十八話
牢の中、粗末な木のベッドに腰掛けたダレン・ガリットソンは、イライラしながら待っていた。
彼の予想では、とっくに此処から出て、綺麗な部屋で優雅にくつろいでいるはずだった。なのに、未だにこの臭くてじめじめとした場所にいるのだから。
(おかしい。クリフの死体の細工がこんなに早くばれるとは思わなかったが、俺が殺したという証拠は何も無い筈だ。それに、いざとなったら【犯人らしき男を捕まえようとしたら、抵抗されたため殺した。生きたまま捕らえろと言われていたので、叱責されると思い、細工した】と言えば、良いだけだ)
衛兵が殺人犯を殺しただけの話で、何ら罪に問われるはずがないと、ダレンは考えていた。髪を切り、髭を剃ったクリフと自分を結びつける物など、何も無いのだから。
(それよりも、こんな時の用心として、あのブローチはすぐに見つかる場所に仕舞っていたのに、どうなってるんだ?)
おそらくあの直後、宰相がダレルの部屋を調べるよう命令を出した筈だから、もう見つかって良い頃だと思うのに、一向に事態が動かないのだ。
(あの宰相さまの事だから、徹底的に探せと命じた筈だ。だから見つからない、なんて事はないはず……)
王家の紋章入りのブローチ。それが意味するのは一つしかないと、ダレンは信じていた。すなわち、『王家の一員である証明』だと。
(あれを見たら、俺が何者か判った連中が、飛んできて足元に跪いて言うんだ。『これまでの無礼を、どうかお許し下さい、王弟殿下』って……)
今から四年前。王都から少し離れた街道沿いで宿屋を営んでいた両親が、流行り病で相次いで亡くなったとき、ダレルは母親の遺品の中にそれを見つけた。
当初はそれの意味する事が判らず、ただ綺麗だし、それなりの値が付きそうだから質屋にでも売り払おうと考えていた。
しかし、一応母親の遺品ということもあり、何となく手元に置いていたある日、偶然見かけた新聞記事で、それが王家の紋章だと知ることになった。
その瞬間、彼は驚きで心臓が止まるかと思った。しかしやがて、じわじわと喜びと期待が湧き出てくる。自分はもしかしたら、王族かもしれないのだと。
逸る思いを押さえ、近所や親せきに話を聞き周り、推測は確信へと変わっていった。母親は若い頃、確かに王城に勤めていたし、父親は、母親と結婚する時分から急に金回りが良くなり、小さな宿屋の主人に収まっていた。
それまでは旅人相手の小商いで、食うや食わずの生活をしていたにも関わらずだ。
どう考えても、『金を貰って、貴族の子供を身ごもった母親と結婚した』としか、思えなかった。そして、このブローチ。ここまでくると、思いつく答えは一つしかなかった。【前国王デマルコ二世の落とし種】だ。
一応、現国王の可能性も考えたのだが、当時王太子だったジェームス四世は、ダレルが生まれる一年以上前から外遊のために国を留守にしていたので、その可能性は無いと思えた。
しかも、ブローチの金具の横にはⅡという数字が刻まれていた。これはデマルコ二世のⅡか、もしくは二番目の子供という意味だと推測できた。
「てことは、俺は王弟様ってことか……」
思えば、幼いころから宿屋の看板息子として家業を手伝っていたダレルは、よく宿泊客から「上品な顔立ち」だの、「こんな所に置いとくには、もったいないほど綺麗な顔立ち」などと言われたりしていた。
そしてその度に、父親がいい顔をしなかったのも、覚えている。母親は嬉しそうにしていたが、それは単純に、看板息子を褒められたからだと思っていた。
(そりゃ、親父が嫌な顔をするわけだ。息子が、自分には似ていないって言われているのと同じだからな)
母親は子供の目から見ても美人の部類で、その母親譲りの琥珀色の髪と緑がかった瞳の彼は、確かに、焦げ茶色の髪と瞳をした平凡な顔立ちの父親には、全くと言っていいほど似ていなかった。
(当然だよな。他人だったんだから。もっとも、親父は俺の本当の父親が誰かまでは、知らなかったんだろう。でなきゃ、あんなに俺をこき使うはずないからな。しかし、まさか王族とは……)
そうと判れば、すぐにでも名乗り出ようかと思ったが、そこでようやく少し、冷静になった。
貴族の庶子が、うっかり親の死後に名乗り出て、継母や跡取りである兄弟に殺されるなんて事は、芝居等でよく聞く話だったからだ。
特に側妃の実家であるブラッカー侯爵は、過激な言動で有名だったため、何をされるか判らなかった。
(しかし王位を継ぐ者が、俺しか居なくなったとしたら、どうなる?)
