百四話
香菜姫は、『式が戻って来る前に出立した為、知らなかった』事にしようかと思ったものの、ここで信長を無視すれば、後々面倒な事になるのは目に見えている。
だからといって、連れて行く気もなかった。ただ、一緒に行きたい理由ぐらいは、聞いておくべきだと思ったのだ。
なにせ、信長は香菜姫にとって、父方の祖母の大叔父にあたる人物なので、余り蔑ろにしたくない。
(ご先祖様は、大切にせねばな……)
一つ溜息をつくと、香菜姫は女神のもとに向かう前に、信長を訪ねる事にした。
***
「あれ、聖女さま。今日はどうされました?」
ロウェイ王国の王城にある信長の執務室を直に訪ねると、ラウルが丸めた羊皮紙を幾つも抱えて、忙しげにしていた。信長達は式典の予行の為に部屋を空けているが、じきに戻るという。
「なに、ちょっと旅に出るのじゃが、どうやら信長殿も、その旅先に興味があられるようでな」
言いながら、旅の同行者としてトゥルーを紹介する。ムーンは小さくなった状態で、周王達の後ろにおり、大きな犬のふりをしていた。
準備の為に買う物があると言ったら、香菜姫から大きなままでは、市に連れて行けないと言われたからだ。
ラウルがお茶を用意している間に、信長と蘭丸が戻ってきた。
**
「そもそも、何故わしと蘭丸がこの世界に来ねばならなかったのか、聞いてみたいと思うてな」
向いに座り、茶を飲みながらそう話す信長に、香菜姫はトゥルーを連れて来て良かったと思った。その質問ならば、女神でなくとも、答えられるからだ。
ラウルに席を外すよう求めると、姫は前に自身が聞いた説明を、信長達にするようトゥルーに求めた。
勿論、途中で怒鳴り声をあげたり、暴れたりしないと、信長達に約束させた上でだ。しかも、
「もし暴れようものなら、氷漬けになるのを覚悟されよ」
などという、脅しまで付いている。
そのおかげかトゥルーの話す間、信長と蘭丸は何度か言葉を挟んだり、大声を出しかけたりしたものの、怒鳴ったり暴れたりする事なく、最後まで話を聞くこととなった。
もっとも、『召喚で呼べるのは、近い将来において、死の可能性を強く持つ者だけ』と言われた時には、信長と蘭丸の両方が拳を握りしめ、仁王のような形相になった事で、怯えたトゥルーがムーンにしがみついてしまい、その為ムーンが巨大化したので、香菜姫が嗜める事になった。
さらに、対価として『一つの魂には一つの贄が必要』の説明時には、女神に操られたという苛立ちからか、二人の食いしばった歯の間から、人の物とは思えぬ声が、呪詛の言葉を吐き出し続けた。
(やはり魔王様と、その従者だけある)
垂れ流される怒気と覇気を纏った呪詛にあてられ、怯える白狐達の背を撫でながら、香菜姫は涙目のトゥルーにしがみつかれたムーンに、檜扇を見せつける。次、大きくなろうものなら、これで引っ叩くぞという威嚇だ。
そんな香菜姫の苦労があったからこそ、トゥルーは無事に説明を終える事が出来たのだ。
「くそっ。やっぱり、わしも行くぞ!」
今すぐ女神相手に、一戦構えようとする勢いの信長を押し留め、蘭丸が聞いてくる。
「ところで、いつから向かわれるご予定で?」
「今からじゃ。この者達と共にの」
トゥルーとムーンに視線を向ける。その為に、一緒に連れてきたのだ。それを聞いた信長が慌てだすが、それも姫の策の内だ。
「蘭ちゃん。何日ぐらいなら、城を空けられる?」
「そうですね。せいぜい、三、四日といった所でしょうか。戴冠式が済んだ後なら、話は変わってきますが」
その返答に、姫は(しめた)と思う。これで連れて行かない言い訳が立つからだ。たが、そんな心の内を見せる事なく、
「いくら妾でも、さすがに三、四日で行って戻って来るのは、無理じゃと思うぞ」
