十話
ドーーーーンッ!!!
爆音と共に、爆風と眩い光が一気に押し寄せてきた。
(くっ、さすがは神器、凄まじいの)
風から逃れるように斜め上空へと駆け上る華王の上で、香菜姫は、たまらず袂で目元と口元を覆った。そのまま、風と光が収まるのをひたすら待つ。
暫くして、ようやく風が収まってきたのが判った。華王が少しずつ下へと下がりだしたため、もう良かろうと袂を外してみると、目の前に広がる風景は一変していた。
当然ながら魔素は全て消えており、そこから生み出されていた魔獣達も、跡形も無い。ただし、魔素溜りの在った辺りは巨大な穴と化し、おまけに近くの山の一部までもがえぐり取られてしまったため、その形状は大きく様変わりしていた。
「この程度ならば、まぁ、致し方あるまい。とりあえず、浄化は完了じゃな。……んっ?」
しかし、穴の中心部で何やら光っている物が視界に入った姫は、その側に降りるよう華王に命じた。側まで来ると、光の原因はすぐに判った。先程放った矢だ。
矢は、壊れた大樽のような物に入れられた、魔獣の首を貫いていた。その大きな蜥蜴のような頭は、ウィリアムが寄越した図鑑に載っていた《ワイバーン》なる魔獣のそれと、よく似ている。
「これは…まるで蠱毒の……いや、犬神か猫鬼に近いか?」
それはどれもが禁術とされる呪術だ。手法は幾つもあるとは聞いているが、香菜姫も詳しくは教えてもらう事は叶わなかった。しかし、それでもわずかに聞き及んでいた事を思い出そうと、記憶を探る。
【蠱毒は、壺の中に百の毒虫を入れ、互いに共食いさせる。そして、生き残った物の毒を採取して、呪詛したい相手に飲ませ、害を与える呪術だ。
そして犬神は、頭部のみを出して生き埋めにした犬の前に餌を置き、餓死寸前のところでその首を切り落とすのだ。すると頭部は餌に食いつく。それを焼いて骨とし、器に入れて祀ることにより、願望を成就させると言われている。
更に猫鬼は、数匹の猫を一か所に閉じ込め、互いに共食いさせた後、残った一匹を犬神と同じ様に土に埋め、その前に餌を置くのだ。そして、餌を求めてもがく猫の首を切り落とし、その首を呪いたい相手の家の土地に埋める。すると猫の怨念は猫鬼となって、その家の人に取り付き殺すというものだ。しかも、その際、殺した者の家の財産を密かに盗んでくるという。】
そこまで思い出した時点で、目の前にある物を見る。やはり、それらとよく似た物に思えた。しかも、既にその力を無くした今でも、術者の悪意が十二分に感じられるのだ。
だがそれは、矢がキラキラと輝きながら元の羽枝に形を変えるにつれ、樽ごとズブズブと溶け崩れて行き、やがて、役目を終えた羽枝と共に、すべてが溶け消えていった。その様を眺めていた香菜姫は、
「華王よ、これは裏が在りそうじゃの。どうやら、ただ浄化するだけでは、終わらぬようじゃな」
めんどくさいのう、と言いながら、ため息を一つ、つく。
「ですが姫様、あれはまっこと悪しきもの故、重々お気をつけを」
「判っておる。さて、一先ず、戻るとしようぞ」
そう言って領都を振り返ると、その光景もまた、ずいぶんと変わっていた。先ほどの爆風と光は、少し離れた所にいた魔獣達まで吹き飛ばしていたようで、干からびた魔獣達の遺骸が、穴を中心として、波紋を描くように転がっている。
そして、防御壁はというと、既にその上空には魔獣は居らず、扉付近も、随分とその数を減らしていた。白銀に輝く鎧が、扉の側で飛び回っているところをみると、どうやら周王は空が片付いた後、バーリー達に合流していたようだ。
(放っておいても、あと半時もすれば全部片が付きそうじゃな)
ならば、先ずは報告だろうと思った姫は、再び華王に乗ると、先程の開けた場所へ向かうよう命じた。途中、楽しげに飛び回っている周王に軽く手を振り、先刻と同じ場所に降り立つ。
背の高い建物の横では子供達が、周王が切り倒した魔獣の羽をむしっては、せっせと袋に詰めているのが見て取れた。華王から降りながら、姫がその様子を眺めていると、クラッチフィールドが、慌てたように走りよって来る。
