十五話
「ウィリアムよ、待たせてしもうたか?」
防御壁の上を駆け抜ける華王の上から、眼下に見える討伐隊に声を駆けた香菜姫は、そのまま、ウィリアム達の側に降りるよう、華王に命じた。
先程、遠目に彼らがここの門を通るのを見たため、さほど待たせたわけではないのは判っていたが、一応、念のためにと掛けた言葉だったのだが、それに答えたのは中年の着飾った男だった。
「おぉ、これはもしや聖女様でしょうか?なんと麗しいお姿!異国情緒溢れる衣装も、又素晴らしい!」
薄くなり始めた渋茶色の髪を、油の様なもので固めたその男は、
「わたくし、この地を治めるドーキンス伯のハイロと申します!こうして、聖女様にお目にかかる事が出来たことは、無上の喜びに他ありません。これも全ては女神ドラーラ様のお導きでしょう」
そう言いながら、ウィリアムの横に降り立った姫の前に進み出ると、右手を胸の前に、左手を横に上げた状態で、右足を幾ばくか後ろに引いて礼の姿勢を取ったのだが、何故か顔だけは下を向かずに、姫の方を向いている。しかも、ニヤニヤと笑いながら、片目をやたらとパチパチさせるのだ。
(此奴、顔の片側だけピクピクと痙攣しておるようじゃが、何ぞ病にでも罹っておるのか?)
香菜姫は男の様子を訝しく思うも、その名には覚えがあった。
「あぁ、そちがクラッチフィールドの救援要請を差し替えた、卑劣な阿呆であったか。討伐隊や、妾を謀ろうとするとは、良い度胸じゃのぅ。さて、どうしてやろうぞ」
想定していたものとは全く違う聖女の態度に加え、救援要請のことを言われて慌てた男は、急いで言い訳を始めるも、
「なっ!謀るなどと、そのようなことは決して!それに、あれはクラッチフィールドの奴が先に、偽りの救援要請を送ったからで…」
「ほぅ、偽りとな。妾は先にクラッチフィールドに行って参ったが、奴は、魔素溜まりと魔獣の大群から領民を守るために、奮闘しておったぞ。それを偽りと申すか」
華王から降りた姫の後ろには、こちらも周王から降りた精鋭部隊がずらりと並び、その言葉を態度で肯定する。
「そんな筈は。私は確かに…」
ドーキンスは姫の話を聞いて、明らかに狼狽えたものの、未だに自分の置かれた状態を理解していないようだ。なので、姫が知らしめす。
「ウィリアムよ。このような者でも、この国には入り用か?」
姫の質問に、王子は一瞬考えるようなしぐさをした後、うっすら微笑みながら、ゆっくりと首を横にふる。
「えっ……殿下…」
「要らぬようじゃな。ならば、これは魔獣をおびき寄せるための、生き餌にでもしてやろうぞ。周王!」
「あいな!」
炎の紋様の白狐が、前足をくるりと回す。一瞬で着飾った衣装が見えなくなる程の紐が巻き付き、締め上げる。
「何を!私はこの領地と砦を任されている伯爵ですぞ。例え聖女様でも、此のような狼藉が許される筈は!殿下、殿下からも、何か言ってください!」
「他領の緊急時要請の無断破棄や偽造は、重罪だと貴君も知ってるだろう!なのに殿下に助けを求めるとは、厚かましいにも、程があるぞ!」
ビートンがドーキンスの頼みを一蹴し、その横でウィリアムが微笑んだまま、頷く。そこで漸く、ドーキンスは己がとんでもない失策をしたことに気付いたようで、その顔色が真っ青になっていくが、今更、どうしようもない。
「せ、聖女様、生き餌なんて、冗談ですよね?」
うっすらと笑いながら近づいてくる姫に、ドーキンスが怯えながら確認するが、
「妾はそのような冗談は好まぬ」
そう言いながら、油ぎった頭に手をやると、髪の毛をひとつまみ程、躊躇なく引き抜く。ブチブチッという音に、ぎゃっ!という声が重なる。
「周王よ、門を出て、少し行ったり所に、小さな林が在ったゆえ、そこの木にでも吊るして参れ」
「畏まり~!」
楽しげに答えた周王が、紐の先を咥えて飛び立とうとしたそのとき、
「あぁ、忘れるところじゃった。ほれ、魔獣寄せの呪符じゃ」
香菜姫が懐から出した札を、ドーキンスの背中にぺたんと貼る。
「いやぁぁぁぁぁ……」
周王にぶら下げられたまま、防御壁の上を飛んでいくドーキンスの悲鳴は、直ぐに小さくなり、聞こえなくなった。
「さて、食事の用意を頼む。不思議な事に、崋王に乗って移動しておっても、腹というのは減るものじゃからの」
