百三話
ちょっと『空から鉄板』をしに行くつもりが、えらく手間どってしまったわ……
「紙作りについて、妾が知っているのは、こんな処じゃな」
レストウィック王国に戻った香菜姫は、王宮の敷地内の一角に急遽建てられた工房で、説明を終えたところだ。
その前に並んでいるのは、オルドリッジが内密に集めた木工や製糸の職人達、十二名。既に知り得た知識に対して他言しないという契約書に、全員署名済みだという。
ただ、『羊皮紙では無い紙を作る』としか、聞かされてなかったのだろう。材料が木である事や、その工程の説明を受けて、漸く自分達が集められた意味が判ったようだった。
「これを更に細かくしたら、紙になるんですね」
ビュイソン領のキアロッソ村で手に入れた、製造途中の糸を興味深げに見ているのは、綿の製糸職人だ。
「新たに作る必要があるのは、この『スゲタ』だけでしょうか?」
ガレリアに質問しているのは木工職人で、崋王から聞き取った事や、キアロッソ村での説明を書き留めた帳面を指さしながらの質問だ。
道具については、最後の紙漉き用の道具以外は、キアロッソ村で使用されていた物が使えそうだと告げる。
「もちろん、より使い勝手の良い物があると思うならば、どんどん作ってくれて構わない。そして、新たに出来た道具が有用だとなれば、報奨金も出る」
しかもその道具には、考えた者の名が付けられるというオルドリッジの言葉に、皆のやる気が一気に上がる。
早速、自分の知る道具と、この場にある道具を比べたり、実際に手にとって動かしたりし始めた。
「やはり注意するのは、温度でしょうか?」
オルドリッジの問いに、姫が頷く。その手には、日暮れ草の種と根がある。その内の種を三粒、工房の隅に置かれた植木鉢の土の中に、軽く沈めた。
「崋王、頼むぞ」
「畏まり〜」
崋王の尻尾がくるりと振られ、前足をタタンと踏み鳴らす。
するとポンッと弾ける様な音と共に、小さな芽が三つ出たかと思うと、シュルシュルと絡まりながら伸びていき、あっという間に三尺程の大きさとなった。
その後は、次から次に花が咲いては枯れていき、気づけば種を実らせている。
その一つを手に取ると、元からあった根と共にオルドリッジに渡しながら、先程の問いに答えた。
「日暮れ草のトロミ具合が、変わる可能性があるからの。まぁ妾とて、実際に作ったわけではないから、なんとも言えぬ」
いくら作り方を知っているとはいえ、ここから先は、職人達に実際に作って貰うしかない。
「じゃから、これを」
香菜姫は普段己が使用している紙を取り出すと、職人達に一枚づつ、手渡していく。
渡しながら、これはあくまでも見本であって、完成形ではないと告げる。
木も、草も、道具も人も、全て元の世界とは違うのだ。出来上がる紙も又、違って当然だろう。
「お任せください。ご期待に添える様、尽力致します」
工房長に任じられた木工職人が香菜姫に告げると、他の者たちも皆、頷く。
初めて触れる『木を原料とした紙』は、多くの可能性を秘めている事が判ったのだろう。そして、それを作るために自分達が選ばれたのだと。その意欲に満ちた顔に見送られ、香菜姫は工房を後にした。
その後は、ペルギニ王国から買い取った小さな島へと向かい、大バブゥと小バブゥの林を島の両側にそれぞれ作ると、溜まった雨水を水源とする小さな川があったので、それに沿うようマットグラスを植えていく。
当然、邪魔な木は抜いているのだが、無駄にするのもなんだからと、一応、不思議収納箱にしまう。
カラン、カランと音を立て、それぞれの名が書かれた札が箱の中で跳ねるのを見て、
「植物の名を覚えるのに、良いやもしれぬな」
そう呟くと、
「聖女様。例の草ですが、あと半月も経てば届くと思います。兄が例の魔獣狩りに行くついでに、採って来るそうなので」
島に同行していたガレリアが、立て札を打ち込みながら、思い出したように言う。
既に蘭丸が手配してくれた職人達が、大きな織り機と共に派遣されて来ており、カルダナ島で採取した分は織られ始めている。
紙の材料に竹、藺草と揃い、これで屋敷に必要な物は一応手に入ったと思った香菜姫だが、どうも何かを忘れている気がしてならなかった。
何が足りないのか判らないまま、思い悩んでいると、崋王の尻尾が姫の手に触れ、ようやく思い至った。
(そうじゃ、アレを作らねば!)
