二十五話
翌朝、朝食後に香菜姫達が出発の準備をしていると、エジャートンが部下を伴い、挨拶に来た。
「早朝のお忙しい所を、お邪魔いたします。討伐隊と聖女様におかれましては、この度のご尽力及び物資の援助、真にありがたく、再度お礼申し上げます。出来ますれば、数日後に行われる式典の後、愚弟共々拝謁を賜りたく、お願いに参りました」
「ほう。エジャートンには、弟がおるか」
「はい。生憎と弟・デラノは今、式典出席の準備や残務に追われている為、ご挨拶も出来ずにおり、申し訳無く思います」
「構わん。それ故の妾達の派兵じゃ。では、兄弟揃って会えるのを楽しみにしておこうぞ」
そう言って拝謁を了承した姫に、ヘンリーが声をかけてきた。
「聖女様、準備が整いました!」
「あい、判った。今参る。では、また会おうぞ!」
礼の姿勢をとり、深々と頭を下げるエジャートン達に見送られ、姫達はキャラダイン領へと向かった。
エジャートン領からキャラダイン辺境伯の領地までは、一時ほどで到着した。
その間、目についた魔素溜まりは幾つか在ったが、実際に香菜姫達が浄化したのは、近くに村や町のある三ヵ所だけで、残りは帰りに浄化するか、若しくは辺境伯家に任せるつもりで進んでいく。
さすがに国境が近いせいか、見たところ、この辺りは全ての街が大きさの違いはあるものの、防御壁を備えていた。しかも防御壁の中には、さほど大きくは無いが畑や牧草地があり、ある程度の作物は非常時でも確保出来ているように見えた。
(まるで、籠城に備えた城のようじゃの。国境近くに住む者の、長年の経験からの知恵かの。シャイラの兄に会うたら、きいてみようぞ)
もうじき領都という所で、ちょうど辺境伯家の兵達が魔素溜まりを取り囲むようにして、魔法を展開している場に出くわした姫は、此方の浄化を見た事が無かった事もあり、そのまま上空からその様子を眺める事にした。
直ぐ側に周王も止まり、ヘンリーが状況を解説してくれる。
「あの白いローブの者が、浄化の魔術の使える者です。しかし、あの者が後ろに控えているという事は、魔素溜まり全体を浄化するのでは無いのかもしれません」
その言葉に頷き見ていると、風が巻き起こり、魔素が吹き上げられる中、今度は中心部めがけて放たれた魔術が土を盛大に掘り返した。
「おぉ、出てきたぞ! 」
「……本当にあったんだ」
「あれが元凶……」
そんな声が聞こえる中。
「行きます!」
少し高い声がして、先程の白い道中合羽が前に出る。
何やら呪文をとなえたかと思うと、白い光が魔術士の手から放たれ、壺を包み込だ。その光が、一気に壺に吸い込まれたように見えた次の瞬間、
パリンッ!
