百九話
「お父様、レストウィック王国から親書が届いたそうね!」
ノックもせずに執務室に入ってきた末の娘に、ペルギニ王国の新国王アロンゾ・ヌメは、溜息をついた。
前国王とその親族達が投獄された後、公爵だった彼は王家との血縁関係が薄いという事で、議会によって王に選ばれていた。長女が国一番の富豪であるフォルテス伯爵の妻という事も、もちろん選出理由に含まれている。
実際、運河復旧に尽力した長女夫婦の評判は良く、人気も高い。
また王太子である長男ディオゴ・ドイは妻が出産間近のため、公爵領にある別邸で静養中だ。こちらもおめでたい話題として、国民から歓迎されている。
そんな中で唯一頭を抱える存在が、この末娘だった。
「アデラ・トレ。どうやら元婚約者だけではなく、礼儀作法ともお別れしたようね。陛下、やはりこのような者をレストウィック王国の婚約者候補として推すのは止めたほうが宜しいかと。我が国の恥を晒す事になりますわ」
執務を手伝っている長女カーチア・ウンが辛辣な言葉を吐くが、悲しい事に王自身、その言葉を否定できない。しかし言われた当人は、悪びれもなく姉を睨みつけている。
「お姉様は黙っていてくださる?」
「近日中に、使者を寄越すそうだ」
王は幾つ目か判らなくなった溜息を吐きながら、手元の親書に書かれている事を、末娘に伝えた。
「それだけ?私宛の手紙や贈り物は?」
とっておきの肖像画を送ったのだから、それを見たウィリアム国王が、何かしら彼女宛の品を寄越しているはずだと言う。
「残念だけど、なにも無いわ」
「私の誕生日や好きな宝石について、ちゃんと書いてくれたの?」
「誕生日は書いたわ。貴女の経歴もね。でもそれ以外は、特に何も」
そもそも、婚約の打診をしただけなのだ。なのに相手が贈り物を寄越すと思っている妹を見て、何処からそんな自信が湧いてくるのか、カーチア・ウンは不思議でならなかった。
「なんで、書いてくれなかったのよ。それじゃあ、相手は何を贈ったら良いか、判らないじゃない!」
「書かなかったのは、その必要が無いからよ。さぁ、用が済んだのなら、出ていって頂戴。仕事の邪魔よ」
控えていた侍従に、部屋から出すよう合図する。
「お姉様、言葉には気をつけた方が良くてよ。
私がレストウィック王国の王妃となったら、フォルテス商会との交易がどうなるか見ものだわ」
侍従に背中を押されながらも妹は、わざわざ振り返って脅し文句を言ってくる。
「既に婚約が決まったような口ぶりね」
「当然でしょう?私以上にふさわしい者など、いないのだから」
「そうだったら良いわね」
扉が閉まり、漸く静かになった執務室で、カーチア・ウンはポソリと呟いた。
***
(悔しい、悔しい、悔しい!)
執務室から追い出されたアデラ・トレは、あまりの腹立ちに今にも靴の踵が外れそうな音を立てながら、自室へと戻っていた。
「お姉様なんて、ついこの間まで、ただの伯爵夫人だったくせに!」
姉は幼馴染であるフォルテス伯爵と結婚するために、爵位の継承権を兄に譲っていた。
それが今では第一王女で、王の相談役で、将来の公爵だという。
「お兄様が王太子になったからって、なんでお姉様が次期公爵なのよ。私の筈でしょう!それに相談役だって、私の方が相応しいのに!」
何年もの間、次期王妃となるべく教育を受けていたのだからと、王である父にもそう進言したが、前王家の教育程度では到底足らないと、姉に一蹴されていた。
(受けてもいないくせに、何で足らないなんて言えるのよ!)
バンッ!
思いっ切り押し開けたせいで、自室の扉が大きな音をたてる。王女に相応しい調度品で飾られた部屋だが、今は手当たり次第、物を放り投げたくてたまらなかった。
しかしここでは侍女も侍従も皆、姉の味方で、直ぐに報告されるのが判っているから、アデラ・トレは必死で耐えていた。
代わりに、枕で寝台を殴りつける。この程度なら何も壊れないから、大丈夫なはずだ。
バン、ボスッ、バン、パンッ!
枕を振り回しながら、これまで我が身に起きた不幸を思い出していた。
前国王が、諸々の責任を取らされ投獄された際、彼女の婚約者だった第一王子も投獄された。その時には、さすがに辛かった。
元王子に抱いていた想いは、相手が投獄され、全てを失った時点でどこかへ消え失せたが、次期王妃として約束されていた諸々や、これまで享受していた予算や特権が、全て取り上げられたからだ。
(私は何一つ悪い事をしていないのに、あれもこれも、全部取り上げるなんて……何でこんな目にあわされるの?)
しかもその事を嘆こうにも、これまで彼女の周りにいた令嬢達は、一斉に寄り付かなくなっていた。それどころか、『我が儘で浪費家』だとか、『威張り散らす暴君』等と、不快極まる噂が流れ出した。
しかし有り難いことに、直ぐに王女という新しい地位が手に入ると、その噂はピタリと停まった。その為、噂を流していたのは、かつての取り巻き令嬢達だと確信した。
(今更後悔しても、遅いんだから。あんな恩知らず達は、二度と私の側には寄らせないわ。遠くから指を咥えて、見てれば良いのよ!)
