二十一話
後書きに、香菜姫とムーンの『おまけ小話』があります。
「何が仰りたいのですか?」
「いえ。ただ、貴方がそうまでして守りたいのは、何なのかと思ったまでです。聖女様なのか、それとも…?」
そう言って、教皇ブラッカム二世は既に冷めてしまったお茶を、ゆっくりと飲んだ。その様子を見ていたオルドリッジは、片方の眉を少しだけ上げて緩く笑い、答える。
「猊下のお心が、常に女神ドラーラとあるように、私の心は常に国家の事を憂えております」
「……まぁ、良いでしょう。ところで、『聖女任命の儀』ですが、先程聞いたお話から考えると、当分の間見送った方が良さそうですね。ブラッカー侯爵にあの様に告げられたという事は、御三方の葬儀を同時になさるおつもりなのでしょう?ならばそれに伴い、第一王子の即位の儀と戴冠式も行う事になりますし」
ならば神殿でも、今から急いで準備に取りかからなければ、間に合わなくなりかねませんと言い、聖女様にお越し願えないのは、実に残念ですがと締めくくる。
確かに元々の予定では、側妃と第二王子の葬儀をした後、第一王子の立太子。その後、国王の葬儀、王太子の即位・戴冠式の予定だったが、今回の事を受けて、全てを一度で終わらせてしまおうと、オルドリッジが独断で決めたのだ。
(ビートン辺りから、山のような苦情が来そうだが、構わん)
これから、この国は総力を挙げて、帝国に対抗していかなければならないのだ。しかし、この二年間の魔獣騒ぎのせいで国力が落ちている今、国を纏めるためには、絶対的な悪の存在こそが有効な手札だと、オルドリッジは確信していた。
そのため、帝国と通じていた公爵を贄として、対帝国の意識を高め、今後の原動力とすべきだと。
確かに王族三人の葬儀と第一王子の即位の儀、そして戴冠式を並行して準備するのは大変だろうが、己ならやり切れるという自負もあった。
しかも、緊急時だ。他国の来賓など呼べば、どこにスパイが紛れ込むかもしれない。ならば、いっそ、呼ばない方向で話を進める事が、可能だという思いもあった。
「確かに。詳しい日取りが決まりましたら、ご連絡差し上げます。ただ、できましたらこれから二週間は、遠出のご予定は入れずに頂きたいかと」
これは遠回しに、二週間以内に全部準備を終わらせるから、協力しろと言うことだ。そこまで言うと、オルドリッジも冷めてしまったお茶で、喉を潤した。
そして、前々から聞きたかったことを、教皇に聞く事にした。
「ところで、私はもしかしたら猊下も、お持ちかもしれないと思っているのですが?」
「何の事です?」
「王家の紋章を模したブローチです。あれは元々、全部で四つ作られました。そして、今回逮捕された公爵の隠し子は、Ⅱの刻印がされた物を持っていた。それに関しては、今より二十五年前に紛失届けが出さています。しかしⅠの刻印の物は、それよりもさらに十年以上前に、紛失届が出されていました。私は、猊下がそれを、お持ちではないかと、思ったのですが」
前公爵は、置かれた立場的に、女性問題には気をつけておられた。ただ、二人目の出産の際に、夫人が母子共に亡くなるという悲劇が起きてたから、三年ほどたった時、親密な女性がいるとの噂が流れた。今から三十五年程前の事だ。
お相手として名が挙がったのは、王宮魔術士で、土と風の魔法を得意としている女性だった。しかし、それからしばらくして、彼女は体調を崩した事を理由に、退官していた。
教皇はどことなく彼女の面影があると、前にヘンリーから聞いたことがあったため、もしやと思って、聞いてみたのだ。しかし、教皇は少しも慌てる事無く、
「何の事でしょう。私は少しばかり魔力が多かったので聖職者となった、ただの平民です。その様な大層な物は持ち合わせる筈などありません。では、出来るだけ早いご連絡を、お待ちしています」
そう言うと立ち上がり、扉へと向かったが、そこで思い出したように立ち止まる。
「あぁ、そうだ。閣下に一つお願いが。公爵の奥方とご令嬢の嫌疑が晴れましたら、大神殿でお預かりしたいと思っています。幸い聖女様が来られた時用に設えた部屋がありますから、そこで暫くの間、静かにお過ごしいただこうと思いまして」