残念そうに言ってみせると、ムーン達も賛同して頷く。彼等も信長の同行は、遠慮したいのだ。
「しかし、それ以上空けるわけには……なぁ、それ、ひと月後とかには、ならんのか?」
元より連れて行く気が無い香菜姫が、変更などする筈もなく。
「社の建立を、屋敷の完成に合わせたいと思うておる故、無理じゃな」
適当な言い訳を持ち出して、けんもほろろな態度をとる香菜姫に、信長はどんどん意気消沈していく。そこに。
「大丈夫ですよ、信長様。代わりに私が行ってまいりますから」
蘭丸が、爽やかな笑顔で言う。これには信長だけでなく、香菜姫も驚いた。
「蘭ちゃん、自分だけ抜け駆けとは、ずるいぞ!」
「じゃが、妾はすぐに出立するゆえ、今から荷造りしても…」
「私なら信長様と違い、十日程留守にしても、何ら問題はありません。それに仕度なら、既に済ませてありますし」
部屋の隅に置かれた大きな革箱を指差すと、蘭丸はその爽やかな笑みを、今度は香菜姫に向ける。それを見て、姫の鼻の頭に皺が寄った。
(まさか、こんな伏兵がおったとは……)
***
「いくら近くまでとはいえ、準備は必要だ。食料に関しても、あーっ、なんだな。大量にいるというか、必要かもしれないから、余分に持って行った方が良いというか……」
「えぇい、はっきり申せ!」
檜扇を手にした香菜姫を前に、ムーンはそれまでの優柔不断な物言いを止め、何かが吹っ切れた様に話し始めた。
「多量の食べ物を持っていく必要がある。行く先には人家も町も、無いからな。出来れば、そのまま食べれる物が望ましい。何より甘い物や果物は、出来るだけ沢山ある方が良い!」
その為、今、一行はロウェイ国の北方にある町で、買い物の真最中だ。
結局、同行を許す事になった蘭丸は、更に寒い場所に行くとムーンに言われた為、防寒の衣装を買いに行っている。ついでに香菜姫の分も調達してくるというので、その件は任せ、姫達はムーンが力説していた食料を選んでいた。
「トゥルーよ、さすがその量はどうかと思うぞ」
両手いっぱいに焼き菓子や果物を抱えるトゥルーを見て、香菜姫が呆れたように言うが、
「これでも少ないって、ムーンが……」
「菓子ばかり、そんなに要らぬであろう。小麦饅頭や野菜の方が、腹の足しにも良かろうて。調理ならば、なんとかなるぞ?」
ここに来るまでに二回、宿に泊まったが、ここから先は野営しながら進む事になる。
しかし組み立てた状態の天幕の他に、鍋や包丁程度ならば、不思議収納箱に入っている。それに周王の力を使えば、煮炊きは容易に出来る上に、それ程寒さを感じる事もない。
その為、これ程多くの菓子を買う理由が、香菜姫には判らなかった。
「あっ、ちゃんと他の物も買う予定です。それに、これはもう買いました!」
トゥルーが指差したのは、ムーンの背中に括り付けられた、大きな塊だった。蝋を染み込ませた布に包まれたそれは、どうやらブッシュカウルの肉らしい。
「相変わらず、食い意地が張っておるの」
「ならば姫様、我はこちらを!」
「我はあれを!」
それならば自分達もと、稚児姿の周王と崋王が屋台を指差し、姫の袖を引っ張る。
「ぬし等まで、そのような事を……まぁ良いか。腹が減ってはなんとやらと申すしの。好きなだけ、持っていこうぞ」
***
「この海の先に、最北の大陸がある。そこに渡り、更に北へと進むと、神域へと向う術が隠された場所に辿り着く。その術を用いて、女神の箱庭と呼ばれ、女神ドラーラが居られる場所へと向うのだ」
帝国の領地の更に最北についた一行は、海を前に、野営の準備を始めた。蘭丸が買ってきた外套は、動物の毛皮が裏打ちしてあり暖かだが、少々動きづらい。
たが、それほど支障は無い。天幕を二張出し、先だって仕入れた食料を、幾つか出すだけだ。勿論、菓子の類も出すが、それを見たムーンが狼狽えた。
