閑話 ある愛の歌と、お茶会と
二十話の後半、第二騎士団長と共に牢へと向かったブラッカー侯爵のお話です。
第二騎士団長ケナード・アドキンスに案内されて、カビ臭い地下へと降り、二つの扉を抜けた先にその男達は居た。
アークライト公爵と、その隠し子。隣り合わせの牢に入れられ、同じような姿勢で寝台に腰掛けている二人は、ブラッカー侯爵の目から見ても、確かに似ていた。
この二人が……そう思うと、侯爵は今すぐこの手で片を付けたい衝動に駆られたが、それ以上に、公に裁かれ、刑を執行される方が、この男には屈辱だと思い直し、衝動を抑える。
しかし、牢の中の男は何故かほっとした顔をして、側へと寄って来た。
「おぉ、ダルネル。来てくれたのか。早速で悪いが、この場所は私には……」
(こいつは、私が何も知らないと思っているのか!?)
親しげに話しかけて来る相手に対して、新たな殺意が沸き上がって来る。それをなんとか抑え込むが、言葉を抑える事は出来なかった。鉄格子の隙間から伸ばされた手を叩き落す。
「私を名で呼ぶな、この裏切り者が! 全てお前のせいだ! お前のせいで、トリシャとアルトンは…… しかも陛下迄!」
「おい、ダルネル。何か勘違いをしているのではないか?確かに側妃様と第二王子に関しては、気の毒だとは思うが、あれは私とは無関係で……」
「では誰の仕業だと?」
「それは……あぁ、くそ! しかしあの事に関しては、私は何も関わっていないんだ!」
アークライト公爵からしてみれば、陛下や側妃達の死はあくまでも聖女が行った事であり、自分とは無関係の物だった。その為、その事でブラッカー侯爵から咎められるとは、思ってもみなかったのだ。
しかし召喚時に起きた事は、守秘契約の魔術誓約書にサインしたので、口外する事は出来ない。その為、言葉を濁し、言い訳じみたことを口にするしかなかった。
だが、その様な態度は侯爵から見ると、事実を誤魔化そうとしている様にしか、映らなかった。
「直接手を下してないから、責任は無いと言うつもりか?だが、お前が帝国と通じていたのは既に聞き及んでいる。呪詛の壺の話もだ! なのに、しらを切るとは!」
この場に来るまでの間、侯爵は第二騎士団長に、可能な範囲で良いから、判っている事を教えて欲しいと頼み、幾つかの事実を聞き出していた。それには、公爵と帝国の密約の内容も、少しだが含まれていた。
「しかも我が国を、あの卑劣な国の属国にするつもりだったとはな!そうまでして、王位が欲しかったのか?! 長年、こんな奴を友人だと思っていた自分が、情けなくて仕方がないわ!」
「だが、貴殿も言っていたではないか! あのような凡庸な王よりも、私の方が……」
「うるさい、黙れ! 確かに陛下は凡庸だったかもしれないが、それでもあの娘を大事にしてくれたんだ! それに、お前のように、領地や領民に多大な被害を与えたりもしていない! それだけではない。我が国の、どれだけ多くの民が、兵が、お前のせいで死んだのか、判っているのか!」
「それは……しかし、改革には常に犠牲というものが……」
「何が改革だ! あれはただの殺戮だ! では聞くが、なぜお前の妻や娘は今も生きているんだ? それに公爵領では摩素溜まりの被害も、殆んど無いというではないか。なのに、改革の犠牲だ?! ふざけるな!」
ブラッカー侯爵自身、自領の魔獣被害の視察に何度も足を運んでいて、その悲惨さを目の当たりにしてきたのだ。それを簡単に『改革の為の犠牲』等と言われるのは許せなかった。
一気に捲し立てた侯爵の視界に、隣の牢の男が目に入る。此方の剣幕に驚いたのか、些か怯えた顔をしているが、呪詛の壺に関しては、この男が主に関わっていたようだと、先程聞いていた。
「じき、王宮議会が開かれる。そこで貴様らと、協力者達の処遇が決まるだろう。私は絞首刑を推すから、覚悟しておくんだな」
言いながら、二つの牢の男達に射殺さんばかりの視線を向ける。
「刑が執行される日が楽しみだ。最前列で見物してやる!」
最後にそう言い置いて、その場を後にした。そして、次に向かったのは、王家の霊廟だった。その途中、ずっと気になっていたことを、侯爵は第二騎士団長に質問した。
「アドキンス隊長。聖女様は今、どこで何をされてるんだ?」
そんな事を聞かれると思っていなかったのだろう。第二騎士団長は少しばかり逡巡した後、返事を返した。
「聖女様は昨日、浄化の旅からお戻りになられたのですが、その後も城内で起きた事件や呪いの壺に対応する為に、ずっと忙しくされておりました。その為、今はお休みになられています」
「そうか……」
(あの場には、猊下もおられた…)
目と耳にした事実と情報が、侯爵の頭の中で組み立てられていく。そこに、幾分都合の良い解釈を交えて。そうして出た結論は、【最善を尽くしてくれたのかもしれない】というものだった。
