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番外編  恋情 ~こひるの想い~

「綺麗な色だ。野に咲く小昼顔の色に似ている」


 だから、こひる。そう名付けられた……



 額の薄紅色がもっと濃ければ良いのにと、ずっと思っていた。印の色としては、なんだかぼんやりとしていると感じていたからだ。

 でも、双子の片割れと共に土御門家に仕える身となったあの日、(あるじ)となる十歳の少年に褒められた時から、この色は大のお気に入りとなった。


 風使いで水色の瑞雲(ずいうん)型の印を持つのは『はやて』、変化(へんげ)使いで薄紅色の花弁型の印を持つのは『こひる』。私達にそう名付けた福寿丸様は、得意そうな顔をして笑っておられた。あの日から、全てが始まったのだ。



「こひる、はやて、参ろうぞ!」


「「はい!主様!」


 それからは何処に行くのも一緒だった。陰陽師となるべく修行される時も、護衛と共に剣術の稽古をなされる時も、側にいた。もちろん食事の時や就寝の時もだ。


 福寿丸様は快活で、聡明な方だった。四男と、跡取りではないものの、印持ちの我らの主となれるほど神力も高く、陰陽師としての将来を嘱望されていた。 


「天文も嫌いではないが、やはり陰陽道を統括する陰陽博士になりたいと思うておる」


 そう言いながら生真面目に書を読む姿や、誇らしげにご先祖である安倍晴明様の逸話などを話されるのを見る度に、自分も主の為に出来るだけの事をしようと思ったものだ。


 あの頃はまだ、私もはやても修行中の為、時々交代で仙界へ修行に行っていたのだが、そんな時もこれが将来は福寿丸様の役に立つのだと思えば、意欲が湧き、頑張れた。


 何より、はやてが修行で居ない日々は、主を独り占めできる特別で幸せな時間だった。

 そんな時は福寿丸様と同じ年頃の娘に変化して、過ごしたりもした。そうすると、普通に話をするときでさえ、福寿丸様のお顔が近くに見る事が出来て、嬉しかったからだ。


 ただ、どんな顔の娘に化けても、何故か額の印と眼だけは変える事が出来ずにいたのだが、『それがあればこひるだと直ぐに判るのだから、そのままでも問題なかろう』と言われたので、気にしない事にした。



 私が得意とする変化(へんげ)の術とは、人に化ける以外にも、物を変化(へんか)させる事ができた。例えば水を湯に、種を花にと、本来それが持っているにも関わらず、その見た目や性質が違う物に変えたり、周りに己を溶け込ませ、見えなくしたりするのだ。

これらの術は隠密にも向いているのだが、私はもっぱら、主様を安全に移動させる為に使っていた。



 幸せな日々にも変化は訪れる。福寿丸様に加茂家からの養子の話しが来たのは、元服の日取りをいつにするかを話し合い始めたころの事だった。

 唯一の跡取りが出奔した上に、御当主が亡くなったため、福寿丸様に家を継いで欲しいと請われたのだ。これも、我が主が優秀だからだと、誇らしかった。



 こうして福寿丸様は十三歳の時、勘解由小路(かでのこうじ) 在高様となられた。


 それからは京と大和を往き来する生活となったが、それもまた楽しかった。


 特に、はやてが主様を背に乗せ、駆ける事が出来るようになってからは、自分達だけで往き来することになったため、いっそう楽しかった。


 悪戯めいた事も、時々した。風の中に姿を溶け込ませて駆ければ、近場の農民達が妖怪一本だたらが出たかと驚き、戦の陣の側を笑いながら駆ければ、天狗の仕業だと大騒ぎになったりもした。



 唯一の懸念は、次期加茂家当主となられたために、在高様には色んな娘の所から、縁談が持ち込まれるようになった事だった。しかしそれも、出奔された在昌(あきまさ)様が戻ってこられた場合のことを考えての事か、一人前の陰陽師になるまではと全てに断りを入れておられた為、直ぐに解消した。


 そんな事もあり、


「今年も咲いておるな。私は小さくて可愛らしいあの花が、一等好ましい」


 小昼顔の咲く夏になると必ず言われるその言葉が、まるで自分に向けられた言葉のように思えて、くすぐったくも、嬉しくてたまらなかった。


 本当に全てが楽しく、全てが輝いていた。あの日が来るまでは。



 あの時、前日から少し熱があったものの、在高(あきたか)様は大したことはない。休んでいれば大丈夫だと笑っていたのだ。

 しかし翌朝になると身体に水疣(みずいぼ)のような物がポツポツとでき、触ると火傷しそうな程の高熱となっていた。

 心配した家人が医者を呼び、熱冷ましを飲ませても、熱はいっこうに下がらなかった為、はやては薬力の滝まで水を汲みに走り、私は必死で薬師如来様にお祈りし続けた。


 なのに、在高様の熱は下がる事なく、やがて意識がなくなり、そのまま息をひきとってしまわれた。


 あの時感じた絶望は、言葉にすることは出来ない。声すら出なかった。あれほど祈ったのに、私の言葉は届かなかったのだ。だから……自分で何とかしようと思った。


(今すぐ魂を呼び戻せば、きっと何とかなるはず!)


