十三話
神殿の扉は固く閉じ、鍵が掛かっていたが、すでに鍵を手に入れているクラッチフィールドは何の問題もなく、兵士とバーリー達を引き連れて、中へと入っていった。
入って直ぐの所は、信者たちが祈りを捧げるための場所となっており、木製の長椅子が幾列も並べられてある。その奥中央には講壇が設置されていて、さらにその後ろには祭壇が設けられ、聖獣プルートを腕に抱いた女神ドラーラの像が鎮座していた。
もっとも、魔素溜まり騒動が起きて以降、神殿の扉は一部の者達以外に開かれる事がなかったため、今は信者の姿があろうはずもなく、若い神官が一人、床の掃除をしているたけだ。
「おい、そこの神官!」
バーリーが声をかけると、若い男は慌てて掃除道具を置き、走り寄ってきた。男が近くに来た時点で、彼の法衣の襟の部分の色が、水色だという事が判った。これは、神官見習いの色で、正式に神官となると、これが白になる。
神官見習いの男は、突然入ってきた大勢の騎士たちに驚いた様子で、恐る恐る声を掛けてきた。
「えっと、本日はどのような御用でしょうか。今は神殿長も神官長も出かけておりまして…」
「そんなことは判っている。見習い、お前、名は何という」
「あっ、ロイスです」
「ではロイス。我々は先日、バムフォード公爵未亡人が此処へ持ってきた、水と食料について、知りたいのだが、置いてある場所は判るか?」
バーリーの質問に、直ぐに思い当たったのだろう。ロイスは少しほっとした顔で、
「そ、それなら、確か第二備蓄庫に搬入されたと聞いた様な…」
「そうか。なら、今すぐ案内してくれ」
「えっ、だめです!勝手にそのような事をすれば、私が神殿長に叱られてしまいます。お願いですから、帰られるのを待たれてからに…」
さすがに領主や騎士相手と言えど、神殿に寄進された大事な食料や水の場所に、勝手に案内などすれば、後でどれ程叱責されるか判らないのだ。これは責任ある立場の者が居るときでないと、と言って、なんとか断ろうとするが、
「構わん。あれは公爵未亡人が領主様に無断で持ち出した物で、いわば盗品。そして盗んだ夫人は今、娘と共に窃盗の罪で牢に入れられている。もし、速やかに返さなければ、神殿の者達も全員、夫人の共犯と見做されるが、それでも構わないのだな?」
「いえ、それは…。判りました。ご案内します」
グズグズしていると、自分達まで牢に入れられると言われ焦ったのか、ロイスは小走りでバーリー達を案内しだしたが、その途中で、大きな鞄を抱えた使用人を、二人従えた商人と出くわした。
「ちょうど良かった。神官さま、神殿長はまだ、お戻りでは?お世話になったお礼を、申し上げたいのですが」
太った商人が、にこやかにロイスに話しかけてきたが、彼の後ろに大勢の騎士が居ることに気付くと、少しばかり驚いた顔をした。
神殿の通路は決して狭くはないものの、大人数の騎士達が通るためには、当然ながら商人達が立ち止まり、道を譲る形となる。
「これはこれは、領主様ではありませんか。このような場所でお会いするとは、思いもよりませんでした」
通路の端に寄った商人が、クラッチフィールドに慇懃に挨拶する。
「バビジ商会の…お前もここにいたのか」
「はい、このアルロ・バビジ、支店を回っている最中に今回の騒動に巻き込まれてしまったのですが、寛大なる神殿長様のお申し出により、この場所に避難させていただいておりました。しかし、わざわざ領主様が来られるとは、何か問題でも?」
「些かな。だが、お前にも聞きたい事が出来た。どうやら出発準備をしているようだが、我々の用事がすむまでは、出発はあきらめてもらうぞ。いいな?」
バビジは一瞬嫌な顔をしたものの、すぐに深々と頭を下げ、了承の意向を伝える。
「仰せのままに」
しかし、クラッチフィールド達から離れた時点で、舌打ちする音が聞こえた。
「戻って、あの男を殴ってこようか?」
同じく舌打ちの聞こえたバーリーが領主に聞くが、
「いや、いい。昔からいけ好かない男ではあるが、後でこってり絞ってやるから、今は必要ない。姉がどうして大量の物資を持って行けたのかも判ったしな。おそらく、あの男の一行の中に、マジックボックス持ちがいるはずだ」
大手の商会は、たいてい二、三人程度、マジックボックス持ちの魔術士を雇っている。彼らは攻撃魔法が得意でない為に、王級魔術士団に入れなかった者達も含まれるが、一人いるだけで輸送量が格段に上がるため、皆、高給で雇われている。
もっとも、何枚もの魔術契約書へのサインは必要だが。
