百六話
8月27日【マンガBANG!】にて、コミカライズの連載がスタートしました!描いてくださったのは、松ノ木セブン先生です。
こちらも、よろしくお願いします!
「それと、貴女が消えた世界で、残された者達がどう過ごしているかは、私では判りかねるわ。だけど…」
言いながら、パチンと指を鳴らす。
ブォゥン!
空間が歪み、そこから足付きの額が現れた。縦が一尺五分、横が二尺ほどもある横長の楕円の額には、透明な板が嵌まっており、それは硝子にも、水晶にも見える。額の上部には、赤子の拳程もある赤い宝玉が埋め込まれている。
「まさか、遠世の水晶?!しかし、あれは……」
それを見たムーンが顔色を変えるが、女神ドラーラはそれを無視し、香菜姫達を手招くと、
「あの地の神に、直に聞く事は出来るかも」
女神の言葉に、香菜姫が瞠目する。
「その様な事が、可能なのか?」
「貴女の神獣達に縁のある神ならば、もしかしたらね」
女神は額の上部に付いた赤い石を、指先で撫でながら、説明を続ける。
「彼等は人の身である貴女よりも、少しだけ神に近しい存在なの。その為、ごく僅かではあるけれど、あちらの神と繋がれる可能性があるのよ」
「ならば、阿古町様と会えるので?」
「もしや、話が出来もすのか?」
白狐達の目が期待に輝き、尻尾が大きく揺れる。
「上手くいけばね。ここに触れてちょうだい」
女神から、宝玉に触れるよう求められた周王達は、狐の姿のままでは少々困難と判断したのだろう。すぐに稚児姿となって、宝玉へと手を伸ばす。
「この石に力を込めながら、その阿古町様とやらの事を、強く思って頂戴」
周王達が宝玉に触ると同時に、水晶の中に銀色に光る渦が現れる。やがてその中心から広がるように、白狐達にとって見覚えのある風景が映し出された。
「これは、神界のお屋敷でありもす!」
「あちらは、白菊さまの居室のある離れでは?」
映し出された風景のあまりの懐かしさに、周王達が嬉々として見入っていると、
「悪いけど、それほど時間は無いの」
言いながら、女神ドラーラは水晶の端を指差した。そこには細い筋のような曇りが、入っていた。その曇りは、サラサラと砂が落ちてくるように、少しずつその幅を増している。
「全てが曇った時点で、終了となるわ。手短にね」
その説明に、周王達の目と口が大きく開いたかと思うと、
「阿古町さま、阿古町さま!」
「命婦さま!」
声を張り上げて、屋敷の主の名を呼びはじめた。すると映し出される景色が、屋敷の外から中へと代わり、廊下や居室が次々に映り、中るが、目当ての人物には中々辿り着かない。
香菜姫にも側に来るよう手招きしながら、さらに叫んでいると、突如、見覚えのある後ろ姿が映し出された。
呼び掛けに気づいたのか、立ち止まり振り返るその懐かしい顔に、香菜姫の胸が詰まる。
「誰じゃ、そのような大声をして。はしたないであろう……これは…」
己を呼ぶ声に振り向いた阿古町が見たのは、宙に浮いた、楕円の透明な板であった。そこそこの大きさがあり、声はその中から聞こえて来る。
「阿古町さま、周王でありもす!」
「崋王もおりもす!」
その名を聞いた阿古町は、質の悪い悪戯かと思ったが、声につられて板の正面に立つと、確かにその姿が映っていた。
「おぉ、なんと、其方達、無事であったか!それに香菜も……達者にしておったか?」
「「阿古町さまぁ、お久しぶりでありもす……」」
「阿古町様、お久しゅうございます」
そこは二年前、突然姿を消した者達が映っていた。土御門家の娘と、その神使達。いずれも特に目をかけ、可愛がっていた者達だ。
「皆、もっと近うに寄って、顔をよう見せてたもれ。おぉ、元気そうじゃの。どこも怪我など、してはおらぬか?この二年もの間、いったい何処におったのじゃ?」
二年という言葉を聞いた途端、香菜姫達がたじろいだ。
「阿古町さま。我等がこちらに来て、まだ半年程しか経っておりもせんが……」
崋王が困惑した顔で告げるが、
「どうやら少しばかり、時の流れが異なる場所におるようじゃな。其方達が消えて、もうじき、二年となる。じゃが、この様に話が出来るという事は、じきに戻って来れるのであろう?」
期待のこもった問いかけに、香菜姫は悲しげに首を振る。
「妾はこちらに召喚された時に、戻ることは叶わぬと言われました。それに関しては、先ほど女神ドラーラからも、同じことを聞かされております」
少し俯きながらも、香菜姫は冬至の日に己の身に起きた事や、この地の女神ドラーラの配慮で会話が可能となったが、余り時間が無い事を徐々に広がる曇りを指差しながら手短に説明していく。そして。
「実は、妾の存在自体が、無かったものとなったとも言われもうした。妾はそれが本当であるのか、知りとうございます」
「そうであったか……」
阿古町はこの二年もの間、ずっと疑問に思っていた事の答えを漸く得たが、それは想像以上に厳しいものだった。
香菜姫達は二年前の冬至の日、突然、姿を消したにも関わらず、土御門家の者達は、誰一人として姫達の行方を探そうとはせず、それどころか、何事も無かったように過ごしていた。
阿古町がその事を知ることが出来たのは、泰福の神使である風華と流華が、知らせに来たからだ。
風華達の話によると屋敷の者達は、まるで香菜姫や周王達など初めから居なかったように過ごしているという。
「しかも、我等が香菜姫様や周王達の話をしようとすると、途端に声が出せなくなりもうした」
