二十八話
バタバタと人が動き回る中、先程の部屋に戻った香菜姫達が、事の顛末を知る事が出来たのは、それから一刻以上たってからだった。
医師の診察を受けた結果、かすり傷一つ無いと云うことで戻ったクラレンス翁と共に、出されたお茶と菓子も食べ終わり、些か手持ち無沙汰に感じ始めた時に、部屋に入って来たのは、アシュトンだった。
「この度は、誠に申し訳ありませんでした」
部屋に入る早々、翁と姫に深々と頭を下げた彼は、大体の事は判ったものの、伯爵はまだ事後処理があるため来られないので、代わりに自分が説明しますと言って、話し始めた。
「まず、聖獣様とクラレンス殿が見つけられた庭の罠ですが、あれはブラインが、聖女様の聖獣様を手にいれようと企み、庭師に命じて仕掛けさせた物でした。ただ、なんのために仕掛けるのか説明が無かったため、庭師は害獣用の罠だと思い、普段通りに罠の餌に少量の『鼠殺し』を振りかけたため、聖獣様のおっしゃった砒石に似た臭いがしたのだと判りました」
そう言って小さな袋を取り出し、見せた。それは雑貨屋等で普通に買える安価な殺鼠剤で、農家や庭師なら、誰でも所持している物だと言う。
「なので庭師は咎め無しとして、既に職務に戻っています。ただ、罠は早々に片付けるよう、言ってあります」
そこで言葉を止めたアシュトンは、手ずからお茶を入れると、一気に飲み干した。そして、溜め息を一つつくと、続きを話し出した。
「そして、ベルネッタは、そんなブラインの計画を知った上で、ブラインから聖獣様を横取りし、聖女様に恩を売ろうと考えていた事が、判りました」
すみませんと、再び頭を下げる。
「あと、ベルネッタの持っていた薬ですが、こちらはあの娘の乳母から渡された物だと言うので、乳母から話を聞くと同時に、その部屋を調べた所……」
そこで一旦言葉を止め、嫌な事を思い出した様な顔をするも、
「『未亡人の毒』と呼ばれる毒物の入った瓶が出てきました。恐らく、それが父や私達が飲まされていた毒だと思われます」
「それは、どのような物じゃ?」
姫の質問に、翁が答えた。
「三十年ほど前に流行った化粧水でして、当時は肌が白くなるという謳い文句で売りに出されていました。しかし、それには毒となる成分が含まれていて、それを悪用して邪魔な夫を殺害する夫人が次々と出てきた為、『未亡人の毒』と呼ばれるようになったのですよ。もっとも、直ぐに販売どころか、作ることさえ禁じられたのですが」
「しかし、それが出てきたと?」
「はい。しかも、それだけではなく、怪しげな薬が何種類も……」
「ほぅ。して、乳母は何と申しておるのじゃ?」
「最初は全て自分が使うための物で、害の無い物だとしらを切っていましたが、少しばかり父が脅すと直ぐに白状しました。ただ、父を殺害するつもりなど、一切無かったと言い張っては、います」
「殺す気は無いが、毒を盛っていたと申すのか」
「そうです。父が怪我を負ったことで義母が酷く心を痛めた為、討伐に出られないようにしていただけだと。それに、我々に飲ませたのも、王宮の公式行事に出たいというベルネッタの願いを叶えてあげたかっただけで他意は無かったと。我々の体調が悪くなれば、必然的に夫人や双子達に出席の役目が回って来ると思ったのだと……」
俯きながら絞り出すように話すアシュトンの両の手は固く握られ、微かに震えていた。それは、怒りによるものなのか、毒殺されかかったという恐怖によるものなのかは、はたから見る分には判らない。
「それで、貴公はそれを信じるのか?」
バーリーの質問に、アシュトンは首を横に振る。
「そんな戯言、信じられません。特に、あの『眠り薬』の効果を見た後では……」
(ほう、試したのか。いったい誰に?)