そんな話をしているうちに一行は、大きな両開きの扉の前に着いた。
「えっと、多分、お探しの物は、この中です」
ロイスが扉を指さしながら言うと、すかさずバーリーが扉を開くように言うが、
「でも、鍵が掛かってまして…」
すると、クラッチフィールドが黙って鍵束を取り出すと、幾つかか試して目当ての鍵を見つ出し、手早く解錠した。バーリーに、ほらと急かされ、ロイスは仕方なく扉に手をかけ、大きく引き開く。すると、
「何とも、これ程とは…」
バーリーの感心するような声が倉庫に響いた。
倉庫には、入り口から中ほどまで、クラッチフィールド家の家紋である『百合と弓矢』の焼き印が押された大樽が積み上げられていたからだ。ざっと見ただけでも、その数は50以上はありそうだ。その奥には、同じ文様の押し印が付けられた小麦の袋の山も見える。
「確かに、この量を持ち出されたら、たまったものではありませんな」
ヘンリーも頷き、バーリーの言葉に同意する。おそらくだが、今回持ってきた水樽の倍の数を超えるほどの量が積み上げられている。
「間違いなく、領主屋敷から持ち出されたものだ。しかも、このように重いものを何段にも積み上げてあるという事は、マジックボックス持ちが手を貸した証拠でもある。では、この場はヘンリー、君に任せたいと思うが、良いか?我々は先程のバビジをとっ捕まえて、詳しい事情を聴くことにしよう」
そう言って、いくつかヘンリーと打ち合わせをした後、クラッチフィールドはバーリーだけを連れ、ロイスを案内人に、バビジが使用している部屋へと向かった。
「さてバビジよ。今回の事を、どう説明する?」
バビジは、あらかじめクラッチフィールドたちが来ることを、先程の会話から予測していたのだろう。部屋にはお茶の用意が、既にしてあった。
席を進められ、礼儀上、仕方なく腰かけた領主は、さっそく先程見つけた水と小麦について切り出したのだが、目の前の商人は慌てることなく優雅にお茶を飲みながら、領主の質問に答えていた。
「説明するも何も、領主様。我々のような、しがない商人どもは、高貴なる公爵未亡人からのお願いを、断ることなど、できるはずもありません。そこの所は、お判りいただきたく思います。ですから、今回の事も、決して領主様に盾突こうとか、そういった物では、けっしてなかったのです」
「では、今回起きたことは、わが姉であるバムフォード公爵未亡人が仕組んだ事で、バビジ商会の者達は、物資の運搬に手を貸しただけ。そう言いたいのか?」
「まぁ、そういう事になりますね。確かに魔術士は、お貸ししましたので。しかし、言い訳に聞こえるでしょうが、公爵未亡人は、より安全な場所へ移し替えるだけだと仰ったのです。したがって、私どもとしましては、てっきり領主様も了承済みの事だとばかり…」
バビジは哀れな風を装い、自分達は悪事だとは知らなかったのだと、言い募る。
クラッチフィールドにしてみれば、その態度は少しばかり鼻につく上に、その言い訳を信じたわけではないが、それ以上追及するための、確たる証拠もない。
「言っておくが、姉はすでに結婚しており、わが領地に関しては、何の権限も持たない者だ。その様な者が、勝手に貴重な水や食料を持ち出したことに、お前や、お前の雇っている魔術士が関与したことは間違いない。だが、そちらの言い分も判らないではないため、今回は罰金のみで済ませてやる。だが、今後は一切この様な事が起こらないようにしろ。次はないぞ!」
そう言って、決して少なくは無い二百万デルという額の罰金と、半年の間、領内への出入りを禁止する旨を告げる事で、事を収めることにした。
「かたじけなく思います」
そう言って、深々と頭を下げたバビの顔が、薄っすらと笑みを浮かべていた事は、その場の誰も気づかずにいた。
罰金を証文ではなく、即金でバビジから受け取ったクラッチフィールドは、第二倉庫に戻って、今度は神殿を領民の避難所にするための行動に移ることにした。
まずは、「では、これで失礼します」と言って立ち去ろうとする神官見習いを、呼び止める。
「ところで、見習い!」
「…ロイスです」
さっさと戻って掃除を再開しようとしていたロイスは、呼び止めた領主に対して、訝しげな視線を向けた。しかし、相手の顔を見てすぐに、まだ仕事は終わっていないことを悟った。
(これは、人に用事を言いつける気、満々の顔だ。あぁ、なんで、神殿長達が居ない時に、このような面倒な事に……女神ドラーラよ、私が何か、貴女様のお気に障る事をしたのでしょうか?)
