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百十四話

 カーチア・ウンは、深くため息をついた。

 バルザック王国の神殿から、二人来ると聞いていた下働きが一人しか来ず、しかもその一人も翌朝には姿を消したという知らせが届いたのだ。


(姿を消したのは、おそらく見張りにつけた者だろう。ならばアデラ・トレは、もう、この世にはいないという事か…)


 手紙を持つ指先が、震える。

 こうなる可能性を、考えなかった訳ではない。それどころか、敢えてアデラ・トレに悪感情を持つ者を、見張りとしてつけたのだ。妹に、最後の機会を与えるために。



 アデラ・トレの愚かな行動に対する償いとして、国は大きな犠牲を払う事になった。当然ながら、その原因を作った者も、それなりの処罰が科せられる。

 護衛騎士達は全員降格処分となり、指先を失った魔術師は、免職となった。

 そしてアデラ・トレに科せられたのは、『自死した事にして、平民として国外に追放』というものだった。


(神殿での下働きは、ある意味聖女様の温情だったのだが)


 若い、それも見た目の良い平民の娘が、慣れない外国でどんな扱いを受けるのかは、想像に(かた)くない。

 男達に(なぶ)りものにされ、殺されるか、運良く生きていても娼館いきは免れない。

 そのことを聞かされた聖女が、


「ならばバルザック王国にやれば良い。ビュイソン領のビシューラ神殿ならば、悪いようにはせんじゃろうて」


 その言葉によって、神殿行きが決まったのだ。

しかし、それがアデラ・トレには通じなかった。 

 そんな惨めな環境に身を置くぐらいなら、本当に自死した方がマシだと言い出したのだ。

 しかも、秘密裏に己の信望者に手紙を出そうとしていた事が発覚した為、流石のカーチア・ウンもキレた。


「ならば、そうしなさい!」


 毒の入った瓶を押し付けるように、渡したのだ。しかし出発の日まで、アデラ・トレが毒を飲む事はなかった。


(おそらく私や父が折れて、処罰を取り消すか、軽いものにするのを期待したのだろう。あの娘は自分がしでかした事の大きさを、全く理解していない……)


 だから見張りとして、指を失った魔術師の妹をつけたのだ。散々、侍女代わりとして連れ回した魔術師に、よく似た見張り役。

 それを見て、どの様な態度を取るか。それがアデラ・トレに与えられた最後の機会だった。


(もしかしたらあの娘は、そんな事にさえ気づかないでいたのかもしれない。二人はとても似ているのに……)


 カーチア・ウンは少しの間瞑目(めいもく)すると、手紙を暖炉に放り込んだ。それが灰へと変わるのを見届けると、気の重い知らせを父に伝える為に、部屋を出た。



 ***


「そういえば、陛下とペルギニ王国の第二王女との縁談は、白紙になったそうよ」



 お茶の時間、養母であるラミアが何気なく発した言葉に、エリアナは何故かホッとしている自分に戸惑っていた。


(いやいや、あの王女様って、綺麗だけど性格にかなり問題があるってガレリアが言ってたし、そんな人が王妃になったら、国民が苦労するだけだからね。これは臣下として当然の感情よ)


 そう理由をつけ、なんとか己の感情を一般的な物だと納得させようとするが、ならばどんな王妃なら良いかと考えた時点で、思考が停止する。


 隣国の王女は、女王として即位したから論外だし、国内で家柄や年齢が釣り合う相手は、本当に少ないのだ。


 公爵家、侯爵家共に今は該当する令嬢はおらず、伯爵家まで下げると、陛下よりも少し歳上の令嬢も含めて八人ほどだ。

 そのうち一人はガレリアだが、彼女は王妃になる気なぞ、サラサラなさそうに見える。


(でも、これまで同様、王妃に外交を任せるなら、ガレリアが一番、適任なのよね。後は、オーズリー家のオードラ様ぐらいかな……)


「あら、オードラ様なら先日婚約されたわよ」


「ゴフッ」


 お茶を噴きそうになる。どうやら思考が口に出ていたらしく、養母(ラミア)が興味深げな視線を向けてくる。


「ど、どなたと婚約されたのです?」


 口元を拭きながら、尋ねる。


「クリント・エジャートン様よ。元々、内々で決まっていたらしいそうなのだけど、魔獣騒ぎで延期になっていたそうよ」


 先の戦争で英雄の一人となった隻眼の領主は、老若男女問わず人気が高い。伯爵家という事もあり、あわよくば奥方の座を射止めようと、子爵家や男爵家の令嬢達からも熱烈な恋文が届いていると聞く。