 だから稲荷山へと向かった。稲荷山には饒速日命にぎはやひのみことが天降りする際に、天神御祖あまつかみみおやから授けられた十種神宝(とくさのかんだから)が奉案された伏見神寳神社ふしみかんだからじんじゃがある。


 反魂の術は、その十種神宝のいずれかを使って行うのだと聞いた事があったからだ。

 神寳神社の主祭は天照大御神様だが稲荷大神様もご配祠されているから、神使の中には反魂の術について、知る者がいる筈だと思ったのだ。


 しかし稲荷山でも仙界でも、禁術故にその方法を知る者が名乗り出ることはなく、ようやく知っていると思われる者を見つけ教えを乞うても、誰一人、首を縦に振る事はなかった。

 その間もどんどん時はたち、気がつけば葬儀どころか初七日も終わっていた。こうなるともう、冥福へとお供する事さえ叶わなくなっていた。


 はやては戻らない私を心配して残っていた為、結局在高様は一人で冥福に旅立たれたのだ。


(たったお一人で、逝かせてしまった……)


 だからこそ、余計に諦められなかった。何としてでも在高様を生き返らせたくて、仙界で再び術について知っていそうな方達に頭を下げ、すがり付いたが、『人の生き死には神の領域。神使ごときがどうこう出来るものではない』と言われただけだった。


 ただ、泣きながら懇願する私を哀れに思ったのだろう。その中の一人、野相公と名乗る人物が呼魂の術を教えてくれ、術に使う鈴を貸してくれた。


「これは少し話が出来るだけの術だし、お前の神力でも、何度も行うことは出来ないだろう。だから使っていいのは一度だけだ。すんだら返しに来なさい。良いね」


「はい!ありがとう存じます。明日には必ずお返しに参ります」


 そう返事をしたが、結局は鈴を返す事は出来なかった。一人になれる場所を探し、教わった通りに鈴を振り、歌のような呪文を唱える。そうすると霞の中から恋しい主の姿が表れて……



『あぁ、こひるじゃないか。どうしたんだい?』


 そう名を呼ばれ、柔らかく微笑まれて……


(あぁ、在高様だ……在高様、在高様……)


 会えた嬉しさで胸がつまり、しゃべる事さえ儘ならない。なのにその姿は、あっという間に霞んで消えてしまった。

 だから。再び術を行ったのだ。しかし、会えた時間は先程よりさらに短く、やはり話す事は叶わなかった。しかもその時点で私の神力は、ほとんど底をついていた。



 だから蛇を食べた。しかも、生きたまま。


 その方がより多くの妖力を取り込むことが出来るからだ。


 稲荷山の神使としては、絶対にしてはいけない禁忌だと判っていた。稲荷山では古くから蛇神信仰が盛んで、今でも蛇は大切に扱われている。それは伏見稲荷大社の御神符において、狐の上部に蛇が描かれている事からも、明らかだ。


 その為、蛇を食べて直ぐに、私の白く輝いていた毛皮は煤けた灰色になり、神使の資格を失ったことが判った。


 それでも五十匹食べれば、僅かの間だが、お顔が見れた。百匹も食べれば、少しだけだがお声が聞けるのだ。やめられる筈がなかった。


 それどころか、この鈴を使えば反魂の術も可能ではないかと思うようになっていた。その為には、もっと大きな力と、魂が入る器を手に入れようと。


 だから大きな妖力を持つ物を餌にしようと、化け蜘蛛の噂のある吉野の地を彷徨い、探し回り、ついに見つけたのが今から五十年ほど前の話だ。しかし、とうの昔に神使ではなくなった私が、手当たり次第に獣や時には人を喰らっている蜘蛛に敵うはずもなく、逆に蜘蛛に喰われてしまった。


 突き刺さった牙から毒が流れ込んで来るのを感じながら、それでも最後のあがきとして、残っていた力を全て使い、蜘蛛の意識の一部に私の意識を埋め込んだ。


 そのせいで、私の魂もまた蜘蛛の身体に封じられてしまい、しかも蜘蛛が私の記憶や変化の能力の一部を手に入れていた。蜘蛛はその事を、私を生きたまま食べたからだと思い込んでいた。


