二十話
「ムーンの演技も中々でしたよ」
バートも楽しげに言う。今回、華王が見せた幻の亡霊に、風魔法を使って声を乗せたのはバートだが、声そのものを出していたのは、ムーンだったからだ。あらかじめ決めていた台詞以外は臨機応変にという注文を、上手くこなしてくれたと、手放しで褒める。
「最後の魔獣の唸り声なんて、完璧でしたね。それにしても華王殿の術は、変わってますね。あれは何という術で?」
「あれは朧舞じゃ。我は植物も操れるでの」
、
花文様の白狐が誇らしげに言い、香菜姫がその後を引き継ぎ、説明する。
「目的に応じて配合した薬草を、粉末もしくは液にした物を撒くのじゃが、今回は吸い込むと幻を見る液と、黒い煙に見せる為の竹炭の粉を使ったのじゃ。ただし、あの液は毒を含むでの、多用はできぬ」
なるほどと頷くバートは王宮魔術士なだけあって、異世界の術に興味津々で、華王や姫が術を使っている最中も気になって仕方なかったという。
「それに、聖女様の姿を隠す術、あれは素晴らしかったです!」
「そうか?初めて使うゆえ、上手くいくか少々不安じゃったが。まぁ、及第点といったところかの」
褒められて、少々照れくさくなった姫だが、おおむね計画通りに行った事に、安堵していた。
今回の手順としては、まず例の壺とよく似た物を用意し、その中に、音声を保存する魔法陣と華王の術用の植物を仕込む。
それを香菜姫が穏形術を用いて、姿を見られること無く置き、安全な場所まで戻るのを待った後、少し離れた場所に待機していた華王が術を掛け、ダレンに幻覚を見せたのだ。
後はバートとムーンが風魔法を使って声を送ったら、『蠢く亡霊』の出来上がりだ。そこからは、恐怖にかられたダレンがどこまで喋るかにかかっていたが、期待通りと言っていいい結果が得られたと、姫は思っていた。
「さて。これは早々に、オルドリッジに渡さねばな」
そう言って壺に手をかざし、念のための浄化の真言を唱える。
「オン シュダ シュダ、オン シュダ シュダ、オン シュダ シュダ」
壺とその周りがふわりと光り、直ぐにおさまる。もう触れても大丈夫だと頷くと、バートがそれを持ち、結果を待ち倦ねている宰相の元へと向かった。
魔法陣に保存されたダレンの言葉を元に、その日の内に捕らえた下働きの男・ノーマンを取り調べた結果、あっさりとアークライト公爵の名を白状した。もっとも、取り調べ官の横で香菜姫が、ムーンに唸り声を上げさせ続けていたという事は、調書には記載されていない。
その男の証言から、さらに庭師一人と清掃係の女二人が捕らえられる事になった。
しかも、庭師を締め上げて判ったのだが、公爵は王宮にも呪術の壺を埋める手筈を立てていた事が判明したのだ。
(幸い、壺が持ち込まれる前だったから良かったものの、もし実行されていたら、どれ程の惨事を招いたか……)
その報告を聞いたビートンの背筋に、嫌な汗が流れた。
ただ、そこまで判っていながら、アークライト公爵を逮捕するための、決定的な証拠は出てこなかった。何故なら、公爵から部下への指示が全て口頭によるもので、命令書の類いが一切無かったのだ。
しかし、それは意外な所から、解決策が現れた。なんと、ダレンの推薦状を書いたのが、公爵家の執事だと判ったのだ。なので少々不本意だが、ビートンはそれを利用することにした。
王宮内で起きた【侵入、窃盗事件に絡む殺人事件】の犯人が、公爵の隠し子で、それを推薦したのが公爵家の執事なのだ。ならば、当然、【公爵本人が事件に関わってると疑われても、仕方がない】という理屈で、捕らえる事にしたのだ。
ただし、王族を除くと、最も高い身分である公爵の逮捕は、証拠隠滅や逃亡を防ぐためにも、秘密裏に準備された。
翌朝。まだ夜が明けきらぬ内に、香菜姫が前鬼と後鬼の任を解くと同時に、ビートン騎士団長を先頭とした、総勢百五十名の騎士と魔法士が、アークライト公爵の屋敷へと向かった。