「しかも我等でさえ、香菜姫様達がおらぬのを、当たり前のように思う時がありもうす」
その報告を聞いた阿古町は、これほどの事が出来るとなれば、おそらく高位の神の仕業だと思ったものの、それがどの様な神で、姫たちが何処に連れ去られたのかは、皆目見当がつかずにいた。
(まさか、異世界に呼ばれておったとは……)
この地の神が創り上げた異空間ならば、たとえそれが異国の神であろうとも、阿古町が仕える宇迦之御魂大神をはじめとする五柱に頼めば、まだなんとか出来たかもしれないが、異世界となれば、話は変わってくる。
異界へと拐われた者を、術を遡って取り戻すのは、たとえ高位の神でさえ、無理だと言われていた。
(昔、試みた神がおられたが、その悲しい結末は、未だ語り草となっておる……)
しかし悠長に話している間は、無さそうだった。既に水晶の五分の一程が曇り、見えなくなっている。
阿古町は色々と尋ねたいのをぐっと堪え、切羽詰まった顔をしている香菜姫の問いに、答える事にした。
「確かに其方は、生まれてさえおらぬ事となっておる」
その答えに姫の顔がゆがみ、口元が震えのを見て、阿古町はこれ以上言うのを止めようかも思うが、すぐに全て話すべきだと思い直す。
「其方は、母の腹におる時に流れた事となり、今は泰誠と共に供養されておる」
「兄上と……」
「そしてそなたの侍女達は妹・章に、護衛は弟・泰連に仕えておる」
香菜姫は何度も頷きながら聞いているが、その瞳には涙が浮かび、今にもこぼれ落ちそうだ。
「ただのぅ、香菜や。流華達は、そなたに近しかった者達は皆、何処か寂しげだと申しておったぞ。ふとした拍子に、何も無い空間に目をやり、泣きそうな顔をするらしい。まるで、ここに居るはずの誰かを探しておるようじゃとな」
それを聞いたとたん、香菜姫の目から涙が溢れ落ちた。それは、そのまま己という存在を、皆が忘れきる事が出来なかった証のように思え、嬉しかったのだ。
(それに、生まれてこなかった子としてだが、供養されている。ならば、母上ならば!)
かつて、兄・泰誠が亡くなった時の母の言葉を思い出す。
『この母が生きてる限り、泰誠に二度目の死が訪れる事はない。妾は死ぬまで忘れぬし、死ぬまで嘆くつもりじゃからの』
(きっと母上は、妾の事も想うて下さっている!)
そう思う事が出来るだけで、十分だった。しかも、近しかった者達が、寂し気にしているという。
そんな事を喜ぶべきではないと判ってはいるが、それでも嬉しかった。
だからこそ、もう良いと思った。十分だと。そのため香菜姫は、阿古町に頼むことにした。
何らかの方法で、皆の寂しさを埋める事は出来ないかと。もし可能ならば、そうして欲しいと願ったのだ。
「良いのか?」
「はい。皆がこの先、幸せに生きていく為には、その方が良いかと……」
「ならば、あの者達には日を選び、夢でも見せてやる事にしようぞ。朝になれば全て忘れておるが、其方との事や、其方が息災であること等をな」
既に水晶は残り、六分の一もない状態だ。
それで良いかと問われ、香菜姫は僅かに残された箇所に寄ると、深々と頭を下げた。
「此度の阿古町様の過分なるご配慮、この香菜、感謝し奉ります」
下げられた頭を撫でるように、阿古町は板に手を触れる。試しにと神力を注いでみるが、その曇を止めることは叶わず、向こう側は更に見えなくなっていく。
そして、名残惜しげに張り付く三つの指先が見えなくなった途端、板は掻き消えた。
***
元禄七年、師走。
その日、土御門家の屋敷に住まう者達の多くが、とても幸せな目覚めを迎えた。おそらく夢見が良かったのだと思うものの、それがどの様な内容であったかは、誰も思い出せずにいたが。
それは章の侍女である、さきやなつめ、そして護衛役の黒鉄も例外ではなかった。ただ、彼女達は懐かしく幸せな思いで目覚めたにも関わらず、なぜか泣きたいような寂しさも、感じていた。
その朝、智乃はここ数年、胸に空いていた隙間が随分と小さくなった事に気づいた。目覚めた時、ひどく満ち足りた気持ちであったのだ。
夢に阿古町が出てきたのは、なんとなく憶えているものの、それ以外は何も思い出せない。
(もしや泰誠が極楽で、生まれてこれなんだあの子と共に、幸せに暮らしていると教えてくださったのやも……)
そう思うと胸の奥が温かくなり、自然と笑みが浮かぶ。それゆえ、夫にもその事を伝えずには、いられなかった。
「おそらくですが、命婦様が見せて下さったのではと。お陰様で、久方ぶりに心が安らいでおります」
泰福もまた、同じ様な思いの中で目覚めていた為、妻の言葉に頷くと、ならば是非とも礼をせねばと、屋敷内の稲荷社のお供え物を通常の倍に増やすよう手配する。
そして自身の神使である風華と流華に阿古町への礼として酒や菓子を届けさせた。
伏見稲荷に『命婦社』の新たな社の造設を願う匿名の手紙と、多額の金子が届いたのは、それから数日後の事だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次作の投稿は9月7日午前6時を予定しています。
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誤字報告、ありがとうございます。
伏見稲荷の白狐社の御祭神は命婦専女神です。この白狐社は元禄七年まで、今の玉山稲荷社があるところに祀られていましたが、その後現在の場所に建立されています。
(伏見稲荷ホームページ参照)




