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四十二話 貞享四年(1687年) 其の四

 結局、そのまま晩飯も食べずに布団に潜り込んだ黒鉄は、翌朝、明けの六つから朱鉄に起こされ、長屋の端にある扉の無い建物へと連れていかれた。

 そこはどうやら使用人達が飯を食べる場所らしく、入って直ぐの場所には釜戸が二基と水瓶が置かれ、その横に置かれた台には、飯と味噌汁の入った椀、そして漬物が乗った皿が並んでいる。すぐ奥にある板間では、既に何人かが食べているのが見えた。


「飯は朝と晩、六つ時にここで出される。朝は無理だが、晩飯は仕事で遅くなりそうなときは、前もって頼んでおけば、箱膳に入れて部屋に置いてくれる」


 言いながら朱鉄は積まれている木具膳を一つ取ると、そこに飯と味噌汁、皿をのせ、さらに白湯の入った湯飲みと箸をのせていく。

 黒鉄も慌てて同じように膳を手に乗せていくが、箸を取った時には、朱鉄は既に藁編みの円座が散らばる板間にあがり、膳を前に食べ始めていた。


 その横に円座を並べて座り、同じように食べ始める。晩飯を食べなかったせいか、思った以上に腹が空いていたことに漸くそこで気がつき、掻き込むようにして腹に納めた。


「お前はどう思っているか判らんが、飯が食えるというのは大事な事だ」


 白湯を飯椀に注ぎ、最後まできれいに食した朱鉄が呟く。


(そう言えば、朱鉄は昔っから残さず綺麗に食べてたな……)


 米粒の付いた己の椀を見て、黒鉄も同じように白湯を注ぎ、こそぎ取って流し込んた。


 使った椀と皿、箸を決められた(たらい)に入れ終わった時点で、昨日できなかった剣技の実力の確認をしたいから道場に来るよう、主から言われていると告げられ、準備のために部屋へと戻った。


 迎えに来てくれた朱鉄と共に道場に向かう。入ると、そこには昨日の顔合わせのさいに見かけた老人が正座していた。


「本阿弥殿だ。泰福様に代わって、見てくださる。構えよ」


 そう言って渡された木刀を黒鉄が八双に構えると、朱鉄は上段だが、少し低めに構える。そして、本阿弥老人の「はじめ!」の声が響くと同時に、


 ぶぉん!


 ごんっ!


 肩へと向けられた朱鉄の一撃を、なんとか受け凌ぐも、その時点で腕がしびれた。その後も、


 ぶんっ、がん、ぶぉっ、ごん、


 朱鉄が振り下ろし、突き上げて来るのを、黒鉄は受けるだけで精一杯の状態だった。里にいた時は体格差がありすぎたため、朱鉄と打ち合う事は一度もなく、力が強いことは知っていたものの、これほどとは思わなかったのだ。

 早さでは己が優っているとは思うものの、痺れた腕では打ち込んでも大した威力はなく、それどころか胴を狙った一撃を、受け返された上に弾かれ、思わず木刀を取り落としてしまった。


「そこまで」


 結局、良いところを全く見せられないまま、終わった。此方は汗だくなのに、相手は涼しい顔をしているのが癪に障る。

 本阿弥老人は無言で、何やら思案しているようだが、あまりよい状況には思えなかった。朱鉄を側に呼び、何やら話しているが、少し離れているため黒鉄には聞き取れない。


(不味いな。やはり解雇か?)


 思いながら汗をぬぐっていると、本阿弥老人から何かを受け取った朱鉄が側に来た。


「本阿弥殿から使いを命じられた。道を覚える良い機会だ、行ってこい。ただし、昼八つまでには戻ってくるように、とのことだ」


 そう言って銭の入った巾着と、紙を渡された。とりあえず今すぐの解雇はないのだと思い、紙をみる。それはえらく簡単に書かれた地図と共に、『川端 道僖』という名と『水仙と羊、各四つ』と書かれていた。場所は一条烏丸で、此処からだと少し離れている。

 既に昼四つに近く、のんびり歩いていては到底間に合わないのが分かったので、黒鉄は身なりを整えるとすぐに出発した。


 里に居るときに訓練の一環として、何度か京の町中を歩かされた為、土地勘はそれなりにあるつもりだったが、思っていた以上に時間がかかった。

 そうして、人に尋ねながら、ようやくたどり着いたのは、一軒の店屋だった。暖簾には「御粽司」の文字と共に「川はた どうき」と書かれている。


(店の名だったのか……)