ウィリアムと王妃が署名した逮捕状を手にしたビートンは、門番を蹴散らすように門をぬけ、玄関扉を押し開ける。同時に全ての出入口を封鎖すると、止める執事や護衛を振り切り、公爵の私室へと踏み込んだ。
「なんだ、騒がしい!いったい何事だ!」
まだベッドの中で寝巻き姿の公爵を、騎士達が取り囲み、すぐさま後ろ手に縛り上げる。
「おい、どういうつもりだ!わしを誰だと思っている?!ビートン、これは、間違いでしたでは、許される事ではないぞ!それを判っているのだろうな!」
「勿論です、アークライト公爵。あなたには国家反逆罪の嫌疑がかけられています。おとなしくご同行願う」
「何の証拠があって、そのような事を!」
そこに、騒ぎを聞き付けたのか、侍女を連れ夫人と令嬢が、不安げな顔をして現れた。互いに支え合うように寄り添っていた二人は、縛り上げられた公爵を見て顔色を変え、辺りにいる騎士達の様子から、事態の重大さに気づいたようだった。
「あなた、これはどういう事ですの……」
「お父様…」
「どうもこうもない!こいつらは、何が勘違いをしておるんだ!おい、さっさとこれを解け!」
「何も勘違いなどしておりません。夫人と令嬢にも、出頭要請が出ています。こちらとしても、手荒な真似はしたくありません。着替えなど、身支度の時間は差し上げますが、くれぐれも逃げたり、抵抗しようなどとは、お考えにならぬよう」
「そんな……夫や、私達がいったい何をしたと…」
「お母様、きっと、直ぐに誤解は解けますわ。そうに決まってます…」
公爵をかばい、その無実を信じる夫人と令嬢の言葉に、お付きの侍女達も賛同するが、ビートンの後ろでは、帝国との繋がりを探すために魔法士と騎士達が、屋敷のあちらこちらを調べ始めていた。書斎や私室の捜索は、特に念入りに行われている。
「いくら探そうと、何も出てこんぞ!」
縛り上げられながらも、強気にそう豪語する公爵のすぐ傍には、狐耳の飾りが付いた兜をかぶった風変わりな鎧の騎士が立っていた。白い髪を後ろでひとつに結び、切れ長で少しつり上がった目をした騎士は、公爵を縛り上げたロープの端を握っており、時々それを引っ張ったりしている。
暫くすると、どこからともなく、少女の声が聞こえてきた。
「ビートン、息女の衣裳部屋じゃ。そこのズロースなる物が入っておる引き出しの底が、二重になっておるようじゃ。そこを調べよ。あぁ、どうやら魔法で鍵が、かかっておるの」
「なっ!」
それを聞いた公爵が、驚きに目を見張る。と、同時に、令嬢が叫んだ。
「おやめ下さい!そんな……そんな所を調べるなんて…騎士団長、お願いですから、そんな、恥ずかしい…………」
真っ赤になって俯く令嬢を前に、さすがの騎士達も、その場所を調べるのは躊躇われたのだろう。しばしその動きを止め、騎士団長を注視した、その時。
「じゃが、そこに色々と隠したのは、其方の父親ぞ」
先程の声が、再び聞こえた。
すると、それまでは夫を、父を庇うような態度だった夫人と令嬢の様子が一変した。
奥方は氷よりもさらに冷たく突き刺すような、令嬢はと言えば、烈火のごとく怒りの炎を纏った視線を、それぞれ夫であり父である公爵に向けていた。どちらも殺意と言っていいほどの、強い怒りを含んでいる。
「お父様…わたくしの」
「あなた…サリアの」 「「下着の収納棚を開けたのですか?」」
同時に、その場にいた女性の騎士や魔術士からも、殺意の籠った視線が、公爵に向けられる。
「ひっ……」
それらの剣幕は、公爵だけでなく、その場にいた男達全員が恐れをなす物で、ビートンでさえ、二歩程後ずさったほどだ。
(どうやら細君と息女にすれば、国を裏切るよりも、娘の下着の引き出しを開ける事の方が、罪が重いようじゃの……しかし、穏形術と射腹蔵鈞術が同時に使えることが判ったのは、収穫じゃったの)
結局、下着の引き出しは、数名いた女性の騎士と魔術士が、令嬢立ち合いの元、調べる事で落ち着いた。
当然ながら、帝国との関係を示す書類をはじめとした多くの証拠が出てきたため、公爵はそのまま城の地下牢へ、夫人と令嬢は貴賓牢へと、収監される事になった。
