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三十六話 貞享三年(1686年) 其の七

 翌日は宿で朝食をとると直ぐに船で山崎へと渡り、西山の山麓沿いに西北へと向かった。山間(やまあい)の道は涼しく、友信達三人は、宿で名物だと勧められて買った小豆餅を齧りながら歩いた。


 幾つかの集落を通り過ぎ、真昼に近い頃、ようやく目当ての寺が見えてきた。別名『花の寺』と呼ばれる勝持寺は、春の花見の時期などは遠くからも見物客が大勢訪れるらしいが、今の時期は訪れる者も少ないのだろう。寺へと続く階段には他に人の姿は無く、閑散としている。

 階段の上には少しばかり色あせた、朱色の建物が見えた。


「この寺は、先の戦(応仁の乱)で全て焼け、その後再建されたのだが、あそこに見える仁王門だけは戦火を逃れたため、当時のままでね」


 階段を見上げながら、喜助が説明するのを、こひるが感心しながら聞いている。


「お父さん、詳しいですね」


賀茂役君(かものえんのきみ)縁の寺だからね。前に一度来たことがある」


 では行こうかと喜助が階段を上がりかけるが、こひるがそれを止めた。


「あの、ここで大丈夫です。これ以上お手間をとらせるわけにはいきませんし……」


 その言葉には、喜助も友信も驚いた。どちらも墓参まで付き合うつもりでいたからだ。しかし、こひるが頑なに辞退するので、結局、そこで別れることになった。

 帰りの道中を心配していた喜助も、墓参の後は近くの知り合いの家に行くから大丈夫だし、道はお寺の方に聞くからと言われ、しぶしぶだが納得していた。


 それでも心配で、いくらか歩いた所で振り返ると、こひるはまだ階段の前で友信達を見送っており、その名残惜しげな姿が気になり、数歩進んで再度振り返る。すると今度はゆっくりと階段を上っていく姿が見えた。


(もしかして、誰にも邪魔されたくなかったのかも知れない……)


 こひるが在高に対して、主従以上の想いを抱いていたのではないかと友信は考えていた。そうだとすれば、百年もの間、主の思い出と共に彷徨っていた事にも合点がいくからだ。

 そんな事を鬱々と考えながら歩く友信を気遣ったのだろう。喜助が次の集落で一休みしようと言ってきた。


 幸いその集落には小さな茶屋があり、そこで名物と書かれている茄子田楽と茶を頼む。それらを腹に納め、喉を潤す間、喜助は何も言わず聞くことも無かった。その事が友信としては、ありがたかった。


 やがて再び歩き出したが、その頃には既に真昼は過ぎており、陽射しはじりじりと照り付けていた。しかし土御門家の屋敷のある八条までは、まだかなりの道のりを歩かなければならない。そこからは二人、黙々と歩き続けた。おかげで、夕の七つには土御門家の屋敷前に着くことができた。


「では、ここで失礼します」


「あぁ、ご苦労だった」


 喜助はこの後は馴染みの宿に泊まり、明朝早くに帰路につくという。その後ろ姿を(しば)し見送った友信は、顔見知りの門番に頭を下げると、一人、門をくぐった。


 久しぶりに自室に戻った途端に友信は、昨日の朝までいた屋敷の部屋との違いに溜め息が出た。しかし。


『色々ありがとう、友さん。近いうちに、必ず会いに行きます』


 別れ際に耳許で囁かれた言葉を思い出し、こひるの主になれるかもという希望が、心を軽くしていく。


(それに、もし神使持ちになれたら、少なくとも修習生並みには扱ってもらえるはず……)


 修習生の部屋は二間四方あり、しかも箪笥まで在ると聞いている。おまけに数人と共有ではあるが、下男がつくので、ちょっとした雑用等は自分でせずに済むようになるのだ。

 今より広い部屋に、良い待遇。そして何より印付きの神使持ちとなった自分を想像するだけで、友信の心は浮き立った。




 しかし二、三日もすると、友信はだんだん落ち着かなくなってきて、五日も過ぎるとそわそわと、屋敷の門の方を伺うようになり、十日目には、いっそ明日にでも自身で伏見稲荷に行こうかと思い始めていた。


(いや、そんな事をしたら、こひるを信じていないと思われる。ここは、信じて待たないと!)


