十七話
聖女やウイリアム王子が魔獣討伐に出かけた日の深夜、とんでもない報告がオルドリッジの私室に齎された。
一昨日の晩に捕らえた盗人達全員が、牢の中で殺されたというのだ。
彼らの取り調べは第二騎士団長で、副騎士団長でもあるケナード・アドキンスに命じてあった。
しかし、如何せん騎士団長であるビートンがウィリアム王子に同行するため留守にしており、そのせいで忙しいらしく、碌に取り調べが出来ていない上での失態に、オルドリッジは思わず頭を抱えたくなった。
何より、誰一人として城から出ることのできない今、犯人はまだ、城内にいるのだ。オルドリッジは、急いで王妃の部屋の警護を増やす命令を出すとともに、すでに城内の捜索に当たっている騎士団から、いつ連絡が来ても良いように執務室へと向かった。
長年愛用している椅子に腰かけると、机の上に置かれている小さな額に自然と目が行く。それはまだ十代のころ、王太子だったジェイから誕生日の祝いとして贈られたものだった。
『この額にはね、素晴らしく……』
ほんのひと時、まだ青年とは言えない歳の頃の懐かしい声が蘇るが、
「宰相さま、お知らせしたい事が!」
ノックの音と共に、アドキンス副団長の声がそれを掻き消す。
「入れ」
「はっ、失礼いたします。実は………」
副団長から新たにもたらされたのは、堀から犯人らしき男の死体が引き上げられた、というものだった。
どうやら城壁の上で見張りをしていた衛兵が、何やら争うような声と、大きな物が水に落ちる音を聞いたため調べてみたところ、堀に男の死体が浮いているのを発見した。
それを数人がかりで、なんとか堀の内側から引き揚げたのだが、その死体の懐には、囚人殺害に使用されたと思われるナイフがあり、おまけに腹には斧で切りつけられた跡があったという。
「おそらく城から逃げ出そうとした犯人が、聖女様の鎧兵士に見つかり、争った後に堀に放り込まれたのだと……」
既に遺体は地下牢横の安置所に、置かれているらしい。
「憶測はいい。すぐに検分のための医師を呼べ。私も今から向かう」
立ち上がると同時に、机の上の置いてあった紙挟みを掴む。それは出発前日、香菜姫が預けていった二枚の絵が入っているものだ。
(これが入用な気がする…)
「それと、引き続き城内の捜索を続けろ。見つかった死体が犯人の物とは限らん!」
「はっ!直ちに!」
念のためにと付けられた兵士二人と共に、安置所へと向かう。その途中、何人かの兵士とすれ違ったが、その中の一人の兵士に、オルドリッジは見覚えがあった。
(あれは……)
その時見た情景が頭に浮かび、それと同時に或る事が閃いた。
「おい。今さっきすれ違った兵士の名前は判るか?」
相手とある程度距離が開いた時点で、同行の兵に聞く。
「あっ、はい。髭の、ですよね。あれは同じ第三小隊のガリットソンです。今週の夜間業務は、我々第三小隊ですから。今は全ての隊員が、城内の探索に駆り出されているはずです」
城の警備は三つの小隊が交代で受け持っており、それぞれが昼勤六日、夜勤六日の十二日間の連勤をこなした後、1週間の休みが与えられている。聖女召喚は先週末の昼に行われたため、警備はやはり第三小隊ということだ。
(しかしいったい、何時……あぁそうか、あの時か!)
確認するように紙挟みを開き見て、合点がいく。それと同時に苦笑が漏れた。
(まさかこんな単純な手に、引っ掛かるとはな)
安置所の台の上の男は、着ていた物を全て剥ぎ取られた状態で置かれていた。その男の死に顔を見て、オルドリッジは己が立てた仮説に確信を持った。
紙挟みから二枚の絵を取り出す。それはどちらにも髭面の男が描かれており、一見、同じ人物を描いた絵が二枚あるようにしか見えない。しかし、よくよく見ると、片方の絵の男の左瞼には、小さな痣があるのが判った。
そして目の前の死体にも、同じ場所に、同じ形の痣があった。もっとも、こちらには髭は生えておらず、髪もいくらか短いという違いはあるが。
(髭がないと、ひどく平凡な顔だな。だからこそ、髭とあれか。逆に言えば、髭とあれがあれば、この男だと思い込んでしまうというわけだ)
検分に呼んだ医師は直ぐに来た。普段は兵舎の医務室に務めている医師・オルダーで、刃物の形状や傷には詳しい者だ。医師は腹についた傷口を見て、直ぐに断言した。
「確かに斧による傷ですな」
「斧の形状は?」
「形状って……普通の斧ですよ。木を切る時などに使う両刃の……」
オルドリッジは、やはりと思ったが口には出さず、自分の知っている事を医師に伝えた。
「聖女様の鎧兵士の斧は、片刃斧だ」
これは、直ぐ側で見たのだから、間違いない。
「えっ?いや、でもこれは……」
「もう一度、傷口をよく調べてくれ」
そう言って、傷口の偽装の可能性を医師に仄めかす。
「それと、水音を聞いたという兵士にも、話を聞きたいから連れて来るように」
先程同行してくれた兵士に命じ、彼らが出ていくと、更に傷口の奥まで器具を使って確認している医師に、
