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十六話

「た、食べないよ!だって、ムーンは友達だし、怪我をしてて…だから……」


 そう言って顔を上げた子供は、質素な身なりをしているものの、淡い金色の髪に緑の瞳の、可愛らしい顔立ちをしていた。


(やはり、(あき)と同じくらいじゃの……)


 香菜姫の脳裏に、もう会うことが無いであろう妹・章の顔が浮かんだが、それを振り払う様に首を振ると、華王に子供の側に寄るように命じた。先行していた周王も、何事かと引き返して来ると、その後に続く。


「なんじゃ。死んだ犬を(さば)いて食おうとしていたわけではないのか」


 子供の隣に降り立った香菜姫が掛けた言葉に、それまで横たわったまま動く事さえ無かった獣が吠えた。それも人語で。


「犬ではない!(われ)は聖なる神獣、フェンリルだ!」


「「なっ、フェンリルだって?!」」


「「森の守護者と言われる?!」」


「「やはり神獸は、人語を話すのか!」」


 フェンリルと聞き、途端に討伐隊員達は(ざわ)めくが、姫はそれが何だと言わんばかりに、転がるフェンリルの後ろ脚を雪駄のつま先で小突きながら、


「うるさい犬じゃの。その神獣とやらが、何故(なにゆえ)こんな所で転がっておるのじゃ?」


 しかも、腹にでかい傷迄こさえてからにという姫の質問に答えたのは、子供の方だった。


「ちょっと前に、魔獣達が大勢であっちの方から走って来たんだ。僕、急いで逃げようとしたんだけど、逃げ切れなくて…ムーンがそいつらと戦って、追っ払ってくれたんだけど、すごく数が多いし、それに僕を守りながらだったから……何とか追っ払えたけど、その時に怪我をして……」


 その言葉を聞いて、ウィリアムや討伐隊の皆の顔色が変わった。どう考えても、先程魔素溜まりを浄化する際に退治した魔獣の中で、逃げ出した物達が彼らを襲ったと思われたからだ。当然、香菜姫も気づいたため、少しばかり気まずい顔になる。


「ムーンというのはこの犬の名か?ならば(わらべ)其方(そち)の名は何という?それに、なぜこの様な所に一人で居るのじゃ?」


 その質問に、子供は少し躊躇(ちゅうちょ)しながらも、


「僕は、トゥルー。四日前からムーンと安全な所を探して、旅をしていたの。でも、なんでこんな所にいるのかは判らない。それより前のことは、覚えていないし、ほんとは、自分の名前だって……。トゥルーっていうのは、服の裾に縫い取りがあったから、多分それが僕の名前だろうって、ムーンが言って……」


 段々声が小さくなっていくトゥルーの話を聞いていると、いつの間にか周王から降りて、二人の側に来ていたバーリーが、


「聖女様、あまりに強いショックを受けた者は、一時的に記憶を失うことがあると聞きます。この子供もそうなのではありませんか?そして、たまたま側に居合わせたフェンリルが、そんな子供を不憫に思って同行していたのでは?」


 これまで見てきた光景から鑑みて、十分あり得る話だと姫は思った。


「其方の事情は判った。じゃが、魔獣どもは夜行性の物が多い。暗うなったら、どうするつもりであった?」


「……判らない。夜はいつも、壊れた家の中とかに、ムーンと一緒に隠れていたんだけど、今は動かせなくて…でもムーンを置いていけない。友達だから…」


 その瞳に涙を浮かべて、うつむく少年に、


「まぁ手負いであろうと、こやつを倒すのは容易い事ではなかろうがの。じゃからといって、手当てもせずに此処に居ったら、童共々、餌食となるのは目に見えておるわ。ほれ、ちょっとのきやれ」


