に浮かべながら、もう一度引いてみなされ」
言われた通り目を閉じて、その射姿を浮かべる。その動きと己の姿を重ねるようにして引く。すると先程よりもずっと楽に引けた。
「ぐうっ」
「ほれ、少しはましになりましたな」
(なるほどの。見るも稽古のうちか……)
「あー、甘味が沁みる」
「よう頑張りましたな」
「もう、腕がぱんぱんじゃ。そういえば黒鉄は、弓は使えるのか?」
香菜姫は、膝の上の二匹の狆に、串から外した団子を与えながら黒鉄に聞く。
「半弓ですが。でも、俺がならったのは動きながら的を射る方法なので、道場で習う事とは大分違うかと」
初稽古の帰り道、香菜姫は念願の寄り道を楽しんでいた。
小さな茶屋だが、よもぎを使っただんごが安くて旨いと評判の店だ。
外で出されたものを食べる時は、必ず浄化!という父・泰福の言いつけで、浄化の真言を唱えなくてはならなかったが、初めて外で食べる団子はひどく美味しく思えた。普段屋敷で供されるものよりも、些か苦みと渋味が強い茶も、よもぎの香りを引き立てる様な気がする。
「それにしても、姫さんは余程外が珍しいようですね。行きの道中も、ずっとキョロキョロされてたし」
「確かにの」
にまりと笑う姫を見て、次郎爺が何故か苦笑する。
気の早い大工が道具箱を肩に担いで足早に歩き、三味線の稽古帰りなのか、長袋を背負った姉妹が手を繋ぎ通りすぎて行く。
寺の鐘が七つを知らせる頃、姫達は屋敷へと戻った。
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鞍馬衆の里。
それは直に暮れ六つの鐘がなろうかという頃、鋼組の鋼太が思い出したように言った言葉がきっかけだった。
「そうだ、こないだ煉鋼が黒鉄を見かけたって言ってた。あいつ、犬を抱えた姫さんと爺さんの後ろを、歩いてたって」
煉鋼は鋼太の長兄で、今、一時的に寺方の警護の任についている。
「やっぱり、子守りか!鉄くずの仕事はその程度が良いところだからな!」
鋼三が馬鹿にしたように笑う。しかし。
「なんか楽しそうに笑ってたって。あのぶっきらぼうが笑ってるとこなんて、想像つかねぇよ」
その言葉を聞いた途端に、不快な苛立ちが鋼三の内に満ちていく。
(楽しそう?屑のくせに?はっ、身の程を思い知らせてやる。あぁ、そうだ。良いことを思いついた……)
「おい、ちょっと耳貸せ」
この時代、乞食(物乞い)はある程度管理されていました。それは物乞いができる身分が非人だと決まっていたからで、農地を捨てた農民は、きちんと非人として認められないと、大手を振って(?)物乞いすることさえ出来なかったようです。
江戸時代の時間について
少し前から明け六つや、昼八つと江戸時代の時間を書いていますが、これは日の出と日没を基準とした不定時法で、一日を日の出から日の入りまで(昼)と、日の入りから日の出まで(夜)に分け、さらに昼と夜それぞれを6つの同じ長さに分けて表してあります。
午前0時を「真夜九つ」とし、「夜八つ」「暁七つ」「明け六つ」(日の出30分前)「朝五つ」「昼四つ」となり、正午が「真昼九つ」で、「昼八つ」「夕七つ」「暮れ六つ」(日の入り30分後)「宵五つ」「夜四つ」となります。なので、季節によって時間の長さが変わります。
そして、この呼び名は寺が鳴らす「時の鐘」の数から来ており、九から四へと減っているように見えますが、実は9×1=9、9×2=18、9×3=27、9×4=36、9×5=45、9×6=54と本来なら増えていくものでした。ただ、こんなに鳴らすのは大変だし、聞いている方も何回なったのか判らなくなるので、十の位を省略し、一の位の数だけ打つようにしたそうです。
陰陽道の思想では奇数は縁起の良い陽とされ、その中で最も大きい9を一日の始まりの基準としたのは、陰陽寮が寺社などに日時勘申をしていた影響かもしれません。