「悪いが、それが済んだらこれを見てくれ。この男が、こんな風に変装していた可能性は、あると思うか?」
そう言って、医師に絵を見せて訊ねた。今ある考えが、自分の思い込みでしかない可能性をつぶしておくためだ。ちらりと絵に視線を移した医師は、傷口を開く手を止めて、男の顔をまじまじと見る。
「変装ですか?!そうですね。かつらと付け髭でもつければ…いえ、ちょっと待ってください。髪の毛の断面を見たところ、最近切った可能性があります。それに、髭も、変なところに剃り残しがあるようです…」
「では、殺される直前か、死んだ後に髪を切り髭を剃ったということは?」
「その可能性は、ありますね」
そこまで言うと、また視線を傷口に戻した。そして。
「あぁ、宰相様のご推察通りでした。剣の傷の上から、斧で切り付けてあります。斧の傷が深いので、判りづらいですが 犯人は、聖女様の鎧兵士のせいにしたかったのでしょう。ちなみに、囚人達を殺したのは、こちらのナイフで間違いないと思われます」
備え付けの盥で手を洗いながら医師が答えたとき、先程の兵士達が戻って来た。彼らが髭面の兵士を伴っていたため、オルドリッジは急いで二枚の絵を裏向ける。
(やはり、こいつか)
その髭面を見た医師は、一瞬驚いた顔をするが、黙って部屋の隅の机で、検分書を書き出した。ただ、男の事が気になるのだろう。こちらの会話に耳を澄ませているのが判った。
「所属と名前を」
「第三小隊所属、ダレン・ガリットソンです」
「いくつか聞きたい事があるが、そう時間はかからない」
そう言うとオルドリッジは、ちょっとした聞き取り調査を装った質問を始めた。
「では、ガリットソン。今日は何時から城壁の見回りに?」
「規則通り、九時の交代からです」
「では、争うような声を聞いたのは何時ごろだ?その内容は?」
「大体十二時ごろだったと。ただ、内容までは。大きな声だったとしか」
「判った。そして、その後に水音がしたと」
「そうです」
そこで一旦、ガリットソンを連れてきた兵たちに視線を向け、質問する。
「彼の他に声や水音を聞いた者は?」
「居るかも知れませんが、今のところ、他に名乗り出た者は居りません」
「では争った声も、水音も、この者の証言だけか」
そうですという返事に頷いたオルドリッジは、
「ならば、今すぐこいつを捕らえよ!」
その言葉には、その場にいた者たち全員が驚いたが、一番驚いていたのはガリットソン当人だった。しかし、命令に対しての兵たちの行動は迅速で、あっという間にガリットソンは後ろ手に縛りあげられていた。
「な、宰相様、なぜ私が……」
「この死体はいろいろと細工がされていてな。聖女様の鎧兵士の仕業とは思えん。ならば死体の発見者が最も疑わしいと考えるのは、当然だろうが」
もっとも、他にも理由は多々あるのだが、オルドリッジは、わざわざ教えてやる必要はないと判断していた。
(この男は、まだ自分達の二人一役がばれたとは、思っていないはずだ)
二人一役。このガリットソンと死んだ男は、二人で【ガリットソン】という兵士を演じていたというのが、オルドリッジの立てた仮説だった。それが誰かに命じられての事かは、これから調べることになるが、召喚の儀の時に、第二王子や側妃の部屋に賊が入り込む事ができた理由は、これで説明出来る。
あの日、陛下や聖女様の命令で二度、兵士が部屋から出ている。どちらの時も、王の側にいた髭面の兵士がその役を担ったのを、オルドリッジは覚えていたが、それがガリットソンだったのだ。
そうやって部屋から出た時点で、待機していたもう片方と入れ替わり、その後盗人達を手引きしたと考えられた。
(おそらく王妃と側妃を迎えに行った時に、殺された男とこいつが入れ替わったのだろう。使いを命じられた兵の顔なんぞ気にもしなかったが、あの髭とやかましい足音は、何となく覚えている。言い変えれば、髭とやかましい足音さえ立てていれば、入れ替わったことには気がつかないというわけだ。それに、盗みに入るのに二人の死を知る必要はない。暫く戻ってこれない事さえ判れば良いのだから)
判ってしまえば、単純この上無いだけに、余計に腹立たしい。
「そいつは直ぐに牢へ連れて行け。それから、アドキンス副団長にここに来るように伝えろ!」
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(さすがに疲れたな……)
既に空は白じんできており、直に陽が昇るだろう。オルドリッジは執務室へと戻りながら、少しずつ明るくなって来た空を見上げた。
先程【囚人を殺害した犯人を、殺害した】容疑で捕まえた男、ダレン・ガリットソンは、牢に入れられた途端に態度を変えた。ふてぶてしくふんぞり返り、何を聞いてもニヤニヤするばかりか、今に後悔するからなと嘯くようになったのだ。そして先程、その理由が明らかになった。
