二十三話
「強欲……、厚かましいだなんて……なんで、そんな酷いことを、おっしゃるのですか?」
そう言いながら束の間俯いた娘は、顔を上げた時には目に涙を浮かべ、両手をさらに強く握り合わせていた。その涙を見た周りの兵や、老女達は、挙って香菜姫を睨み付けてくるが、姫がそんなものに怯む筈もなく、
「当然じゃろう。妾達は先を急ぐ身でありながら、この街に入り込んだ魔獣を退治し、その元となった魔素溜まりを浄化したのじゃぞ。なのに、其方はその事に対して礼を言うどころか、まだ足らぬ、もっと働けと要求して来たのじゃ。それを強欲と言わずして、なんと言うのじゃ」
呆れたような姫の言葉に、先程まで感心したように娘を見ていた領民達も、言われてみれば、確かにその通りだと言い始める。
「お、お礼なら既に町長が、討伐隊長に申しておりましたわ!それに要求だなんて。わたしは、心を込めてお願いを……」
「それが厚かましいと言うのじゃ。己は口先で『お願い』するだけで、礼も仕事も全て、他の者達に押し付けているという自覚さえ、無いのじゃから。のう、バーリー。『お願い』しただけで、魔獣がいなくなるのならば、これほど楽なことはないのぅ」
しかも、このような者は得てして『手柄は、お願いした自分にある』という態度を取りがちじゃから、質が悪いと笑う姫に、
「確かに」
笑いをこらえながら、討伐隊長が同意し、話を引き継ぐ。
「それに令嬢、悪いが我らは王妃様と殿下の勅命を受けて動いている。まずは、そちらを優先するのが道理」
しかし、そんな理の通る相手である筈もなく、娘は『善意』を纏った『己の都合』を、押し通そうと躍起になっていった。
「勅命があるから、今、目の前で苦しんでいる人達は見捨てて良いと言うのですか?そんなの、酷いです!それに、傷ついた人達を見て、なんとも思わないなんて、貴女、それでも聖女なの!?」
勝手に『聖女ならば、全ての怪我人を救うべき』だという決めつけを押し付け、相手の良心を試すかのような言葉をぶつけてくる娘にうんざりした姫は、ちょうど数名の領民が井戸で汲んだ水を運んでいたため、そちらを指差しながら、言う。
「のう、娘。それほどまでに目の前の者を助けたいのならば、其方も少しは働いたらどうじゃ?綺麗なベベを着て、突っ立っておっても、何の足しにもならんぞ。ほれ、あのように、水の一つも運びやれ」
当然だがその言葉は、娘が望んだ答えからは程遠く、そのため、一層腹をたてた娘は姫に食って掛かった。
「あのような事は、貴族の令嬢がする事では、ありませんわ!それに、私は貴女が『勅命』を言い訳に、聖女としての務めを果たしてないと言ってるの。話をすり替えないで!」
「話をすり替えておるのは、其方であろう。先程も申したが、妾は魔素溜まりを浄化し、バーリー達は魔獣を退治したのじゃぞ?にも拘らず、其方は妾達が務めを果たしてないと言うのじゃからの」
香菜姫は、まるで幼い子供に言い聞かせるようにゆっくりと、しかも、周りで様子を伺っている領民達にも聞こえるように、殊更声を大きくして語った。そしてすっと片手をあげると、遠くを指さす。
「ここより離れた場所では、見えておらんだけで、今も多くの者が苦しんでいる。目の前の己の利にとらわれているのは、其方の方であろう。ここよりも、もっとひどい状態となっておる場所を、見えておらぬから、後に回しても構わないと、平気で言うのじゃからな」
「そんな事、一言も言ってないわ!」
あくまでも、『いい人』の立ち位置に居たい娘は、姫の言葉を強く否定するが、既に領民どころか同行していた兵達にさえ、胡散臭い物を見るような視線を向けられていた。そして。
「いい加減にしろ、ベルネッタ!みっともないにも、程がある!」
その時、香菜姫の後ろから怒鳴り声が響いた。
姫が振り向くと、焦げ茶の髪にグレーの瞳をした背の高い男と、其れによく似た面差しの女人が此方へ急ぎ向かっているところだった。
「アシュトン兄様。オードラ姉様まで……」
その呟きから、二人が娘の兄姉だと判る。
(姉妹にしては、ずいぶん雰囲気が違うの…)
二人は香菜姫とバーリーの前まで来ると、ベルネッタと呼ばれた娘と、その横にいた老女の腕を掴み後ろへ下がらせると、深々と頭を下げた。
