百十九話
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屋敷に着いて三人を招き入れた香菜姫は、使用人に茶の用意を頼むと、さっそく自慢の暖炉のある居室へと向かった。
三人は部屋の暖かさと、壁の暖炉を見て、目を丸くする。
「まぁ、これっぽっちの火だというのに、この部屋は、随分と暖こうございます」
「なにか仕掛けでも、あるのでしょうか?」
「よくは知らぬが、この暖炉の上には煙を外に出す管があるのじゃが、それに細い銅の管が何本か巻かれておっての。その先が壁の中に埋め込まれているそうじゃ。まぁ、壁に囲炉裏がついていると思えば良い」
香菜姫が話している間に、稚児姿となった周王と華王が大きくて嵩のある座布団を人数分、暖炉の前に並べ、毛織物の掛け布も持って来た。
「さきはここで、なつめはこっち!」
「黒鉄はここ!」
言いながら、三人が座布団に座り、掛け布を肩に掛けるのを手伝う。
そこに茶が運ばれてきたので、今度はそれを皆の前に置いていく。その間も、終始ニコニコしている。
そして全部終わると、さきとなつめの間に挟まるようにして、自分達も座った。
香菜姫は、そこで漸く気になっていた事を三人に問うた。
「先ずは、聞きたい事がある。こちらの世界に来たのは道真公の計らいだと申しておったが、もしや、無理やり送られたのではあるまいな?」
なつめには病がちな母がいたし、さきの両親は亡くなっていたが、香菜姫とたいして変わらぬ歳の弟がいた筈だ。もしや己のように、有無を言わせずに身内から切り離されたのではと、不安になったのだ。
そんな姫の思いは、長年側に仕えていたなつめとさきには直ぐに伝わった。
「私らは、望んでこちらに来たのです。似たような事を智乃さまにも聞かれましたが、きちんと伝えてまいりました」
さきが安心させるように言うと、なつめも頷く。
「あれから八年もたったのですよ、姫様。母は三年も前に極楽へと旅立ちました。私にはもう、近しい身内はおりませぬ」
「八年……それ程、時が経っておったのか。こちらでは、まだ二年程だというのに…」
驚く香菜姫の手を、さきが両手で包み込む。
「姫様。わたしどもの事は、どうか心配なさらぬよう。それと、弟はとうに成人の儀を終え、今は伊勢で職についております。あの地に骨を埋める気でおります故、わたしが居らずとも、きっと大丈夫ですよ」
「俺は元から、天涯孤独ですから」
黒鉄も話に入ってくる。
「朱鉄がおろう」
兄・泰誠の護衛であった朱鉄のことを、黒鉄が兄のように慕っているのを香菜姫は覚えている。
「朱鉄なら、判ってくれています。こちらに送られる直前、俺たちに向かって手を降ってましたから」
ただし、ボロボロと涙を流していた事は、黙っておく。
「それにあいつは去年嫁をもらい、直に子も生まれます。俺がいなくとも、寂しくはないでしょう」
黒鉄の言葉に完全に納得したわけではないものの、三人が三人とも、この世界に来ることに納得している事を知り、姫は安堵した。
その後は、香菜姫が家族の事を聞く形となった。さきとなつめは妹・章の侍女となっていた事もあり、智乃や章にまつわる話題は多かった。
「奥方様は毎年冬至になると、必ず裏山の白椿を所望されておりました。そのお使いは毎回、私とさきが任されておりました」
「最近の章姫様の一番お気に入りのお召し物は、鶴と白椿の柄の物なんですよ。覚えておられますか?」
「覚えておる。章はあの着物の柄が好きで、よく鶴を取り出そうとして、その首をつまんでは引っ張っておった」
そんな幼かった妹が、己と同じ年頃だと言われても、想像できそうもないのだろう。香菜姫の顔が寂しげに曇るのを見た黒鉄が、直ぐに別の話題に持っていく。
「そうそう、弟君の泰連様に授けられた神使の名は、『かづき』と『なつき』と申しまして、字は『香る月』と『菜の月』と書きます」
土御門家の子息は十歳になると、伏見稲荷の神に使える阿古町様から、神使を賜る。その名は当主である父が考え、贈られた子が命名の儀式を行うのだが、その名が香菜姫を思わせる名だというのだ。