そう思ったものの、香菜姫はあえて聞くことはなかった。そもそも、オーズリー伯爵家が乳母や夫人達の処罰をどうするかは、姫には与り知らぬ事だ。
しかも、双子は二度と王都に出ることは無いと、カラハン自らが誓約書に署名した物を渡されたため、香菜姫としてはそれ以上、とやかく言うつもりも無かった。
それにクラレンス翁が、自分はかすり傷一つ負っていないから、あえて訴えることはしないと言ったため、それ以上は関わる必要もない。なので翌朝、早々に発つ事にした。
ただ、なんとなく釈然としない思いが、姫の中に残っていたのだろう。カラハンに依頼された魔素溜まりを一つ浄化する際、いつもよりも盛大な炎が舞い上がっていた。
*◇*◇*◇*
「聖女の狐が欲しかったんだ。あれが手に入れば俺は国で唯一の空を駆ける騎士になれるから……」
何故クラレンス殿に剣を向けたのか。そう尋ねたカラハンの質問に対するブラインの答えは、あまりに幼く、独善的なものだった。額に手を当て、カラハンはため息をつくが、そんな父の姿はおそらく見えていないのだろう。顔を上げることなく、ぽつり、ぽつりと呟くようにブラインは話しを続けた。
「庭師に狐用の罠を仕掛けさせたけど、上手くかかるか心配だったんだ。だから庭に潜んで様子を伺っていたら、上手い具合に年寄りと狐だけが庭に出て来て……あれなら簡単に奪えるって思った。それで……」
その結果、返り討ちにあったのだと項垂れて説明する息子は、包帯を巻いた利き手を首から下げた布で吊った状態で、椅子に腰かけていた。
「あれは、あの狐の聖獣様は、お前ごときがどうこう出来る相手ではない。そんな事さえ判らなかったのか?」
「……俺は特別だから、獣の一匹ぐらい、簡単に制御出来ると思って……」
「お前の何が特別なんだ?」
「皆、言ってた。俺には特別な剣の才能があるって。兄上が推薦状を書いてくれないのは、俺の才能を嫉んで、邪魔をするためだろうって。だから……」
その言葉に、カラハンは幾つ目か判らない溜め息をついた。寡黙な長子は、あまり自分の事は語らない為か、あらぬ誤解を招く事がしばしば有るのは判っていたが、まさか兄弟の間でこのような齟齬があるとは思っていなかったのだ。
「アシュトンは今のお前の歳の時に、騎士団の入団試験を受けて、上位の成績で合格している。ただし、入団はしなかったがな」
「えっ」
父の言葉に、ブラインが驚いて顔をあげる。
「あれは将来の伯爵として、領地の経営や領兵の統率等、学ぶべき事が山ほどある。だから入団はしなかったんだ。その兄の目から見て推薦状など書けるレベルでは無かった。それだけの事だったというのに」
「…そんな、言ってくれれば…」
「何度も言っていたと思うぞ。入団試験を受けろと」
「そうではなくて、兄上が入団試験に合格していた事を、です。そうすれば……」
「おそらくだが、お前が落ちた時の事を考えると、言いづらかったのだろう」
そう言って部屋を出ていく父の背を見ながら、ブラインは茫然としていた。
『ガッチャン』。部屋の外から鍵が掛けられる音がする。
(…俺は、試験に落ちると思われていたんだ…)
ブラインは、幼いころからずっと騎士になりたいと思っていた。ただ、木剣によるつまらない反復練習や体力づくりよりも、真剣による打ち合いの方が楽しかったし、自分に合っていると思っていたため、父がつけてくれた教師を辞めさせ、母の実家の推薦する教師に替えた。一年半程前のことだ。
それからは自分でも驚くほど上達したと思っていた。それに領兵達との模擬試合でも、ここ一年は負けた事が無かったから、後は推薦状さえ書いてもらえれば、騎士になれると信じていたのだ。だけど。
父の言葉から、兄の目から見れば、己の実力は到底受かるレベルでは無いと思われていた事を知り、ブラインは吊るした手を眺める。薬を飲んだせいか、今はさほど痛みはない。しかし。