消えていくドーキンスの姿を驚いた顔で見ていたビートンに、香菜姫が声をかけると、それまで真っ青な顔で立ち尽くしていたドーキンスの兵達が、慌てて此方ですと言って、領主屋敷に案内しようとするのを、バーリーが断る。
「我々は、場所さえお借りできれば、結構なので。前回お借りした広場を使いたいが、問題ありませんな?」
有無を言わせない状態で場所の交渉を始める。その横で、やはり呆然とした顔でビートンと同じ方角を見ているウィリアムに香菜姫は、
「心配せずとも、あれは範囲は狭いが魔除けの呪符じゃ。間違ごうても、食われはせん……と、思う」
そう、こっそりと告げた。
討伐隊の手によって、あっという間に広場にいくつもの天幕が張られ、その中には、香菜姫専用の小さな天幕もあった。中に入ってみると、簡易の寝台と寝具が置かれ、白狐達用なのか、大きな座布団のような物も幾つか並べられていた。奥には衝立があり、腰掛け樋箱が置かれている。
(野営でこの様な事ができるとは、やはり便利な世界としか言いようがないの)
座布団に埋もれるようにして休んでいる狐達の背を撫でてやっていると、食事の用意が出来ましたと声を掛けられたので、先導する兵士に案内されるまま、少し大きめの天幕へと入った。
そこには長方形の台がおかれ、その両脇には腰掛けが並べられており、その台の短辺部分に置かれた腰掛けを勧められた姫は、黙ってそこに腰掛ける。
その天幕にいたのは、ウィリアムとビートンだけだったが、すぐにバーリーや精鋭部隊の皆が入ってきた。その他の者達は、別の天幕で食事をするらしい。
別動隊と行動を共にしていた魔術士のバートが、マジックボックスから次々と食事を取り出すのを眺めながら、姫は白い布が掛けられた台の上に、一枚の式を置いた。『代』と書かれ、ドーキンスの髪を蝋で張り付けた人型の式だ。
時々、何やらぶつぶつという音が聞こえるためか、真向かいに座るウィリアムがチラチラと視線を向けてくる。
「これはドーキンスの動向が判る式じゃ。この音は奴が何か言っておるせいじゃから、気にせずとも良い」
何かあれば、直ぐに判ると澄ました顔で姫が言うので、ウィリアムは頷くしかなかった。
食事はウィリアムの「聖女様達と無事合流出来たことに、感謝を」という言葉と共に始まったが、その場の会話はバーリー達討伐隊による、クラッチフィールド領の現状についての話が大半を占めていた。
小声で真言を唱えてから食事していた香菜姫も、例の壺の話になると、当然説明役となる。もっとも今は未だ、あれが呪術だということしか判らないため、出来るのはその形状と効果ぐらいだ。しかし、それはウィリアム達を酷く驚かせると同時に、その場の空気を一気に重くした。
「ぎやぁぁぁぁあぁぁあ、く、くるなぁぁぁぁぁああぁ!!やめてくれぇぇぇええぇっ!」
その重くなった空気を引き裂くように、突然、式から叫び声が聞こえてきた。
「おや、どうやら出てきたようじゃの。では、参るとするか」
にんまりと笑いながら席を立った姫を見たバーリーは、再びドーキンスに対して、少しばかりの同情を寄せていた。
***
今回、周王の背に乗っているのは、ウィリアム王子とバーリー、そしてビートンの三人だけだ。すでに馴れたバーリーと違い、ウィリアムは恐る恐るしがみ付いているし、ビートンに至っては、必死の形相でウィリアムの腕を掴んでいる。
「そんなに強く掴まんでも、周王は優秀ゆえ、落とすことはないぞ」
あきれたような香菜姫の、何よりそのように掴んでおれば、痣になろうぞという言葉に反応し、ようやく掴む手を緩めたのが見て取れた。もっとも、その時には既に目的地に到着していたが。
上空からみても十数匹の魔獣が、木の下にいるのが判った。
その中でも、熊のような魔獣が時々後ろ足で立ち上がり、吊り下げられた男を叩き落とそうとするものの、その度に何かに弾かれていたが、ドーキンスはそれに気づかず、何とかその手から逃れようと、ヒョコン、ヒョコンと足を跳ね上げる様に動いている。それを見た香菜姫は、
「なんじゃ、札が効かずに、齧られでもしたのかと思うたが、ぴんぴんしておるではないか」
そう言いながら、此れぐらいで足るじゃろうと、退魔と書かれた呪符を何枚か取り出すと、扇のようにバサバサとさばきながら、一気に息を吹き掛け、放った!
