二十四話
ドゴォォォオォゥゥーーンッ!!
爆音と同時に光と爆風が巻き起こる。前回の経験を踏まえ、事前に築いた氷の壁によって、爆風を上空へと誘導する事に一応成功したかに見えたが、直ぐにバキッ、ベキッ、と音がしたかと思うと、氷の壁が崩れだし、その破片ごと上空へと巻き上げていく。
(やはり神器じゃの。この程度では、防げぬか)
前回同様、斜め上空へと駆け上る華王の上で、香菜姫は袂で光を遮るようにしながら、その様子を見て思った。
ようやく光と風が収まったときには、華王の築いた氷の壁は綺麗に消え失せ、そこに捕らわれていた魔獣達も、干からびた骸と成り果てていた。
そして魔素溜まりのあった場所は、氷の塊に埋め尽くされ、その中心では天羽々矢が、グズグズと崩れ行く壺に突き刺さりながら、最後の光を放っている。こちらもクラッチフィールドの物と同じく、かなり大きな壺だが、もうじき消えて無くなりそうだった。
「窪みというか、氷の池が出来てしもうたが、まぁ、仕方あるまい。直、溶けるじゃろう」
「次は、もう少し頑丈にしもす……」
姫の言葉に、少々悔し気に華王が答えるが、気にすることはないとばかりに、その背を撫でる。
(さて、後は然程大きく無い物ばかりゆえ、真言と炎の組み合わせが、手っ取り早いの)
そう考えた姫は、周王に手伝いを頼むべく、防御壁へと向かった。幸い、落とし扉の直ぐ横で駆け回っている狐耳の兜が見えたため、難なく合流出来た。そこから後の仕事は早かった。
周りの魔獣を九字で減らした後、一気に焼き尽くすのだ。結局全部で4つの魔素溜まりを浄化した時点で防御壁へと向かう。
散々姫の働きを見ていたのだろう。見張りの兵達が、大きく手を振りながら、聖女への感謝の言葉を叫んでいた。
上空からそれに答えるように手を振り、中の様子を見る。どうやらバーリー達も討伐を終え、今は支援物質を配ったり、天幕を張ったりしてる最中だった。
これまで見てきた街同様、中央付近に開けた場所があり、そこに天幕が張られている。一番大きな天幕の側に降りると、バーリーが走りよって来た。
「聖女様、ご苦労様です!」
「今戻った。こちらも無事すんだようじゃな」
そう答えながら華王から降りた姫は、バーリーの横に、左目に眼帯を着けた三十路と思しき男が立っている事に気づいた。
赤銅色の長髪を後ろで一つに結び、片方しかない青い瞳の眼光は鋭い。なんとなく山賊を思わせる雰囲気を纏っているが、その見た目と違い、男の立ち居振舞いは洗練されており、姫の前まで来ると礼をとった。前に一度、ドーキンスで見た作法だが、此方の方が断然優美だ。
『姫よ。一流の武人とは、全てにおいて動きに無駄が無い。したがって、所作の美しい者はまた、武芸も一流だと思われよ』。かつて、剣についての蘊蓄を語ってくれた翁の言葉を思い出し、なるほどと思う。
「この地を預かるクリント・エジャートンと申します。この度はご尽力賜り、実に有難うございます。この地を預かる者として、心からの感謝を」
「妾は香菜じゃ。エジャートンとやら、そう畏まらんでも良い。それより浄化の際に、少し窪みが出来たのを伝えておかねばならん」
「あぁ、あの音と光ですね。さすがに、何事が起きたのかと肝が冷えました」
隊長が直ぐに聖女様の御技による物だと教えてくれたので、慌てて駆けつけたりせずに済みましたがと、笑う。その笑顔を見て、相手の年齢が当初思った三十路よりも、若いのやもしれぬと、香菜姫は思った。
「残りの幾つかは炎による浄化を行ったが、まだ小さき物はいくらか残っておる」
言いながらも姫は、どうするかを問うような視線をエジャートンに向けてみた。
「ここまでしていただけたなら、後はうちの兵士と、魔術士でなんとか出来ると思います。実際に呪術の壺も見てみたいですし、うちの魔術士達の術が、どれ程通用するかも検証したいので」
もし、無理なようでしたら、お願いするかもしれませんがと言いながらも、そんな事になる事は無いと確信している顔だった。
(自信があるのか、己の部下を信頼しているのか……。どちらにせよ、問題は無さそうじゃ)
「ならば、妾達は明日の朝、立つとしよう」
そう言うと、物質を配っているヘンリーの方へと向かう事にした。痩躯の魔術士は今、穀物の入った大袋を荷馬車に積み込んでいる最中で、兵も領民も混じっての作業だが、皆の顔は笑顔だ。それだけでも領主の評価が上がる。
「こちらは、どんな具合じゃ?」
「聖女様、お疲れ様です。どうやら、当面の物資は足りそうですが、寒くなる前に、もう一度来た方が良さそうですね。何分、今年の収穫は殆ど無かったようですし、家畜の被害も大きいようなので。領主が計画的に備蓄を供与していたので、これまでなんとか成っていたようですが」