 そう言ってトゥルーと名乗った子供を脇にのかせてしゃがみこむと、フェンリルの脇腹の傷に手をかざして、薬師如来の真言を唱えた。


「オン コロコロ センダリマトウギソワカ、オン コロコロ センダリマトウギソワカ、オン コロコロ センダリマトウギソワカ」


 姫の手の周りがふわっと光に包まれ、瞬く間にフェンリルの腹の傷が消えていく。


「すごい、傷が治った!ありがとう、お姉ちゃん!ムーン、良かったねぇ」


「……娘よ、助かった。礼を言う」


「妾の名は香菜じゃ。まぁ、魔獣に関してはこちらにも幾許(いくばく)かの責任が在りそうじゃしの」


 そう言いながら立ち上がると、


「とりあえず傷はふさいだが、未だ動かさぬ方が良い。血を流し過ぎておるからの。トゥルーとやら。其方、妾と来やれ。ついでじゃ、王都まで連れて行ってやろうぞ」


「えっ、でも…」


「少なくとも、ここよりは安全じゃ。案ずるな、この犬も一緒ゆえ」


 問題なかろうと言わんばかりの視線をウィリアムとバーリーに向けると、当然とばかりに二人ともが頷いたので、姫はさっさと話しを進めていく事にした。


「では、童は妾と共に華王に乗るとして、犬は……周王、お主に頼めるか?」


「……畏まり」


 普段の威勢の良い返事とは、大層違う様子に、


「なんじゃ、えらく嫌そうじゃの」


「め、滅相もありもせん!犬なんぞを乗せるのは、(はなは)だ不本意ではありもすが、決して嫌というわけでは…」


 ただ、これほど大きいと、他の方々の邪魔にならぬかと心配だと言いながら、バーリー達の方を向くので、それも一理あると思った香菜姫は、


「犬よ。其方(そち)、小さくはなれんのか?」


 己の事を神獣、神獣と言っているのだから、その程度の事は出来るだろうと、言う。しかし。


「何度も言うが、我は、聖なる神獣で、決して犬などでは!」


「姫、このような愚物(ぐぶつ)には、己の大きさを変える等という高等なことは、できもせんかと」


 姫の質問を無視して主張を繰り返すフェンリルを横目に、小馬鹿にした口調で華王が言うと、それが気に食わなかったのだろう。今度は起き上がって、吠えた。


「無礼なことを言うな!神獣の我が高々それしきの事、出来ぬわけないわ!」


「ほっ、その様に向きになって、でまかせを言わずとも」


「でまかせではない!出来ると言ったら、出来る!」


 華王の馬鹿にしたような言葉に、更に向きになったフェンリルが答えていると、


「ならば、さっさとしやれ!」


 香菜姫の一喝と共に、バシンっ!という音が響いた。

 見ると、姫の手にはいつのまにか檜扇が握られており、フェンリルは両前足で頭を押さえる様にして蹲っていた。その尻尾は小さく丸まり、足の間に収まっている。


((((叩いた…神獣を、森の守護者を、躊躇なく思いっきり引っ叩いた……))))


 討伐隊の面々が口を開けたまま唖然としているが、姫の言動に慣れ始めているバーリー達精鋭部隊とウイリアム達だけは、フェンリルに同情を寄せながらも、素知らぬふりを決め込んでいる。


「聞こえなんだか?早うしやれ!」


 パシパシと(てのひら)に檜扇を打ち付けながら姫が急かすと、


「キュウゥーーーーン……」


 情けない声をあげながら、フェンリルの巨体が見る見る小さく縮んで行き、柴犬程度の大きさに迄なった。それを見たトゥルーはひどく驚いて、


「ムーン、小さくなれたんだ。だったら、さっき、小さくなってくれたら、僕が安全なところまで運んであげたのに……あっ、もしかして、僕がチビだから、小さくなっても、運べないって思ってた?」


「ち、違うぞトゥルー!これは我の怪我が治ったから、出来たのであってだな、決してお前の力を侮っていたわけでは…」


 あからさまに落ち込む友を、必死でなだめようとする小さくなった神獣を、バーリーが掬うように抱え上げる。


「はっ、は!確かに、これでもまだ、坊の手には余るよ」


 笑いながら空いた手でトゥルーの髪をクシャっと撫でると、


「私が抱えておきますよ。だからご安心を」


 そう言って周王の方へと歩いて行く。心配げにその後姿を見ている子供を安心させるように香菜姫は一つ頷くと、華王の方へと導くように連れていった。


「では、妾たちも出立するとしようぞ」




 ◇*◇*◇




三日前・王城



 香菜姫とウィリアム達が出発してから然程(さほど)間を置かずに、大神殿の教皇からの使者が到着したとの連絡がシャイラにもたらされた。

 ただ、既に『謎の流行病』のために『城への出入り禁止』が徹底されていたため、使者は城に入ることなく、柵越しに書簡を預けるだけで帰っていったという。


 もっとも、シャイラがオルドリッジから受けた報告によると、使者はすんなりと帰ったわけでは無いようだった。

 『自分には教皇様のご加護があるから、流行り病など怖くはありません』と言い切り、何とか城内に入ろうとする使者を、香菜姫の異形の鎧兵士が、姫から受けた命令通りに堀に放り込んだらしい。