壺は粉々に砕け散った。
「よし、成功だ!」
「リア、よくやった!」
「後は任せろ!」
年嵩の男の声と同時に、水の魔法が辺りに漂う魔素を包むように展開し、魔素溜まりのあった場所に小さな水溜まりを作りあげるが、それは直ぐに地面に吸い込まれていった。
「あれは?」
「魔素を浄化したのでは無く、水に溶け混ませ、土に吸収させたのでしょう。畑や牧草地でなければ、さほど問題は無いので、小さい物なら、あれでも良いかと」
「なるほどの」
「取り敢えず、壺の浄化・排除を最優先とした方法ですね。少ない人員で魔素溜まりを減らすには、良い手だと思います」
色々と試行錯誤されてるでしょうと、ヘンリーが話をくくる。香菜姫が感心していると、バーリーが眼下の人々に向かい、大きく手を振りながら呼び掛けた。
「おーいっ、ドワイト殿!こっちだ!」
「バーリー隊長!?」
突然上から声をかけられ、驚いたのだろう。その場に居た者達が揃って上を見上げてきた。そのため、姫にはどの人物がドワイトなのか 当初、判らなかったものの、直ぐに察する事が出来た。
なぜなら、その人物は白狐や香菜姫に気づいた途端、その素性に察しが付いたのだろう。すぐさま跪き、頭を下げたからだ。そして、それを見た周りの者達も、慌ててそれに倣う。白い道中合羽なぞ、何故か判らないのだろう、戸惑いながらも跪いていた。
「周王殿、あの側に降りてもらっても良いだろうか?」
バーリーの言葉に、周王が姫と許しを求める視線を送り、姫が頷く。
すると炎の紋様の白狐は、己の力量を見せつけるように、ことのほか優雅に指定された場所に舞い降りた。それを見て、ふんっ、と鼻をならした華王もまた、その直ぐ後ろに優美に降り立つ。
周王から降りたバーリーが、華王に乗ったままの香菜姫を、先頭でひざまずいている男の前まで先導する。
「聖女様、此方のお方は、ドワイト・キャラダイン殿。シャイラ様の二番目の兄上で、辺境・国境部隊の隊長であられる方です。ドワイト殿、此方はこの度聖女召喚でこの世界に来られた聖女様で、香菜姫様と申されます」
バーリーの言葉に、先頭の男は一層低く頭を下げ、
「お初にお目にかかります。このキャラダイン領の守護を仰せ受かっておりますドワイトと申します。この度は聖女様自らご足労頂き、真に光栄の至りにございます」
「妾は香菜じゃ。其方がシャイラの兄か。そのように畏まらなくてもよい。あの者には、何かと世話になっておるゆえの」
そう言って、相手に立つよう即す。
「シャイラより預かっておる物があるので、後ほど届けさせようぞ。それと、来掛けに三つほど浄化を済ませた故、街道沿いの問題は無いと思われるが、その辺りの話もしたいゆえ、案内を頼みたい」
「いっそ、全部してくれたら、こっちは楽で良いのに……」
白い道中合羽がぼそりと呟いたのが、姫の耳に入った。
「聞こえておるぞ、そこな童」
「童って……」
姫からあからさまに子供扱いされた事で、相手が気を悪くしたのが判ったが、その程度で手を緩める姫では無い。
「上役が挨拶の最中だというに、勝手に喋るのじゃ。童でなくて、なんじゃ?それに妾達は、其方達を楽にさせる為に居るのではない。履き違えるな。此度は、シャイラの身内が滞りなく王都に来られるようにするのが勤めなだけじゃ。己で出来る事まで、人に押し付けようとするでない」
側にいた男が、白い道中合羽に拳固を落とすのが見えたので、姫もそれ以上は言わず、バーリーと共に、周王に乗ってもらえないか、ドワイトに尋ねた。上空から見て、浄化の必要な魔素溜まりが無いかを判断してもらいたいのと、領都に入る際に余計な手間をかけないためには、その方が良いと判断したためだ。
「ほぅ、これは……素晴らしいですな」
空へと舞い上がった周王の背上で、辺境・国境部隊の隊長はご満悦だった。
「では、参ろうぞ」
姫の言葉に白狐達が行程を再開するが、新たな同乗者のお陰で、領都の防御壁をあっという間飛び越え、領主屋敷まで何の問題もなく到着することが出来た。