そんな考えが浮かんだとき、従兄のクリフから仲間に入らないかと誘われた。
「どうせ、あんなちっぽけな宿屋、継いでもたいした稼ぎにはならないだろう?」
こっちは確実に金になるぜ、と言って。
当時、いっぱしの大物気取りだった従兄は、年の近い破落戸達を集めて、盗賊紛いのことをしていたのだが、どうやら旨い仕事にありついたようだった。ただし、それにはダレルの協力が必要不可欠だという。
話を聞くと、それはある大貴族の依頼で王城に衛兵として潜入して情報を集める仕事で、多額の報酬が約束されているという。だがすでに、いくつか犯罪歴のあったクリフでは、神殿での宣誓を必要とする衛兵の入隊審査に受かることは、不可能だった。
しかし、今まで親の宿屋の手伝いをしていたダレルなら話は違う。おそらく何の問題も無く雇われるだろうと。そしたら時々入れ替わってくれるだけて、結構な金が貰えるようにしてやるというのだ。
母親同士が姉妹のせいか、二人は顔はともかく背格好から髪の色まで、非常に似ているため、髭でも伸ばせば入れ替わってもばれないだろうというのが、クリフの考えだった。
金よりも王城に入ってみたかったダレルは、二つ返事で引き受けた。ただし、自身はクリフ達の犯罪行為には、一切関わらないという約束で。
確かにそれは、彼と従兄にしか出来ない仕事だった。髪と髭を伸ばしたダレルとクリフの二人は、親でさえ間違えそうなほど、そっくりになったからだ。
目の色や声は少し違うが、破落戸仲間でも二人を見分けることが出来なかったため、後は、同一人物に見えるよう、ダレルが普段からやかましく足音を立てて歩くように気を付けるだけだった。
クリフに静かに歩かせるより、ダレルが喧しく歩いた方が簡単だったからだ。こうして、二人一役の生活が始まった。
衛兵として雇われたダレルは、定期的にクリフと入れ替わりはしたものの、特にしなければならない仕事が在るわけではなかった。せいぜい連絡係として、依頼人が別口で送り込んだ下働きの男に、クリフからのメモを渡しに行くぐらいだ。
そのため、時おり垣間見る王族や貴族達の華やかな暮らしぶりに内心腹立ちを感じながらも、衛兵としての仕事をこなしていた。
あの隠し通路は、ダレルが城に勤めて一年目ぐらいの時、偶然仕事中に見つけたものだった。
城壁の階段裏にある背の低い隠し扉は、入口がひどく狭い上に、長い間使われていなかったらしく、開けるとカビ臭かった。おまけに道はどこかに通じているわけでもなく、突き当たりは、堀に面した小さな部屋があるだけだ。
しかし、新しいものを見つけて嬉しくなったダレルは、つい、クリフにその事をしゃべってしまった。するとクリフはその通路を直ぐに自分専用のように使いだし、やがては数人の仲間を常駐させて、アジトのように使い出した。
(俺が見つけたのに……)
そして、その頃からちょくちょく、兵舎で盗難騒ぎが起きるようになった。一応、ダレルのアリバイがしっかりとある時にしか起きなかったため、彼が疑われる事は無かったが、それは依頼人には不評だったようだ。
その証拠に連絡係の男が、ダレルに接近して来て、クリフではなく、彼に仕事を頼むようになったからだ。
あの変な壺の仕事も、その一つだった。あれは、クリフの依頼人が、密かにダレルに依頼してきたものだ。
非番の時に、ある男に同行して、指定された場所に壺を埋めるだけの簡単な仕事だが、結構な金になった。ただ、その度に体調が悪くなった。
それに毎回の同行は無理だったので、ダレルは従兄の部下の何人かを買収して、実行させる事にした。その中には、体調を悪くしたまま死んだ者もいたが、破落戸の一人や二人死んだところで、誰も気にしなかった。それは、彼らを仕切っていたクリフでさえも同じだった。
それから暫くすると、国中で魔素溜まりと魔獣の大発生が起きたが、城の警備が仕事の衛兵が討伐には参加することは無いため、ダレルの生活にたいした変化は無かった。
どうしたら王弟だと名乗り出ても、命を狙われずに済むか判らないまま、時間だけが過ぎていた。
しかし、聖女を召喚したあの日、運命は大きく動いた。
あの日は依頼人の指示だからと、クリフが【ダレル】として、召喚の間に詰める事になっていた。しかし、何故か途中で依頼人の手の者を通じて、出来るだけ早く入れ替わってくれと、クリフから要請があったのだ。
外の警備も第三小隊の受け持ちだったため、近くまでは問題なく行けたものの、どうやって入れ替わろうかと、物陰で様子を伺っていると、ちょうどクリフが部屋から出てきたので、人気の無いところで声をかけた。
どうやら聖女様の使いで、王妃と側妃を迎えに行く途中だったらしい。
訳が分からないまま入れ替わり、側妃と王妃を迎えに行ったダレルが召還の間へと入ると、そこでは素晴らしいことが起きていた。
なんと、召喚された事を怒った聖女が、国王と王子達の首を要求していたのだ!思いもよらぬ幸運が舞い込んだことに気づいた彼は、胸の中で女神に感謝をささげていた。
(女神様、これは俺が王位に就くべきだという、あなた様の思し召しですね!!)