聖女が、教皇が、宰相が、皆が、三人の命を救うために、最善を尽くしてくれたのだと。そう思わなければ、これから目にする事に耐えれそうに無かったからだ。
(まるで親子三人、仲良く眠っているようだ)
凍えそうなほど寒い霊廟の中で棺に横たわる娘は、それなりに年を重ねたせいで、目尻にシワがあったりするものの、昔と変わらず愛らしい顔立ちをしていた。
「葬儀までの間、氷魔法をかけてあります。なので、余り近づかれると、凍傷になられるかもしれません」
先程、見張りの兵士にそう言われたが、我慢できずに侯爵は娘の頬にそっと触れた。その固く冷たい感触が、彼に現実を突きつける。
押し潰されんばかりに痛む胸を抑え、小さく首を振りながら瞬きを繰り返す。何度も何度も。しかし、いくら瞬きしても、溢れる涙を抑えることは出来なかった。
少しばかり抜けた所があったが、それが可愛い娘だった。後継ぎの長男がいたため、少々勉強が苦手でも、気の良い娘だから、いくらでも良縁を世話してやれると思っていた。しかし、殿下の十六歳の誕生祝賀会で、娘は殿下に恋をした。まだ十二歳の時だ。
(まさか、あまり勉強させなかった事を恨まれるとは、思わなかったな…)
『シャイラ様は、四ヵ国語を話されるんですって!絵画などの芸術の造詣も深くて、自らも絵を描かれるらしいわ。それに、先だっての利き茶の会では、全て正解されたそうよっ!』
部屋に閉じ籠り、泣きながら枕やクッションを放り投げていた娘の姿を思い出し、苦笑する。
優秀な者達で周りを固めるのを良しとしていた先代王が求める基準には、トリシャは到底届かなかったからだ。
しかし、娘は諦めなかった。もしかしたらと、側妃を娶られる可能性に一縷の望みをかけ、持ち込まれる縁談を悉く断って、遅ればせながらも、必死になっていろんな勉強に取り組み出したのだ。そうして、ゆっくりと、少しずつだが知識や礼儀作法を身に着けていった。
やがて第一王子がお生まれになった後、外交で忙しくされる王妃に対して、辺境伯家の対抗勢力が側妃を立てようと画策しているという噂が出回り出した時、ならば私がと、娘は自らが名乗りを挙げた。
シャイラ様の迷惑にはならない、敵対しない、だからと言って、先代王に願い出たのだ。まさかそのような思いきった行動を取るとは思わなかったので、慌てふためいたが、結局我が子可愛さに、多額の持参金と、何枚にもわたる魔術誓約書にサインすることで、話がついた。
中には少々不本意な内容もあったが、そんな事は問題無かった。
あの日、花嫁となった娘の顔は、喜びに溢れていたのだから。不思議なことに、シャイラ様は大して反対されなかったと後から聞いた。
だが、アルトンが生まれてしばらくすると、私の耳に嫌な話が入って来るようになった。王妃がトリシャに対して、嫌がらせをしているというのだ。
心配して当人に聞いても、そんなことは無いと笑うばかりだったが、心配かけまいと、無理しているだけだと決めつけていた。
今思えばその話も、公爵の企みだったのかもしれない。おそらく奴は親切そうな顔をして、我々の間に猜疑心という毒を流し続けたのだ。
そしてすっかり毒に侵された私の言動は、やがて孫のアルトンにも影響を与えていった。気が付けば、何かと斜に構え、皮肉を口にする若者になっていたのだから。元々は素直で明るい子であったのに。全てはあの男の本性を見抜けなかった私の責任だ。
『実は王妃様の寝室へ行かれるよりも、私の所へ来られる回数の方が多いの』と、嬉しげに語っていたと妻から聞いていたのに。その言葉を信じ、その幸せを共に喜んでいれば良かったのだ。
なのに、それに嫉妬した王妃が何かを仕掛けてくるのではないかと疑ってばかりいた。あの賢明な方が、嫉妬のあまり何かする筈などないと、今なら判る。娘を思う余りに、目が曇っていたのだろう。
おそらく、聖女召喚が成功した夜も、陛下は娘の寝室に行かれたのだ。だから二人して呪いに侵されて……。
ならば、娘はある意味幸せだったのかもしれない。そう思うことにした。誰よりも愛した人と、大事な我が子と共に旅立ったのだと。そう思わないと、居た堪れなかった。
幸せだったのか……聞いても返事はない代わりに、花嫁となった日の娘の笑顔が浮かぶ。初めて抱いたアントンの小さな手が思い出される。
そして、侯爵の頭の中で一つの物語が組み上げられていった…………
それから暫くして、今回の悲劇が吟遊詩人の歌となって、王都で歌われるようになった。それは悪辣な公爵の企みで命を失った国王と側妃、そして二人を心から大事に思う王子の愛の物語だった。
歌のタイトルは『リトル・プリティ』。側妃を娶ることが決まった時に、ジェームス四世自らが花嫁へ贈った薔薇の名だ。それは中輪で愛らしいロゼット咲きの、香り柔らかなオレンジ色の薔薇だった。