これには、香菜姫も驚いた。先程の話もそうだが、まるで姫の事を覚えているように思える話だからだ。
「皆さま、記憶は無くなっても、何処かに姫様への思いは残っておられたのですね……」
しんみりと言うさきの言葉に、なつめと黒鉄が頷く。
「そうであれば嬉しいの……」
「姫様、実は……」
涙ぐむ香菜姫に、なつめが秘密を打ち明けるように告げる。
「私とさきは、しょっちゅう姫様のお部屋だった場所に入り浸っておりました。まぁ、半分は仕事をしておりましたが、残り半分はさぼってました」
さきはもっぱら昼寝をしていましたとなつめがバラすと、さきも負けじと
「なつめだって、お手玉したりしてたじゃないですか!おやつだって……」
そこからは二人がどの様にして、香菜姫の部屋で寛いでいたかの話となっていった。
***
黒鉄達が転移したのと同じ頃、『女神の箱庭』を訪問する者がいた。
それは片方の掌に収まる程、小さき姿である上に、こちらの世界では殆ど見かけない衣装を纏い、しかも狐の姿をしていたが、その内包する力は紛れもなく【神】の物であった。
『稲荷社神と申します。この度、この地におわす神々の末席につかせていただくこととなり申した』
ドラーラに対して丁寧に礼をする小さな姿は、何となくではあるが、阿古町と呼ばれていた神と似ているように思える。
(おそらく、人であろうとする姫の想いと、あの神獣達の想いが重なり、この形を成したのであろう。だが、それだけで神と成るには、些か足りぬ。他にも何ぞ有るのか……)
『おや。どうやら早々に、仕事があるようで…』
その瞬間、ドラーラの視界がグニャリと歪み、直ぐに元に戻った。
(これは外部からの干渉?まさか……)
目の前にいる新参の神を、凝視する。しかし。
『心配なさらずとも、人が三人程、送り込まれただけであり申す。少し加護が多過ぎるきらいはあり申すが、この世界に与える影響など、しれてるかと』
小さな神は、クスクスと笑う。
『子を思う親が少しばかり力をふるっただけの事ゆえ、ご容赦願います』
言いながら頭を下げるが、その言葉は香菜姫の為だから許せと言うのと同義だ。
その態度を生意気に感じた女神は、相手に対して少しばかり痛い目に合わせてやりたいと思ったものの、『遠世水晶』の為に使った神力は未だ回復しきっていない。
それに孤独な姫の元に送られたのならば、その三人は姫と親しかった者達だと思い直し、苛立つ想いを押し込める。
『では、今後とも宜しくお願い申し上げまする』
そう言って姿を消した小さな神のいた場所を、ドラーラは苦々しい面持ちで眺めていた。
***
異世界の神によって、人が三人送り込まれたという話は、香菜姫からオルドリッジに、そしてシャイラとウィリアムへと伝えられた。
直ぐさま側近が集められ、会議が開かれる。今すぐに使者を送り、詳しい話を聞くべきだと主張するオルドリッジに対し、事を公にするつもりは無いという香菜姫の意向を汲むべきだという国王が反論し、結局、秘密裏に使者を送る事が決まった。
その使者の人選のさい、手を挙げたのはサイモンだ。しかもその理由が、実に彼らしいものだった。
「久しぶりに周王殿と手合せをしたいから、丁度良い!」
このままでは、肝心の話など何も聞くことなく、ただ手合わせの感想だけが報告されそうだと、その場にいた全員が思った。
その為、女性に話を聞くのは、やはり同じ女性が良いという理屈をつけて、ガレリアの同行をサイモンに了承させ、連絡が入った翌朝早く、二人は香菜姫の所領へと出発した。
「聖女様の護衛だった男がいるのだろう?楽しみだ!」
サイモンは馬の背の上で、満面の笑みを浮かべている。すると。
「兄よ。我々は宰相閣下の特命を受けて、聖女様の所へ向かっているという事実を、既に忘れたか?まさか頭の中まで、筋肉と成り果てたのではあるまいな?」
呆れ顔で嘆く妹に、
「ちゃんと覚えているから、心配するな。手合わせは、あくまでもついでだ!」
などと言い返すが、その顔はニヤニヤと緩みっぱなしで、説得力の欠片も無い。しかも兄の荷物の中から、狐の耳つき兜が顔を覗かせているのを見たガレリアは、大きな溜息をついた。