そうして王族という身分を手に入れたアデラ・トレは、華やかな生活を再開したものの、直ぐに己の立ち位置が微妙なものだと気がついた。
姉は夫婦で父の相談役になり、兄は当然、王太子となった。兄嫁であるソバカスだらけの冴えない義姉は、王太子妃で次期王妃だ。
なのに、自分には何も無いのだ。おまけに新しい婚約者を探そうにも、彼女に齢や身分で釣り合いの取れる者は、殆どいなかった。
もちろん言い寄って来る者は、多い。しかしその大半が伯爵以下で、中には先の戦で居場所を失い帝国から逃げ出した、帝国貴族達もいた。
彼等は大抵が貧乏で、こちらにいる親戚や、付き合いのあった商家の世話になっているため、ろくな贈り物さえ持ってこない。
そのくせ、なんとか彼女から金を引き出そうとしたり、利権を手に入れようとするのだから、呆れてしまう。
(随分安く見られたものね。お生憎だけど、私に相応しいのは、あなた達じゃあないの)
そんなアデラ・トレが目をつけたのが、新たにレストウィック王国の王位に就いたウィリアムだった。
帝国との戦に勝利した連合国の若き王で、婚約者が決まったという話は聞いていない。一時は召喚した聖女との婚姻も囁かれていたが、未だに発表されないのを見ると、どちらかが嫌がっているのだろう。
(なら、私が婚約者になってあげれば良いんじゃない?)
レストウィック王国はペルギニ国よりもずっと広い上に、豊かな農地を有している。ここ数年続いた魔獣騒ぎで、少しばかり土地は荒れているようだが、帝国から受け取った多額の賠償金があるから、問題ない。
「あの国の王妃になれば、ペルギニ国王であるお父様と対等、いえ、それ以上の立場になれる。ましてやお姉様なんて、頭を下げるしかなくなるわ!」
そうなった時の姉の悔しそうな顔を思い浮かべ、ほくそ笑む。それと同時に、枕を持つ手が止まる。
「ふふっ、楽しみだわ。その為にも、使者には私の素晴らしさを、しっかり判ってもらわないとね」
アデラ・トレは枕を寝台に放り投げると、侍女を呼び、使者を歓待する為に開かれる懇親会で着る衣装を選び始めた。
***
レストウィック王国では、親書に潜ませていた香菜姫の式が戻ってきており、親書を受け取った直後のペルギニ国王達の様子を伝えていた。
「我が国も、舐められたものだな」
オルドリッジの眉間のシワが深まり、シャイラは顳顬を押さえ、ウィリアムは頭を抱えた状態で、机に突っ伏していた。
ペルギニの新たな王として選ばれたのは、比較的まともな領地運営をしていた公爵だった。その領地の治安は良く、民の評判も高い。しかも長女の婚姻によって、潤沢な資金を持つ商会との繫がりを持つため、国民の期待も大きい。
王太子も、真面目な愛妻家だと聞く。
しかし、肝心の婚約者候補であるアデラ・トレは、その言動の全てがあまりにも酷かった。
直ぐにでも断りの親書を送りたかったが、既に使者達は出発している。
「今頃は船に乗った頃だろう。向こうからの連絡は、香菜姫様から預かった式を飛ばせば良いが、こちらからの連絡は、直ぐには無理だ」
届く頃には、向こうの王宮に着いているだろうと、オルドリッジが言う。
「早々にケンドリックが断ってくれるのを、期待しておこう。アレは、嫌だ……」
ウィリアムは突っ伏したまま、呻くように言った。
***
ペルギニの王宮に到着したケンドリックは、謁見の間でウィリアムから預かった贈り物の目録を読み上げていた。
「以上が、わが王国からペルギニ国王であらせられるアロンゾ・ヌメ陛下へのお祝いの品となります」
最後の品を読み終えた時、アデラ・トレ王女が露骨に不満げな顔をしているのを見て、吹き出しそうになるのを必死で堪える。
横に立つガレリアの肩も震えているところを見ると、彼女もあの顔に気づいたのだろう。
今回持ってきたのは全て、新国王と、懐妊中の王太子妃への祝いの品だ。その中には聖女特製『絶対に虫に刺されない産着』も、含まれている。王宮の裁縫師が縫った産着に、香菜姫が不思議な模様の刺繍を施した物だ。
しかし、王女が求めるのはそんな物ではなく、自分宛の贈り物だろうと推測出来た。
(勘違いされそうな首飾り等の宝飾品を入れなかったのは、正解だったな)
贈り物を決める際、ガレリアの提案で、わざとそれらを目録から外したのだ。
「そんな物を入れれば、この婚約に乗り気だと思われるよ」
(ガレリアの言った通りだったな。ってことは、次は懇親会か……)
使者を歓待する為に開かれた懇親会には、多くの貴族やその令嬢達が呼ばれていた。その中でケンドリックとガレリアは、大勢の令嬢達に囲まれていた。
ケンドリックは先の戦の英雄としての活躍が、ペルギニまで話が伝わっていたからだ。そしてガレリアは、ぺルギニでは珍しい女性騎士だということで、人々の注目を浴びていた。
特にケンドリックは侯爵という身分もあるが、それ以上に彼の整った顔立ちが、令嬢達の気を引くのだ。
飲み物を取りにガレリアが離れ、ケンドリックだけになったのを見たアデラ・トレは、すかさずその側へと向う。彼女が近づくと、令嬢達か道を開けてくれる。
(ふうん、確かに整った顔をしているわ。しかも侯爵だなんて。レストウィック王国一人目の崇拝者として、ちょうど良いかも)
「ねぇ、貴方。あんな女としての魅力のない人と、一緒に行動しなければならないなんて、大変ね」
親友のガレリアを悪く言われ、ケンドリックは内心腹を立てたが、顔には出さず、
「では、どの様な者ならば宜しいか、お聞かせ願えますか?」
とびきりの笑顔を相手に向けて、聞いた。




