百十八話
コミック『苛烈な聖女様』はマンガBANKのアプリの他に、ピッコマさんでも読めるようになりました。
松ノ木セブン先生の描く香菜姫達の活躍も、読んで頂けると嬉しいです。
「道真公の?もしや、母上に何ぞあったのではあるまいな?!」
病にでもかかったのかと心配する香菜姫に、なつめが説明する。
「いえ、健やかに過しておいでです。ただ、智乃様はどうやら章姫様がお持ちの背守りを見てから、少しばかり思い悩まれていたようなので、もしかすると、その事が原因ではないかと」
「あの背守りを、章はまだ持っておるのか?」
「はい。巾着に仕立て直されて、暑い時期などは常に身につけておられましたよ」
香菜姫は己が幼い頃に刺した背守りが、今もって大事にされていた事を知り、嬉しく思った。
(忘れられておったとはいえ、全てが消えた訳では無かったのじゃな)
ただ、それがどのような経緯で黒鉄達をこちらに送るに至ったのか、今ひとつ判らず首を傾げたその時。
クッシュン!
さきが盛大にくしゃみをした事で、姫は三人が単しか身に纏っていない事に気付いた。
「ここは冷えるゆえ、続きは屋敷に戻ってからにした方が、良かろう」
言いながら、記憶にあるよりも随分と背が伸びた護衛をちらりと見る。
(すてーたすに入っておる着物を出しても良いが、黒鉄が使うには少々、問題がありそうじゃしの)
おまけに向けられる視線には、妙に熱が籠っているように思え、香菜姫は少しばかり戸惑っていた。
(前も、あの様に見られれておったかの?)
耳がほんのりと熱いのは、あまりにも熱心に見られたからだと思うことにして、姫は華王に跨る。
「周王、皆を頼む」
「畏まり!」
周王はすぐさま大きくなると、さき達をその背に乗せる。短い道中だが寒くないよう、その尾をくるりと巻き付けた。
「お屋敷は、ここから近いのでしょうか?」
長い毛に包まれ、顔だけ出した黒鉄が尋ねる。
「さほど遠くない。それに周王ならば、あっという間じゃ」
(暖炉をつけてもらって、正解じゃったな)
香菜姫は、既に暖炉によって暖まっている屋敷の居室を思い浮かべ、微笑んだ。
***
『香菜を宜しく頼みましたぞ』
光の中、その姿が薄れ消えゆく者達に向かって、阿古町は声をかけた。
起点に立ち、残された道筋の先にある周王と華王の力の痕跡を探し繋ぐのが、此度の阿古町の役目であった。
その為に何日も費やし、ようやく捉えた蜘蛛の糸よりも遥かに細い繋がりを保つ為だけに、この場で待機していたのだ。勿論、多くの神使の力添えなくしては、出来なかっただろう。
足元に散らばった、己の宝玉の欠片を見る。
ギリギリまで神使達の神力が込められた宝玉は、道真公の操り集めた雷の持つ力を、時空移動の為の原動力に変換する為に使われたのだが、余りにも大きな衝撃を受けた為に、砕け散っていた。
それもこれも、全ては、あの一瞬の為に。
阿古町はこの数年間、香菜姫を取り戻すことは無理だとしても、せめてもう一度話だけでも出来ぬものかと色々と調べていた。
その結果、時空に出来た道筋が完全に閉じるのには時間がかかるという事と、その起点が土御門の屋敷の直ぐ側の白椿の木にある事を突き止めた。
しかし些か時間が経っている為か、はたまた己の力不足なのか、いくら道筋に神力を飛ばしてみても、再度繋ぐ事は叶わなかった。
だから屋敷に乗り込んできた道真公の怒りの理由が判った時、阿古町は渡りに船だと思ったのだ。
道真公を唆すように話を持ちかけ、遂には十種の神宝と、小野篁までをも駆り出す事に成功した。
雷は、その役目を終えたのだと道真公が判断したのだろう。あれ程激しかった稲光や雷鳴は徐々に遠くへと去り、雨も小降りとなっていた。
(無事に着いたであろうか……)
少しずつ明るさを取り戻し始めた空の下で、阿古町は思う。
神力が高い上に、周王達がついている香菜姫とは違い、今回送った三人は普通の者達だ。稲荷神の一柱である田中大神に密かに頭を下げてお願いし、可能な限りの加護を授けたものの、やはり不安は拭えない。
(しかし、この地でいくら気をもんだとて、何か出来る訳でもない。後は神宝である足玉の鈴の御力と、それを振った者の『想いの強さ』に期待するしかあるまいて……)
溜息をつくと、宝玉の欠片に手をかざす。其れ等はスルスルと集まり、やがて元の形となったが、その大きさは、かなり変化していた。
元は両の手からはみ出す程だった物が、親指の先程になってしまっている。それを漸く差し始めた陽にかざしてしばらく眺めた後、阿古町は稲荷山に向かって、深くお辞儀をした。
**
土御門の屋敷近くの上空で、雷雲を操っていた道真公は、足玉の鈴の音が聞こえると同時に、掴める限りの雷全てを、阿古町が待機している場へと撃ち放った。
それは爆音と共に光の渦と化して巻き上がり、香菜姫の侍女達を異界へ繋がる道筋へと押し上げる。
空高く舞い上がった光を渦が、消え行く様を眺めていた道真公は、これで智乃の気持ちが晴れたならば良いのだがと思っていた。
しかし篁翁に聞いた話によれば、こちらの者達が香菜姫の事を思い出していられるのは一時だけで、時が経てば、再度忘れてしまうらしい。
ならば今直ぐにでも智乃の様子を見に行きたいと思うものの、我が身の回りに群がる雷雲を何とかしてからでないと、土御門の屋敷に雷を落としかねない。
仕方がないので、雷雲を蹴散らすようにしながら追い払う事にした。
既に他の者たちは、其の場から離れたのだろう。香菜姫の居室にいたのは、両親である智乃と泰福、そして弟妹達の他に、もう一人。躯体のよい中年男だった。
男は何度も頷きながら、鼻水を垂らして泣いている。
その装束から、異界に送った姫の護衛と近しい者だと推測した道真公は、その男の事は放って置くことにして、智乃の前へと姿を現した。
その場にいた者達全員が、すかさず平伏する。
「天満大自在天神様におかれましては、此度の過分なる御温情に、何と御礼を申せば良いか…」
泰福の言葉を、道真が手を挙げて遮る。
『今は覚えておるようだが、香菜の事は、再び忘れてしまう。これを避ける事は出来ぬ』
道真公の言葉に、平伏した者達の身体が固くなる。中には、悔しげな声を漏らす者もいた。
『それと異界に送った三人に関しては、此度の災害で亡くなった事になろう』
篁翁から聞いた話を、予め告げておく。再び居ない事になった姫に、死んだ事にされた者達。
傍から見れば、哀れな者が増えただけに見える。
そこで智乃が顔を上げた。ずっと泣いていた為だろう。両の瞼は腫れ、化粧は悲惨な事になっているが、その顔は晴れやかだ。
「それでも香菜が一人ではなく、あの者達が共にいると判っているのです。寂しくはありますが、ここは、納得しております」
そう言って、両手で胸を押さえながら朗らかに笑う智乃を見る道真公の顔が、ほんの少しだが、ほころぶ。
「ならば良い」
それだけ言いおくと、これ以上の長居は無用とばかりに、道真公はその場を後にした。