 だが、簡単な読み書きしか習っていない黒鉄は、暖簾の「御粽司」が読めないため、何の店か判らない上に、ここに水仙や羊があるとは思えなかった。

 どうしたものかと考えた末、渡された紙をそのまま見せるしかないと暖簾をくぐり、中へと入る。

 しかし、店番らしき若い男はいるものの、店の中には何も置かれていなかった。


(えっ……)


「お使い物ですか?」


 戸惑う黒鉄に店番の男が笑顔で尋ねてきたが、あまり歓迎されていない気がしてならない。


「あぁ、すまない。ここに書かれている物が欲しいのだが」


 手元の紙を相手に見せると、それをちらりと見た男は、少し眉をしかめながらも、


「どちらさんのお使いで?」


 そう聞いてきた。にこやかな顔をしているが、なぜか返事を間違えると、なにも買えない様な気がしたため、黒鉄は少し慎重になる。


「えっと、本阿弥殿に頼まれて…」


「どちらの本阿弥さんで?」


「あ、えと、土御門家の…」


「あぁ、智乃さんとこの次郎先生。なら少々お待ちください」


 あからさまにほっとしたような顔を見せた店番は、そう言って店の奥へと入っていき、しばらくすると紙包みを持って出てきた。


「はい、お待たせいたしました。水仙(ちまき)羊羹粽(ようかんちまき)、四本ずつですね」


 しかし、直ぐには渡そうとはせしないため、黒鉄が怪訝な顔をすると、


「お代を」


 そう言われ、代金を払ってないことに漸く気づいた。ただ、困ったことに全部でのいくらなのか判らないので預かった巾着ごと渡すと、中身を確めた店員は、


「確かに。余分はお戻しておきますんで、次郎先生によろしゅうお伝えください」


 そう言って、ちゃらんと音のする巾着と紙包みを渡して、頭を下げた。


(ちまきって事は、俺はこんな所まで、おやつの使いっぱしりをさせられたって事だよな)


 受けとりながらも、少しばかり腹が立ったが、今は贅沢を言える立場ではないと堪えて、店を出る。その時、先ほどの店番が誰かと話す声が聞こえてきた。


「最近、うちの粽が評判になったからか、付けで買おうとする御武家様が多いから、てっきり今のお方もそうかと思って……」


 あの不自然な笑顔の原因に納得した黒鉄は、駆け足で屋敷に戻った。



 翌日は、朝から使いを頼まれた。前日と同じように朱鉄から地図と巾着を渡されたが、今度は判りやすかった。『松屋、おせん六つ』と書かれていたからだ。ただし地図を見ると伏見と書かれてあり、これはちょっと遠い為、さっさと出掛ける事にした。


 有名な店らしく、道行く人に尋ねると、知っている者が多く、迷うことなく店に着くことが出来た。驚いたのは、おせんと書かれているから、てっきり煎餅だと思ったら,小倉餡が乗った餅だった事だ。




「今日はおせん餅だそうですよ。こちらも黒鉄さんがお使いしてくれたそうで」


 柔らかな侍女の声と、皿が置かれる音がする。


「ふん、我はおやつのお使い係として雇うのは良いかと」


「そうでありもすな。おぉ、これもまた美味でありもす」


「じゃが、それならば、あやつでのうても良い」


「でも姫様、道場に通われるのでしたら、やはり護衛は必要では?」


「確かにの。じゃが、それなら兄様に朱鉄を借りれば良い話じゃ」


「あら、それでしたら甘味処には寄れないかも。朱鉄さんは真面目ですから、寄り道なんぞ、させてもらえませんよ」


 おやつ時の賑やかな語らいを襖越しに聞きながら、黒鉄は隣の部屋で一人、侍女が入れてくれた茶を飲んでいた。香菜姫や狐達の話に眉をしかめたものの、確かに言われるままに買ってきただけだから、言い返す事も出来ない。


(それでも結構遠くまで行って買ってきたのだから、少しは感謝してくれても良いじゃないか!)


 そう思いながら、目の前の皿のおせんもちを口に放りこんだ。



 次の日、また使いを言いつけられた黒鉄は,『虎ノ屋 夜ノ梅三本』と書かれた紙を見ながら、


(いつまで、こんなことを続けるのだろう)


 と、思っていた。しかし烏丸一条西入と書かれている地図を見ながら歩くうちに


(これはもしや、本阿弥殿の試験なのでは?)


 ふと、そう思い至った。もしそうならば、己は何とかしてこれに受からなくてはならない。


(俺はいったい何を試されている?考えろ、考えろ!!)