「「急急如律令、 呪符退魔!」」
パパンッパン、パパンッパンパンッ、
札に触れた魔獣達が次々に弾け飛ぶ。かろうじて札から逃れたもの達も、あわてふためいて、その場から逃げ出したため、辺りはあっという間に静かになった。
ドーキンスは、ミノムシのように木からぶら下がったまま、全身に魔獣の血や肉片を浴びて、白目をむいたままピクとも動かない。
「ふんっ、少しは懲りたじゃろう。じゃが、少々臭うの。華王、水でもかけてやれ」
「あいな、姫様!」
ザブンッ!
「ひぃやぁぁぁあっ!」
突然頭から氷混じりの冷水をかけられたドーキンスは、意識を取り戻すが、又しても、周王に咥えられて、今度は己の屋敷の牢に放り込まれる事となった。
「阿呆の処罰はそち達に任せる。こちらの法は、妾には判らぬからの」
香菜姫はそう言って華王に乗ったまま、自分用に割り当てられた天幕へと戻っていったので 、領主屋敷にはウィリアム達だけが向かう事になった。しかも、屋敷に着いて三人とドーキンスを下ろした周王は、では、我はこれでと言って、姫の天幕へと戻っていってしまったのだ。
「帰りは歩いて帰れという事か… 」
ウィリアムがポツリと呟くと、
「明日の朝、馬車を用意しますので、ご安心を」
苦虫を噛み潰したような顔をしたビートンが答え、それを聞いたバーリーが、声を上げて笑った。
主が罪人として帰宅したため、領主屋敷は突如大騒ぎとなったが、全てはウィリアム王子の命令として、推し進めて行く。
バーリーは、ドーキンスを着替えと共に牢に放り込むと、使用人を集めて、今回のことに関して、知っている者がいないか、聞いて回った。
その間、ウィリアムとビートンは、仮の領主代理として、近くにすむドーキンスの甥ブラインを呼び出し、今後の話をすることとなった。
ドーキンス家の家令の話では、元々ハイロが独身だという事もあり、ブラインが跡を継ぐ事が有力視されていたため、今後正式に領主となっても問題は無い人物だという。
しかし、継いだ途端に、前領主のしでかした罪の償いをしなければならない事に、ビートンは少しばかり不憫に思った。
なにせ、夜遅い時間に呼び出された、まだ二十一歳だという若者は、真っ青な顔をしながらも真摯に王子たちの話を聞いているからだ。
正式な処分は後日となるものの、大まかな内容は次々に決められていった。
まずは、他領の要請を差し替えた件については、爵位を下げ子爵に、そして現当主であるハイロの蟄居。当然、クラッチフィールドに対しての賠償金等は、後日クラッチフィールド伯爵との話し合いが必要だが、大体の想定額は出しておくことにした。その際、クラッチフィールドがハイロの死を求めた場合は、賠償にその死も含まれる等だ。
様々な事が決まり、甥がその場を辞すると同時に、バーリーが入ってきて、調査の結果を伝えてきた。
「使用人達から話を聞いたところ、何人かの侍従が事情を知っていました。どうやら今回の事は、余計な入れ知恵をした者がいたのが原因のようです」
そう言いながら、ちらりとウィリアムの方を見ながら続けた。
「殿下は、クラッチフィールドの屋敷に、彼の姉であるバムフォード公爵未亡人が滞在していたのをご存じで?」
「いや、滞在中なのは知らなかった。しかしバムフォード公爵未亡人なら、何度か顔を合わせたことがある。娘のチャンテル嬢は私の婚約者候補に名が挙がっていたしな。確か肉感的な美女で、大勢の信奉者がいたと記憶している」
「はい。それに最上の物への執着も有名な方でして」
「と言うと…?」
「最高級の宝石、流行の最先端のドレス、そして、最上の身分。どうやら幼い頃からその美貌を誇っていた彼女は、自分に相応しいのは最上の物だけだと思っているようで。最も残念ながら、最後のものは、さすがの彼女も手に入れることはできませんでしたが」
「もしや、妃の座を狙っていたという事か?」