「聖女様、ご無事でしたか。先程、すごい音と同時に光が見えましたので、何があったのかと心配していたのですが…」
「魔素だまりを浄化したのじゃが、どうやら驚かしてしもうたようじゃな。まぁ、ちぃとばかし地面が窪んでしもうたが、浄化は済んだ故、これ以上魔獣が増える心配は無いと思うぞ」
「あれをですか?!あぁ、聖女様、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます……ほんとに、なんとお礼を言えば……」
安堵のためか、崩れるように座り込んでしまったクラッチフィールドは、そのまま地面に頭をすり付けるようにしながら、香菜姫に礼の言葉を言い続けた。
大の男が、土下座状態で泣きながら礼を言う姿を目の当たりにした香菜姫は、少しばかり気まずく思ったため、
「もう、礼の言葉は受け取ったゆえ、はよう立ち上がって、部下達に知らせて参れ。皆、何事かと此方をうかがっておるぞ」
少々叱責するような口調になってしまったものの、立ち上がった領主は再度礼を言うと、泣きながらも嬉しそうに走って行った。しばらくすると、領主の報告を聞いた兵達から喜びの歓声が起きたかと思うと、皆一斉に姫の方を向き、深々と頭を下げた。
(あの者達も、領主に負けず劣らず傷だらけじゃの)
そこへ、魔術士ヘンリーが寄ってきたので、救援物資が足りたのか気になっていた姫は、その事について尋ねてみた。すると、
「聖女様の提案で、物資を増やしたのは、正解でした」
という返事が返って来た。前日、香菜姫が持って行きたいものとして頼んだのは、薬や食料もだが、大量の水が主だったのだが、ヘンリーいわく、避難している者の多くが傷をおっており、薬も人手も足らない状態だったらしい。
しかも本来の街の人口の二倍以上の領民がいるため、水も不足していたので、大量の水樽はひどく喜ばれたらしい。
なんでも、あの魔素だまりができた頃から、徐々に井戸がが渇れはじめ、今では半数近い井戸が使い物にならず、傷口を洗うどころか、飲み水さえ満足に行き渡らなかったという。
香菜姫としては、籠城時に最も必要なのは水だと思ったゆえの提案だったのだが、実際は、もっと深刻な状態になっていたようだ。
「怪我人を治せる者はおらんのか?医師や薬師ぐらい居るであろう?」
「どちらも数名おりますが、患者が多過ぎて手が回らないのが現状のようです。神殿の神官たちも癒しの術は使えますが、一日に治せる患者の数は限られていますし、彼らは高額な料金を取るため、ある程度の身分の者でないと、治してもらえないみたいで……」
そう言って、すぐ側にそびえ立つ背の高い建物を睨み付けた。どうやら、今話に出た神殿が、これらしい。
「世知辛いのぉ」
言いながら香菜姫は、ボロボロな状態の領主や兵たち、そして領民たちを見ながら考えこんだ。
(癒しの術をかけるとしても、ここで真言を唱えたとて、効果があるのはごく一部だしの。さて、どうするか…)
どうにかして、広範囲に術をかけたいがと思い悩むも、たいして良い案も浮かばないため、姫はありきたりではあるものの、手っ取り早い方法をとることに決めた。
「華王、戻ったばかりですまぬが、お主の力も少し貸してくれぬか。妾が上空で癒しの術をかける故、お主はそれを雪に変え、降らせて欲しいのじゃ」
「あいな、姫様!されど、雪でよろしいのですか?雨でもできもすが」
「ゆっくりと降る方が良いと思う故、雪がよい」
「畏まり!」
「さて、唱えるのは薬師如来の真言が良いか、それとも大祓いの祝詞の方か……いや、やはりここは、ひふみ祝詞がよかろうて」
ならばこれが相応しかろうと、金の五十鈴を取り出すと、華王の背に乗る。すると花紋様を額に刻んだ狐は、領都全体を見渡せるほどの上空まで一気に駆け上がった。
「急急如律令、六根清浄!」
呪符を用いて全員を清めると、二度、深く礼をした後、開手を二回打つ。
(座ったままじゃが、致し方あるまい)
「では、崋王、始めようぞ」
リーーン、リーーーン、
『ひふみー、よいむなやー、こともちろーらーねー』
