三十五話 貞享三年(1686年) 其の六
二日後、明けの六つ。
手甲に脚絆、菅笠という町人風の旅装束に身を包んだ友信が、同じような旅装束の下男と共に屋敷の門を出ると、約束通りこひるが待っていた。今日は濃緑の袖頭巾をかぶり、手甲と脚絆をつけ、小さな風呂敷包みを背負っている。
下男には偶然知り合った女人が京に墓参に行くというので、同行することになったと前もって説明してある。
この下男は喜助という名で、友信が近場を旅する際は常に付き従っている。もっとも、年若い友信が供を従えての旅は何かと物騒なため、その間は親子のふりをする事にしていた。
なので、その事をこひるにも説明し、旅の間、友信の姉という扱いになることを了承してもらう。
「では、旅の間は『姉さん』と呼ばれるのですね!なら、私は『お父さん』に、『友さん』と呼びますね」
こひるは嬉しそうに言うと、お父さん、友さん、お父さん、友さんと何度も小さく繰り返す。そして。
「よし、大丈夫。覚えました!では、友さんも『姉さん』と呼んでみてください」
「えっ、あ、ね、姉さん…」
「はい、友さん!」
自分で姉弟のふりをすると言ったにもかかわらず、些か照れ臭くなった友信は思わず笠で顔を隠すが、こひるは笑顔で返事を返すと、今度は喜助の方を向き、
「こひると申します。お父さん、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げる。
喜助は「こちらこそ」と頭を下げた後、墓参先を尋ねた。こひるが勝持寺だと答えると、小塩山大原院の勝持寺かと確認した後、ならば淀川を渡るのが早いでしょうと頷きながら言うと、先導するように歩き出した。
友信も昨日地図を調べていた為、先ずは大和街道を京へと向かい、途中からそれて木津川沿いの道を行くのだと判った。その後、船で山崎へと渡り、寺を目指すのだ。
天気は快晴で、おそらく日中は暑くなりそうだが、まだ朝早いのと街道沿いの並木のお陰で風が心地よい。喜助から少し遅れる様にして歩くことで、友信とこひるは心置きなく話が出来た。
友信は四年前の父の突然の死から始まった己の不運や、次期当主であるのに普通の修習生候補として扱われる不満を口にしたが、こひるはその全てに同情を寄せ、友信の不遇を嘆いてくれた。それは香菜姫に対する腹立ちを言葉にした時も同じで、
「陰陽師にもなれなぬのに、神使を賜った姫がいるんだ。しかも、それを見せびらかすように屋敷内を連れ歩いていいて…」
「そんな……神使は愛玩物ではないのに。本当にそのような姫が?」
同調する言葉に背を押され、言葉は留まる事なく溢れていく。
「あぁ。それどころか神使に芸をさせ、それを侍女達と見物していた。あのような者でも土御門の者というだけで神使を賜れるのだと思うと、悔しくて……」
「そんな事になっているのですか……昔は陰陽師になる為に熱心に学ばれる若様だけが、神使の主となっておりましたのに。あぁ、もしかして現御当主のお子は、その姫様だけなのでしょうか?」
だから、そんな方でも賜れたのだと推察をするこひるに、友信は首を横に振る。
「兄と弟がいる。しかも、来年になればさらに兄弟が増えると聞いている」
その言葉にこひるは驚き、目を見張った。
「では、既に三人のお子がおられるのに、その姫様だけが神使を賜ったということですか?」
「いや、次期当主となる兄も去年賜っている。まぁ、そちらは色持ちだが。どうやら姫は、葛の葉様のお気に入りのようだから……」
「あぁ、なるほど……」
おそらく、それで納得したのだろう。そこからは、こひるは話題を反らすように、自分の神使としての経験談を話し始めた。仙界での修行や、名付けの儀式、そして主であった在高についてだ。
特に在高の話になると、こひるは声に熱がこもり饒舌になった。