「バーリー討伐隊・隊長とお見受けいたします。私は、オーズリー伯爵家、当主代理のアシュトンと申します。この度はお急ぎのところを、我が領地の魔獣の退治及び魔素溜まりの浄化に御尽力頂き、有難うございました」
そこまで言うと、男は後ろに下がらせた娘と老女を睨みつけ、再び姫たちの方を向いて頭を下げた。
「それにも関わらず、妹が失礼なことを申しましたようで、大変申し訳ありませんでした」
「オードラと申します。こちらのお方にも、大層ご迷惑を掛けたようで。本当に、なんとお詫びして良いか……」
二人揃って謝罪を述べる。
少しはまともに話ができる者も居るのだと思った姫は、まずは確認とばかりに、男に質問した。
「その前に一つ聞くが、その娘によく似た男がおるじゃろ。あれも、其方達の姉弟か?」
「それでしたら、このベルネッタの双子の兄、ブラインの事だと。もしや弟も、何か……?」
双子と聞き、やはりと得心した香菜姫は、
「先程、少しの。魔素溜まりの浄化を邪魔をしたゆえ、他の者と共に括ってある。暫くは冷えと痺れが取れんが、まぁ、死にはせん」
先程の概要を述べるが、それを聞いた兄姉は、揃って苦虫を噛み潰したような顔を見合わせ、三度二人で頭を下げる。
「浄化ということは、此方は聖女様であられましたか」「「重ね重ね、申し訳なく……」」
「まぁ、良い。妾の名は香菜じゃ。其方達の謝罪は受け入れようぞ。じゃが、そこの弟妹達の言動は余りに不快な物であったゆえ、今後一切、その者達を妾の目に触れる場所に連れて来ること、まかり成らん。心得よ」
それは、もうすぐ行われる戴冠式を始めとする王室主催の行事への出席どころか、王宮にさえ来るなと言われたのと同じだと、その場にいた者達は悟ったが、アシュトンは直ぐさま其れを受け入れた。
「……畏まりました。しかと」
「お兄様!それでは……」
ベルネッタと呼ばれた娘は声をあげるが、兄に睨まれ、押し黙るしかなかった。代わりに悔しげに姫を睨み付けている。
(ふん。やはり、こちらが本性じゃな)
「姫様、あれも凍らせる?」
「我が切り刻んでも?」
娘の態度に、それまで黙っていた白狐達が、口を揃えて不快を顕にするが、
「あのような小物、お主達が手を出す価値も無いゆえ、放っておれ。ただし、次に見た時は、好きにしやれ」
姫のその言葉に、白狐達は顔を見合わせ、にまりと笑った。
「「では、その時に」」
周王達の様子に些か不穏な物を感じ、少しだけ双子を不憫に思ったバーリーだが、当人達が大人しくさえしていれば問題には成るまいと思い、兄姉達に一応の釘を刺すだけにしておいた。
「オーズリー卿。弟殿の居場所は狼煙を上げているので、それを目印に向かわれると直ぐに判るかと。それと我々は王都に戻る際にも、こちらを通ります。その際、この領地の魔素溜まりの浄化を行う予定ではありますが、それは『全て』ではなく、卿達の手に余る物だけです。そして優先すべきものは、勅命であり、被害の大きさだとご理解頂きたい」
「判っております」
「おい、娘。クラッチフィールドの奥方は、自らが兵や民ために食事を作り、子の襁を替えておった。妾には、着飾った其方よりも、あの者の方が美しいと思うたぞ」
「確かに。あの奥方は、慈愛に満ちたお方でした。あれこそ、まさに聖母様と言えましょう」
香菜姫の意見に、討伐隊の面々も賛同するが、娘は憮然とした表情のまま、返事さえしない。
「さて、手間を取った。急ごうぞ」
話の通じる兄姉に後日の来訪を約束して、姫達はその場を後にした。
その後の行程は問題無く進み、それから二時程で、目的地であるエジャートンの領都が見えてきた。
その間の道中、上空から見た限りでは、クラッチフィールド程ではないものの、村や畑は荒らされ、至る所に被害にあったのだろう、家畜の死体が転がっていた。
ただ、防御壁の側で戦っている兵達は、比較的元気そうに見えた上に、こちらの防御壁は、これまで見たものとは、少しばかり変わっている事に姫は気が付いた。
壁の上に、尖った鉄槍がずらりと並べられているのだ。
(まるで、忍び返しのようじゃの)
バーリーにその事を尋ねると、この辺りには、大型の虫の魔獣が度々出るからだと教えてくれた。しかも、あの鉄槍は取り外しが出来る上に、先に油が仕込んであるという。
