百七話
コミック『苛烈な聖女様』、マンガBANG!アプリで連載中です。そちらも、よろしくお願いします!
蘭丸は、少しばかり古めかしい衣装を纏った嫗と香菜姫達が、水晶越しに話をしているのを、なんとはなしに聞いているうちに、自分達が大きな勘違いをしていた事に、気づいてしまった。
己も信長も、香菜姫がこの地に来て、早々に馴染んだものと思っていたのだ。
だが、思い返せば己がこの地で生きて行こうと腹を据えたのは、結界による魔獣閉じ込めが上手くいき、新たな武器も完成間近となった頃だから、すでに半年以上が経っていた。しかも。
「なぁ、蘭ちゃん。わしは漸く、腹ぁくくれたぞ。この地で死ぬまで生きてやるってな。まぁ、仮に戻る方法があるとしても、奴らが教えるとは、思えんしな」
そう言って笑う主の言葉に、頷いた時だ。
すでに孫迄いる上に、常に生き死にを賭けた戦の中で過ごしていた信長や、その信長に何年も仕えた己でさえ、その程度の時はかかっている。
(香菜姫様が気丈に振る舞っておられたから失念していたが、まだあの齢ならば家族を恋しく思うのは当然だ……)
姫に聞いた話では、徳川の治世となってからは、大きな戦は起きていないという。ならば公家の息女として、親兄妹に囲まれ、使用人に世話を焼かれながら、平穏な生活を送っていた筈だ。
そこから、突然切り離された。しかも、神獣達がいるとはいえ、たった一人でだ。
どれほどの悲しみや寂しさを抱えておられたのだろうかと、想像するだけで胸が痛み、これまで気付かなかった己を恥じる。
(もしや姫様が屋敷や衣装に拘るのは、出来るだけ馴染んだ物の中で過ごしたいという願いからなのかもしれぬな。ならば戴冠式が済んで落ち着いたら、本気で畳づくりに力を入れてみるか)
諸々片付いた後の為だと言って、こっそり姫の屋敷の側に、屋敷を建てる計画を進めている主の顔が浮かぶ。
(そうだな。畳ならば、殿も喜ばれるだろう)
曇りきり、何も映さなくなった水晶から、手を離せずにいる香菜姫達を見ながら、蘭丸は思った。
***
香菜姫達が水晶に向かっている間、トゥルーとムーンは長椅子にもたれかかるように座る女神を前にしていた。その眉間には、どちらも皺がよっている。
「ドラーラ様。何時からこうなる事が、判っておられたのですか?」
トゥルーの問いに、女神は面倒くさげな視線を返すが、これ迄ずっと女神を心配そうに見ていたムーンの言葉は、遠慮が無かった。
「あの水晶は、昨日、今日で用意出来る物ではない。何より対価が必要な代物だ」
遠世の水晶の対価。それはまず外殻として、女神の片足の膝から下を必要とする。そして水晶には片目の視力を。最後に宝玉の為に、膨大な神力を注ぐ必要がある。
神ゆえに、やがては回復するものの、少なくとも五年は元通りというわけにはいかないだろう。
そもそも香菜姫達が侵入して来たにも拘らず、女神がその力を一度として、攻撃どころか防御にさえ用いなかったのが、おかしかったのだ。だがそれも、水晶の対価を支払った為に使うことが出来なかったのなら、納得出来る。
「それに今考えると、色々とこちらに都合が良すぎる気がします。僕がムーンと一緒にいる所に、聖女様達が通りかかるとか、僕の記憶は消えていたけれど、ムーンは全て覚えていたし」
「話せなかったがな」
「どう考えても、僕が聖女様を連れて、ここに来る事を前提としていたとしか思えません」
図星をさされたからか、女神は少しばかり気まずそうな顔をしたものの、
「あの娘に余計な事は言わないでよ。それに今は信者も増えていてるから、問題ないわ。二、三年で、元に戻るわよ」
これ以上は聞きたくないとばかりに、ひらひらと手を振る。
「それにしても、損な役回りよね。まぁ、あの書き足しには正直、驚いたわ。あんなことが出来ないよう、修正しておかないといけないわね」
マレフィクスと成り果てたウィリデにしろ、カエルラにしろ、人が己の欲の為に、神から賜った魔導書の魔法陣を書き換えるなど、ドラーラとしても、想定外のことだったのだ。
しかも与えた物の使用方法にまでは、干渉出来ない。
今回女神が水晶を準備したのは、マレフィクスに対する香菜姫の功績に報いるのと同時に、姫自身に対する贖罪を兼ね合わせていた。
「ところで、最近バルザック王国やベルティカ王国でプルートへの奉納品がすごく増えているみたいなんだけど、あなた達、何か心当たりはある?」
しかしトゥルー達は、香菜姫達がバルザック王国で仕出かした事など知る由もない為、首を横に振る。
「あの子、こっそり回収に行っているみたいなんだけど、たまに嫌いなものが混じっていると、ペガサスの箱庭に放り込んでいるのよね」
「まだ、怒ってるんですね」
箱庭の中で泣いていた山羊の情けない様子を思い出し、トゥルーが苦笑する。
「当然でしょ?食べ物の恨みは怖いのよ」
「箱庭に放り込んでいるということは、プルートは、ブッシュカウルは嫌いなのか?」
