百五話
扉の奥は白い石造りの柱が並び、その中を香菜姫達を包んだ球体が進んでいく。しばらく行くと雪の中にあった物とよく似た、文様付きの台座の現れ、球体はその上で止まると。瞬く間に消え失せた。
「この先が『女神の箱庭』です」
トゥルーが説明する。
その名から、香菜姫はなんとなく花咲き乱れる庭園を想像していたが、その予想に反して、目の前にはがらんとした、長い廊下が続いていた。
「こっちだ」
ムーンに先導されるまま、奥へと進んでいくと、やがて両方の壁沿いに、何十どころか、何百もの透き通った箱が積み上げられている場所に出た。興味を引かれた香菜姫が側に寄ると、一つ一つ、違う風景が収まっているように見える。
そしてその中の一つから、変な声が聞こえる事に、姫は気付いた。
『メァー、メェ~、メョー』
その箱には色とりどりの花が咲く風景が収まっていたのだが、本来ならば心和むその景色を台無しにしている物があった。
箱の前に張り付くようにして山羊のような生き物が、ホロホロと涙を流し、泣いているのだ。その横には、なぜか肉の塊の様な物が積み上げられている。
「これは…ヤギか?」
側に寄り首を傾げる香菜姫に、そちらに視線を向けたムーンが答える。
「そいつが、ペガサスの成れの果てだ」
しかしその視線は、山羊の横の肉に気付いた途端、そちらに釘付けになっていた。
「天馬が山羊の姿とは……確かに酷いですね。しかし、何故肉が?馬も山羊も、食べるのは草でしょうに」
香菜姫の横で、蘭丸も首を傾げる。
「きっと、嫌がらせでありもす」
「嫌いな物を、積み上げられる罰を受けておりもすな」
山羊の鼻の穴に草が詰められているのを見て、臭いも嫌なようだと笑う周王達の声に、
「これが罰とは、羨まし…い、いや、なんと不憫な」
今にも涎を垂らさんばかりのムーンが、小さく呟く。
(この様子……どうやらあの肉は、ブッシュカウルのもののようじゃな)
「ムーン、先に進もう?」
山羊の箱から目が離せなくなっていたムーンを、トゥルーが急かした。
**
些か速度の落ちたムーンの先導で、何度か曲がり進むうちに、一行は開けた場所へと出た。そこは白で統一された調度品が並んでおり、その奥には、曲線的な長椅子が置かれている。
その肘掛けに寄り掛かる様に、一人の女が座っていた。
緋色の筋が幾つと入った黄金の髪に、黄金色の瞳。ゆったりとした白銀の衣装は、着物とも、シャイラ達が着ているドレスとも違う形で、どことなく唐様な雰囲気だ。
「あちらに居られるのが、女神ドラーラ様です」
前へと進み出たトゥルーが跪き、頭を垂れる。
「我が主である女神ドラーラ様に、ご挨拶いたします」
その言葉に女神は頷くと、トゥルーの後ろにいる者達に目をやり、呆れたような顔をする。
「あらトゥルー、久しぶりだこと。それにしても、ずいぶん沢山のおまけを連れて来たわね。いったいどうやって入った……」
パンッ、パンッ、パンッ!
女神の言葉を遮ったのは、香菜姫だった。神力を使い、一気に女神の前へと走り出た姫が、間髪入れず三発、女神に平手打ちをかましたのだ。
「何を!」
突然襲われ、頬を押さえて驚いた女神が立ち上がろうとした瞬間。
パッシーン!
