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三十九話 貞享四年(1687年) 其の一

 貞享四年、睦月。


 化け蜘蛛騒動から五日たった昼、友信は当主・泰福(やすとみ)に呼ばれていた。本来ならば、もっと早くに呼ばれる筈だったのだが、化け蜘蛛による傷のせいで熱を出し、昨日まで寝込んでいた為、今日の呼び出しとなっていた。今もまだ、顔の左半分を痛みを伴った熱が居すわっている。


 治療した医者によると、傷は頬の骨が見えるほど深く肉も抉り取られていた為、傷が癒えても痕が残るだろうとの事だった。

 目鼻を避けるように斜めに巻かれた布に触れながら、目が潰されなかっただけ、ましだったと思う。その手にも軟膏が塗られ、布が巻かれていた。


 友信は己の両手を見ながら、この傷を負った時の事を思い出していた。頬の傷と同じように、胸の痛みも居座ったままだ。あの共に過ごした時や言葉が全て嘘偽りだと判っているのに、心は未だにこひるが恋しく、やるせない思いで一杯だった。


 案内役の中間が部屋の前で迎えに来たことを告げたため、返事をして立ち上がるが、正直な所、何をどう話せば良いのか判らずにいた。

 勿論、今回の事のあらましを説明をしなければならないのは理解しているが、上手く説明する自信がないのだ。


 だから、こひるの皮を持っていく事にした。寝込んでいる間に、下男辺りが洗ってくれたのだろう。泥は綺麗に落ちていた。ただその毛はごわごわしており、色も灰色だ。それを大事そうに抱えると、当主の待つ部屋へと向かう為に、自室を出た。


 先導する中間の後ろに従い廊下を歩いていると、そこかしこから真言を唱える声が聞こえてきた。まだ松の内ということもあり、候補達の稽古は無い筈だから、自主稽古だろう。しかも一人や二人ではなく、殆どの部屋から熱心に稽古する様子が伺えた。


「先日の事で皆、よくやったと誉められてな」


 ひときわ大きな声が聞こえた部屋の前で、思わず足を止めてしまった友信に、中間が説明してくれた。


「最初は皆、何も出来なかったと凹んでおった。泰誠(やすまさ)様や香菜姫様が必死で蜘蛛と対峙している時に、その後ろで震えながら真言を唱えるしか出来なかった。自分達は無力だと」


 その様子は、友信もなんとなく覚えていた。


「だが、泰誠様と香菜姫様が仰ったのだ。皆がそれぞれ出来る事をしてくれていたから、己達も頑張れたのだと。俺もあの場にいたから判るが、死にたくなかったから、必死で真言を唱えていただけの者が大半だったはずだ。しかし泰誠様は、だからこそ結界の補強に役立ったのだと仰った。姫様も、皆の真言が攻撃札を後押ししてくれた、感謝すると。その言葉が有り難くも嬉しかったのだろう。元日から、ずっとこんな感じだ」


 その言葉を聞きながら、友信はつい最近までの己のことを考えた。


 己よりも身分や神力の低い候補達を見下し、あまつさえ泰誠の事も、跡取りの癖に色持ちしか賜れない出来損ないだと、ひそかに馬鹿にしていたのだ。しかも妹が紋様付きを賜った事に対して、怒りもしない腑抜けだと。

 そして、自分だけは違うと思い上がっていた結果、化け物に付け込まれたのだ。


(俺が一番愚かだ)



  **



「こちらへ」


「失礼致します」


 通されたのは正式な謁見に使われている部屋で、その場には当主以外に幸徳井家の当主代理を勤めている叔父・友保の姿もあった。叔父は友信の顔や手に巻かれた布を見て、眉をしかめる。


「泰福殿、友信が怪我を負ったとは聞いておりません。それに治療の程を、お聞かせ願いたい」


「先程、命に別状はないと申したはず。それに医者に見せ、薬も塗っておる」


 それ以上、何を求めるのだと言わんばかりの言葉に、叔父が歯ぎしりする。


 どうやら叔父は陰陽術による治療がされていないことに不満があるようだが、泰福はその必要はないとの判断を示した。


 友信としても、当然だと思っている。自分の仕出かしたことを考えると、医者に見てもらえただけ、ありがたいのだと。


(それに、浄化はしてもらえたし……)