『弓道場に通われるなら護衛が……』

『稽古帰りに甘味を……』

『道を覚える良い機会……』

『最近は付けで買おうとするお武家様が……』


 ここ最近聞いた言葉や、見た物が頭の中でぐるぐると回る。そして目当ての店に着く頃、ようやく一つの結論に達した。


(これが正しい答えかどうかは判らんが、とにかくやってみよう…)




  ****




「父上、ご相談があります」


 そう断りを入れて入室してきたのは長男だった。いつになく真剣な顔をしている。泰福(やすとみ)は筆を置き、頷いて発言を促す。暫く逡巡(しゅんじゅん)していたが、意を決したように大きく息を吸うと、おもむろに話し出した。


「先だっての化け蜘蛛騒動の後、私はこの土御門家の次期当主としてふさわしいのか、ずっと考えておりました。恥ずかしい事に、私はただ守るだけしか出来ませんでした。香菜のように戦うことは出来なかった。それも単に私の神力が低いため。ならばいっそ、私より神力の高い弟の泰連(やすつら)を、次期当主として頂けたらと思い、こうして参りました」


 一気に吐き出されたその申し出に、泰福は驚いた。長子の泰誠(やすまさ)の神力は、決して低い訳ではない。香菜姫が高すぎるのだ。当人が言うほど泰連()との差もない。

 泰福は、物静かな長男を眺めた。幼い頃から賢く、静かに本を読んだり計算するのが好きな子だった。

 特に計算は速く、五歳になる頃には算盤を使った開乗の計算をして見せて、周りを驚かせた。学者肌だからか、政治はあまり向かない性格だが、そんなものは歳を重ねるにつれ覚えるだろうから、問題ないと考えていた。

 


「私に言わせれば、お前は学に長け、統率力もある。申し分ない跡取りだ」


「それは、父上の買い被りです」


「それに泰連を当主とするならば、お前はどうするつもりだ?」


「私は、江戸の保井様のところで天文学を極めたく思います。今、天文学は江戸が中心となっております。新たな天文台も建てられると聞いておりますれば……」


 陰陽寮頭の泰福としては口惜しい事に、今、天文学は江戸が中心となっており、算術も関流がもてはやされ、あちらの方が盛んだと聞き及んでいた。実際、泰福の高弟である保井 算哲は初代幕府天文方として雇われ、家族とともに江戸の麻布に移り住んでいる。


(その 助左衛門(算哲の本名)も泰誠の才を認め、可愛がってくれているし、泰誠もまた、なついている……)


「学問を極めるか。それが真の望みという訳か」


「……はい」


 うつむきながらも膝の上でこぶしを握り、しっかりと返事を返してくる長男を見ながら、その決心が固いことを認める。


「判った。では、こうしよう。泰誠、お前の元服の儀と同時に、泰連をお前の養子としよう。そうして一旦はお前が当主となり、その後泰連に譲るのだ。これならば誰からも文句は出まい」


「あ、ありがとうございます!」


「それと、お前がどう思おうと、香菜はお前を大層誉めておったぞ。兄様が頑張っておられたから、自分も頑張れたのだと」


 その言葉を聞いた泰誠は、寂しげに微笑む。


「それでも父上も思われたはずです。香菜が男だったら良かったのにと」


 その言葉を否定できない泰福は、黙って息子が退室するのを見送るしかなかった。


前回、朱鉄が言っていた『ちょっとした飢饉』、実は広範囲を襲った大飢饉で、延宝二年夏から三年にかけて起き、延宝の第一次飢饉と呼ばれています。この後延宝九年から天和二年にかけて、延宝の第二次飢饉が起きています。

この頃の庶民の食事はまだ一日二食でしたが、公家や武家等は一日三食食べるようになっていました。最も、昼食は軽いものが多く、香菜姫はおやつで代用してます。


ここに出てくる保井 算哲は二世の方で、冲方丁先生の天地明察の主人公・渋川春海の事です。何度か改名されていて、この時期は保井姓だったと思い、この名で書いております。とにかく賢い方だったようで、21歳(1659年)の時に天体観測に基づいて中国四国地方の各地の緯度・経度を計測したり、わが国で始めて北極出地度数=緯度を測定しています。

また1684年(貞享元年)には、日本初の国産暦「貞享暦じょうきょうれき」を作成し、「貞享の改暦」が行われましたし、1690年には日本で最初の地球儀(直径25センチメートル)と天球儀 を造ったりしています。

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