十二話
(ほぅ、あれが勝手に水と食料を持って行ったという姉か。では、その後ろに居るのが、その娘じゃな。それにしてもあの女人、いい年じゃろうに、乳を半分近く放り出しておるが……)
これから向かう魔素溜まりの案内用にと、地図から割り出した方角や距離を書いた式を懐へと仕舞いながらも、香菜姫は領主の姉の広く開いた胸元が気になっていた。
シャイラやその使用人、クラッチフィールドの奥方等、この世界の女人の衣装をいくらか見てきたが、あれほどまでに胸元を大きくを開けている者は、一人として居なかったからだ。しかも、不自然なほどに乳房が盛り上がっている。
(あれはおそらく、下からこう、押し上げて、さらに真ん中にぎゅぅっと寄せているのじゃろうが、そうまでして、乳を見せたいとなると……やはり、そういう『癖』の持ち主、としか…)
いろいろと思い悩んだ結果、出した結論が『あの女人は露出癖がある』だった。もっとも、姫にそんな認定をされた事など露知らぬ当人は、弟相手に少しばかり手前勝手な持論を展開していた。
「あら、ひどいわ。まるで、来てはいけない様な言い方をするのね。でも、ここはわたくしの実家だし、わたくし達は聖女様にご挨拶に来ただけよ?」
手にした扇を口元にあて、首をかしげながら微笑んで見せるが、これ見よがしの衣装や媚態が腹を立てている実の弟に通じるはずもなく、その上自分が悪い事をしたという認識が微塵も感じられない言動は、クラッチフィールドの神経を一層逆なでしたようだ。
ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえそうなほど歯を食いしばり、何とか手を出すのを堪えているのが傍目にも判った。
「神殿に避難する際に、ご自分が何をしたのか、忘れたとは言わせませんよ!」
「失礼ね。わたくしが持っていった水や食料の事を言っているのなら、怒るのはお門違いよ。だって、わたくしは、大事な水と食料の保管場所を、より安全な場所へと移してあげただけよ。それの何がいけないのかしら?」
だから、問題なんてないでしょう?と言わんばかりに、またしてもニッコリと微笑む。途端にクラッチフィールドの怒りが、さらに膨れ上がった。その目には怒りを通り越し、殺意と呼んでいいものが浮かんでいる。
「領主である私に無断で、あれだけの物を持ち出しておいて、よくもそんなことが……」
しかし、そんな彼の怒りに水を差すかのように、髭男が口を挟んできた。
「うぉっほんっ!領主よ、失礼ですが、ご家族間のお話は、後にして貰ってよろしいですかな?今はこちらの聖女の、神殿長に対する態度についてと、何故こちらに到着後、直ぐに神殿に挨拶に来なかったのかという、非常に大事な話をしている最中でして」
「そうだ。それに聖女が領民を癒したそうだが、いったい誰がそれを依頼したのか、はっきりさせんといかん。神殿としてはその者に対して、きちんと人数分の癒しの対価を支払ってもらう所存だ!」
神殿長も、ここぞとばかりに領主に向けて、声を張り上げてきた。ついでに聖女に対しても、最初が肝心と言わんばかりに、上から睨みつけるようにしながら声を掛けようとするが、
「のぅ、バーリーよ。この者達は、もしや頭がおかしいのか?自分達は何一つしておらぬくせに、金を要求しておるぞ。なんとも、さもしい奴らじゃのう。あぁ、もしやこの世界では、人の手柄を横取りするのが、神官になるための条件となっておるのか?」
香菜姫の、素朴な疑問を纏った嫌味に先を越されてしまったため、何も言えなくなってしまった。しかも、話を振られたバーリーが、それに調子を合わせ、
「おぉ、とんでもない!この様な者達は、極々一部です。大半の神官は、国教であるドラーラ教の【我の目は常に汝の上に、我の導きは常に汝の良心と共にある】という教えにのっとって、常に正しい行いを取るように心がけていると聞きます。おそらくこの者達だけが、何か大きな思い違いをしているのでしょう。ですから、聖女様がお気になさることは、何一つ無いかと」
まるで芝居のセリフのような言い回しと、手振り、身ぶりを付けて返してきた。しかも、怒りに水を差されて、少々気を悪くしていたクラッチフィールドまでもが、嬉々として参加してきた。
「そうですとも。それに、神がこの世界に使わされた聖女様の御心は、そのまま神の御心と言っても過言ではありません。したがって、その言動をとやかく言う者こそが、不心得者となるのですから、一切お気になさらず」