「はい。しかも当時、まだ婚約者であったシャイラ様を貶めるための悪意ある噂を流すなぞ、日常茶飯事。彼女の仕業とは特定できませんでしたが、未遂の襲撃事件の計画もあったと記憶しています」
「そこまでとは…では、今回の事も?」
「いえ、実際にバムフォード公爵未亡人が何かしたわけでは。ただ、ドーキンス伯は出入りの商人から、『おそらく、公爵未亡人は召喚された聖女様に真っ先に会いたいと言われるでしょう。ならば、幼い頃から姉に頭の上がらない領主の事です。偽りの救援要請を送って、聖女を招き寄せようとするかもしれない』という様な事を、言われたそうです」
「それを真に受けて、クラッチフィールドの要請を握りつぶした上に、己が偽りの要請を出したのか?愚かにも程があるな。それと、差し替えに関わった連絡便の協力者がいるはずだから、そちらも早急に調べないと。それにしても、いったい誰だ?そんな余計な事を吹き込んだ商人は」
「どうやらバビジ商会の会長のようです…」
***
翌日、香菜姫達はそれほど大きくない魔素だまりの前にいた。すでに周りを徘徊していた魔獣達は、ビートン率いる討伐隊が片付け終わり、後は姫の浄化を待つばかりの状態になっている。
壺は、実際に埋まっている状態を見せた方が良かろうと、香菜姫は大日如来の光明真言による浄化を行う事にした。実は昨日、残り二つの魔素溜まりを周王の協力をしてもらい、不動明王の真言を用いて浄化したのだが、凄まじい炎で全て燃え尽きてしまい、壺も中の首も全て、触るだけで崩れてしまったのだ。
(あれはあれで、手っ取り早ようて良いのじゃが…)
浄化が終わり、水が引いた後に出てきた壺をウィリアムや、ビートン達が沈痛な面持ちで見ていた。昨夜、話としては聞いていたが、現物を目の当たりにするとその禍々しさは想像以上で、牙の間からだらりと舌を垂らしたブラックロックの首は、すでに干からびてはいたがその大きさから、かなり大型の個体のものと推察される。
「これ程の魔獣を術のために共食いさせ、その首を切り落とす。そんな事ができるものが敵にいると考えるだけで空恐ろしい物を感じるが、それでも、原因が分かっただけ良かったと思う。皆、心してくれ。これは紛れもなく、我が国への侵略計画の一環だ。しかし我々は断固として、このような卑劣な術を使う者達に屈することはしない!」
「「「はいっ!」」」
ウイリアムの言葉に、皆が覚悟を決めた返事を返す。
一つ、妾の不思議収納箱に仕舞って在るが、これも持って帰るかと姫が聞くと、出来ましたらとの返事だったので、前の物と同じように毘沙門天の真言を使って封印して、不思議収納箱に仕舞った。
その後は、行きがけ見かけた魔素溜まりを、交代で周王にのって先行した討伐隊が魔獣達を片付けた後、後から騎馬隊と共に到着した香菜姫が、不動明王の真言による浄化するという段取りを取りながら、王都に帰る事になった。
いくつかの魔素だまりを浄化し、次の魔素だまりに向かう道中で、街道から外れた藪の側に、子供が踞っているのが、香菜姫の目に入った。
(六つぐらいじゃろうか?)
こんな所に子供が一人とは、なんと不用心なと思い、よく見てみると、その側には大型の犬の様な物が転がっていた。しかし、禍々しさは感じない上に、子供も怯えた様子はないため、魔獣ではないか、たとえそうであっても、すでに死んでいるのだろうと判断する。
(もしや腹が減って、食おうとしておるのか?)
「おい、そこな童。そのような犬っころなんぞ、喰ろうても旨くないぞ」
「…えっ……」
女性のカーテシー程は知られておりませんが、男性のお辞儀は、ボウ アンド スクレープと言います。これは、立った状態から右足を後ろに引き、その右足のかかとを浮かし、つま先は地面に着いたままにします。そして、右手は身体の前で直角に曲げてウエスト上に水平に、左手は横方向へ水平に差し出すようにして、お辞儀をします。