「こんなものが、あの者の持ち物から出てきました」
ガリットソンの私物を調べるために兵舎に行ったアドキンス副団長が、怯えるような顔で出してきたのは、銀製のブローチだった。
銀の台座に、エナメルで白ユリと、交差する楯と剣が描かれており、一目で王家の紋章だと判る。ただし、楯に描かれているのは、高芯咲きの赤い薔薇ではなく、一重で朱色の薔薇だが。
オルドリッジは、それに見覚えがあった。宰相を引き継いだ時の、重要事案の一つに、そのブローチについての申し送りがあったのだ。
(これが、奴の切り札というわけか。なるほど、強気の態度も頷ける。王家の紋章は基本、身に付ける事が許されているのは王族のみ。しかし、このブローチに関しては、既に三十年以上前に結論が出ている。そのための法改正もされているが、一般人として育ったあの男が知るはずもないか)
「ふんっ、我々も甘く見られたもんだ」
「閣下。もし、これが本物なら、あのおと、お方は……我々はどうしたら……」
ブローチの存在に、完全に気圧されている副団長に、オルドリッジは呆れた視線を向ける。
(こいつも知らないのか。一応伯爵家の次男だろうに…)
しかし、それも仕方のない事かもしれないと思いなおす。普段何気なく目にしている物ほど、その詳細な部分は記憶に残らないものだ。
「そうだな。1日、2日は取り調べをせずに放っておくとしよう。食事は他の囚人達と同じ、一日一回で良い。その間、やつとは一切会話はするな。後は…そうだな。態度は出来るだけ横柄にしておけ」
「えっ、よろしいのですか?」
「構わん。言ったとおりにするように。ついでに、奴の身元を調べなおせ。誰の推薦を受けたのかもだ」
「はい!」
(さて、おそらくあの男は、ブローチを見つけた我々が、あわてて牢に来るのを期待しているだろうから、まずはそれを綺麗に裏切ってやらないとな。その後は……どうしてやろうか?まぁ、時間はたっぷりある。とりあえず、少し眠らないと)
寝不足で動き回ったために少し重くなった頭を振ると、執務室の隣室にある仮眠ベッドへと向かうが、その際に執務机の上の額を、持っていく。
(もう、昔のようには、無理が効かなくなって来たな。年をとったということか…)
自嘲気味に笑うと、サイドテーブルに額を置き、そのままベッドに横になった。意識は、瞬く間に睡魔に持っていかれるが、オルドリッジが眠りに落ちる間際、彼の脳裏にあったのは、あの額をもらった時の情景だった。
『この額にはね、素晴らしく有能な人物が描かれているんだ。驚くほど賢くて、常に冷静な判断が出来る上に、この国の事をとても大事に思ってくれる、素晴らしい人なんだ』
そう言って渡された額を、一体誰が描かれているのかと思い見ると、そこには絵ではなく、一枚の鏡がはめ込まれていた。それを見た途端に、先ほどの誉め言葉は自分に向けられた物だと理解したオルドリッジは、真っ赤になって黙り込んでしまったのだ。
『レン、貴方はもっと自分に自信を持った方が良いわ』
ジェイの隣で微笑む、利発な少女の懐かしい声を思い出しながら、オルドリッジは眠りに落ちた……
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二時間ほどの仮眠ののち、目を覚ましたオルドリッジは再び額に目をやったが、意識はまだ、先程まで見ていた夢に引きずられている気がしていた。
(あんな夢を見るなんて。あれには、とっくに蓋をしたというのに。どれほどあきらめが悪いんだ、私は…)
それはまだ幼い自分が、利発な少女と他愛もない議論をしているだけの夢だったのだが、オルドリッジとしては、重い蓋の隙間から這い上ってきた、己の浅ましさを突き付けられた気がしていた。
再び額に目をやる。そこに移っているのは禿頭の中年男だ。
(まさかこのような者が、今だに初恋の想いを引き摺っているとは、誰も思うまい…)
目を閉じ、この世界で最も愛おしい女性の姿を思い浮かべる。そして、その想いに今一度、重い蓋をして、仕事のための仮面を被り直した。
遠くから慌ただしい足音が近づいてくる事から、仕事を再開する時間だと確信する。
「ブレント・オルドリッジ、お前は冷静で有能な宰相だ。それ以外の何者でもない。徹しろ」
額に向かって独り言つと、それを手に、執務室へと向かった。
高芯咲きの薔薇とは、花の中心部分が高くなっている物で、薔薇と言えばこの形を思い浮かべる方が多いと思います。ベルばらでオスカル様の周りに飛び交っていたのは、剣弁高芯咲きと呼ばれるものです。
そして一重の薔薇とは、五弁の花びらの薔薇で、お花屋さんの薔薇を見慣れている方などは、『え、これ、薔薇なの?』と言われるほどシンプルな形をしております。ほかにもカップ咲きやロゼット咲き、ボタンアイなど、多種多様の形の薔薇があります。
ちなみにフランスの薔薇メーカー「メイアン社」からは、ベルばらシリーズなるものが出ております。私は「ひらパー」で見ました。