こひる達が名を授かったのは、在高が十歳の時だという。
「在高様、その頃はまだ福寿丸様と仰いましたが、幼いながらも立派な主さまでした」
当時を思い出したのだろう。うっとりとした顔をするのを見て、友信は胸の奥がチリチリと痛んだ。それでも楽しそうな話の腰を折る気にはならず、先を則す。
「十三歳で勘解由小路家に御養子に入られた後は、京と大和を行き来しながら学び過ごされてました。あの頃はどちらを向いても戦ばかりでしたので、移動するのも大変だったのですよ。公家の一行だと判るようわざと大人数で、それこそ牛車まで使っての移動でしたから」
今は気楽で良いですとこひるは笑うが、それを聞いた友信は町人に扮した粗末な旅に、少しばかり気が引けてしまい、
「それは……今とは比べようもないほど、華やかだったのだろうな」
「あんな物は見た目だけです。友さん、知ってました?牛車って、直ぐにお尻が痛くなるんですよ。それに、主さまが十五歳になる頃、はやてが主さまを乗せて地を駆ける事が出来るようになったので、それからは行き来も気楽なものとなりました」
真夜中に名立たる武将の本陣の直ぐ横を駆け抜けた際、物の怪だと思われ大騒ぎになった話を楽しげにする。
「私達も時々仙界で修行を積みながら、お仕えしてました。私は主に変化術を、はやては浮遊術の修行をしていて。いずれは主さまを乗せて、空を駆けれるようになるのだと言い、主さまも楽しみだと仰ってたのですが、ある夏、急に体調を崩されて……高熱と全身の水泡の痒みに襲われたかと思ったら、あっという間でした……」
あれほど熱心に話していたこひるの顔が、悲しげに歪む。
「私達にはどうすることも出来ませんでした。神使なのに、なんの役にも立たなかったのです」
それでも何とか出来ないかと、私は必死に薬師如来様に御祈りし、はやては薬力の滝まで御水を汲みに走ったのですがと、寂しげに笑う。
「阿古町様にお願いして、仙界の薬を貰うとかは出来なかったのか?」
「神使にとって、仙界はあくまでも修行の場。ですから、薬師如来さまの教えを受けて、自ら薬の作り方を覚える事は出来ても、仙界の物を持ち出す事は許されないのです」
勿論、勘解由小路家の者達も、手を尽くしたらしい。しかし、結局助けることは出来なかったのた。
陰陽術にも傷を治したり、毒等を浄化する真言は幾つかある。実際、擦り傷程度なら、今の友信でもなんとか治せた。しかし、病に効く真言は使える者が非常に少ない。
(真言は、ただ唱えれば良いというものではない。きちんと神仏を理解し、その存在と己の神力を共鳴、親和させ、言葉に込められた御力を引き出せないと、効力がないからだ。そんな事が出来るのは、今の陰陽師の中でも、当主の 泰福様ぐらいだ)
「その後は話した通り、主さまとの思い出の地をウロウロと彷徨っていました。友さんに会うまでは」
その言葉に、初めて会った時の事を思い出す。こひるは友信と在高を間違えたのだ。それも、二人の気が似ていたからだと言っていた。そして、今も。
「友さんといると、不思議と落ち着くのです。それに、魂呼の術でお呼びしても、ここ十年以上の間、答えてもらえずにいたのは、きっと……」
些か語尾を濁すものの、切なげなこひるの顔からは、在高の生まれ変わりではないか、そうであって欲しいという希望や期待が有るように見えた。
誰かの生まれ変わり。そんな話は家の役目柄、友信も幾つか伝え聞いてはいた。しかし、今ほどそれか本当にあって欲しいと、思わずにはいられなかった。
もし自分が在高の生まれ変わりならば、こひるの新たな主として、阿古町に認め貰える可能性が高まると思ったからだ。
(そうなれば、俺は印持ちの神使の主だ。これまで俺を冷遇してきた奴等を全員、見返してやれる!)