楽しげに門兵達に手を振っていたドワイトの希望で、薔薇園の側の訓練所に周王、華王共に降り立つと、彼に良く似た男が二人、凄まじい形相で走り寄ってきた。
「あっ、兄上?それに父上まで……」
これは不味いと言いながら、壮年とは思えない素早い身のこなしで周王から降りたドワイトだが、何故か兄と父親に捕まって、もみくちゃにされていた。
『何で』とか、『ずるい』という言葉が聞こえる。『いい年』どころか、壮年と老年の男達が取っ組み合う場面を唖然と眺める香菜姫に、
「シャイラ様の長兄ダルウィン殿と、その父であるクラレンス殿です」
苦笑を隠せないバーリーが教えてくれた。
「シャイラより預かっておる物が在るが、後にした方が良さそうじゃの」
その言葉か聞こえたのだろう。途端に取っ組み合いを止めた三人は、姫の前に跪いた。
「聖女様にはご到着早々、お見苦しい所をお見せいたしまして、誠に申し訳なく。この地を預かる者として、我等一同、心から歓迎いたします」
そう言って頭を下げた老齢の男が、横にいる息子を睨みながらぼそりと呟いた言葉もまた、姫の耳に届いた。
「それにしても、こ奴め。自分だけ乗せてもらいよって……」
(なんじゃ。あの御仁達は、周王に乗ってみたかったのか……)
取っ組み合いの原因が判ったことで安堵した姫は、その後通された部屋で、問題なく預かった手紙を渡すことが出来た。
出されたお茶を手に、気になっていた事を現領主であるダルウィンに、聞くことにした。来がけに目にした、防御壁内の畑と牧草地についてだ。
驚いたことに、確かにそれらは籠城対策ではあるが、同時に実験場も兼ねているという。あの場所で新しい品種の作物や家畜を育て、上手くいったら領民達にその結果を知らせたり、皆を集めての試食会を開いたりするのだと教えてくれた。
「より短い期間で栽培出来たり、同じ期間でも、より多くの収穫を見込める作物を日々研究している者がおります。家畜も又しかり。彼らを支援し、その結果を広めるのも、また我らの仕事だと思っておりますので」
その言葉を聞いた香菜姫は、この国が魔獣と魔素溜まりに苦しめられながらも、二年という歳月を持ちこたえることが出来たのは、クラッチフィールドやエジャートン、そして彼らの様な領主達がいたからだと、納得した。
*◇*◇*◇*
「聖女様って、もっとおしとやかで優し気な方だと思っていたわ。なんだか想像と違って偉そうだし、ちょっと、がっかりかも…」
聖女達の後を追うように領都へと戻る道すがら、白いローブの魔術師・エリアナは、先程自分に拳固を食らわした兄・アレツに同意を求めるような視線を送ったが、帰ってきたのは全く違う言葉だった。
「お前、ホーンウルフが一匹出たからと言って、俺達に出動を要請されたらどう思う?」
「はぁ、そんなもんでいちいち呼ばれてたら、身体が幾つあっても足らないわ!それ位、自分達で何とかしろと、あっ……」
「そういう事だ。何でもハイハイと聞いていては、いくら聖女様でも、身が持たん。それに、本来なら、自分達で出来るような簡単な事まで、聖女様に全部押し付けようとする者が、次々と出て来るだろう。下手をすると、『早くしろ、何時までに終わらせろ』と、無茶なことを言い出したり、挙句には『遅い』となじるものまで現れるかもしれん。実際、お前も前に一度、そんな目にあった事があるだろう?どう思った?」
その言葉に、エリアナは元婚約者との嫌な思い出を、思い出した。
二年前。魔素溜まりが国のあちこちに出来はじめた頃、エリアナは浄化のできる魔術士として、国中から舞い込む派遣要請に応える為に、休む間もなく働いていた。そして、何番目かに派遣されたのが、婚約者のいる領地だったのだが、あの時の事は、未だに忘れる事も、許す事も出来ないままでいる。
派遣された魔術士の中に彼女を見つけた婚約者が、突然つかみかかってきたのだ。そして、暴言をはいた。
『なぜ、こんなに待たせたんだ』と。『婚約者なら、真っ先にここに 来て、浄化するべきだろう』と。
