一話
レストウィック王国は建国以来、最大の窮地に陥っていた。二年にも及ぶ魔獣の異常発生の為に、多くの人手と資金が掛かり国力が大幅に落ちた上に、同盟国であるはずの隣国ロウェイ王国に要請した救援も、断られてしまったのだ。
しかも畑も魔物に荒らされた為、ろくな収穫も見込めない状態がすでに一年以上続いている。
これ以上取れる策が無いと考えた王ジェームス四世は、古より伝わる召喚魔法で聖女を召喚する事を決意した。
≪聖女召喚≫。歴史書によると、今からおよそ300年ほど前、同じような魔獣の異常発生のために窮地に陥った際、当時この地を治めていたジェームズ一世が異世界から聖女様を召喚し、その聖なる力をもって国の安定を取り戻したと記されていた。
そして、召喚された聖女・ジャンヌと、彼女を守り、共に尽力した王子・グレイソンが婚姻し、この地に新たにレストウィック王国を築いたとされている、いわば建国の歴史だった。
城に優秀な魔術士を集め、第一王子であるウィリアムを責任者に据える。そして王自ら立ち会いの元に、ついに召喚の儀が行われる事となった。
城の奥まった一室の床には、何週間もかけた召喚のための特殊な魔法陣が描かれており、今はそれを取り囲むようにして、王や大臣たちが見守っていた。魔術士達が呪文を唱え、魔力を注いでいく。そして…
「成功だ!」
「おぉ、なんと神々しいお姿…」
「これは…もしや異世界の姫君か?」
「これで、この国も救われる!」
「聖女さま!」
白く輝く聖女召喚の魔法陣の中に現れたのは、艶やかな長い黒髪を背の中ほどで束ねた、切れ長の目をした若い女性だった。
その着衣は見たこともない形状ではあるものの、明らかに上質な絹で作られた色鮮やかな物であり、それ自体が彼女の身分の高さを窺わせる。
「ここは…どこじゃ?」
そう呟いたきり、魔法陣の中で黙り込んでいる少女の前に歩み出たウィリアム王子は、相手に警戒されないよう、跪いてから話しかけた。
「ようこそお越し下さいました、聖女様。私はこのレストウィック王国の王子でウィリアムと申します。そして、あちらにおりますのが、我が父でもある国王ジェームス四世です。
突然の事で驚きでしょうが、ここは、あなた様の居られた世界とは別の世界になります。我々の国は今現在、非常に困った状況に在るため、聖女様に助けて頂こうと思い、聖女召喚の儀を行いましたらば、異世界からあなた様が来られたのです」
「異界から妾を召喚?異国ではなく?では、其方等を助けなければ、妾は元の場所には戻れぬと言うことか?」
少しばかり古めかしい話し方をする少女の美しい眉間にしわが寄るが、それを不安のせいだと解釈したウィリアムは、その青い瞳に僅かばかりの後悔をにじませながらも、言葉を続けた。
「あ…いぇ、おそらく前に居られた世界には、もう戻れないかと…」
「戻れない?それなのに、其方達を助けよと申すのか?」
少女の声に困惑だけでなく、いくらかの怒気が混ざるのが判ったが、それもまた想定内だと考えている王子は、さらに言葉を続ける。
「それに、こちらに召喚された時点で、恐らくは貴女様は元の世界では、存在しなかった事になっていると思われます。ですから、仮に戻ることが出来たとしても…なので、これからはこちらの世界を、貴女様の住む世界と考えて頂きたいのです。
もちろんこちらでの生活は、今回の召喚の責任者である私が、責任を持って対応致しますから、ご安心下さい。何不自由無い生活をお約束致します。ですからお願いです、聖女様。この国を、我々を救って下さ…」
「断る!」
「えっ?」
すまなそうな表情を浮かべながらも、聖女として召喚された少女を安心させ、国の窮状を伝えるために予め用意していた言葉を連ねていた王子だったが、彼女が間髪を容れず断ってきた時点で、漸く相手が怒っている事に気がついた。
「先ほどから、何を勝手な事ばかり申しておる?なぜ、妾が其方達を助けなければならないのじゃ?妾に言わせれば、これは拐かしだし、其方達は全員罪人じゃ!!そのような者達を助ける義理も道理も、妾には無いわ!!」
「しかし、聖女さま!あなたはこの国を救うべく、神が使わされた御方で…」
立ち上がり、歩き出そうとする少女の腕をウィリアムが掴もうとするが、
「妾に触れるでない、無礼者!」
パンッ!
彼女が王子の手を振り払ったその直後、
ゴォーーーッ!ドンッ!!
凄まじい魔力が渦を巻きながら、その部屋に居た者達を、王子共々なぎ払った。その渦の中心では、その艶やかな黒髪を魔力によってうねらせた少女が、怒り心頭の体で立っていた。
「妾は陰陽寮が頭にして、陰陽道宗家でもある土御門 泰福の娘、香菜じゃ! その妾がさらわれた挙げ句、その存在自体を無き事とされたと聞かされながら、黙って其方らの言うことを聞くと思うたら、大間違いぞ!!」
ガンッ!、バンッ!、ドゴンッ!、グシャッ!