 そう思い留まり、さらに二日たった日の夕刻。じれじれとしながら待っていた友信に、庭師の一人がこひると名乗る女人が尋ねて来ていると伝えてきた。


 修習生候補を尋ねてきた者程度では、屋敷の中に通される事はなく、門の外で待たされるのが常だ。走り急いで屋敷の門を出ると、直ぐの場所でこひるが立っていた。


 友信を見ると笑顔を見せ、ペコリと頭を下げる。


「御忙しいのに申し訳ありません、友信さま。おかげさまで、阿古町様にお目通りがかないました。前の名は、返せるそうです。もう暫く先の話になりますが、宜しければ、新たな名を考えて頂けますか?」


 友信は、嬉しげに話すこひるの手を握ったまま、喜びのあまり言葉が出ずにいた。ただひたすらにウンウンと頷くしか出来ないまま、話を聞く。

 こひるの説明によると、俗世の穢れを落とすために、幾月か仙界へと行かなくてはならないという。


「暫くかかると思いますが、お待ちいただけますか?」


 少し心配そうに尋ねられた友信は、


「勿論だ!」


 満面の笑みでこたえた。




 ◇*◇*◇*◇*◇*◇*




 師走


 年の瀬ともなると、ただでさえ毎年物騒な事件が増えるというのに、今年は更に二条城の池の鯉が一晩で消えたり、貴船神社に奉納が決まっていた馬が盗まれたりと、奇っ怪な事件が相次いで起きていた。

 その為、年越しの大祓いの儀式は盛大に執り行うべしとの方針が示され、土御門家はその準備に追われていた。


 今回の大祓は、年中行事を行うための御三間おみまではなく、紫宸殿前の南庭で行われるため、参加する者の数も多く、儀式に用いる人形(ひとがた)を用意するだけでも大変だという。


 もっもと、香菜姫やその周りの者達にはそれよりも、母・智乃の体調の方が気がかりだった。当人は大丈夫だと笑うものの、ここ一月ほどは横になっている事が多い上に、やたらと雷の音が聞こえていたからだ。


(寒さが堪えておられるのでは、なかろうか?)


 その為、朝晩に安産祈願の祝詞を唱えるのが、最近の姫の日課となっていたのだが、それは姫に新たな気付きをもたらす事となった。


「……母の身も (やま)しき事なく 嬰児(をさご)も (なやま)しき事なく 諸共(もろとも)に すべからく 麗しく 日立(ひた)ち行きて 事なく (さか)へあらしめ給へと (かしこ)み恐み (もう)す」


(日々唱えることで、神々にお近づきとなり、言葉に思いを込めることによって、言霊としての力を発揮する。祝詞に想いを込めるというのは、こういう事なのかもしれんの……)




  ***




 友信は懐の書き付けを何度も取り出しては、眺めるという事を繰り返していた。その度に、頬が緩む。

 それは昨日使いで出掛けた下女が、屋敷の前で預かったと言って持ってきた物だ。


──幸徳井 友信様へ

  五日後の大晦日の暮れ六つに、お尋ねしたく候

                 こひる ──


 ただそれだけが書かれた物だが、友信にしてみれば、(ようや)くこひるに会える喜びと、神使持ちになれるという希望を象徴する、宝のような文だった。


 そして、大晦日。


 朝のうちから多くの陰陽師が大祓(おおはらえ)の儀式のために出払った為だろう。土御門家の屋敷はいつになく静かだと、友信は感じていた。

 もっとも使用人達は新年を迎えるための準備に忙しくしているのだが、修習生候補達の部屋周りにはさしたる用も無い為、人の出入りは殆んど無く、静かなものだった。


 自室をいつも以上に片付けた友信は、何もする事が無くなったため、昼を過ぎた時点でそわそわと落ち着かなくなっていた。

 修習生候補を監督している陰陽師には、前もって知人が尋ねて来る事と、己の部屋に通したい旨を伝え、すでに許可を取り付けてある。


 じっとしていると時間が経つのが遅く感じられ、落ち着き無く立ったり座ったりを繰り返す。七つを過ぎると、もうじっとしておられず、小雪が舞う中を門の外に出て、屋敷の外をぐるぐると歩き出したが、それでも約束の時間には、中々ならないでいた。


 ようやく暮れ六つの鐘がなり、門の前でやはりソワソワしながら待っていると、こひるが早足でこちらに向かってくるのが見えた。友信を見つけると満面の笑みで駆け寄る。


「友信さま!阿古町様からお許しが出ました。松の内が明けたら、名付けの儀式をしても良いとの事です」


「本当か!では、俺はこひるの主になれるのだな!」


「はい。それで、前の名を返す儀式もしなければならないので、その事でお話しがしたいのですが、あの、お屋敷にお邪魔しても大丈夫でしょうか?」


「あぁ、大丈夫だ。許可は取ってある。こっちだ」


 手招きしてこひるについて来るよう言い、通用門をくぐる。三歩ほど歩いた時に、後ろから声が聞こえた。


「あぁ、やっと入れた…………」


 それはひどくしゃがれた声だった。


(えっ?)