**
「実は妾の信ずる神の社を建てたいと思うておるのじゃが、如何せん、こちらの世界の神々の事情がよく判らんのでな。シャイラに相談したら、其方に聞くが早いと言われての」
香菜姫が前にしているのは、教皇である聖アンブロウズ・ブラッカム二世だ。
香菜姫は土御門の屋敷にあったような、稲荷神の社を建てたいと思ったのだが、姫の知る限り、神々は時に気まぐれで、人を守るだけでなく、気に入らなければ災を落とす存在だ。
もし、こちらの神も同じならば、用心するに越した事はない。もっとも社を建てる事に関しては、姫の中では決定事項だ。
「女神ドラーラ様は大変慈悲深いお方ですから、その様な事でお怒りにはならないと思います。ですが香菜姫様には、ドラーラ教の聖女として、女神の祭壇を設けていただきた方が宜しいかと」
ブラッカム二世は灰色がかった緑の目を、にこやかに細めながら語るが、要は作るなという事だ。
「妾は女神ドラーラとは会うた事も無いゆえ、それは出来かねるの」
「聖女さま。もし女神にお会いしたければ、いつでもご訪問下さい。なんなら、住んで頂いても構いませんよ。神殿は、常に女神と共に貴女さまをお待ちしていますので」
そう言われ、香菜姫の口がへの字になる。
「失礼します」
その時、お茶を運んできた神官見習いの女が発した短い言葉が、香菜姫の意識に引っ掛かった。静かに茶器を置くその手は日々の仕事の為か、少し荒れてはいるものの、所作はきれいだ。
顔は垂れ布で隠しているので見えないが、それほど若くはない。何が気になるのか、思案する。
(あぁ、声に覚えがあるのじゃ。しかし、いったいどこで……)
退室する後ろ姿を見た時に、漸く答えに辿り着いた。
(アヤツの奥方の声に似ておるのか。そう言えば、あの後、アークライトの奥方と娘は神殿預りになると、オルドリッジが申しておったな。顔を隠していおるのは、その為か)
そこで姫はアークライト公爵の協力者達の身内の多くが、行方知れずになっている事の理由が判った気がした。
(おそらく、コヤツが匿っておるのだろう)
チラリと教皇の顔を伺うと、ほんの一瞬、その顔が曇ったものの、直ぐに元の穏やかな笑みがうかぶ。
(ふん。まぁ、余計な事をせぬのなら、放って置いても良かろうて)
その後は、適当に話をして、その場を辞した。結局、香菜姫を神殿に取り込もうとするばかりで、肝心の話は聞けずにいたからだ。
**
教皇を訪ねた翌日。
香菜姫の前で困惑しているのは、トゥルーとムーンだ。二人は、内密に頼みたいことがあると、姫の部屋に呼び出されていた。
「娘よ、今なんと申した?」
「じゃから女神ドラーラとやらに、ちぃとばかし聞きたい事があっての。それ故、そやつの居る所に連れて行って欲しいと申したのじゃ」
昨日、教皇と話しているうちに、いっそ会いに行ってしまえば話が早いのではと、思ったのだ。
「連れて行けと言われても、神域に入るには、女神の許可がいりますし、そもそも、おいそれと近づける場所ではありませんし……」
トゥルーが困惑しながらも、答える。しかし。
「許可など知らぬ。聞いておるのは、行けるかどうかじゃ」
香菜姫の言葉にムーンは天を仰ぎ、トゥルーは溜息をつく。無理だと言っても、聞いてくれそうにないことが判ったからだ。
「直ぐ側まで行けることは、行けますが、そこからは、おそらく進めないかと。結界が張られていますので」
「ならば、結界の前までなら行けるのじゃな?」
(妾が入れぬとも、相手を呼び出す事は出来るやも知れん。叶うなら二、三発、ひっぱたいてやりたいところじゃが、それが無理でも、文句の百程は言うてやらねば、気が済まんしの)
「それで構わぬ。連れて行け」
「い、今からですか?」
直ぐ様立ち上がった香菜姫に、トゥルーが慌てる。
「いくら妾でも、さすがにそのような無茶は言わぬわ。明日の朝、出立する故、準備しやれ」
「あ、明日…?」
「さて、其方達を連れて行くからには、ヘンリーに断りを入れておかねばな。オルドリッジには、また暫く留守にする旨を伝えおくか。行くぞ、周王、崋王」
「「畏まり!」」
意気揚々と出て行く姫達を見送る形となったトゥルーとムーンは、ノロノロと立ち上がると、旅支度をするために、魔術師寮へと戻った。
***
ついでだからと、信長宛に式を飛ばしたのだが、それは、とんでもない問題を連れ帰った。
『同行望む!信長』と大きく書かれた式が、直ぐさま戻って来たからだ。
「今、信長殿はひどく忙しいと聞いておったのじゃが、そうではないのか?」
式を見ながら、香菜姫が首を傾げる。
ロウェイ王国は、サリア王女が女王として即位する為の準備の真っ最中で、多くの者が仕事に追われていた。
特に信長は戴冠式で新女王に冠と笏を渡す大役を引き受けた事もあり、非常に忙しいと聞いていたのだ。
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次作の投稿は 8月 10日午前6時を予定しています。
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藺草は収穫後、直ぐに染土といって泥染めをします。それによって、乾燥を促し、色が均一となり、そして退色・変質するのを遅らせる事が出来るそうです。ただこの技法は、江戸時代中期からだそうなので、『香菜姫は知らない』という事になっております。