*◇*◇*◇*
香菜姫が、前鬼と後鬼の守りを解いた日の午後、オルドリッジは続けざまに、来客を迎えることとなった。
一人は教皇で、何の前触れも無いまま、突然の面会の要請が入った。もう一人は側妃トリシャの父であるブラッカー侯爵で、こちらはアークライト公爵逮捕の知らせを受けたオルドリッジが、側妃と第二王子が亡くなった事を知らせる手紙を送ったからだ。
オルドリッジが執務室で教皇を迎えていると、そこに、ブラッカー侯爵が駆け込んで来た。
「宰相、どういうことだ!娘が、トリシャとアルトンが死んだというのは、本当なのか!いったい何故……」
青い顔色や乱れた髪の様子から、知らせを受けて、直ぐに飛んできたのだろう事が誰の目にも明らかだ。
「教皇様の前です。そのように声を荒げては」
「しかしだな!」
「ブラッカー侯爵。今回の事は、私とて非常に心を痛めているのです。全てお話いたしますから、どうかお掛けください」
そう言って侯爵と教皇にローテーブル脇の長椅子を勧めたオルドリッジは、傍にいた文官を通してお茶の追加を頼んだ後、自身はその向かいの椅子に腰掛けた。
直ぐにお茶の用意が整い、人払いがされる。今、執務室の中にいるのは、三人だけだ。
最初に口火を切ったのは、侯爵だった。
「宰相。私が聞きたいのは、事実のみだ!嘘や虚実は一切許さんからな!」
「女神ドラーラの名にかけて。ではまず、侯爵は原因不明の病のお話は、お聞きになられましたか?」
「あぁ。聖女達が出発してすぐに、正体不明の病が城で発生したと聞いた。なので、急いで見舞いに来たのに、堀に放り込まれたからな」
侯爵の返事に頷いたオルドリッジは、事実だけを述べていく。
「あの時既に、お二方とも、起き上がる事など到底不可能な状態でした。それは陛下も同様です」
「なにっ、陛下もか?」
宰相は沈痛な面持ちで頷くと、
「ところで、これ等をご覧いただけますか」
そう言って立ち上がると、執務机の上から二つの物持ってきて、ローテーブルに並べ置いた。香菜姫の地図と、呪術の壺だ。
「まずこちらは、聖女様が此方にこられた翌日にお作りになられた地図で、この赤い印は魔獣の分布を示しています」
「これが何だというのだ!」
「よくご覧ください。この場所です。何かおかしいと思いませんか」
オルドリッジの指がアークライト公爵領を指し示す。
「何を言っている、何もおかしい所なぞ……いや、確かに少し、……どころでは無いな。ここだけ異様に少ない。ここは大きな森も街道もあるのに、我が領よりも少ないどころか、直ぐ横の子爵領よりも少ないのは、さすがに…だが、今聞いているのは、トリシャとアルトンの事だ。それとも、これとトリシャの死に、何か関係があるというのか?」
宰相はその質問には答えず、横に置いた壺に、侯爵の視線が向くよう、手で示した。
「次に、これです」
「これは?」
「呪術がかけられた壺です。あぁ、ご安心を。すでに聖女様が浄化されましたので、害はありません。実は、今回聖女様はウィリアム王子や討伐隊と共に、大規模な魔素溜まりのできたクラッチフィールド領を中心に浄化に行かれたのですが、浄化した全ての魔素溜まりに、同じ様な物が埋められていたそうです。聖女様いわく、今回の魔素溜まりの原因は、この蠱物ではないかと」
「なに!では、この二年間、誰かが我が国の領土に呪いを掛けていたというのか?教皇猊下、これに、そのような事は可能なのですか?」
突然話を振られたものの、それまでの成り行きを見ていた教皇は、私は呪いそのものには詳しい訳ではありませんがと、前置きした上で、
「浄化されたとはいえ、この壺からは強い怨みと悪意を感じます。おそらく、聖女様のご意見は正しいかと」
まるで穢らわしい物でも見るような視線を壺に向けながら、そう答えた。侯爵はその言葉に納得するも、未だにそれらが愛娘の死と、どう関係するのか判らないという顔をしている。