残念なことに、結果としてウィリアム王子は生き残ってしまったが、所詮は聖女の操り人形に成り果てた役立たずでしかない。しかも、まだ立太子さえしていない。
だから、あとはダレルが何者かを、皆が知れば良いだけだった。
(俺の存在はむしろ国にとって有難いはずだ。なのに、なぜ誰も来ない…)
*◇*◇*◇*
【神殿長、その後】
「とりあえず、進みましょう。手を貸しますから、靴の代わりにこの紐を足に巻いて下さい。何もないよりは、少しは歩きやすいと思います」
ベイカー神官長に言われた通り、足に布を巻きながらも、腹が立って仕方がなかったアドコック神殿長は、ひたすら愚痴り続けた。
「わしはあの小娘を、聖女とは絶対に認めん!」
「私もです」
「それにわしを見捨てた、あの禄でもない者達もだ。戻ったら全員、破門にしてやる!」
「そうですね。戻れたら、是非ともそうすべきかと」
何とか両足に布を巻き付けた二人は、既についている沢山の足跡をなぞるように歩き出した。前方には人影はなく、皆、穴から這い出た後のようだった。
緩やかだが、すり鉢状となっている穴は、うっかりすると後ろにずり下がってしまいそうになるため、できるだけ体重を前にかけながら進んでいく。
時々、見かねたベイカーが手を貸してくれ、定期的に癒しの術を掛けてくれたため、アドコックは何とか進む事ができていた。
お返しに、こちらからも掛けるべきなのは判っていたが、それを実行する気力が湧かない。少しばかり心苦しくはあったが、今は前に進むことの方が大事だと、目をつぶる。
(あきらめたら終わりだ)
アドコックは、戻ったら何をするのかを考え、それを気力に進んで行った。
(神殿に戻ったら、先ずは風呂に入ろう。それから飯だ。出来るだけ豪勢なのが良い。当然、酒もだ。取って置きの蒸留酒を開けてやる。酌は、公爵未亡人にしてもらおう。今回受けた迷惑料として、それぐらい要求しても罰は当たらんだろう…)
そんなことを考えながら、一歩ずつ進む。周りに何も無いうえに、すり鉢状の地形のせいか、暑い季節でもないにもかかわらず、日差しがじりじりと照り付け、暑くて仕方がないが飲む水さえない。
そんな中、何とか歩き続けて、ようやく穴の淵迄たどり着いた。
(後は、これを登りさえすれば…)
両手、両足を使って、ともすればずり落ちそうになる斜面をよじ登っていく。掴まれる物が殆ど無いうえに、小石が爪に挟まり、砂が目や口に入るため、痛みや煩わしさから、さらに体力を消耗していった。
すると、後ろから神官長がお尻を押し上げてくれた。上に登れたら、ひっぱりあげて下さいと言いながら。
最後に神官長の伸ばした手を足掛かりとして、何とか登り終えた時、辺りはすっかり夕暮れとなっていた。
ゼィゼィと喘ぎながら目の前の光景に見いる。何十体もの魔獣の遺骸が転がる先に、領都の城壁が夕闇に影絵のように浮かんでいた。日が暮れるまでに、何としてもあそこまで行かないといけない事は、すぐに理解できた。もう、ほとんど時間がない事も。
足元から神官長の声がしている。手を伸ばし、神殿長が引っ張り上げるのを待っているのだ。
(そんなことをしていたら、絶対に間に合わなくなってしまう……)
そう思うより先に、走り出していた。ベイカーの叫ぶ声が聞こえるが、やむをえない。それより今は、急がないと間に合わないのだからと。
その時、狼か魔獣なのか判らないが、獣の遠吠えが聞こえた。しかも直ぐ側からだ。
背筋が凍り付き、いやな汗が噴き出てくる。心臓は、耳障りなほどバクバクいう音を連打していたが、足を止めるわけにはいかない。
今すぐ、穴の中に戻るべきかもしれない。そう思った時、身体の横から強い衝撃を受け、倒れ込んだ。起き上がろうとするが、目の前に犬型の魔獣、ブラディハウンドの顔があった。
「ひっ……」
視界の隅で、何とか自力で上ってきたらしい神官長が、再び穴に転げ落ちるのが見えたが、どうすることも出来ない。牙をむき、涎を垂らした口が迫ってくる……
(なぜ、わしがこんな目に?全ては、あの小娘のせいだ、あの小娘さえ……)