 そこからは、おかしな共生が始まった。とはいっても、私は何をするでもなく、蜘蛛が獣や蛇、時には変化の術で若い女に化けて旅人を喰うのを眺めていただけだった。


 あの時も、蜘蛛は幸徳井家の次期当主が戻っていると聞いて、私の変化の力を使って娘に化けて近づき、隙を見て喰おうと待ち構えていたのだ。


 私はいつものように傍観するつもりだった。けれど友信様を見た途端、胸が熱く締め付けられた。弱いものの、その気は在高様のものによく似ていたからだ。


 だからもう少し一緒に居たいと思い、蜘蛛の意識を誘導することにした。今、この場で喰うて騒ぎになるのは悪手だと。旅先の方が良いと思わせたのだ。


 その考えをすんなり受け入れた蜘蛛は、友信様が私をはぐれ神使だと思った事を利用して、言葉巧みに京への同行が出来るよう話を持っていった。


 京への道中、蜘蛛は巧みに友信様に取り入り、信頼を得ていった。油断させるためだ。

 しかし、それ以上の餌があると知った蜘蛛は、欲を出した。友信様だけでなく、土御門家の赤子までをも喰うと決めたのだ。


 そこからは、蜘蛛は己の本性がばれないよう、私の記憶の話をしながら、どうやって土御門の屋敷に入り込もうかと、考えだした。


 だから私は少しだけ、意識を前に出した。蜘蛛の策だと判りながら、友信様とのおしゃべりを楽しんだのだ。

 触れる事の出来る相手との会話が、これほど楽しいとは。長い間蜘蛛の意識の中にいた私は、会話に飢えていたのかもしれない。

 友さんと呼び、声をあげて笑い合う。それだけの事なのに、これが策だと忘れるほどに、楽しかったのだ。


 その間も蜘蛛は策を巡らせ、その結果、陰陽師達が大祓でいなくなる大晦日まで待つことにしたようだった。だから再会の約束をして、寺の前で別れる事にした。相手に又会いたいと思わせるために。


 そうして友信様は策に嵌まった。


 大晦日までの間、一度だけ友信様に会いに行った蜘蛛は、その後は消えてもさほど問題のない乞食や池の鯉、馬などを戯れに喰いながら、時が立つのを待っていた。


 そうして、全てが整った大晦日。蜘蛛は友信様に会いに行ったのだ。



 本当なら、蜘蛛はもっと奥まで案内させてから正体を現すつもりだったが、門をくぐった途端に、正体が暴かれたのが判った。

 おそらくは、門のどこかに降三世明王の真言を組み込んだ結界が張られていたのだろう。あれは偽りや不正を暴き、正す効果があるから。


 そのせいだろう。私が組み込んだ意識も、うまく働かなくなっていた。蜘蛛の制御がどんどん出来なくなっていったのだ。友信様の眼を潰そうとするのを思い直させるのが精一杯で、結局友信様には怪我を負わせてしまった。


 そして、全てが明らかにされて。愉しげな蜘蛛の言葉に傷つく友信様の顔は、心が痛くて見ていられなかった。そして私は皮が捨てられた時点で、蜘蛛を制御することは殆ど出来なくなっていた。


(まだ食べるな!まだだ!まだ利用出来るから!)


 そう思わせるだけで精一杯だった。


 そこからは蜘蛛が屋敷を襲うのを、見ているしかなかった。ただ、やはり土御門家の方達だと思った。神使を従えた方達はまだ子供ながらに立派に蜘蛛を押し止めていたし、蜘蛛の自慢の糸も、直ぐに役に立たなくなったのだから。


 やがて友信様を捕らえていた糸が崩れるように外れた時は、ほっとした。しかし、その直ぐ後に激しい痛みが蜘蛛を襲い、同時に私の意識も薄れていった…………


 今、私は何もない場所に立っていた。足元の石の感じから、賽の川原のような気はするが、見えないので何とも言えない。おそらくは脱衣婆に会うことさえ、叶わないのだろう。


(それもそうか。稲荷山の神使の身でありながら、蛇を生きたまま喰らい、仙界の御方の物を盗んだのだから。そういえば、あの鈴はどうなったのだろう。蜘蛛に喰われた時に失ってしまったが、まだあの地に落ちているのだろうか?それとも誰かが拾って……)


 その時、聞き覚えのある音が聞こえてきた。


(この音色は…………)


    リーーン、リーーン、リーーン

  ふるべ ゆらゆらと

    リーーン

  玉の戻りの鈴ならせ 

    リーーン

  行きは一人の閻魔堂

    リーーン

  過ぎて二夜の赤い鬼

    リーーン、リン

  待つは三日の獣道……………………

    リーーン、リーン、リン……………


(これは……呼魂の歌……それに、この声は……)


伏見神寶神社ふしみかんだからじんじゃは伏見稲荷のある稲荷山にあり、奥の院から更に鳥居を少しだけ上がった場所を右に逸れ、山道みたいなところをずんずん歩いて行くと竹に囲まれたその姿を現します。ここでは狛犬ならぬ天龍と地龍の狛龍が迎えてくれます。この龍達は主祭神である天照大御神の使いです。

そして色とりどりの千代紙を人の形に折った「叶雛かなえびな」が願い事を書かれて奉納されています。カラフルで、とても綺麗です。

また、「隼人の盾」と呼ばれるお札のようなお守りや、十種神宝の文様を刻んだペンダント(純銀製と、そうでないものがある)なども、パワーアイテムとして人気の様です。


ちなみに、十種神宝とは沖津鏡おきつかがみ辺津鏡へつかがみ八握剣やつかのつるぎ生玉いくたま死返玉まかるかへしのたま足玉たるたま道返玉ちかへしのたま蛇比礼おろちのひれ蜂比礼はちのひれ品物之比礼くさぐさのもののひれです。



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