香菜姫が鈴を打ち鳴らしながら祝詞を唱えだす。少女特有の高音で透き通った声が奏でる、その独特な節回しは、五十鈴の音色を纏い、まるで風雅な音楽の様だ。
そこに込められた神力を、踊るように跳ね駆けながら、崋王が己の生み出す雪に絡み纏わせ、領都へと降らせていく。
『しきるー、ゆゐつわぬー、そをたはくーめーかー』
シャラン、リーンという鈴の音に、領民や兵達が上を見上げると、ゆったりと駆け回る白い狐の背に乗った聖女様が、鈴を鳴らしながら、何やら不思議な歌を歌っていた。やがて、その周りから、キラキラとしたものが降ってくる。
『うおえー、にさりへてー、のますあせゑほーれーけー』
「雪?いや、冷たいが…」
それは傷つき、座り込んだ者や、踞った者達の上に降り注いでいった。そして、触れた端からぽっと柔らかな光を放ち、彼らの傷を癒していった。
「おぉ、光る雪が触れたところから、傷が治っていく!」
雪の効果に気づいた者達が、歓声を上げる。その声につられるように、怪我人達は、傷ついた箇所を、差し出すように、天へと向けていく。
「ほんとだ、もう、痛くない」
「足が動く!」
『ひふみー、よいむなやー、こともちろーらーねー』
「急げ、おい、怪我人を直ぐにこの雪の下に運ぶんだ!」
「器をあるだけ並べろ!一片たりとも、取り零すな!」
「聖女様だ……聖女様が、我々を癒してくださっている…」
『しきるー、ゆゐつわぬー、そをたはくーめーかー』
「風魔法の使えるものは、すぐに来てくれ!出来るだけ、怪我人の上に雪が降るようにするんだ!」
「それに、この事を風に乗せて、皆に知らせろ!」
『うおえー、にさりへてー、のますあせゑほーれーけー』
当然雪なので、降った端たから地面に吸い込まれていくが、荒れ果てていた地面でさえも、その雪は癒していった。うっすらと草が生え、ゆっくりとだが、緑が息を吹き返す。
「あっ、お花!」
幼い少女が嬉し気に叫けんだ。
『ひふみー、よいむなやー、こともちろーらーねー』
傷が癒え、動けるようになったものがさらに手を貸し、次の怪我人を運んで来る。
「手を貸せ!急げ。恐らく雪が降るのは、聖女様が歌われている間だけだ!」
「自力で動ける者は自力で出てこい!病気の者も、出てこれるものは、全員出てこい!もしかしたら、治るかもしれん!」
『しきるー、ゆゐつわぬー、そをたはくーめーかー』
雪は枯れてしまった井戸にも降り注ぐ。姫の癒しと、華王の水を操る力を併せ含むそれは、地中の水脈を呼び寄せた。
コポンッ、コポコポッ、
「井戸から水の音?!あっ、見てみろ、水が……」
「水が涌いてる!おい、急いで水を汲め!これで湯を沸かせる。とりあえず野菜くずでいいからスープを作るぞ!」
「ねぇ、お水、飲めるの?」
「あぁ、飲めるぞ!」
『うおえー、にさりへてー、のますあせゑほーれーけー』
今、すべての者の視線は空に、聖女と白狐に向いていた。中には神々しいものを前にした者が自ずと取るように、ひざまづいて、手を合わせている者もいる。
『布留部ー、 由良由良止ー、布留部ーー』
リーーーーン…………
最後の鈴の音の余韻が消えた瞬間、地面を揺るがすほど凄まじい歓声が、領都に湧き起こった。
「ひふみ祝詞」は、【消えたイスラエル10支族】との関わりが、まことしやかに囁かれている、ちょっと不思議な祝詞ですが、浄化や癒しに長けているとのこと故、此処で使わせていただきました。
また、色んな方が楽曲に乗せたものをネットにあげておられるので、宜しければそこらをお聞きになり、お好きな旋律で想像していただけたらと思います。勿論、オリジナルの旋律を考えていただくのも素敵です。
なお、今回使用した「五十鈴」は、奈良県天川村にある「天河大辨財天社 (てんかわだいべんざいてんしゃ)」の鈴です。鉾立鈴でもよかったのですが、個人的に馴染みがある神社(昔家族でキャンプに行った際、何度か立ち寄ったことがある)なのと、あの独特の形と音色が非常に好みのため、こちらにしました。また、近くの大峰山洞川龍泉寺本堂前には、役小角に仕えた前鬼・後鬼の立像があります。