「……了解しました。今の時点ではお二方の関与を示す物は出てないようですが、取り調べにはもうしばらくかかると思います。済み次第、連絡がいくよう手配しましょう」
教皇はひとつ頷くと、その後は何も言わずに退室していった。
そこからオルドリッジは一気に動いた。まずは議会の開催を知らせる手紙を一斉に飛ばすために、香菜姫に協力を仰いだのだ。
王宮議会は高位貴族42名と、各職業ギルドの長の中から選ばれた20名の、合計62名で構成されている。今回は、公爵を除くため61名となる。
今現在、ギルド長の大半が、王都ないしはその近くにいるが、貴族議員たちは、王都に近い領地を持つ者はともかく、遠方の領主のほとんどが、魔獣対策の為に自領に戻っている。しかし、彼らが王都に来るのを待っている余裕は無かった。
議案は、主に二つ。
国王等の葬儀並びに、ウィリアム王子の即位、戴冠式の日取りと、今回罪を犯した者達の処罰についてだ。これだけは、独断では決めるわけにはいかないので、早急に王妃とウィリアム王子、そしてビートン騎士団長との話し合いの場を設けた。
やはりビートンからは山ほど文句を言われたが、全ての議案の賛同は、三人から得る事ができた。
後、それらに付随する細かい物も幾つかあったが、それは任せると王子から言われたので、そこからは、ひたすら動くのみだった。
文官を総動員した王宮の印刷部で、今回の事件の詳細を書いた物と、議案を書いた書類を作成し、さらには可否の返信用の紙と封筒を、共に王宮議会専用の封筒に入れ、議員にしか開けることのできない魔法をかけた封蝋をする。
その後、できる限り精密な地図と共に、姫に託した。後でもう一度、同じ場所に手紙を飛ばす事も含めてだ。
「これを飛ばすには、ちぃと大きめの式でないと無理じゃの。オルドリッジよ、これは別口で報酬を要求するぞ」
手紙の束と地図を眺めた香菜姫は、頭を下げて頼むオルドリッジにそう言って、笑いながら引き受けてくれた。
王都や近郊にいる議員には、貴族、ギルド長共に、ビートン経由で騎士団員達に、同じものを配達してもらった。その際、『詳しい事が知りたければ、ブラッカー侯爵に聞くよう、ほのめかす』のも、織り込み済みだ。
次は神殿だった。決議はまだだが、おそらく変更はないだろうと一言添えた日程表を送り、葬儀から戴冠式における神殿行事の全ての段取りをお願いする。
それ等が済む頃には、王都にいる議員からの質問状が、山のように届いていた。
その中から順位の高いもの、答える必要のある物だけを選び、録音の魔方陣を持って並ばせた文官に、次々に口頭で答えていく。全てが終わる頃は、深夜になっていた。
そして翌日。早朝から、香菜姫の式が次々と戻ってきた。その間も、ウイリアム王子の衣裳の手配や、近隣諸国への通達の準備など、することは矢継ぎ早に出てくる。
特に重要ではない物や急ぎでない物は、部下に丸投げするか、保留箱に放り込み、オルドリッジは最優先の事だけをこなしていった。
それから二日後。全ての議員の返答が揃った。開封には、その公平性をアピールする為にも、出来る限りの議員が立ち会うよう呼び掛けた結果、王都にいた議員三十二名が見守るなかでの、議案の可否の開封が行われる事となった。
早急な事や、準備期間が短い事に異を唱える記述を書き加えていた者が数名いたものの、全体的な事に対する反対者は、一人も無かった。
これで、王族三名の葬儀及び、ウィリアム王子の即位、戴冠式の日取りと、マックスウェル・アークライト元公爵並びに、その協力者達の絞首刑が決定した。
今、オルドリッジはその事を伝えるために、地下牢に来ていた。
牢の中のマックスウェルは、やつれてはいたが、未だに自分の立場が判っていないようだった。毎日、自分をここから出すように、せめて貴賓牢に移せと要求していたところからも、それが判った。
「やっと来たか!オルドリッジ。早くここから出せ。もう、うんざりだ。空気は悪いし、飯も不味い上に、1日一回しか出てこん。しかし、ようやく判ったようだな。今この国で王となるべきは、誰なのか。あの王子には勤まらんと…」