少しばかり遠い目をしながら、胃の辺りを抑える。しかし、それ位の事で領主の命令が無くなる訳もなく。
「だったな。さて、ロイス。今、ここにはお前を含め、何人の神官がいる?」
「…今は見習いしかいません。私のほかに、後二名、神官見習いがおります。他は、下働きの女が二名と、雑用係の男が一名、それと、料理人の夫妻で全部です」
「八名か。少し足りん気もするが、まぁ良い。今からここは我が領民達の避難所とする。主に、寝る場所がなく、野宿している者達で、数は大凡、三百名程度だ。問題ないな?」
三百人もの人々の世話を、たった八人でどうしろというのだと思ったものの、領主に逆らう気力も体力も無く、その上、弁も立たないロイスは、領主の圧と押しがこもった笑顔に負けて、了承するしかなかった。
「は、はい。判りました。でも神殿長や神官長に無断で、大丈夫でしょうか?それに、我々は何をしたら……」
「神殿が避難所になった場合の指示書があるはずだ。今どきの見習いは、そんなことも知らんのか?」
「あっ、いえ、大神殿で研修を受けた時に、その事については教わりましたが、この神殿が避難所になることはないと、神殿長が仰っていたので…」
「それは大きな間違いだ。神殿は本来、災害時や戦時に避難所となるために、堅牢に立てられ、幾重にも魔獣除けが掛けられているのだぞ。判ったら、研修で教わったことを、さっさと思い出すことだ。でないと、大変な思いをする羽目になるぞ。では、細かい指示は追って伝えるが、取り敢えず煮炊きの準備だ。ほら、さっさと皆に伝えて、取りかかれ!」
「はいっ!!」
(女神様、せめて私に胃薬を、お恵み下さい……)
胃の辺りを抑えながら、ロイスは走った。
◇*◇*◇
アドコック神殿長達が、遠慮も気遣いもなく、ドスンッと落とされたのは、すり鉢状の巨大な穴の中央付近だった。衝撃と痛みに声が出るが、口にまで巻かれた紐のせいで、ムグムグという、くぐもった音にしかならない。
「ははっ、これが窪みとは、わが姫は、なんと慎ましやかな!」
生意気な聖女の白狐は、笑いながらそう言うと、軽やかに上空へと飛び去って行った。その様子を、残された面々は、身体を拘束されたまま、ただ茫然と眺めるしかなかった。
彼らが今の状況を理解するには、あまりにも想定外の事が、起きすぎていたのだ。
容易く言うことを聞かせることができると思っていた聖女に反撃され、その聖獣と思しき白狐に捕縛され、下着を残して衣服を剥がれたかと思ったら、ぶら下げられた状態で空を飛び、挙句にここへ捨てられたのだから。
しかし、こうしていても埒が明かないとばかりに、何人かが、もぞもぞと体を動かし紐を解きにかかった。特に護衛役だった五人はまだ若く、力もあるからだろう。少しずつだが紐をずらし、しばらくすると、何とか手を動かせるようになっていた。
すると彼らは皆から少し離れたところに集まって、お互いの紐を解いたり、手を貸し合うことで、直に全員が紐から抜け出す事に成功した。
アドコック神殿長を始めとした残りの者達は、彼らが当然、自分達の紐も解いてくれると疑わず、それどころか、早くしろと言わんばかりの視線を向けていのたが、
「「「「「じゃぁ、お先に」」」」」
そう言って、五人は背を向けて歩き出したのだ。しかも、
「なぁ、領主様は、許してくれると思うか?」
「とりあえず謝るしかないだろう。全部、神殿長の命令で、俺達は嫌々ながら従っていただけだと言って謝れば、何とかなるんじゃないか?」