それを聞いて、エジャートンの評価が更に上がった。
「それと怪我人ですが、こちらの神殿は解放されていて、神官達が治療に当たっていましたので、それほど酷い状態ではありませんでした」
「ほう、どこぞのように、ここの神官達は金子を要求したりは、せんのか」
それは、神殿と言えばクラッチフィールドの神殿や神官しか知らない香菜姫にすれば、少し不思議な話ではあったが、緊急時ゆえに金銭をとらずに治療しているのかと思いきや、実情は少々違うようだった。
「……それが、どうやら此方の領主様は、かなりやり手のようで」
ヘンリーが、些か言いにくそうに説明する。
「魔獣騒ぎが始まって直ぐに、何をどうやったのか、二つあった神殿の井戸のどちらもが、使い物にならなくなったそうです。その後、どんな交渉をしたのか、神殿と領主の間で、桶一杯の水と、怪我人一人の治療を交換条件とする契約が結ばれたと聞きました。なので、神官達は日々の飲み水のために、否応無く治療しているといった感じですね」
「それはまた、ずいぶんと……」
姫の脳裏に、先程会った領主が神官相手に、悪い笑顔で交渉している姿が浮かんだ。やり手というよりは、少々悪どいのではと思ったものの、これもまた、民を守る知恵だと、姫は思う事にした。
◇*◇*◇*◇
オーズリー伯爵家の長男アシュトンは、妹・オードラと共に、当主であり父でもあるカラハンの寝室に向かいながら、何をどう説明したら良いかを二人で話し合っていた。
あろうことか、異母弟妹が二人そろって聖女様の不興を買うという事態が起きたのだ。にもかかわらず、義母からは、『二人とも十分に反省しているから、今日起きた事は、極力伯爵には話さないで欲しい』と頼み込まれたからだ。しかも『ただでさえ体調が思わしくない伯爵に、余計な心労をかけたくないから』という理由で。
だが、一切何も知らせない、というわけにもいかず、二人して頭を悩ませていた。
「お義母様には悪いけれど、やはり、全部正直に話すべきかと。第一、お父様の体調を心配されるようなことを仰られるけれど、後で判った方が、余計にお心を痛められると思いますし」
硬い表情のオードラの言葉に、アシュトンも頷く。
「確かに。しかも次に討伐隊の一行が来られた時には、父上も隊長や聖女様に会われるだろうから、その時に話が食い違った場合、我が伯爵家自体が不興を招く事に成りかねん」
それに、『あの二人が素直に反省しているとは思えない』というのが兄姉の共通認識だった。
一昨日、王室からの早馬便でもたらされた知らせは、屋敷中を大混乱に陥れた。
国王陛下と側妃様、そして第二王子の訃報と、第一王子の即位・戴冠式の知らせだけでも、大変な驚きだったのに、この二年間続いていた魔素溜まりと魔獣騒ぎが、帝国と手を結んでいた公爵の仕業だというのだから、それも致し方ない。
しかも、魔素溜まりは呪いの壺が原因で、それを浄化すれば、再発は防げる事が判ったという。
急ぎ、公式行事出席のための準備と平行して、領兵や魔術士達との打ち合わせや、留守中の仕事の引き継ぎ等、アシュトンがするべき事は山ほどあるという時に、今回の事が起きた。
戴冠式前に、何らかの功績を挙げた状態で、陛下に拝謁したかったのだろ、悪意は無かったのだから、さほど問題ではない筈だと義母は言っていたが、悪意の有無ではなく、不興を買ったという事実が重要なのだ。しかし、義母にはいくら説明しても、通じなかった。
元々、伯爵家出身の義母やその子である双子達は、子爵出身の母を持つ兄姉を軽んじているところがあった。双子が幼い頃はそうでもなかったが、彼らが十歳をすぎた辺りから、それは顕著になっていった。
幸い伯爵が早々に、跡継ぎはアシュトンだと明言していたため、たいして支障は無かったものの、義母や、彼女が伯爵家から連れてきた使用人達は、まるで双子達こそが正当な跡取りでもあるかのように、二人を甘やかし、もてはやしていた。今回の事は、その弊害が出たとしか、思えなかった。
「それに、バーリー隊長は帰りに魔素溜まりの浄化を約束して下さいました。全てではないにしろ、ありがたい話です」
妹の言葉を機に、アシュトンは思考を会話に戻す。
「今確認されている物は、幾つある?」
「十ヶ所です。大きめのものが三ヶ所、後は比較的小さいので、こちらは後で自分達で何とかするとして、この三ヶ所の内、二ヶ所だけでも浄化してもらえれば、お兄様の留守の間も、さほど問題は無いかと」
オードラの言葉に頷きながらも、アシュトンは、今回の弟が仕出かした事に、再度腹を立てていた。ブラインが聖女様の不興を買った時に同行していた兵と魔術士は、今現在、全く使い物にならなくなっているからだ。