 幸いにもすぐに助け出されたため、使者は全身ずぶ濡れになっただけで済んだらしいのだが、その怒り様は凄まじく、書簡を預けた際に、『今後王家に何かあった時に、教皇様のご加護が得られなくても、私は知りませんよ!』と、捨て台詞を残して帰っていったという。


 昨日の召喚の儀に立ち会っていた教皇は、あの事件が起きたことで、彼が予定していた聖女任命の儀を行う事が出来ずにいた。その為、今日届けられた書簡は、その事について書かれているのだと、シャイラは推測していた。


 現教皇の聖アンブロウズ・ブラッカム二世は、聖女召喚の推進筆頭ではあったが、前回の聖女が王子と婚姻したのを好く思って居らず、『聖女は終生、神殿に属する存在で有り続けるべき』という考えの持ち主でもある。

 今回も、王家が王子と婚姻を予定していることに、酷く遺憾の意を示していた。王家が聖女を独占したり、政治的に利用するのは間違っていると言って。


(自分こそ、五年後の教皇選挙を見据えての、政治的な思惑まみれの癖に、よく言えたものだわ。それにしても、あのような事が起きたにも関わらず、教皇は聖女の任命式を行うつもりなのかしら?もっとも、香菜姫さまが素直にそれに従うとは、思えないけれども)


 シャイラは面倒な事にならなければ良いのにと思いながら、届けられた書簡を開いた。


 その内容は一見、聖女任命の儀を行う旨と、一週間後の日付が書かれているだけに見えたが、最後に教皇の名で、任命後は聖女が王宮ではなく、神殿で生活する事が()()されていた。


 あくまでも、聖女様のご意志を尊重しますと書かれてあるが、おそらく、一昨日の香菜姫の態度から、聖女が王家に対して強い反感を持っていると捉えたのだろう。

 これを好機と考え、聖女を神殿に、ひいては自身の陣営に取り込もうという腹積もりに見て取れた。


 シャイラの脳裏にブラッカム二世の姿が浮かぶ。年齢は彼女よりもいくぶん若いが、その少し特別な能力と政治的な手腕で三年前の教皇選挙に勝利し、今の地位についた男だ。それだけに、信者達からの信頼も人気も高い。


 何より、怪我を治すことのできる神官に比べ、怪我と病の両方を癒せる神官は非常に少ないのだが、彼はその希少な病も癒せる神官のため、高位貴族からの支持も高いのだ。もっとも、彼に治してもらおうと思ったら、結構な金額を神殿に寄進しなければならないが。




 元々、生まれながらに癒しの術が使える者は、ほとんど居ない。神官達の大半は、【女神の雫】と呼ばれる秘石を体内に取り込むことで、癒しの術が使えるようになった者達だ。


 これは年に一度、春の一月(いちつき)に行われる女神の祝祭の時に、見習い期間を終えた神官見習い達を集めて行われる儀式で、大神殿の宝物庫に保管されている聖杯を用いて行われる。


 三年間の見習い期間の修了証書と、それぞれ勤めあげた神殿の神殿長からの推薦状を手に集まった見習い達は、順番に祭壇の前に進み出て、聖杯に自分の魔力を注ぎ込む。そして、癒しの術の適性があれば、その魔力は聖杯の中で『女神の雫』として結晶と化する。


 それを飲み込む事によって、癒しの術が使えるようになるのだが、その大きさは、当人の魔力によってまちまちで、大抵は白銀に輝いている。

 だが、希に黄金色の結晶になる者がいて、その者は傷と病の両方を癒すことが出来る様になるのだ。


 ただし、癒しの術と引き換えに、それまで使えていた他の属性の魔術は一切使えなくなる。しかも、見習いが実際に神官になれるのは、大体三分の一程度にもかかわらず、見習いになりたがるものは多かった。


 なぜなら神官という職業は、適性さえあれば身分に関係なくなれるからだ。しかも、見習いの三年間の衣食住は保証されている。

 そのため、貴族の三男や、四男、魔力の少ない庶子や、逆に魔力の多い平民の子弟達が、神官見習いとして神殿に務めていた。


(現教皇は確か平民出身だったはず。その魔力の多さから、とある貴族の落とし種だという噂も在るが、真偽は明らかになっていない……)


