百十一話
今回は私事で色々と忙しかったので、短いです。
この地に着くまでの間、アデラ・トレは街に立ち寄る度に、イライラを募らせていた。特にレストウィック王国に入ってからは酷く、連日のようにヒスを起こしては、周りの者にあたっていた。
なにせ、どの街でもあの生意気な使者の姿絵が飾られ、戦の英雄として讃えられているのだ。
それを目にする度に、懇親会で味わった屈辱を思い出すのだから、アデラ・トレにしてみれば、拷問以外の何物でもない。
絵姿は他にも隻眼の男や聖獣フェンリル、そしてなぜか片手に肉を持った中年女の絵も飾られている。しかし肝心の聖女の絵姿は無い事に気付いた魔術師が、うっかり尋ねたのだ。
「ねぇ、なぜ聖女の絵は無いのかしら」
聞いた相手は宿屋の女将だが、アデラ・トレ達をちらりと見ると、
「そりゃ盗まれるからですよ、お嬢さん方」
そんな事も判らないのかという顔で、言われたのだ。
「英雄様達の絵は、娘や子供等が欲しがる程度だけど、聖女様の絵は老若男女にかかわらず欲しがるんで、みんな家の中にしまってるんですよ」
それを聞いたアデラ・トレは、更に苛立つ事になった。
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「今すぐ、降りてきなさい!」
アデラ・トレは、相手から見下ろされていると思うだけで、腹立ちが増していった。
どうにかして引きずり降ろし、己の足元に這いつくばらせたいという思いで、頭がいっぱいになる。しかし。
「断る。何故妾が其方の言うことを、聞かねばならんのじゃ?」
上空の聖女は、カラカラと笑いながら言い放つ。
「あら、そう?じゃあ、そこで後悔しなさい!」
言いながら振り上げた手には、人の頭程の水の玉があった。それを上空の聖女めがけて、打ち放つ。しかしそれは、聖女に届く事なく霧散すると、
ザンッ、ザッ、ザクッ!
代わりに尖った氷片が二十ばかり、落ちてきた。護衛騎士が剣を使って打ち払うが、その中の一つはアデラ・トレの衣服の裾に突き刺さる。
「ひぃ!」
アデラ・トレだけでなく護衛騎士も、まさか聖女が反撃してくるとは、思わなかったのだろう。上空を見上げるその顔は、皆一様に驚いている。
「なんじゃ。たったあれっぽっちで終わりかえ?つまらぬのう」
馬鹿にしたような聖女の言葉に反応したアデラ・トレが、護衛騎士に聖女に攻撃するよう指示を出そうとしたその時。
「いい加減になさい!」
突然、馴染みのある声に止められ、アデラ・トレは唖然とした。あろう事か聖女の屋敷から、姉であるカーチア・ウンが出て来たからだ。
「…なんでお姉様が?」
「私がお連れした」
第一王女のすぐ後ろから現れた男を見て、アデラ・トレは膝から崩れ落ちた。会うのは初めてだが、その肖像画は何度も目にしている。王国の若き王、ウィリアムだ。
「えっ、うそ……」
(まさか、全部見られていた?考えるのよ、何か方法があるはず!)
ペタンと座り込んだまま、必死に考える。そこで、転がった指先が目に入り、それを利用する事にした。
「お姉様。そもそもは、そこの黒い甲冑の者が私の魔術師の指を切断したからですわ!」
前鬼、後鬼を指差して喚き立てるアデラ・トレに対し、香菜姫は呆れるしかなかった。
「あれらは、何もせねば襲う事はない。されたということは、其方達が先に何ぞやらかしたのであろう」
『我、しかと聞いたり。そこな女が、火をつけよと命じもうした!』
姫の言葉に応じるように、前鬼が吠える。
「ならば指だけで済んだのは、運が良かったの。先だって盗みに入ろうとした者は、首が飛んだぞ」
***
実はアデラ・トレの動向を、ウィリアム達は早くから掴んでいた。
当人は目立たぬよう城を抜け出したつもりだろうが、護衛騎士を八人も連れた令嬢の旅など、人目を引く。場合によっては、身代金目的の誘拐や、物取りの餌食と成りえた。
その為、その目的地はレストウィックの王都ウィルソルだと予測し、道中密かに見張っていたのだ。
しかし、王女はウィリアムの予測を裏切り、フェンリルの森へと向かっていると判った時点で、香菜姫が動いた。
ウィリアムと共にペルギニ王国へと向かい、カーチア・ウンを連れてきたのだ。