「赤身の肉は、あまり好みじゃないみたいね。もし要るのなら、持って帰れば良いわ。ただし、全部はダメよ。嫌がらせの為に、わざわざ置いているみたいだから」
女神の言葉に、トゥルーとムーンは五十年程前に起きた事件を思い出し、ため息をついた。
そもそも、ペガサスがやたらとプルートと遊びたがり、女神の元から連れ出そうとしたのが事の発端だ。
それまでも何度か遊びに誘うことはあり、女神も当初はそれほど気にも止めていなかった。しかし、度々、長期間戻ってこない事が起きた為に、とうとう怒った女神が、ペガサスと出かける許可を出さなくなったのだ。
その事に腹を立てたペガサスが、北の大地の中で、プルートが定期的に訪れる一角を選ぶと、雪や氷を一気に溶かした上に、花畑をこしらえたのだ。
その結果。プルートが好きな物を色々と溜め込んでいたクマミミ貯蔵庫(クマの耳型、氷製)が無惨な状態と化してしまった。
中の菓子は水浸しとなり、ふやけ崩れてしまい、魚や海獣の肉は腐り、全てダメになっていた。
しかも何処からわいてきたのか、其れ等を鳥や動物が食べ散らかし、虫が集り、巣へと列をなして運んでいく。
その光景を眺めながら、あまりの怒りと悲しみに言葉をなくして震えるプルートの前で、ペガサスは漸く会えた友に、己の力作を自慢しはじめた。
「ほら、覚えているかい。前にこんな花畑で一緒にあそんだね。大変だったんだよ、この場所に、これを作るのは……」
バキィッ!
プルートはどや顔で自慢してきたペガサスの横っ面を、幼体のまま飛び上がって殴りつけると、そのまま泣きながら女神の名を叫んだ!
『ドラーラ!』
普段、殆ど言葉を発しないプルートに呼ばれた女神が、大慌てでその場へ向かうと、瞬時に事態を察知して、激怒した。
神域に勝手に手を加えた上に、可愛い神獣を泣かせたのだ。女神はすぐさまペガサスの周りの空間を切り取り、箱庭にしたてあげる。もちろん、ペガサスは閉じ込めたままだ。
しかもその姿は、ペガサスが何かと馬鹿にしていた山羊のものへと変貌していた。
『メェ~、ムベェ〜!』
当然、喋る事も出来ない。
「そこで反省なさい」
その反省は五十年経ってもまだ、続けさせられているのだ。
**
「少し待ってくれるか。女神の許可を取ったのでな」
帰路を進む一行に声を掛けたムーンは、山羊となったペガススの箱庭を少し手前に引き出すと、トゥルーに中の肉をいくつか取り出すよう、頼んだ。
指先で摘んだ肉が、出すと手の平より大きくなる様は、見ていて中々面白い。しかし四つ目を摘んだ時、山羊がトゥルーの手にしがみついてきた。
『ムメェー、ムベエー』と喧しく泣きながらも、四肢を使い、離れようとしない。
「どうやら、出してくれと言ってるようじゃな」
「ダメですよ。女神に叱られます」
「まだこれしか取れておらぬのに……」
あまりに残念なムーンの発言に、香菜姫はため息をつく。
「崋王、頼めるか?」
「あいな姫様、如何様に?」
「引き離して、しばらく動けぬようにしてもらおうか」
「畏まり!」
箱庭の中に生えている蔓草を使い、山羊の脚四本全てに絡ませ、トゥルーの手から引き離すと、ひょいと前足を振って、そのまま箱庭のすみへと張り付かせる。
『ムベエー、メベエー!』
泣き叫ぶ山羊を尻目に、納得するだけ肉を取り出したと判断したムーンが香菜姫の方を見るので、仕方ないのと言いながら、不思議収納箱に収めてやる。
「さて、これで此処での用は済んだ。戻って社を建てようぞ」
そう神使達に声をかけながら、香菜姫は社を建てる話をしたときの、女神の言葉を思い出していた。
**
「最後に一つ、聞いて良いか。妾の世界の神を祀る社を建てたいと思うのじゃが、支障はないか?」
「それは、先ほどの方?」
「いや、あの御方ではなく、更に上位神であられる五柱じゃ」
阿古町自身、神として奉られてはいるが、伏見稲荷神の祭神は宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神の五柱からなる。
ただし姫が思い描いているのは、屋敷の一角に建てられていた小さなものだ。その為五柱を一つの社に押し込める形となるが、致し方ない。
(支障がある故、だめだと言われても、建てるがの)
しかし女神の返事は、意外なものだった…
「たとえ社を建てたとしても、実際に彼らの力がこの地に及ぶことはないわ。それでも良いの?それどころか、貴女がそこで祈りを捧げれば捧げるほど、そこに宿るのは貴女自身か、貴女の神獣達の神力となる可能性が高いわ」
それは香菜姫や神使達が、神として祀られ事になると言われたもの同様だった。
「妾にはそのような大それた者に成る気は、毛頭ない。むしろ社は妾が人として、この世界を生きる上での拠所の一つとして必要な物じゃ」
「そうまで言うなら、好きになさい」
肩を竦める相手に香菜姫は礼をとると、その場を後にしたのだ。