 医者に治療される前に、 友信と糸に捉えられた二人の候補は、陰陽師によって浄化の術を施されたのだ。


 叔父が自分や幸徳井家が不利にならないようにしてくれているのは判るが、今回の非は全て自分に有る事を、友信は自覚していた。



 政治的な駆け引きらしき事を続ける二人を眺めながら、手持ち無沙汰にこひるの毛を撫でる。指先に触れる毛はちくちく、ごわごわしているが、不思議と心が落ち着いた。


 漸く駆け引きが終わったのだろう。泰福が友信の名を呼んだ。


「幸徳井 友信。そもそも、なぜあの様な事に至ったのか、子細に述べよ」


「はい…………()()に会ったのは、昨年、父の墓に参った帰りの事でした……」


 友信は膝の毛皮に手を置きながら、こひるとの出会いから話していった。加茂家の事情に詳しかった為、はぐれ神使だと信じて疑わなかった事や、京まで同行したさいに、在高の生まれ変わりだと仄めかされて本気にしたこと、香菜姫に対して対抗意識があったこと等、途切れ途切れではあるが話していく。


「そしてあの日、私はこれで印持ちの神使を持てるのだと浮かれた気持ちで、こひるを招き入れたのです……それが……」


「全てはあの化け物の策だったわけか」


 そこで泰福が言葉を挟んできた。


「……はい」


「お前は騙され、我が屋敷の者達に害意を持つ物を、招き入れたわけだな」


「その通りです。誠に申し訳ございませんでした」


 畳に頭を擦り付けるようにして謝罪する友信を、泰福はしばらく眺めていたが、ため息を一つつくと、「判った」とだけ、答えた。




 両家話し合いの結果、今回の友信の行いに関しては、『元服前の子供が神使を騙る化物に騙された事故ことゆえ、できるだけ穏便に』と温情を求める書状が幸徳井家だけではなく、興福寺等の南都社寺からも複数届いたこともあり、表だってはお咎め無しの形となった。


 ただし、壊れた家屋の修理修復にかかる費用や、死んだ護衛の家への見舞金等は、幸徳井家が負担することになった。


 しかし裏では内密に、ある約束が結ばれていた。それは友信が元服して正式に当主となった暁には、《自らが進んで土御門家を陰陽道宗家として認め、幸徳井家はその配下となることを誓約する》というものだった。




【この約束は元禄二年(1689年)、友信が数えで14歳となった時に果たされた。以後、幸徳井家は代々陰陽助として土御門家の指示のもとに、暦注のみを管轄することになる(一人、例外あり)。又、友信は若くして叔父・友保の息子である友親に当主の座を譲り、その後は一陰陽師として過ごしたと言われている。】



   ****



「さて、ここからは葛の葉様からの頼まれ事だ。わしは席を外す故」


 友保が場を辞した後、泰福がそう言って立ち上がり頷くと、小さな旋風(つむじかぜ)がおき、そこから白く輝く狐が現れた。その額には、渦巻く雲のような水色の印がある。


「はやてと申します」


「あっ…」


 友信はその名前に聞き覚えがあった。


「こひるの……」


「はい。先程の話は全て聞き申した。此度はこひるがご迷惑をおかけし、申し訳なく」


 そう言って、はやては頭を下げた。


「いや、俺、私はこひるの名を騙る蜘蛛にたぶらかされたのであって、こひるは何も……」


 思いも依らない謝罪に友信は慌てるが、はやてはゆるりと首を振ると、


「全てはあれの想いが要因」


 言いながら、切なげに友信を見つめると


「あぁ、確かに似ておられる……」


 ぽそりと呟いた。



 **



「これは葛の葉様のご厚意で、お借りしてきた品々です」


 人の姿に変化し、狩衣に高烏帽子姿となったはやてが懐から取り出したのは、緋色の絹に包まれた、さほど大きくない鈴と白い布だった。慎重な取り扱いからも、それが貴重な品だと判る。


「この鈴はこひるが仙界から持ち出して、呼魂の術に用いていたものですが、五十年ほど前、突然戻ってきたそうです」


「呼魂の……、あれは本当にあったのか…」


 それは十種神宝(とくさのかんだから)の一つ、死返玉まかるかへしのたまが嵌め込まれてた特別な鈴だという。


「此方も本来、篁様が管理されている品であり、人の世に持ち出すことは禁じられておりますが、今回は特別にお借りして参りました」



 そう言いながら、白い布を広げる。縦横一尺程の布には四隅と真ん中に、『X』のような紋様が緋色で刺繍されているのが見てとれた。


「此方は品々物之比礼くさぐさのもののひれと呼ばれる品です。此度のために、篁様に一度だけの使用を御願いしてまいりました。()()を渡していただけますか?」


 ()()とは、こひるの皮を指していた。友信は手放すのに抵抗があったものの、己が持っている権利もないと思い、しぶしぶながらもはやてに渡した。


 布を広げた上に、毛皮を置く。乗せた物に比べると、布はあまりにも小さく見えたが、


 ぶわんっ!