(この人手が何より欲しい時に!それに今、自分が留守にしたら、謹慎中の二人が何を仕出かすか判ったものでは無い。ならば……)
「いや。今回、私は残ろう。代わりにお前が行ってくれ」
「えっ、でも……それに、お父様のお世話もありますし……」
「それは、義母上にお願いする。本来ならば、あの方の仕事だ」
伯爵は二年前の魔素溜まり発生時から、常に率先して魔獣退治へと向かっていたが、一年前に負傷してからは、ずっと体調が芳しくなかった。
幸い傷は神官の手によって癒されたものの、治療までに少し時間が掛かった為、その間に魔獣の毒が回った可能性を示唆されていたのだが、残念な事にその通りだったようで、以来、伯爵は寝たり起きたりを繰り返していた。
そこまで話した時点で、父の寝室の前に着いた。
「では、父上には全てを話し、王都にはお前が行く。いいな」
「……はい」
しぶしぶ頷く妹を見ながら、アシュトンは扉をノックした。
「失礼します、父上。至急、ご報告しなければならないことが……」
◇*◇*
(何でこんな事になったのかしら……)
兄・アシュトンから、部屋での謹慎を言いつけられたベルネッタは、飛び散った羽を集めて片付けている侍女達を見ながら、考えていた。
先程まで、腹立ち紛れに振り回していたため、既にクッションを二つ、ダメにしてしまったが、胸のイライラは未だに居座ったまま、消えそうにない。
今朝、ブラインが新しく出来た魔素溜まりを浄化すると言うので、ベルネッタはなんとなく面白そうだからと、護衛やばあやを連れて、ついて行く事にしたのだが、彼女の想像していた以上に事態は深刻だったようで、仕方なく護衛に言われるままに、町長の家に避難することになった。
幸い、偶然通りかかった討伐隊が魔獣を退治してくれたお陰で、大した被害もなく事態は収拾した上に、聖女が一緒に来ていると聞いて、これは自分にとって願ってもないチャンスだと、ベルネッタは考えたのだ。
もしここで、心優しい令嬢として聖女に認められれば、次期国王の目に止まる事も、夢ではなくなると思ったのだ。当然彼女は、それを実行に移した。
(ドレスが汚れるのは嫌だったけど、跪いてお願いしたのよ、この私が! なのにあの女ときたら、今思い出しても腹が立つ!)
しかし、事はベルネッタの思惑通りには運ばず、、風変わりな衣装を着た聖女からは、『強欲』で『厚かましい』と言われ、挙げ句に役立たず扱いされただけだった。
しかも、聖女が『自分の目に触れる所に連れて来るな』と言った為、兄は戴冠式への双子の同行を取り消してしまったのだ。しかも、勝手について来たり出来ないよう、伯爵夫人と兄自身も出席を取りやめると言い出した。
王族の葬儀と戴冠式には、父と姉を留守番役とし、四人で出席することが、昨夜決まったばかりで、早速侍女達を集めて、少しでも見栄えがするようドレスに手を入れるよう命じ、大急ぎで出発の準備に当たらせていたというのにだ。
(代わりにお姉様が、一人だけ行くなんて。こんなの不公平だ)
これには、双子の母である伯爵夫人も反対したものの、兄と伯爵が話し合った結果だと言われてしまい、どうにも成らなかった。
おまけにあの後、領民達からは『やっぱり頼りになるのはオードラお嬢様だよな』等と言われ、結局はドレスを汚しただけで、何の利益も生まなかったのだ。
(お姉様だって、あれをしろ、これをしろと周りに指図してるだけじゃない。なのに、何で私だけ役立たずのように言われなきゃならないのよ!)
ドンッ!!、と大きく足を踏み鳴らし、新しく置かれたばかりのクッションを掴む。
(ほんと、こんな場所は大嫌い。田舎だし、流行りのドレスも手に入らないし、何より私の価値を誰も判っていない!!)
バン、バンッと両手に持ったクッションを椅子や机に打ち付ける。新たに羽が飛び散るが、そんな事はお構いなしだ。
(お母様譲りのこの金の髪と水色の瞳、そしてこの顔は、もっと価値があるはずなのに!)
しかし、昨今の魔獣騒動のせいで、領地ではこの二年ほどは、まともな社交は行われていない。それに、いかに伯爵家といえど、末っ子の彼女に持ち込まれる縁談は、子爵家や男爵家ばかりだった。
(そんな格下の家柄に嫁ぐなんて、まっぴらよ!)
なにより、王になるウィリアム王子には、まだ婚約者がいないのだ。ベルネッタの父は伯爵で、王子の婚約者となるには、ぎりぎりの身分だが、可能性が無いわけではない。
なのに出会う機会さえ、聖女のお陰で奪われたのだ。
(おそらく今回の戴冠式には、同じような思惑を抱えた令嬢が数多く集まるはず。なんとしても出席しないといけないのに!!どうしたら良いんだろ?どうしたら……)