滔々と語る元公爵の言葉を、オルドリッジは断ち切る。
「何を仰っているのか、皆目判りませんな。国を裏切り、国土を荒廃させ、民を傷付け、その命を奪った男が、王などと、戯れ言にも程がある。片腹痛いわ」
「戯れ言ではない!私が王になれば、全て元のように、いや、それ以上に発展させて!」
「失われた命が元に戻る事は無いのですよ。そんな事さえわからない者に相応しいのは、玉座ではなく、絞首台です」
「こうしゅ……」
「本日はその事を伝えに来たのです。すでに公爵家は領地没収、爵位剥奪となっています。今回の事に関わった者達全てを絞首刑にする事が、議会でも決議致しました。当然マックスウェル、貴方も含めて、です」
「そんな事が許されるものか!私は、公爵だぞ」
「元・公爵です。それに、議会の決定は、誰の許しも必要としません」
唯一、異議を唱えられるのは国王だが、現在空位な上に、継承第一位のウィリアム殿下は、議会の決定を既に承認している。
「刑は、殿下の戴冠式後に行われます。王になられて最初の公務が、あなた達の刑の執行命令となるわけです」
そう言って、薄く笑う。呆けたように座り込むマックスウェルを暫し眺めた後、オルドリッジは、隣の牢の前に移った。
香菜姫達が術を掛けた翌日、隣にマックスウェルが収監されたのだが、それから4日経った今も、二人は互の事をしらないらしい。
(まぁ、あえて教えなかったのだが)
「ダレン・ガリットソン。聞こえていただろうが、お前もまた絞首刑が決まった」
「おい、宰相様よぉ!俺が何者か、まだ判らないと言うつもりか?ちきしょう!お前達は俺の本当の身分を知っていながら、亡き者にしようとしているんだろう!」
鉄格子を握りしめ、大声を上げる男に、オルドリッジは馬鹿にしたような視線を投げる。
「お前が何者かだと?お前は従兄クリフ・ステアを殺した殺人犯で、アークライト元・公爵の悪事の協力者だ。呪術の壺を埋めて回っていた事は、すでに調べはついている。お前が公爵の命令で、従兄と二人一役をしていたこともな」
「そんな事じゃない!俺が言いたいのは、ブローチの事だ!あの……」
「あぁ、あれか。あれは二十五年前にアークライト公爵家から紛失届けが出されていた物だ。誰が持っていようと、何ら不思議は無い。それが悪事の共犯者なら、猶更だ」
その言葉が聞こえたのか、隣の牢で物音がしたが、オルドリッジは敢えて見ない事にした。
「公爵家?そんな筈は……あれは、間違いなく、王家の紋章だ!」
「これだから、平民は。あれは前国王が、アークライト公爵家に婿に入られる弟殿下に贈られた物だ。第一、王家の者が使用する装飾品に、銀など使うはずがなかろう。王家の紋章に使われるのは、常に金のみだ」
「……違う?じゃぁ俺は、いったい何者なんだ?」
「お前はダレン・ガリットソン。従兄殺しの犯罪者だ」
そう言い捨てるとその場を後にした。隣の牢から、「おい、『アークライト家の銀のブローチ』とは、どういう事だ?教えろ、オルドリッジ!」と喚いている声が聞こえるが、それも無視する。
(勝手に、思い悩めば良い)
刑が執行されるまで、後、十日足らず。彼らが親子の名乗りを上げようが、それぞれの罪を悔いようが、そんな事はオルドリッジには、どうでも良かった。大事なのは、刑が滞りなく執行される事だけだからだ。
バビジ商会は、既に商人ギルドからの追放と、全ての店舗の閉鎖が命じられたが、商会頭の行方はまだつかめていない。見つけ次第、逮捕の命令が出されている。これに関しては、生死に関係ないとされていた。
そして、協力関係にあった公爵家の分家筋にあたる子爵家と男爵家も同罪とされ、領地没収の上、爵位剥奪となっている。
彼らの妻君や子息、息女は、既に財産を没収され、平民とされたが、その大半が、現在行方知れずとなっていた。
オルドリッジは教皇が手を回したと確信しているが、今後、彼等が表舞台に出てこない限り、口をつぐんでいることにした。
(後一週間。行動していくのみだ!動け!)