 とりあえずシャイラは、聖女がすでに討伐隊と共に魔素溜まりの浄化に出かけており、一週間後に帰ってこれるかどうか判らない旨を記した返事を書くしかなかった。



 そして、午後に入って直ぐに、シャイラの元に、新たな報告書が届けられた。

 今度はトリシャの実家であるブラッカー侯爵家から、事もあろうか侯爵自身が馬車で城内に入ろうとした挙句、その従者共々、堀に放り込まれたと書かれている。こちらも、直ぐに助け出されたため、ずぶ濡れになっただけで済んだようだ。


 それを読んだシャイラは、又しても溜息をついた。


 ダリル・ブラッカーは一種の陰謀論者で、何かあればシャイラやウィリアムが、彼のトリシャアルトンを亡き者にしようと企んでいると、信じて疑わない人物だ。おそらく今回も、流行り病の事を耳にした侯爵が、『それにかこつけて、シャイラが二人の殺害を企んでいる』と考えているだろうことが推察された。


(事実は全く逆だというのに……)


 だが、いずれは侯爵に本当の事を話さなくてはならない。そう判っていても、シャイラは気が重くて仕方がなかった。

 政治的な駆け引きや思惑が無いわけではないが、それでも侯爵が娘や孫を大事に思っているのを、知っていたからだ。


(どうやら午後の休憩時には、お茶ではなく、胃薬を用意させた方が良さそうね)


 シャイラは次の報告書に目を通しながら、少しばかり痛みだした胃に手を当てた。




****



(捕まっていた手下が全員、()られた。ちくしょう、あいつが裏切りやがった!ちょっとばかり欲を出したからって、この仕打ちはないだろう!今までさんざん俺らの事を利用して来たくせに。おまけに、こんな時に城から出られないなんて、ついてないどころじゃねぇ……)


 暗く狭い通路を走りながら、男は歯噛みしていた。何もかも上手く行かない今の状態に、腹を立てながら。


(だがこの通路は、あいつも知らないはずだ。なんせ、極秘中の極秘だからな。へっ、いくら雇われてるからって、何でもかんでも報告すると思ったら大間違いってもんだ。ここで暫く静かにしておけば、いずれは…しかし、しけた城だぜ。台所に、食いもんがこれっぽっちしか無かった。だが贅沢は言ってらんねぇ。まずは、生きて城から出ないと……!)


 通路を曲がった先に、待ち構えるように現れた人影に、思わず立ち止まる。


「誰だ!」


 まさかここまで追っ手が来たのかと男は焦ったが、そこに見えたのは、よく知る者の顔だった。


「なんだ、お前か。驚かすなよ。そうだ、お前何か食い物を……えっ?」


 しかし、安堵は直ぐに驚愕へと変わった。気がつけば、男の腹には深々と剣が刺さっていたからだ。しかも、相手はその剣をひねりながら更に、深く刺してくる。


「おい、なんだ、どういう……こと…だよ…まさ…お前…が裏切った…か?もし…て、あい…らも…?なぜ……」


 男はそれ以上話すことなく、崩れ落ち、動かなくなった。


「うるせえ、この能無しが。年が少しばかり上だからって、今まで散々偉そうにしやがって。俺は、本来なら、お前なんかが、口も利けないほど、高貴なお方なんだよ!」


 新たに現れた男は、これまでの鬱憤を晴らすかのように、事切れた男の肩や背にガンガンと何度も蹴りを入れ続けた。


 しばらく蹴り続けて、ようやく怒りが収まったのだろう。その遺体を引き摺るように運びながら、楽し気に独り()つ。


「さて、あいつらを殺したナイフをこいつの懐に突っ込んだら、堀に放り込まないとな。ありがたいことに、今なら、こいつが仲間を殺して逃げ出そうとしたところを、あの変な鎧の兵士にやられたと、だれもが思ってくれる。あぁ、その前に、こいつの-----を----っておかないと……」


暦について


私の書く異世界の暦は、基本的に全てがこの設定になっています。


春の一月~三月(いちつき、につき、さんつきと読みます)

夏の一月~三月

秋の一月~三月

冬の一月~三月 の十二か月


新年は春の一月一日

新学期は秋の一月一日開始

一ヶ月は全て30日で一週は6日 五週で一ヶ月


風の日、火の日、水の日、木の日、鉄の日 土の日で、一週間

土の日は安息日で休み

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― 新着の感想 ―
[良い点] わーい! お城のお話が始まったぞ!! 新たに判明したことがどれもこれも面倒くさくて楽しそうですね!!(ヤケクソ) 神獣を乗せるのを渋る聖獣様や神獣をぶっ叩く聖女様が個人的なハイライトの1…
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