蘭丸が手にした扇を振り下ろす。しかもその扇は紙ではなく羊皮紙で出来ており、骨組みも動物の骨を削って作られている為に、余計に攻撃力が増している。
「いっ……」
頭を押さえながら、長椅子に倒れ込んだ女神だが、すぐさま顔を上げて叫ぶ。
「おのれ、神である私に対してなんという無礼を!」
しかし、蘭丸がその鼻先に扇を突きつけ、
「神だと思うからこそ、これだけで済ませたのですよ。本来ならばその首、落としたいところですか、そうすると、この世界がどうなるか判らないと言われたので、この程度で我慢しているのです。感謝して欲しい位だ」
長椅子の前に立ち、女神を睨む。手首を返し、自らの手のひらにパシパシと扇を打ち付ける様を見るに、まだ打ち足りないと思っているのは明白だ。
「異世界人の妾達に、この世界の神を敬えと言われてものう。なんせ未だに無理やり連れてこられた事に対する腹立ちが、消えぬゆえ」
香菜姫も、己の右手を観ながらその横に立ち、女神を睨めつける。
そんな二人を忌々しげに見上げながらも、ようやく事態を察したのだろう。ドラーラは椅子に座り直すと、指をパチリと鳴らし己の傷を治し、そのまま椅子ごと中へと浮き上がった。
今度は姫達が、見下ろされる。
「あぁ、召喚された勇者の片割れと聖女ね。道理で私の力の範疇外なわけだわ。だけど、こちらも一応この世界の絶対的存在なの。こんな事をされて、黙ってるわけにはいかないわ。プルート、来て!」
女神が声を上げると、香菜姫達が来た廊下とは反対側から、トコトコと白熊の聖獣が走ってきた。
その大きさは二尺ほどしかなく、短くふっくらした手足はその幼さを強調しており、糸のように細い目は、開いているのかさえ判らないものの、その顔は愛嬌がある。
しかし、その姿を見たトゥルーは、途端に慌て出した。
「皆さん、気を付けて!あれは、ただの白熊ではありません。ウルソスです。それもオールドワンと呼ばれる、巨大種の!」
「巨大種?あれが?」
トゥルーの言葉に、蘭丸が異議を唱えるが、その間にも、それは大きくなっていった。
メキン!
目が赤く光り、大きく見開かれたかと思うと、
ミョキン!
手と足が一気に伸び、
ボン!
弾けるような音と共に、全てが大きくなった。背丈は優に十尺は超え、顔付きも、それまでの愛嬌のあるものから変貌し、獰猛極まりない。その目は赤く輝き、牙をむき出して咆哮を上げる。
『グゥオォー!』
「えらくデカいな」
腰の不動行光に手を掛け臨戦態勢になった蘭丸の横で、周王が若武者姿となり、小狐丸を抜く。
崋王は姫を背に乗せると、空中へと舞い上がり、ムーンはトゥルーを庇うようにして、部屋の隅へと下がった。
カンッ、キィーン
蘭丸と周王が左右から切り掛かるが、硬い毛に阻まれ、傷一つ付けることができない。
「急急如律令、呪符退魔!」
パシンッ!