「そして、最後にもう一つ、重要な事実が。聖女召喚が行われた日、側妃様と第二王子殿下の私室に賊が侵入しました」
驚きに、侯爵の目が見開かれる。そこで漸くこれまでの話と、娘と孫の死が、彼の脳の中で関連を模索し始めたのだろう。考え込む様な顔になった。
「幸いにも賊は直ぐに取り押さえられ、地下牢へと放り込まれましたが、その後、直ぐに殺されてしまいました。それも、この方の隠し子で、衛兵として王宮に潜り込んでいた男と、その仲間の手によって」
こつん、と再び公爵領を指し示す。
「賢明な侯爵ならば、これらが何を意味するか、既にお判りでは?」
少し間を置き、オルドリッジはさらに言葉を足す。
「恥ずかしながら我々は、侵入した賊が何を盗んだのか、その事ばかりに注意が向いておりました」
「では、その時に娘と孫の部屋に、これが持ち込まれたと……では聞くが、何故王妃や第一王子は、無事なんだ?」
「王妃様はあの日、聖女様をご案内したりとかなりの時間を共に過ごされていましたし、ウィリアム王子は当日はともかく、翌日以降は討伐準備のために、私室にはお戻りにならないまま、出発されましたので」
「さほど影響がなかったというのか……」
「それに王妃様は、陛下が起き上がることが出来なくなられた後は、代理として非常に多忙の身となられたのです。そのため自室に戻られる暇もなく、夜は執務室の横の仮眠室でお過ごしでした」
オルドリッジが語ったのは、全て事実だった。それを、どう組み立てるかは、侯爵次第だ。そして案の定、陰謀論者の頭脳は、オルドリッジにとって都合のよい方向に話を組み立てていった。
「では、仮に持ち込まれていたとしても、さほど影響を受けることは無かったわけか。ではなぜ陛下は…いや、それはいい。では、全ては公爵の陰謀だったのか?!我が国を窮地に陥れ、果ては王族の命を狙ったと?」
「どうやら公爵は、ご自身が王位に就きたかったようです。その為に、帝国と密約迄結んでいた事が、今朝、公爵邸を捜索した際、明らかになりました」
此れもまた、事実。そして、それは侯爵の考えを補強するには十分だった。
「なんと愚かな!王家を支えるべき公爵家が、他国と通じた挙句、王位簒奪を目論むとは!しかも、そのために、我が娘と孫は……」
白くなるほど拳を握りしめ、俯き震える侯爵の肩を見ながら、オルドリッジは多少、自責の念を感じていた。だが、彼が語ったのは約束通り、事実のみ。それに侯爵の想像が、あながち全て妄想かというと、そうでもない。
実際、公爵が今回のような事をしなければ、聖女召喚もなく、彼らが死ぬこともなかったのだから。
(些か問題はあるものの、侯爵は有能な男だ。下手に聖女に悪意や害意を抱かせても、何の得策もない。ならば、全ての責は公爵に背負ってもらうのが最善!)
「では、陛下のご容態は…?」
その言葉に、オルドリッジはさらに沈痛な表情で、首を振る。
「残念ながら…お亡くなりになられたのは、トリシャ様とほぼ同時と言って良いかと」
その言葉は、何故か侯爵を慰めたようで、少しばかり彼の表情が緩んだ。
「公爵は、牢に…?」
「はい。隠し子共々、地下牢に捕らえています。しかるべき裁きを受けて貰わねばなりませんので」
「会えるか?」
「お望みなら、直ぐにでも。第二騎士団長に案内をさせましょう」
「頼む。……その後、霊廟への案内もだ……」
「判りました。伝えておきます」
肩を落として、副団長と共に退室する侯爵を見送っていたオルドリッジが扉を閉めると、待っていたかのように、教皇が話しかけてきた。
「確かに事実のみで、嘘偽りは一切、おっしゃいませんでしたね」
それは少しばかり、トゲのある言い方だった。
今回出てきた穏形術は、七話のステータスの箇所にも書いておりますが、陰陽師の技の一つで、自分の姿を見えなくする不可視結界術です。香菜姫は現在二級で、自分の姿のみ、見えなくすることができます。
また、公爵邸では隠形術と同時に、射腹蔵鈞の術を使用しています。こちらは透視、霊視の類の術です。