「そんなに上手くいくか?でもまぁ、俺達だけなら、まだ許してもらえるかもしれないな。なんせ年増女に色ボケした神殿長が、金欲しさに聖女様を捕まえようとしたのが、そもそもの原因だしな!」
「「違いない!」」
「それにしても、解いてもらえないって判った時の、あいつらの顔を見たか?」
「あぁ。俺たちが必死で紐を解いている間、ずっと、のんびり見物してたくせに、当たり前のように、自分達も解いてもらえると思っているんだから、厚かましいよな」
「ほんと、やだねぇ。せめて、少しでも努力していれば別だけど、全員、見てるだけだったしな。あんな奴ら、うっかり解いてやったら、今度は『背負って歩けー』とか言われそうで、怖いわ!」
「「だよなぁ」」
そんな事を声高に喋りながらだ。どうやら彼らは互いに紐を解き合っている間に、自分達だけで、さっさと逃げ出す相談をしていたようだ。
残された者たちは、そこでようやく、自分達が彼らに見捨てられたのだと気が付いた。もっとも、彼らの言い分もあながち間違いではない。実際アドコックは、自分の足で歩く気は、まったくもって無かったのだから。
しかし、その事と、実際に見捨てる事は全く別の話だと、アドコックは思ったものの、声さえ出せない状況では文句さえも言えない。そして、助かりたければ、彼らのように自力で紐を解かなければならないという事を、ようやく理解した。
しかも、日が暮れるまでに領都の中に入らなければ、魔獣だけでなく、夜行性の獣に襲われる危険性も出てくる。
そのため、慌てたように男たちが一斉に身じろぎし、芋虫のようにもがき始める。その勢いに押されたアドコックが顔から地面に衝突しても、誰もそんな事を気にかけている余裕などない。皆、必死で紐を解きにかかった。
それからは、少々時間はかかったものの、一人また一人と紐から抜け出すことに成功していった。しかし、皆、動けるようになった瞬間に、逃げるようにその場を後に、歩き去っていった。
それこそ、うっかり手を貸して、余計な時間と労力を取られることを恐れるように、必死に前だけを見て進んで行くのだ。
ほんの少し前までは、彼ら全員、自分の意のままに動かせていたのにと、現状との落差を思い知る羽目になったアドコックは、さらに苛立ちを募らせ、この様な事態の原因である聖女への憎しみが増していく。
結局、最初の五人から一時以上、最後に立ち去った者達からも、遅れること半時たった時点で、漸くアドコックは動けるようになった。唯一、彼の側に残っていたベイカーの手助けによって。
まだ痺れの残る手足をこすりながら、なんとか起き上がり、周りを見回す。一番最初に立ち去った五人は、すでに穴の淵にまで到達しており、今はさらに角度がきつくなった斜面を、四つん這いで登っている最中のようだ。他の者達も、随分と遠くまで進んでいる。
それを眺めながら、アドコックはうんざりした。紐から出るだけで、これほどまでに疲弊しているのに、ここからあそこまで歩いた後に、あの壁を這い上り、そこからさらに領都まで歩かなければならないのだ。
それは考えるだけで、ぞっとするほど遠い道のりに思えたが、かといってほかに手はない。さすがに中年のベイカーに、自分を背負って歩けとは言うわけにはいかない。自分の足で歩くしか無いのだ。
しかも、靴さえ履いていない状況でだ。
「畜生、あの小娘!次に会ったら、絶対に痛い目に合わせてやる!」
日本の法律的には、たとえ盗まれたものであっても、勝手に取り返すことはできません。そんなことをすると、それはそれで罪になります。一応、念のため…