香菜姫は、その理屈も少々問題があるとは思ったものの、繰り広げられる三文芝居のようなやり取りに、唖然としている神官たちの顔が些か滑稽だったため、そのことに関しては何も言わない事にした。
「そうか。では、放っておこうぞ」
そう言って、何もなかったかのように、式の作成に使っていた道具を《すてーたす》に仕舞う作業に戻る。
これら一連のやり取りを見ていた神殿長達は、驚きのあまり、言葉を失くしていた。これまで神殿の神官たちは、領民からは少なからず敬われ、領主からも一目置かれるような立場であったため、今回も、少し高圧的な態度で交渉すれば、たちまちこちらの言い分が通るだろうと、決めつけていたのだ。
なのに、自分たちの管理下に属するはずの聖女は、こちらに敬意を払う様子が欠片も見えないうえに、厳つい大柄な騎士からは、神の教えに従わぬ教会のはみ出し者のように言われ、挙句に領主から、神殿の神官達よりも聖女の方が格上だと明言されたのだから、それも仕方がないのかもしれない。
しかし、茫然としている神官たちを尻目に、香菜姫に声をかける者がいた。領主の姉、シャルレイだ。彼女はこれまでの経験上、自分の身分と魅力をもってすれば、大抵の願いは叶えられて来たことから、今回も自信があったのだ。にこやかに、しかし完全に相手を下に見た口調で、
「あら聖女さま、お待ちになって。貴女、わたくしのお願いを聞いて下さらないと。だって、わたくし、そのためにわざわざ足を運びましたのよ」
その言葉に、露出癖を持つ者の願いがどのようなものか、少しばかり気になった姫は、とりあえず話を聞いてみようと思った。
「願いとな?」
「そうですわ。実はわたくし、一昨日足を捻ってしまって、まだ少し痛みますの。ですから、是非とも聖女様の光る雪とやらで、これを治していただこうと思いまして」
そう言いながら、衣服の裾をチラリとめくる。途端に茫然としていたはずの髭男や白髭老人の視線が、わずかに見えた足首に集まっていく。しかし、当の香菜姫は、期待に反して、あまりに普通過ぎる願いを聞かされたため、一気に興味を失くしていた。露骨なまでに嫌な顔をしながら、
「なんと、くだらぬ。そんなものは、そこの鼻の下が伸び切った爺にでも治してもらえばよい。妾はお断りじゃ」
神殿長を顎で示すと、元の作業に戻ってしまった。
一方、治療拒否を受けた公爵未亡人の顔は、驚愕でひきつり、「…なっ、なっ、なっ」と、言葉にならない声を発していたが、やがて現実を受け入れるのを拒絶したのか、フラついたかと思うと、後ろに居た娘の方に倒れこんだ。
「お母様、大丈夫ですか?」
すると、その言葉でようやく我に返ったらしい髭男が、声を荒げながら姫に食って掛かる。
「おい、この方はバムフォード公爵未亡人だぞ!そんな方がわざわざ足を運んで下さったというのに、なんだ、その態度は!異世界人だから、聖女だからと容赦してやっておれば、付け上がりよって!しかも、神殿長を爺だと!どこまで無礼な小娘だ!」
その後ろでは、爺呼ばわりされた神殿長が、青筋を立てて口をパクパクさせていた。彼の当初の予定では【自分たちが屋敷に到着したら、すぐに威圧的な態度でその場を制圧し、そのまま聖女を叱責して平伏させる。その後、光る雪を降らせて未亡人の足を治すように命じ、その術の効果を確認でき次第、神殿の許可もなく勝手に聖女を利用した領主に謝罪させ、報酬を受け取る】という、まことに自分達に都合の良いものだった。
しかし、その予定はことごとくぶち壊され、挙句の果ては爺呼ばわりをされたのだ。これほどまでにコケにされた事は無いと、怒り心頭に発した神殿長は、そのために大きな間違いを犯してしまう。実力行使に出たのだ。
もちろん周りには討伐部隊の騎士や、領の兵達がいることは承知していたが、領主を除けば殆どが下級貴族だ。早々に領主と聖女を捕らえてしまえば、後は、伯爵家出の自分や、公爵未亡人の権力で何とでもなると踏んだのだ。
「こ、この不心得者の聖女と領主を、ひっとらえろ!今すぐ神前裁判にかけてやる!!」
その言葉を合図として、後方にいた体格の良い数人の男たちが飛び出して来た。皆、一応神官だが、普段は神殿長の護衛も兼ねており、腕にもそれなりに覚えのある者ばかりだ。しかし、香菜姫の魔力が僅かに揺れたかと思うと、
べしゃっ!