執務机の上の額を思い浮かべ、己を鼓舞して、その場を離れた。
再び香菜姫に議案決議の知らせと、葬儀並びに即位、戴冠式の日取りを記した手紙を飛ばしてもらう。
それと平行するように、王都中で、今回の事件を解りやすく書いた印刷物を、安価で販売した。もちろん、それを大声で読み上げる者を雇った上でだ。
突然知らされた、王や側妃、第二王子の訃報に、多くの国民は驚いたものの、概ねオルドリッジが望む方向に、皆の意識は動いていた。
つまり、【今回の悲しい知らせの原因は、悪辣な帝国と、そんな国と手を結んだ公爵のせいであり、さらにこの二年間、皆を苦しめた魔獣や魔素溜まりも、この両者が仕組んだ物だった】と。そして、【聖女様と共に、今回の真相を明らかにしたウィリアム殿下が、新たな王となられる】事を、多くの国民が認識したのだ。
【おまけ小話】
『好きな物』
犯罪者の口が軽くなるという理由で、ムーンが取り調べの一員に加えられて三日目。毎回牙をむいて唸るだけという事に辟易したのだろう。トゥルーが待つ魔術士寮へと戻る道すがら、隣を歩く香菜姫に苦情を言ってきた。
「娘よ。何度も言うが、我は…」
「神獣なのであろう。聞きあきたわ」
「ならば、このような事は、今後は遠慮願いたいのだが……」
「これも、雑用係の仕事の内じゃ。それとも何か?お偉い神獣さまは、童のトゥルーだけを働かせて、己は何もせんつもりか?」
今日、童は寮の窓を拭いておったぞという姫の言葉に、
「しかし、我は昨日も…」
「何を寝ぼけたことを。仕事とは、毎日するものであろうが。ならば聞くが、他にどんな仕事が出来るのじゃ?ほれ、言うてみぃ」
人に混じってする仕事など、考えた事も無かったのだろう。言葉に詰まるムーンに対し、姫は容赦なかった。
「ならば、取り調べに協力するぐらいは、しやれ」
「くっ、トゥルーの事さえ無ければ、こんな所……」
(ほんに、気位だけは高いのう、このフェンリルとやらは)
「あぁ、そう言えば、夕飯はブッシュカウルの肉じゃと、バートが申しておったな」
ブッシュカウルの肉は、ムーンの好物らしいと知ったバートが、本日、大量に仕入れたのを香菜姫は知っていたのだが、そんな事は噯にも出さず、さも、思い出したように話す。
「ふん、そうか…」
それを聞いたムーンの顔は、澄ました状態を維持しているが、尻尾はブンブンと、ちぎれんばかりに振られていた。
「じゃが、神獣はあまり食さないのじゃったな。トゥルーが言っておったわ」
ならばバートにも、そう伝えておいてやらねばと、ニヤリと笑って姫が言うと、
「あ、いゃ、確かに……あまり食べ無くとも、問題ないのだが……」
途端に尻尾はだらんと垂れ下がり、ピくとも動かなくなっている。
(なんとも、判りやすいの…)
「お帰りー」
そこに、声が聞こえた。見ると、魔術士の寮の前に、バートとトゥルーが立っており、此方に向かって手を振っている。
おそらくムーンが帰って来るのを待っていたのだろう。「ちょうどよい」と言う香菜姫の前に、ムーンが慌てて飛び出し、二人の元に走っていく。
「トゥルー、戻ったぞ。バートよ、我は今、雑用係としての職務を全うしてきたぞ!」
「ムーン、すごいね。ご苦労さま!」
「それは、それは。ご苦労様です。なら、夕飯は奮発しましょう」
ムーンをねぎらう二人に、香菜姫が話しかけようとするが、それを遮るように、振り向いたムーンが大声で吠える。
「娘、遅くなる前に、部屋に戻った方がよいぞ!」
そう言うと、二人を急かしながら、寮の中へと入っていった。扉が閉まる直前に見えた尻尾は、当然ながら、千切れんばかりに振られていた。
「……やはり、犬じやな」
独りごちる姫だった。