『剣は諦めて下さい』。それが治療を終えた医者の第一声だった。『傷が癒えれば、日常生活は支障なく送れると思います。しかし剣を振り回すのは、おそらく無理だと……』。何度も何度も頭の中で繰り返されるその言葉を、ブラインは理解できても、一向に受け入れることが出来ずにいた。
螺旋階段を落ちていくように、思考が下へと下へと渦を巻くように落ちていく。
(俺はこれからどうしたらいいんだ?…どうしたら…どうしたら……どうしたら………)
***
「夢を見ることは、悪い事ですか?」
ベルネッタから、庭に居た理由を聞いたカラハンが、ため息をついていると、そんな質問を投げかけられた。
「夢だと?」
「素敵な王子様に見初められる。そんな夢です。それが悪い事だとは、私には思えません。こんな、こんなひどい罰を受けるほど、悪い事だとは……」
ベッドに座って上掛けを掴み、ポタポタと涙を落としながらも、納得いかない表情をした娘の顔の真ん中には、添え木と大きなガーゼがあてがわれ、それらが動かないよう、包帯が巻かれている。
『鼻の骨が折れています。一応矯正しましたが、僅かですが曲がってしまうかと。それと、折れた部分が少し太くなると思われます』。処置を終えた医師の言葉に、ベルネッタの顔は蒼白になった。
妻のミラベルからは、女性の顔の怪我なのだから、せめてベルネッタだけでも神官様をと言われたが、カラハンがそれを認めなかったのだ。
そもそも、その見た目の良さを鼻にかけ、良からぬ事を企んだ結果なのだから、当然の話だ。しかも、双子の兄が罪を犯すのを止めるどころか、それを利用しようとした分、質が悪いと思えた。
「そもそも、あの聖女が最初に、きちんと私の事を評価さえ、していたら…」
そう呟く娘に、
「評価も何も、お前は何一つ成し遂げてはおらんだろうが!」
カラハンは語気が荒くなるのを止める事が出来なかった。
「確かに、夢を見る事自体を悪い事とは言わない。だが、お前はその夢を叶える為の努力を何かしたのか?心優しい令嬢?孤児院での奉仕活動を嫌うお前のどこが優しいんだ?慈善病院への慰問に、一度でも行ったか?」
「だって、そんな事はお姉さまが……」
「そうだ!お前は自分が面倒で嫌なことは全てオードラに押し付けていた。そうやって、自分では何一つ成し遂げていないくせに、いったいお前の何を評価しろというんだ?しかも、自分の兄が罪を犯すのを止めないばかりか、利用しようとした。世間では、そんな女を悪女と呼ぶんだ!」
ベルネッタは、父の剣幕とぶつけられた言葉に蒼白になるが、カラハンの言葉は止まらなかった。
「おまけに、いったい何時、私がつけた家庭教師を辞めさせて、あのご機嫌取りを雇ったんだ?下らない流行りや、噂話など身につけても、役には立たないとなぜ判らない?言っておくが、何一つ自分を磨く努力もせず、ただ楽をして手に入れられるほど、夢とは容易いものではない!」
そこまで一気に言ったカラハンは、乱れた呼吸が整うと部屋を出て行こうとしたが、
「お前は、お前達は、自分自身の手で、己の夢を叩き壊したのだと、いい加減気付きなさい」
最後に、そう言い捨てた。
***
「旦那様、これは何かの間違いです。今すぐここから出して下さい!」
牢の中で懇願する老女は、18年前に後妻であるミラベルが連れて来た侍女の一人だった。
元々はミラベルの実家である伯爵家のハウスメイドの一人だったらしい。だが、彼女は親族に薬師が居る事もあり、簡単な薬や化粧品の調合程度なら出来たため、婚姻の際にミラベル付きの侍女に抜擢され、後に双子の乳母となったのだ。
後から生まれた双子を何かと優遇するのは些か問題だとは思っていたが、妻には忠実に仕えているし、双子もなついていた為、ある程度は許していたのだが、それが間違いだったと、カラハンは痛切に感じていた。
「何が間違いだと?お前の部屋からは、この様な物が出てきたというのに」