飛び出した男達全員が床に突っ伏して、動けなくなっていた。まさか一人の少女に大の男数人が、あっという間に制圧されるなど、彼らは夢にも思っていなかったのだろう。床に伏せたまま、何が起きたのかわからないと言わんばかりに、目を見開いている。
「な、抵抗するのか、生意気な!おい、すぐに起き上がって……」
しかし神殿長も、それ以上はしゃべる事は無かった。何故ならば、彼を含め、その場にいた白衣の男たち全員が、床に突っ伏すことになったからだ。
「な、何をする!我々は神聖なるドラーラ神教の神官だぞ。このような蛮行が、許されると……」
喚きたてる髭男に対して、ふんっ、と鼻で笑った姫が、魔力の圧を少しだけ上げる。するとすぐさま静かになった。もっとも、其処此処から、「ぐげぇっ」、「ぎょごぅっ」、と潰された蛙のような声が聞こえては来たが。しかし、そんなことにかまう事無く、姫は己に忠実な狐の方を向くと、今度は少しばかり悪い笑みを浮かべ、
「ほんに不快な奴等じゃ。そう思わんか、周王よ?」
「まっこと、然り!」
香菜姫の質問に、頭を下げて答えた炎の紋様を持つ白狐は、顔を上げるとにまりと笑い、前足をくるりと回す。
「縛!」
その言葉と共に現れた細い紐が、幾重にも男達を取り巻き、あっという間に捕縛が完了した。
「ようやく静かになったわ。そういえば、昨日ごみを捨てるのにちょうど良い窪地が出来ておったの。周王、悪いが此奴らを其処へ捨てて参れ。あぁ、その前に華王。余計なものは全て剥ぎとっておれ。あの首からぶら下げている金鎖や指輪なぞは、わずかじゃが、この地の復旧の足しになるじゃろうて」
その言葉に、花の紋様を持つ白狐もまた愉しげに前足を踏み鳴らす。
「畏まりー。脱!」
途端に下着以外の物は全て剥ぎ取られ、姫の前に積み上げられた。当然、そこには指輪や金鎖も載っている。そして、一番上には鍵の束があった。
「では周王よ、頼んだぞ」
「あいな、姫様!」
幾本もの紐を咥えた周王が、紐の先に神官達をぶら下げた状態で、先程彼等が入って来た時から開いたままになっていた扉を抜けて、飛び立っていく。その際、ゴゴンッ、ゴガンッという音や、唸るような声が聞こえたが、アッという間に遠ざかったため、誰がどうなったかは、知る由もない。
そして、その様子を感心するように見ていたクラッチフィールドに対して香菜姫は、
「さて、周王がごみ共を捨てに行ったのは、昨日浄化の際に出来た窪地じゃ。何も無ければ一日程で戻って来るじゃろう。それまでに、あの建物は其方が掌握しておけ。ほれ、多分これがその鍵じゃろう」
そういって、衣服の上に乗っていた鍵束を渡した。とりあえず水と食料は取り戻せるじゃろうと笑う姫に、再度頭を下げ、礼を言うクラッチフィールドだったが、
「ちょ、ちょっと叔父さま、なんでさっきから、こんな人に頭を下げたりしているの!?おかしいでしょ!」
それまで倒れかけた母親を腰掛けさせたり、扇で扇いだりしていたクラッチフィールドの姪が、急に声を張り上げてきた。
「さっきから黙って見ていれば、いったい何なの、貴女!神官様達には無礼どころか、ごみ扱いだし、公爵夫人であるお母様のお願いも、拒否するし!挙句に叔父様にまで偉そうな態度だし。ほんと、何様のつもりよ!」
「はて、名乗りもせぬ者に、何様と聞かれてものう」
答えようが無いわと思う香菜姫だが、相手はその態度に一層腹を立てたようだった。
なぜなら、これまで公爵令嬢であるチャンテルに対して、同等な口の利き方をしてくるのは、王族や身内を除くと、同格の公爵家の者達に限られていた。そのため、完全に格下だと考えていた聖女に関しても、必要以上に口を利く価値さえ無いと思っていたのだ。
しかし、今目の前にいる聖女は、この場にいる誰よりも偉そうにしていて、こちらの身分なんて歯牙にも掛けないでいる。それが気に入らなかった。
それに元来、聖女などというものは、馬鹿みたいにニコニコしながら、神官達に命ぜられるままに、癒しや浄化の術を使う女のはずだ。
「少しぐらい魔力が強いからって、なによ!聖女は聖女らしく、大人しく怪我人や病人を癒していればいいのよ!ほら、そんなとこに突っ立ってないで、さっさとお母様を治しなさいよ!貴女のせいで、余計に具合が悪くなったんだから。これは命令よ!」
「のぅ、ついでに此奴らも捨ててきた方が良かったか?」
姫はいきり立ち、まくしたてる姪の言葉を無視して領主に尋ねた。しかし、自分の話を無視されることに慣れていない姪は、香菜姫を自分の方に向かせるために腕を引っ張ろうと手を伸ばす。が、
バンッ!