しかし、派遣は優先順位の高い場所や、被害の大きい所から順に回るのだから、仕方のない事だと言う彼女に、婚約者は、『ならば、仕事を辞めて来れば良かっただろうが。何の為にお前と婚約したと思っている、この役立たず!』と言い放ったのだ。
元々政略的な婚約だったこともあり、その後、直ぐに解消となったのだが、あの出来事は、いまだに不快な思い出として記憶に居座っている。
「あー、こっちも遊んでいた訳ではないのに、なんで責められなきゃならないんだって、思った。それに、自分達で出来る事は、自分達でやれよって」
婚約者やその両親は、魔獣退治も浄化も全部、討伐隊と浄化部隊がするものだと思っていて、自分達は何もせずに、ただ安全な場所でずっと隠れるように生活していたらしい。それがどれだけ辛く大変だったかを、延々と聞かされたので、よく覚えている。
「少なくとも、出来そうな事だけでもしてくれたら良いのにって……そうですね。私が浅はかでした。でも、もう少し愛想良くしてくれたって……」
「それも、勝手な押し付けだ。聖女様がニコニコと愛想よくというのは、お前の勝手な希望でしかないんだよ。お前、元婚約者に『女なんだから、ドレスを着てもっとおしとやかにしろ』と言われる度に、『自分は自分だ、ほっといて欲しい』と文句を言っていたのを忘れたのか?」
そう言われると、ぐうの音もでない。エリアナは普段、『女だから』とか、『女のくせに』と言われるのを、極端に嫌っていたのだが、そんな自分が『聖女なんだから、もっとこうあるべき』だと、口にしていた事に気づいたからだ。
「あーーー、ほんと、重ね重ね情けない。確かに、子供扱いされても仕方ないわ……」
頭をガシガシと掻きながら呟き、自分の心の中を整理していく。
(思うに、私は少々腹を立てていたんだわ。敬愛する上司や師匠どころか、王妃様までが聖女様に呼び捨てにされていたのが、気に入らなかったのが、一つ。そして、二年間、必死で魔素溜まりの消滅に取り組んできた自分が気づかなかった呪詛に、異世界から来た聖女があっという間に気付いた事に対する嫉妬が二つ目……)
エリアナは、『妬み』や『やっかみ』などという感情は、自分には関係ない物だとずっと思っていた。そんな物は、自分に自信が無い者か、努力が足らない者の言い訳的な感情だと。目標を定めて努力を続ける自分には、無縁だと。しかし、それは絶対的な力量差を見せられた途端に、顔を現してきた。
「ちょっと謝ってくる!」
そう言って馬の速度を上げようとしたら、途端に前を遮るようにして止められた。そのせいで、ローブのフードが外れ、後ろで一つに纏めた長い銀髪が揺れる。
「何処に行くつもりだ?今頃、聖女様は領主様と歓談中だぞ」
その邪魔をする気か、どこまでバカをさらす気だと兄に言われて、さらに落ち込んだ。一応自分では、頭は悪くないと思っていただけに、今日の失態は、エリアナの身に堪えていた。
彼女は子爵家の三番目で、魔力量は中程度だが、浄化が出来る事から、早くから頭角を現していた。それに、幼いころから新しい道具や、方法を模索するのが好きで、幾つかは実際に採用されたり、形になったりしている。
先程の呪詛の壺に的を絞った浄化も彼女の案だ。ただ、深く考えずに行動に移す嫌いがある為、気を付けるよう、師匠からも再三言われていたにも関わらず、今日の言動に至ってしまったからだ。
(師匠からのお説教は、確定だな)
そう思いながら、ゆっくりと駆ける馬の上で、同じように束ねた銀髪を揺らす兄に聞く。
「ねぇ。兄さんは、聖女様をどう思う?」
「恐ろしい。でもって、心強い」
「なに、それ…」
「あの聖獣様から想像するに、凄まじいお力をお持ちなのだろう。だから恐ろしい。しかし今現在は、我々の味方だ。だから心強い」
兄の言葉を聞きながらエリアナは、聖女が敵になるかもしれないとは、考えた事さえなかった自分の思考の浅さに、またしても嫌気がさしていた。
(もっと思慮深くならないと、師匠であるヘンリー様の補佐役は務まらないな。でも、その前に謝んなきゃ……)