その為、防御壁を這い上ってきた魔獣があの槍を乗り越えようとすれば、専用の道具か火魔法で油に火を着け、その後、槍ごと魔獣を地面に突き落とすらしい。しかも、その上から更に火を着けた鉄槍を追加で落とすという念の入れようだ。
「虫の魔獣は毒のある物が多いので、出来るだけ触れずに倒すための知恵ですな」
(そういえば図鑑とやらにも、大きな蜘蛛や百足のような物が描かれておったの)
感心したように語るバーリーの説明に、図鑑の絵を思い出した香菜姫は、なるほどと得心した。確かに毒のある巨大な蜘蛛や百足には、姫も近づきたいとは思わなかったからだ。
そのため、まずは元となる物を排除しようと思った姫は、周王とバーリー達に、先に領主に到着を知らせ、そのまま討伐に加わるよう言うと、己は更に上空へと上がり、すぐさま一番大きな魔素溜まりを見極め、そこから手を着ける事にした。
「華王よ、疲れておるやも知れぬが、頼むぞ」
「あいな、姫様!」
先ずは魔素溜まりの回りを華王が、氷の壁で取り囲んだ。そして、
(この大きさなら、これが早いの)
天之麻迦古弓と天羽々矢を取り出す。右手に下がけと弽かけを着け、弓構えながら摩利支天の真言を唱える。
「オン マリシェイ ソワカ、オン マリシェイ ソワカ」
唱えながら、打ち起こし、引き分ける。
「オン マリシェイ ソワカ!」
三度目を唱えると同時に、中心部目掛けて、打ち放った!
◇*◇*◇*◇
(なんでこんな事になった?)
ブラインは熱い風呂に入りながら、考えていた。十分に暖まったはずなのに、身体の芯の冷えが一向に取れない気がして、湯から出ることが出来ず、既に長い時間がたっていた。
今朝早くに、新しい魔素溜まりが出来たと伝令が来た時、その場に居合わせたブラインは、これはチャンスだと思ったのだ。
この話が兄の耳に入る前に上手く処理して見せれば、騎士団に入るための推薦状が手に入ると考えたからだ。騎士団に入るためには、入団試験に合格するか、領主、もしくはその代理人の推薦状を必要とする。
ブラインとしては、自分の実力は騎士として十分通用するものだとは思っていたが、平民に交じって試験を受けるような泥臭い真似はしたくなかったのだ。
しかし、兄は何度頼んでも、「騎士になりたければ、入団試験に合格すればいい」と言って、ブラインの推薦状を書こうとはしなかった。領地の兵達との模擬試合でも、ブラインに勝てる者など、一人もいないというのにだ。
(しかし、これで兄上も、書かざるを得ないだろう。いや、兄上が書かなくても、きっと、父上が書いて下さる!)
そう思い、急いで行動に出た。
伝令には自分が兄に伝えると言って、そのまま仲の良い兵や魔術士達を引き連れ、魔素溜まりに向かう事にしたのだ。
面倒くさい事にベルネッタがついて来たが、危ないからと街へと向かわせ、意気揚々と魔素だまりへと向かったのだが、その結果は散々な物となった。
(畜生!あの変な衣装の女が邪魔さえしなければ、今頃は……。しかも、あれが聖女だと?!あんな生意気な女が聖女だなんて、信じられるか!しかも、あの女、不快だから俺の顔を二度と見せるなと言ったらしい。馬鹿にしやがって!)
腹立ちまぎれに両の拳を湯に打ち付けるが、顔や頭に湯が飛んで、余計に不快になっただけだった。しかし、手を止める事は出来ない。何度も何度も繰り返し打ち付け、辺りをびしょ濡れにした時点で、ようやく手を止める。
「おい、湯を足せ!」
側に居た従僕に命じると、少なくなった湯に身体を沈めた。その頭の中は、なんとかあの聖女に一泡ふかせなければという思いで一杯だった。
(しかし、あいつの狐はすごかったな。もし、あれを奪えば、あの女、さぞかし悔しがるだろう。しかも、上手く手懐ければ、俺は国で唯一人の、空を駆ける騎士になれる!どうやったら、あれを手に入れられるだろう……帰りに寄ると言ってたな。ならその時までに、策を考えないと……)
蜘蛛や百足は、正確には虫(昆虫)ではなく、同じ節足動物門ですが、鋏角亜門クモ網と、多足亜門ムカデ綱として分類されています。ただ、香菜姫の時代の一般認識としては、虫だろうということで、虫扱いにしています。