凄まじいまでの怒りを纏った魔力はさらに勢いを増し、部屋の中を蹂躙していく。おまけに、いつの間に現れたのか、二匹の白狐が彼女を守るようにしながら、周りを威嚇していた。
(あれは…もしや聖獣様か?)
王子をはじめ、その場にい居合わせたものは突如現れた二匹の狐に驚きを隠せなかったが、荒れ狂う部屋の中では、誰一人しゃべるどころか、息をする事さえもままならない状態だ。
唯一頼りになりそうな魔術士達も、召喚の儀の際に力を使い果たしたのか、部屋の隅でへたり込んだまま、動けずにいた。
「周王!華王!」
「「あいな姫様、何なりと!」」
香菜と名乗った少女の呼びかけに、二匹の白狐が答えた途端、彼女の周りに新たな魔力が加わった。その次の瞬間、
ドォン、ガン!!ガラガラガラ…
壁の一角が破壊され、バラバラと音を立て瓦礫が部屋の内外に落ちていく。
(姫様?!やはり聖女様は姫君だったか。いや、それより今、狐がしゃべった!間違いない、聖獣様だ。しかも、かなりの高魔力の持ち主が二体も…このままではここにいる者達だけでなく、城ごと魔力に押し潰されてしまうのでは!?)
聖女達の発する魔力によって、城ごと瓦礫となる可能性に気づいたウィリアムは、必死になって言葉を探し発した。
「せ、聖女、いや、香菜姫様、もしお望みになられる事があるのなら、どのような事でも叶えます!なので、先ずはお怒りをお鎮め下さい!お願い致します!」
「…ほう、どのような事でもと、申すか?…」
渦巻くような魔力が少し揺らぎ、その圧が弱まったように感じた王子は、さらに言葉を続ける。
「は、はい!おっしゃって下されば、なんでも叶えます。ですから…」
「では、死を以て贖え」
「えっ?」
王子が驚くと同時に、その身体はリボンのようなものに何重にもからめとられ、少女の前に引きずり出されていた。だが、渦巻くように部屋を満たしていた魔力は、ひとまずは収まったようだ。
「聞こえなんだか? 死を以て贖えと申したのじゃ。確か其方が責任者だと言うておったな。では聞くが、其方、兄弟はいるかえ?」
「お、弟が一人…」
「では其方と弟、二人の首で許してやろう。妾は寛大じゃ」
「なぜ二人?一人では…」
ようやく己の窮状を理解したらしい王子が、震えながらも発する質問に、香菜姫は指を一本ずつ立てながら、説明していく。
「妾の国では、人は二度死を迎えると言われておる。一度目は、肉体の死。そして二つ目は忘れ去られる、記憶からの死じゃ。ゆえに、二人じゃ。間違うては無かろう? 妾はこの身の存在を無かった事とされた故、父母にさえ忘れさられたようじゃからのぅ!」
「しかし、彼等はこの国の王子で…」
そこに口をはさんだのは、なぎ倒された玉座の陰に隠れるようにしゃがみこんでいた、王だった。
「ほぅ、先ほどの話からかんがみるに、其方達は、自分達では成し得ぬ事を妾にさせようとしているように聞こえたが、違うのかえ?その妾の命が、こやつらの命に劣ると申すのか?」
香菜姫の苛立たしげな言葉と共に、おさまっていた魔力の圧が少し上がる。
「い、いえ、ただ、聖女様には、将来こちらの第一王子の妃になっていただこうと…」
「はぁ?なぜ妾が罪人の頭と添わねばならぬのじゃ?無礼にもほどがあろう!」
バキィッ!
目の前に転がっていた玉座が、怒りの圧で押し潰される。
聖女への褒美として用意されていた王子との婚姻を、無礼だと切り捨てられた王は、側にいた男を盾として後退りながらも、必死になって打開策を考えるが、恐怖のせいか、頭がろくに働かずにいた。
「で、では、とりあえず牢に入れ、後日毒杯を与えるという事で…」
「戯けたことを申すな!罪人は打ち首と決まっておる。それ以外は認めぬわ。それより、さっさとそやつの弟を連れて参れ!」
「は、はい、直ぐに。おい、そこの衛兵!」
すでに拘束されている第一王子の身代わりを立てる余裕はないと判断した王は、せめて第二王子の命だけでも何とか助けようと考え、側にいた衛兵に第二王子を連れてくるよう命じた際に、小声である指示を出すことにした。
しかし、それは香菜姫の視界にもしっかりと入っており、
(小賢しい真似を…探れ!)
ピッ!