***
旅程は順調に進み、その日は橋本で宿をとる事になった。
橋本宿は枚方宿と淀宿の間にある間の宿だが、近くに渡船場があることと、石清水八幡宮の参拝者が多く利用する事から賑やかな宿場町となっている。
遊郭などもあり、夕暮れの中、多くの客引き女達が華やかな色香を振りまいていた。
こひるは、自分は木賃宿に泊まると言い張ったが、親子連れのふりをするという約束だと友信が譲らず、結局、平旅籠で続き間のある部屋を宿とすることで落ち着いた。
夕食の後、友信は喜助に酒肴代を渡して部屋から出すと、ずっと聞きたかった事をこひるに聞く事にした。
「何度か言っていた魂呼の術とはどのような術か教えて欲しい。まさか、反魂の術のような禁術では……」
反魂の術は死んだ者を生き返らせる術で、禁術とされている。
「いえ、其れほど大仰なものではなく、ただ、冥府に居られる亡き人の魂を依り代にお呼びして、お話しするだけの術にございます。どちらかと言うと、巫女などが行う口寄せの技に近いものだと思って頂けたら……」
その言葉が友信の背を押した。ずっと抱えていた願いを口にしたのだ。
「その術を俺に使ってもらえんだろうか。父と話がしたいのだ」
しかし、こひるは悲し気に首をゆるりと振ると、
「誰にでも使って良いものではないのです。それに術を使うと、互いにかなりの神力を消耗しますし。友信様が我が主であれば問題無いのですが……」
主従の関係を結ぶと、互いの神力に親和性が生まれるため、消耗する神力が半分以下になるという。
「……どうにかして、俺が其方の主になれないだろうか?例えば主の座を引き継ぐとか……」
「私には何とも……二人のお方に仕えた者の話は聞いたことがありませんので。でも、前の主から頂いた名をお返しできれば、あるいは……」
名を授かると言うのは一種の契約であり、呪縛でもある。その為か、主を亡くした神使の半数以上が主と共に冥府へと旅立つという。そして、残った者達は稲荷神の元へと戻り、その後は新たに生まれた神使の世話や指導をしながら、静かに暮らすのだという。
「名を返すというのは、可能なのか?」
「もし、阿古町様にお目通り願えれば、お尋ね出来るのですが。もう長い間勝手をしておりますから、お会いして頂けるかどうかさえ判りません……」
「だが、返せるのかもしれないのだろう?なら、やはり伏見に行くべきだ。あそこの御山には多くの御眷属が出入りしていると聞く。もしかするとその中に、こひるに手を貸してくれる者が、いるかもしれないではないか!」
何はともあれ、出来ることは何でも試してみるべきだと言う友信の勢いに押されたのだろう。こひるは思案するように俯いていたが、やがて顔を上げると、
「そうですね。動かなければ先へは進めませんよね。ありがとうございます、友さん。お墓参りが済みましたら、御山に行きます」
意を決したらしいこひるの顔は紅潮し、その目は黄金色に輝いていた。
橋本宿は間の宿で、本来なら《宿泊できない》のですが、渡船場があることから、川が荒れて足止めされた旅人のための宿泊場所が有ったと考えられ、その前提で書いています。
また、鳥羽・伏見の戦いの際、焼失してしまいますが、その後再び遊里として再興します。それは昭和33年に売春防止法が施行されるまで続きました。今でも、京阪電鉄の橋本駅を降りてすぐの場所に当時の遊郭の建物が残っていて、その一部は旅館やカフェになっているようです。故・夏目雅子さん主演の「鬼龍院花子の生涯」のロケ地となったことでも有名です。
勝持寺は、役小角や西行法師に縁のあるお寺で、別名花の寺と呼ばれています。特に春には西行法師が植えられたという西行桜(三代目)をはじめとして多くの桜が素晴らしい景観を見せてくれます。秋の紅葉も格別です。
薬力の滝は、伏見の稲荷山の最奥にある滝で、この滝の水で薬を飲むと、薬効が一段と増して病が治ると言われています。