そして、葬儀の当日。神殿やその周りは、この日の為に侯爵が用意した『リトル・プリティ』で溢れ返っていた。
幼い日、見つけた想いは運命の愛
苦難にまみれた道のりさえも
我は歩もう
愛しきあなたの傍らに
何時か立てるその日のために
――――中略――――
それは一人の愛しき女性
わが心の リトル・プリティ
我が身は たとえ死するとも
再び新たに 君を愛そう
――――中略――――
我が心 捧げし君
時をこえて 心に適うべく
絶えず ただ愛し続けん……
*◇*◇*◇*◇*
「いったい、なんなんです、あの歌は!」
「良い歌ではありませんか。それに、歌を聞いた女性だけでなく、男性までもが涙を流すと聞いています」
「どこが『良い歌』ですか!あれでは、まるで王妃様が陛下に愛されていなかったように聞こえます!」
葬儀と戴冠式を無事終わらせた翌日。シャイラはここ二週間、多忙を極めた宰相を労うためにお茶に招待したのだが、当の客人は憮然とした顔でお茶を飲んでいた。その様子に、思わず苦笑する。
長年の友であるオルドリッジは、昔から彼女に対して少々過保護気味だったが、まさかこの年になってもこのように扱われるとは、思っていなかったのだ。
(まぁ、わたくしは四人の中で、唯一の女の子でしたから……)
「陛下の想いは、わたくしが一番よく判っています。それほど腹を立てる事ではありませんよ、レン」
周りに居るのが気心の知れた者ばかりという事もあり、つい、昔の愛称で呼び掛けると、堅物宰相は黙り込んでしまう。
確かに歌の詩には、『唯一の愛』だとか、『我が心 捧げし君』などとあるため、そのように捉える者も多いかもしれないが。
「それにしても侯爵があれほどロマンチストだとは思いませんでした。歌のほとんどは、彼が書いたと聞いています」
「妄想の産物でしょう、あれは」
「でも、それで侯爵のお気持ちが休まるならばよいではありませんか。娘と孫を一度に亡くされたのです。嘆き悲しむ気持ちを、あのような形で折り合いを付けられたのでしょう」
「しかし、限度というものが…」
「それにトリシャの想いは、シャルレイ様とは違い、本物でしたから」
(そう、最高の地位が欲しいというだけで、王太子妃になろうとしたバムフォード公爵未亡人とは違い、あの側妃は少しばかり思慮が足らない所はあったものの、心から陛下を愛していた。なにより幼いあの子が恋に落ち、その次の瞬間、失恋に失望するさまを、わたくしは目の当たりにしたのだから……)
王太子の十六歳の成人を祝う祝宴で、初めて王宮を訪れた少女は、殿下に拝謁した途端に頬をバラ色に染め、次の瞬間隣にいるシャイラの存在に気づき、絶望で真っ青になったのだから。それは見ている方が心苦しくなるほど、哀れなものだった。
しかし、その想いは幼い憧れ等ではなく、本物だったのだ。その後、結局何年もかかったが、彼女は思いを遂げたのだから。陛下もまた、それほど迄に慕われて、悪い気がする筈もなく。
「だから、反対されなかったのですか?彼女を側妃にと侯爵がごり押ししたときに」
その質問には答えずに、緩かに笑う。
シャイラとジェームズは、どちらかというと国を思う同志のような間柄だったため、家族としての情愛はあったものの、それが男女の情熱的な物からは少し離れているという事は、シャイラ自身、自覚していた。
そのため、いずれは側妃か愛妾を迎える必要を感じていたのだが、それをこの友に話す必要は無いと思っている。夫婦の秘め事は、あくまでも夫婦のものだからだ。
「しかも、聖女と教皇が二人の愛を認め、来世での成就を女神に願うだなんて、どっから持ってきた話です?おまけにアルトン王子も二人の子として新たな生を受けるだなんて。女神の聖典にも、そのような話はありませんよ」
苦虫を噛み潰したような顔で、ぼやく友を眺めながら、少なくとも、わたくしの胃痛の原因は無くなったのだから良いではありませんかと笑って見せる。
(そう、喪った者を悼むのは、残された者の権利だ。それに多くの者がそれを望んだとしたら、慈悲深い女神は、その願いを叶えてくれるかもしれない)
いつか平穏な空の下、幸せな家族が暮らす様を思い浮かべながら、王妃は小さな菓子を一つ摘まんで、口に入れた。
ロゼット咲きの薔薇とは、花を横から見た時に平たく、花の中心から花びらが徐々に大きくなりながら放射線状に配列された様に咲く薔薇で、花弁がぎっしりと詰まっていて大変華やかなものになります。
今回で第一章終了となります。次回から第二章として、香菜姫の子供時代(八歳)から召喚される少し前迄のお話に入ります。
引き続きお付き合い下されば、ありがたく思います。
今回の話を書いていて、私には吟遊詩人の才は欠片もない事が判明……どうやっても書けず、中略で誤魔化してしまいました。