 そんな相手との結婚なんて、妬み嫉みの嵐だろうから大変だろうなと思いながら、エリアナは落ち着いた雰囲気の、スラリとした姿を思い出す。


(悪ガキが大人になった様なクリント様とは、案外、お似合いかも)


 そんな事を思っていると、


「それでね、宰相様から陛下の婚約者候補として、貴女はどうかと聞かれたんだけど」


「ブッ!」


 その言葉にエリアナは、今度こそ完璧に、お茶を噴き出してしまった。


「わ、わたし?!なんで?」


「あら、別に変じゃないわよ。だって貴女、いまは伯爵令嬢だもの。それに元子爵家だけど、貴女のお母様はシャイラ様の従姉妹でしょ?」


 何の問題も無いわと、養母が微笑む。


「私が陛下の婚約者候補……」


 その言葉を口にした途端、エリアナはとんでもない重圧を感じた。未来の王妃として国の将来や、全ての国民に対して責任を担う立場となるのだ。

 それがどれ程の重責なのか、元子爵令嬢であるエリアナには、想像することさえ出来ない。


「無理です。その様な重責、私には到底務まりません」 


 気づけば、そう口にしていた。


「ねぇ、エリアナ。判っているでしょうけど為政者、特に王族は、己の欲や感情だけで結婚相手を選ぶ事は出来ないわ。せいぜい、条件に適った者の中から、互いに好ましく思える相手を選ぶぐらいよ」


 実際、エリアナの前の婚約も、双方の家の都合で決まったものだ。 


「あっ、でも、聖女様がウィリアム陛下と結婚される可能性は、無いんでしょうか?」


「あなた、それ、聖女様には絶対に聞いてはダメよ。ものすごーく、嫌な顔をされるから」


 その言葉から、絶対にないのだと判る。

 

「だからまぁ、考えてみてちょうだい」


 養母がその瞳に、いたずらを企むような光を宿している事に、エリアナは気がつかなかった。



 ***



「さて、なにゆえ信長殿が此処におられるのじゃ?」


「そりゃ、畳の為に決まっとろうが!」


 言いながら、香菜姫の屋敷の畳が敷き詰められた部屋の中を、ゴロゴロと転がってみせる。

 どうやら信長は、まだ多くの者が頻繁に出入りしている頃から、度々この場所を訪れていたらしく、前鬼、後鬼共に信長を関係者として認識しているようだ。


「畳でしたら、あちらにも有る筈ですが?」


 開け放たれた戸の間から見える、茶室を指差すが、


「あそこは狭い!」


「はぃ?」


 香菜姫達から見れば信長は、侘びだ寂びだと言って狭い茶室を広めた者の一人である上に、そこに見える茶室を建てさせた、張本人だ。

 その当人が、まさかその狭さに不平を言うとは思いもしなかった。

 しかもうつ伏せになって、「ここの畳は良い香りがするな」等と言いながら、畳に鼻を擦り付けるように、その匂いを嗅いでいる。


(この御仁はやはり、常人には理解できぬ…)


「ちなみに、香菜姫。いつ(こうぞ)を見つけた?」 


(なるほどの。そちらが本命か) 


「未だ教えられませぬ。あれは国を挙げての取り組みゆえ」


 それを聞いて、信長が鼻を鳴らす。 


「まぁ、今は良い。紙に関しては、そちらの宰相と話をしようとしても、のらりくらりと躱されておるからな。ところで、これから先は、どうするつもりだ?」


「暫くは、ここで静かな時を過ごす予定じゃ」


「ふん。世捨て人の様な暮らしが出来るとは。思わぬ方が良いぞ。わしは頻繁に訪ねて来る予定だしな!」


 豪快に笑う祖母の大叔父が、己の事を心配しているのは、姫も判っている。

 別に香菜姫とて、世捨て人となるつもりなぞ、毛頭ない。

 ただ、ほんの一時、翁と約束していたような時を過ごしてみようと思っていた。




 それからは、華王のすてーたすに入っていた種籾を用いて小さな田を作り、その世話をしたり、出来た米を稲荷社に供えたりしながら、穏やかな日々を過ごした。

 勿論、信長は頻繁に訪ねてくるし、オルドリッジからの報告や式も三日と置かずに来るので、静かとは言えないが。


 やがて姫の所領には、レストウィック王国から移住してきた者や、ヴァルタン・カレが派遣した職人で、そのまま住み着いた者など、合わせて二十人程が居を構えるようになっていた。そして。


 明日で屋敷に越して来て丁度一年という日、朝早くから障子を突き破り、あちこちが破れ、汚れた式が飛び込んできた。

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