「ヒィッ!」
その手の甲に、子供の握り拳程の氷片がぶつかってきた。手を抑え、ワナワナと怒りに震える姪を横目に、
「おや、華王、礼を言うぞ」
「なんと姫様、幸甚の至り!」
「なんなのよ、いったい!公爵令嬢の私の言うことが聞けないなんて、そんな事、絶対許せない!」
「なぜ、妾がそちの言うことを聞く必要がある?それに、そちの母親のくだらぬ願いなんぞ、かなえてやる必要を感じぬ」
「聞く必要は、あるに決まっているでしょう!わたくしは公爵未亡人で、貴女は聖女なんだから!聖女は人の傷を癒すのが仕事でしょ!なら仕事をしなさいよ!」
ようやく気がついたらしい母親が、娘と姫の話に混じってきて、やはり手前勝手な理屈を披露するが、
「それを言うならば、妾は土御門家の香菜で、そちはただの露出女じゃろうが。妾には、露出女を治す趣味も義理もないぞ」
その言葉は、クラッチフィールドのツボにはまったようだった。なんせ、自慢の肉体を見せびらかしているつもりの姉が、露出女と言われたのだ。今彼は、横を向いて手で口元を抑え、必死に笑いを堪えている。もっとも、言われた当人は、顔を真っ赤にして怒っているが。
其処へ周王が戻ってきたので、
「どうする?捨ててくるか?」
と、香菜姫が再び領主に尋ねる。
「さすがにそこまでは必要ないかと」
そう言いながら、領主は愉しそうに香菜姫が渡した鍵束を振る。
「これで水も食料も取り戻せそうですから。後は、馬車にでも放り込んで、領地から追い出しますから、ご心配要りません。それまでは牢にでも入れておきますし」
「其方が良いなら、妾は構わんが」
牢という些か不穏な言葉に、即座に反応した母娘が、金切り声で抵抗する。
「わたくしは、ちっとも良くないわ!ちょっと、ダリル、本気じゃないでしょうね?」
「そうよ!それに私達を牢に入れたりしたら、きっとベリンダ叔母さまが悲しむわ!!」
「屋敷の女主人であるベリンダに無断でお茶会を開いたり、勝手に部屋の装飾品を買い替えたりする者達が、牢に放り込まれたと知ったとしても、我が愛する妻が悲しむとは、私には到底思えん」
クラッチフィールドの反応は、冷めたもので、情に訴えても効きそうに無い。
「あぁ、きっと叔父さまは、この女に騙されているのよ!もしかしたら、洗脳されているのかもしれないわ!目を覚まして、叔父さま、この女はきっと聖女なんかじゃなくて…」
「あぁ、かしましい。周王、華王!」
「「あいな、」」 「縛!」「脱!」
少々意地の悪い笑いを含んだ白狐達の声と共に、新たな布の山が出来た。当然その横には、紐でぐるぐる巻きにされた二人が転がっている。
「ようやっと静かになったわ。さて、神殿に水や食料の回収に行くのなら、バーリーやヘンリー達を連れて行った方が良かろうて。二人とも、頼めるか?」
そう言って二人を見ると、相手も頷いたため、では、お願いしますという領主と共に、討伐隊の精鋭部隊は神殿へと向かうことになった。