 驚いて振り向いた友信が見たものは、毛むくじゃらの指から伸びた長く鋭い爪だった。今にも友信の左目を突き刺さんばかりの()()の後ろに、笑顔のこひるが見える。


 何が起きたのか判らないものの、身体の芯が一気に冷えていく。心の臓が掴まれたように痛く脈打ち、冷や汗が止まらない。


(…なに…が…)


 判ったのは、今、目の前にいるのは、友信の知るこひるとは別の【何か】だという事だけだった。しかしそれ以上は恐怖と驚きで頭が働かない。ただ全身が震え、自分がとんでもない間違いを犯したのではないかという自問だけが押し寄せていた。


 こひるの顔をした【何か】がニタリと笑い、そこから耳障りなしゃがれ声が出てくる。


「小僧、招き入れてくれた事には、礼を言うぞ。だが困ったことに、どうやら他にも結界があるようだ。今すぐ喰うてやりたい所だが、もう少し案内してもらおうか」


(ちが…う……)


 そこでようやく、震えながらも声が出た。


「こ、こひるは…こひるを、どうした……」


「あの憐れな狐か?あれなら……わしが喰ろうた」


 その言葉の意味を友信が理解するより先に、【何か】は指の位置を少し下げて、


 ぷつり


 友信の頬を突き刺した。


「いぎっ!」


 痛みと共に、更に恐怖が友信を襲う。なんとか引き抜こうと両手で指を掴むが、びくともしない。


 しかも【何か】は面白そうに。そのままグリグリと指を押し付けて来た。傷口が焼けるように痛むと共に、先程の言葉が頭の中で繰り返される。


  『わしが喰ろうた』


 胸が潰れんばかりに痛く、涙が滲む。


「食…べた……?こひ…るを?そ…んな…」


 愕然とする友信を見て、【何か】はクックッと笑う。


「そうだ、喰ろうた。クックッ、だが……」


 笑い声が更に楽しげに、大きくなる。


「それは五十年以上も前の話だ」


(えっ…………)


 その言葉に友信の頭の中の全てが消し飛び、思考が止まった。その呆けた顔を【何か】は面白そうに眺めながら、


()()をわしが見つけた時は、死人を生き返らそうと目論み、その器にする者を見繕うために、人の世を彷徨っておった。神使としての力を失い、わずかな妖力を得るために蛇を食ろうてな」


 そう語る【何か】の額から頭にかけて、メリメリと音を立てて二つに裂けていき、毛むくじゃらの物が顔を出す。

 大きさの違う八つの目が、それぞれ勝手にギョロギョロとうごき、牙のある口がカシャカシャと嫌な音を立てる。


(蜘蛛…の、化け…物…)


 友信の頬に突き刺さっていた指が引き抜かれ、頬と両の掌から血が吹き出し、支えを失った身体は、その場に倒れ込んだ。


「だから、わしが喰ろうてやったのだ。しかし、思った以上に主への想いが強かったようで、あの地に長い時間、縛りつけられるはめになった。だが上手い具合にお前が現れたおかげで出ることが(かのう)た上に、こうして馳走のある場所へ入り込めたわ」


 こひるの顔が剥がれ落ち、肩を引き裂き、乳房や腹を突き破るようにして、毛むくじゃらの足が何本も出て来る。


「なら、こひるは……」


「おらん。最初からずっと、お前の前にいたのは、あれの記憶と皮を被ったわしだ。最初は旅の途中でお前達を喰らおうと思うたが、更に良い餌があると判ったのでな。ならばそれを食らうまでは、生かしておこうと思うたまでよ」


「…餌……」


「土御門の赤子だ。小僧、お前には、そこまで案内してもらうぞ」


ちょっと前から名前の出ている勘解由小路 在高君も、実在の人物です。土御門有春の四男の彼は、本来跡取りである賀茂在昌(キリシタン陰陽師として有名)が出奔しゅっぽんしたため、その代わりとなるべく13歳で勘解由小路家に養子に入りますが、わずか23歳で夭折ようせいしてしまいます。


また今回登場した蜘蛛の化け物は、江戸前期に出版された仮名草子・宿直草トノイグサに書かれている絡新婦じょろうぐもと、奈良に伝わる蜘蛛の怪異(御所市や、月ヶ瀬村の女郎ヶ淵)、歌舞伎の演目である『土蜘蛛』等を参考としています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 先生、こんにちは。 わぁっ、めちゃくちゃコワいです~っ! (こひるさん、かわいそう。 心の全て存在の全てで捧げていた信愛が悲しみで狂い高じた末の妄執が 怖くもあり哀れで悲しくもあり…) …
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