姫が紙でできた鳥型の式に、素早く息を吹きつけ、指で弾く。
式は直ぐに小さな鳥となり、衛兵の後ろに付いて行った。その衛兵が部屋から出るのと同時に、そろそろと上がる手が、姫の視界に入った。
「恐れながら、宜しいでしょうか」
それまで王に盾として扱われながらも、その身を庇うようにかがんでいた男がゆっくりと立ち上がり、香菜姫に声をかけてきたのだ。
こげ茶色の髪に白いものが混じるその男は、壮年だが長身で、がっしりとした体躯のそれは、一目で武人のものだと判る。
「何じゃ?申してみよ」
「もし叶いますならば、王子の代わりに私の首で、香菜様のお怒りをお鎮め頂ければと思い…」
「其方は?」
「この国の騎士団長を務めるビートンと申します」
「武人の頭か。其方は己の首が、この者と同等の価値が有ると申すのか?」
「いえ、しかし…」
「ならば、妾に格下の代替品で我慢しろと?」
「そういう訳では…」
「では、黙っておれ!」
パンッ!
先ほど押し潰された玉座が、今度は粉微塵になった。
「…申し訳ありません」
悔し気に下がる男の手はきつく握られており、その爪が手のひらに食い込んでいるのが、香菜姫からも見てとれる。
(命を差し出してまでも忠義を尽くさんとする者が居るということは、こやつ等はそれほど悪人では無いということか)
そう思ったものの、香菜姫とて、ここを譲る訳にはいかなかった。よしんば、今後彼らに協力するよう事になろうとも、勝手にこんな所に拐ってきた対価だけはきっちりと払って貰わなければ、どうにも気が収まらないのだ。
しばらくすると、きらびやかな衣装を纏った赤銅色の髪の青年が、先ほどの衛兵に引きずられるように入って来た。しかし、さらにその後ろから目深に被り物をした地味な衣装の男が、隠れる様にしながらそっと部屋に入って来るのを、香菜姫は見逃さなかった。
衛兵から離れた式が彼女の元に戻って来て、その耳元で事の顛末を伝えると、それを聞いた香菜姫は、苛立たしげに大きく息を吐いた。
「其方達は、どこまで妾を愚弄したら気が済むのじゃ?周王!華王!」
「「畏まり!」」
次の瞬間華王と呼ばれた狐が跳躍し、部屋の隅にいた地味な衣装の男の上に伸し掛かった。
「おい、何をする!放せ!!」
それと同時に、王がウィリアムと同じように捕らわれの身となって、香菜姫の前に引きずり倒される。華王に咥えられ、連れてこられた男も、気づけば同じ状態にあった。
「俺は関係ないだろう!第二王子はそこに居るだろうが!」
「どういうつもりだ!なぜわしまで!!」
「うるさいわ!兄の命と、己の身代わりの命が奪われる場に来て、ニヤニヤするような輩にかける情けは、妾には無いわ。妾を謀ろうとした者にもな!」
魔力の圧を上げながら、冷たく言い放たれる言葉に、新たに捕らわれの身となった二人は何も言えずにいた……
今より少し前
「アルトン王子、大変です!」
ドタドタと喧しい足音を立てて、衛兵がアルトン第二王子の部屋に入ってきた。
「どうした、騒がしい。兄上が聖女様に振られでもしたか?」
ソファーにもたれ掛かるように座っていた王子が、身体を起こすことなく聞く。赤銅色の髪を除けば、その顔は兄であるウィリアムによく似ているのだが、その態度のせいか、どことなく、だらしない印象がある。
「いえ、それどころか、聖女様の怒りを買い…その、ウィリアム王子とアルトン王子の首を要求されまして…」
「はぁ?!一体どんなへまをしたら、そんな事になるんだ?おまけに、兄上だけではなく、なんで俺の首まで?そもそも、女一人に騎士たちは何をしている、情けない!!」
「とりあえず王からの命令をお伝えします。早急に身代わりの者を立てるので、アルトン王子は部屋でおとなしく待っているように、とのことです」
そこに、王子とよく似た髪色をした青年が、二人の魔術士の手によって連れてこられた。
「助けてくれ、俺はまだ死にたくない!」
「魔術士、今すぐこいつの声を出ないようにしろ。おい、手を貸せ。急いで着替えさせるぞ」
身代わりの青年の服を脱がし、無理やり王子の衣装を着させると、そのまま引きずるようにして衛兵が出て行こうとするが、
「おい、ちょっと待て、俺も一緒に行くから」
先ほどまで青年が着ていた城の下働きの制服を手に、アルトン王子が言い出した。
「しかし王の命令では…」
「良いじゃないか。こんな面白い見世物、見逃す手はないだろう?なに、兄上亡きあとは、俺がうまく聖女様に取り入ってやるから気にするな。それにしても兄上ときたら、普段偉そうな事ばかり言っているくせに、ほんと情けないよなぁ。まっ、いずれ俺が男ってものを、聖女様にしっかり見せてやるよ」
そう言って、急いで制服を着こんで帽子をかぶると、衛兵の後ろから付いて行った。
(なにを言って聖女を怒らせたのか知らないが、ちょうど良い。これで次期王は俺だ)
さっきまで、そう思っていた。なのに、今は薄い紐のような物で何重にも絡み取られ、兄や父と共に床に転がされている。しかも腹立たしいことに、誰も自分達を助けようとしないのだ。
(畜生、何でこんな事に?これなら部屋で酒でも飲みながら、楽しい知らせを待っていればよかった……)