「それを、食べるのか?」
「何を言うておる。これらは食べるために買うたのであろうが」
言いながら、ムーン用の肉も出す。誘惑に抗えず、肉にかぶり付きながらも、恨めしげに見るムーンを横目に、菓子はどんどん減っていく。
白狐達が盛大に食べているからだ。それを見つめるムーンの目には、なぜか涙が浮かんでいたが、トゥルーさえ、その事に気付かなかった。
***
翌日。海の上を駆けて渡り、辿り着いた先は、一面、氷と雪しかなかない世界だった。
「悪いが、ここからは歩かねばならん」
「何故じゃ?」
「目印を見逃さないためだ。地表にある上に、雪で見えにくくなっている」
「なら、主だけが歩けば良かろう。我等はそのあとを、飛んでついていこうぞ」
崋王の言葉に、
「いっそ、我が溶かしてやろうか?」
寒いのがあまり好きではない周王が、雪の上を歩きたくないからか、うんざりした顔で言う。
「やめてくれ!前にそれをして、女神の怒りを買った奴がいる。そいつは醜い姿にされた挙げ句、狭い場所に今も閉じ込められているんだ」
フェンリルが、顔色を変えて止める。
「ムーン、それって確かペガサスの事だよね?でも、彼がしたのは、それだけじゃあなかったような……」
「トゥルー、思い出したのか?」
期待に満ちたムーンの問いに、トゥルは首をふる。
それらの会話で、それをやらかしたのがペガススだと、香菜姫は知った。
(翁が幼い頃に見たきりじゃったのは、そのせいか。ならば五十年以上、閉じ込められておるわけか……その様な目に遭うのは、ごめんじゃな)
ムーンは雪の中から、平らな石を何枚も積み重ねた物を探し出しては、先へと進んで行く。それは周王達にしてみれば、ひどくゆっくりであったが、行き先を知るのがムーンだけなので、文句も言えない。
そんな状態が三日ほど続き、やがて縦長の岩が並んでいるのが見えた。近づくにつれ、それらは横一列ではなく、円形に並んでいるのが判る。
その中に入ると、中央には何やら円形の文様が刻まれており、その中心部分には、四つの窪みが見えた。
皆を文様の中に立たせると、ムーンは四つの窪みにそれぞれ脚を嵌め込むように立ち、 魔法陣に魔力を注いでいく 。
すると文様が淡く光り、それと同時に透明の球体が皆を包むと、上空へと舞い上がった。
「よい眺めじゃな。神の領域とは、ほんに天上にあるのか」
上昇していく球体の中での姫の呟きに、トゥルーが首をふる。
「いえ、その時々で変わります。山の頂上にあるときもあれば、海底に在るときも。今は天空にあるようです」
上がるにつれ、空の色がだんだん濃くなっていく。青から藍色に、そして今は黒に近い紺色だ。その中を進んで行くと、 やがて白銀に輝く物が見えてきた。
「あれが扉だ」
球体が近づくにつれ、それが巨大な扉だと判る。それが大きく開き、球体が吸い込まれるように中へと入ろうとしたが、
バチンッ!
球体は二つに分れ、中に入れたのはムーンとトゥルーだけで、香菜姫達は弾かれてしまう。
(やはり、すんなりとは入れぬか。ならば、これはどうじゃ?)
香菜姫は鳥居之祓を唱えてみることにした。これは清浄な神域に通り入らせて貰う為の祝詞だ。姫は扉の前で深く礼をすると、
「神の在座
鳥居に伊禮ば此身より
日月の宮と安らげくす」
最後の言葉と共に、球体は扉の中へと吸い込まれ、ムーン達の球体に触れると、再び一つになる。
「まさか、入れるとは……」
「殊の外、上手くいったの。では、参ろうか」
そう言って笑う姫を見ながら、トゥルーはこの後何が起こるのか、考えるだけで不安になった。
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