 布が一気に大きく広がったかと思ったら、


 しゅるるん


 こひるの毛皮を、布自らがぴったりとくるんでしまった。そして、しゅるしゅると縮んでいき、畳まれていた時とさほど変わらない大きさになった。


「この布は、あらゆる物を浄化してくださるそうです。こひるの穢れも、これで祓えるでしょう」


 はやては白い布包みを緋色の布の上に戻すと、今度は鈴を手に取る。


「最後にお詫びも兼ねまして、こひるが約束していた呼魂の術を、一度だけ執り行おうと思います。どなたをお呼びになりますか」


「……誰でも良いのか?それは、その、こひる……でも?」


 はやては頷くと友信の後ろに周り、頭の両脇に腕を突き出すようにして、鈴を持った。鈴は今、友信の額の直ぐ前にある。


「呼びたい相手の事を、しっかりと思ってください」


 言われるままに目を閉じて、必死でこひるの事を思う。すると鈴が振られ、朗々とした声が響きだした。



   リーーン、リーーン、リーーン


  ふるべ ゆらゆらと

   リーーン


  玉の戻りの鈴ならせ 

   リーーン


  行きは一人の閻魔堂

   リーーン


  過ぎて二夜の赤い鬼

   リーーン、リン


  待つは三日の獣道

   リーーン、リーン、リン


  果ては四月(よつき)の修羅街道

   リーン、リン、リン、リン


  いつ むうななと奉ぐれば

   リン、リン、リン、リン、


  満ちてここへと参らせん

   リーーン


  たりて ゆらゆら 鈴ならせ

   リーーン


  ふるべ 魂呼(こんこ)の 鈴ならせ

   リーーン、リーーン、リーーン……



 鈴の音の余韻の中で目を開けると、ぼんやりとした影が、だんだん人の姿をとっていく。やがてそれは友信の知るこひるの姿をとった。


「こひる!」


 たとえ化け蜘蛛の見せたまやかしだったとしても、友信は再びこひるの姿を見れた事が嬉しかった。相手は自分のことなど判らないだろうと思いながらも、気づけば名を呼び、手を差し出していた。すると。


『申し訳ありませんでした。私のせいで……』


 こひるもまた、手を伸ばしてきた。しかしその手は直ぐに引っ込められる。まるで自分には、そんな資格は無いと言わんばかりに。その仕草は友信の胸に、小さな希望を芽生させた。鼓動が早くなる。


「俺が判る?本当に……?」


『勿論判ります。だって友さんとのお話は、それはもう楽しくて。旅の間、ずっと幸せでした。なのに、あんな酷い目にあわせてしまって……』


 そう言って頭を下げるこひるを見ながら友信は、行き場の無かった想いが、漸くその行き先を見つけたように感じていた。それは凄く嬉しいと同時に、どうしようもなく悲しかった。


(確かにこひるは居たのだ……全てが嘘というわけではなかった……)



「そろそろ術が切れます」


 後ろからはやての声がする。



「あっ……また、会えるよな……?」


 こひるは寂しげに顔を歪ませながらも。


『もし、私の償いが終わり、再び人の世に来ることが叶いましたらば。そうなれたら、必ず会いに参ります。たとえどんなに時がかかろうと、友さんに私が判らなくとも、それでも会いに参ります。だから……』


 かすれ消えていくこひるの姿に手を伸ばすが、届くはずもない。振り返り、はやてを見るが、首を横に振られた。


(一度だけの約束なのだ……)


「生きている間に、会えるでしょうか」


 呟くような質問に潜む望みに、はやては気づいた。しかしこひるの罪は重く、人の生は短い。此度の事は、あこまち様をはじめとして、多くの神使が怒っているため、簡単にはいかないのが判っていた。望みは叶わない。


「おそらく、無理かと」


「そうか……」


 はやては肩を落とし俯きながら退室する友信を見送りながら、久方ぶりに顔を見た双子の片割れが、己に対して、一言も無かったことに苦笑した。


 そして一人になった部屋で、足玉(たるたま)が嵌め込まれた鈴を取り出す。これは他とは違い、はやて自身が頼み込んで借り受けた品だ。『心からの願いを込めて一度だけ』。寳公に教わった通りに鳴らす。


(たとえそれが、どんなに遠い時の向こう側であったとしても)


  チリーーーン………………


(いつかこひると友信様が、共に笑い合う。そんな日が来ますよう……)


今回出てきた『篁様』及び、前回出てきた『野相公』は、どちらも小野 篁(おの の たかむら)公の事です。昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王の補佐をしていたという伝説を持つ人物です。

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マジ泣いた(´;ω;`) 悲しすぎる(。ノω\。)
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