傍の机には乳母の部屋から押収された薬瓶の数々が並んでいた。その中には『未亡人の毒』と呼ばれる水薬が五本含まれている。それが『鼠殺し』と似た成分の物だという事は、試薬を使って検査した医師の証言で、既に明らかになっていた。
しかしそれらを見ても、乳母はしらを切り通そうとしてきた。全て己の使っている物で、薬師の親族が送ってくれた害の無い物ばかりだと。その態度に憤りを感じたカラハンは、
「ならば、この薬を試してみよう。お前はこれを『眠り薬』だと言って娘に渡したらしいが、聖女様に言わせれば、とんでもない物だそうだ。これを使って眠らせれば、たとえ腕を切り落とされても気づかずにいるらしい。だから、まずはお前の右手で試してみよう。手を切り落としたときに、お前が痛みで叫んだら、今の言葉を信じてやる」
そう言って、顔と鼻を布で覆った状態で横で待機していた兵士に命じて、眠り薬の入った瓶の蓋を開けさせ、それを風魔法を使って牢の中の乳母の鼻先へと持って行った。慌てて鼻と口を抑えながら、必死で逃れようとする乳母を見て、あざ笑う。
「何を逃げている。ただの眠り薬なのだろう?」
「申し訳ありません!話します、話しますから、これを早くどこかへ!」
床に俯せになり、必死に薬を吸い込まないようにしながら、震え叫ぶ乳母の様子に、やはりと思いながらも瓶を手元に引き寄せ、兵士に蓋を閉めさせた。
その後乳母は堰を切ったように話始めたが、すべてが己の保身のための言い訳が付いて回っていた。
奥様がご心配なさるから、旦那様が討伐に行くことが無いように、だの、ほんの少しを時々だとか、挙句に、何とかお嬢様の願いを叶えて差し上げたくて云々。
よしんば、それが本当だとしても、カラハンには、そこに『あわよくば』が潜んでいるように思えてならなかった。
『あわよくば』領主に代わって討伐に出た長男が命を落とすかも。『あわよくば』その直後に前から体調が悪かった領主も、この世を去るかも。そんな『あわよくば』が、ちらついて仕方がないのだ。
そこに妻の実家の思惑が絡んでいる可能性までは、判らないが、此れは今すぐに処分しなければならない。そう判断した。変な横槍が入るのが煩わしかったので、直ぐに刑を執行することにした。
ついでに『眠り薬』の効果も調べようと思い、先程の脅しを実行したのだが、結果は、聖女の言った通りだった。昏倒した老女は、腕を切り落とされても、心臓を突き刺されても、びくりとも動かなかったのだ。
(もし、これを自分やアシュトンに使われたら……)
そう思うとゾッとしたが、それはアシュトンも同じだったようで、その顔は蒼白になっていた。全ての薬は厳重に保管することになった。
次にカラハンが決めたのは、ミラベルとの離縁と、双子を貴族籍から外す事だった。
離縁の手続きに必要な書類を、急ぎそろえていく。貴族の離婚はかなり面倒だが、もう一緒に生活するのは、耐えられなかった。妻が、乳母のしていた事に気付かなかったとは、カラハンには到底信じられなかったからだ。
ただ、ブラインとベルネッタに関しては、さすがに平民としてそのまま放り出すというわけにもいかず、結局、この二年間、己が何もしてこなかったという事もあり、離婚と同時に爵位をアシュトンに譲り、自らは隠居して三人で領地の隅にある別邸で暮らすことにした。
そこで、この二年間、父として出来なかった事に取り組もうと決めたのだ。
「まだ遅くなければいいが…」
二年ぶりに体調が良くなった途端に、忙しくなった領主は、そう独り言ちた。
『未亡人の毒』は17世紀に北部イタリアで使用されていた化粧水『トファナ水(亜ヒ酸を含む)』(ジュリア・トファナが製造販売《諸説在り》)をモデルとしています。この化粧水は遅延性の毒だったので、毒殺が成功しても病死に見せかけることが出来る為、不幸な結婚をした夫人や、夫を邪魔に思う夫人が若い恋人や旦那に飲ませたと言われています。また、遺産相続を待ちきれない子孫が親族を殺すのに使用したので、「相続薬」というあだ名も付いていたそうです。