香菜姫が術札を放つが、それさえも片手で無造作に弾かれてしまう。
「なっ、どういう事じゃ?」
「聖女さま、プルートは女神の神獣ですから、退魔の術は効かないかと!」
「先に申せ!」
「くそ、どれほど硬いんだ」
蘭丸と周王が協力しながら、角度や狙う場所を変えつつ、攻撃を仕掛け続けているものの、一向に効果が無い。
香菜姫の九字さえも、その身を素通りして、微かな傷えさ負わせる事が出来ずにいた。
一方、相手からの鋭い爪と凄まじい腕力による攻撃は、休む事なく襲いかかって来る為、周王も蘭丸も、今や攻撃を躱すだけで手一杯となっている。
術が効かない焦りもあり、香菜姫の声が荒ぐ。
「なんぞ弱点は、無いのか?」
「在るには、あるんですが…」
トゥルーがムーンを見ながら口籠ると、それがいっそう、姫を苛つかせる。
「何でも良い、さっさと申さぬか!」
「あ、甘い物がすごく好きなんです。ただし、気を引くためには、とんでもない量が必要で…」
そこで香菜姫は、漸くこれまでのムーンの不可思議な言動の意味に気付いた。
「なぜ、菓子がいる理由をはっきり言わなんだのじゃ?」
「我は、トゥルーが思い出した事しか喋れぬという、規制がかかっておるから……」
(そういえば、前にその様な事を言っておったな)
しょぼくれた様に言うムーンをこれ以上責めても仕方無いと、
「結構食べたからの。足らぬやもしれんが、まぁ、出してはみようぞ」
蘭丸と周王が白熊の気を引いている隙に、香菜姫は有るだけの菓子を、少し離れた場所に積上げはじめた。
焼き菓子が多いが、砂糖漬けや乾燥させた果物もある。
すると、菓子の匂いに気付いたのだろう。白熊はスンッと鼻を鳴らすと攻撃の手を止め、菓子の山へと駆け寄り、嬉々として食べ始めた。
「ちょっと、プルート、今はそれどころじゃないでしよ!」
女神が叫ぶが、白熊が菓子を食べる手は止まらない。やがてその眼が、徐々に細くなっていくのが判った。
「満腹になったら、無功化出来ます!」
しかし、菓子の減っていく速さがあまりにも凄まじく、どう見ても足らないようにしか、見えない。
「あと少し。何ぞあれば……」
香菜姫が不思議収納箱の中を、何かないか探していると、
「何じゃ、これは?ハニーアップルの樽とな。しかも二つも。トゥルーよ、これでも良いか?」
「大丈夫です!」
「「あっ、それは!」」
トゥルの返事と周王と崋王の声が重なるが、姫にひと睨みされて、白狐達は黙り込む。
バンと放り出された二つの樽の上部を、蘭丸が切り飛ばし、姫が神力で白熊の前へと押し出した。
ゴロゴロと黄色い実がこぼれる樽は、直ぐに白熊の注意を引く。
少し涙目の周王達の目の前で、新たな甘味に取り掛かった白熊の手は休むことなく、樽と口を行き来して、とうとう最後の一個を食べきった時、その目は完全に一本の糸となっていた。
ポヒュンッという音と共に、白熊は最初の大きさに戻る。
「一体、あの菓子の山は、どこに消えたのじゃ?」
白熊はどこから出したのか、小ぶりの座布団と掛布を持って来ると、座布団を枕代わりにして掛布に潜り込み、プースカと鼾をかきだした。
「あー、もうなんてことをしてくれるのよ!こうなったら三日は起きてこないのよ!」
空中から降りてきた女神が、小さくなった聖獣のほっぺたを引っ張るが、クフクフ笑って、確かに起きそうにない。
(なんか、可愛いの)
「こうなると、どうしようも無いのよね」
諦めたようにほっぺたを離すと香菜姫達に向き合う。
「ところで貴方達、私をひっぱたくためだけに、ここまで来たわけではないんでしょ?」
その言葉に姫達が頷くと、まずは蘭丸が前に出た。
「我等は元の世界に戻る事は、叶わぬと言われた。それは事実か?」
「事実よ。肉体を持つ身では、召喚の術を遡る事は出来ないの。魂のみならば、術の外殻に沿って戻れるけど、それにも多くの時間を要するわ」
女神の言葉で、香菜姫の僅かに残った希望の灯が消えた。しかしそれと共に、どんなに時が掛かろうと、ホルガー・ダンスクの魂は戻れるのだと判った事には、安堵する。
これ以上聞くことは無いと下がった蘭丸に代わり、香菜姫が前に出た。
「妾は、もとの世界の皆が息災かを知りたいのじゃ。それと、妾の事は居らなんだ事になっておると言うのが事実かも、教えてほしい」
「貴女がいた事を忘れているのは、本当よ」
その言葉は、覚悟していたとはいえ、姫の心に突き刺さった。
お読みいただき、ありがとうございます。
来週は親族大集合があるので、お休みいたします。
その為、次作の投稿は8月31日午前6時を予定しています。
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