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九十九話

 ジェルマン・ビュイソンの申し出に対して香菜姫が求めたのは、彼女専用のクロスベリー畑を作って欲しいという物だった。


「実は今回、妾はクロスベリーをレストウィック王国で栽培したいと思うて、この地を訪れたのじゃ。しかし、木にもそれぞれ適した場所があると聞く」


 そこで言葉を切ると、ジェルマンを見なら口角を上げる。


「こちらには既に育った木があるのじゃから、これを生かさぬ手はないと思うてな。じゃから、この地に妾専用のクロスベリー畑を作ってはもらえぬか。勿論それにかかる金は支払うし、木の買い入れも約束しようぞ」


 その頼み事は、受けた恩に比べれば余りにも(ささ)やかなものだと思ったジェルマンは、二つ返事で承諾した。もっとも、費用に関しては受け取るつもりはない。その目的の詮索もだ。

 ただ、木の買い取りに関しては、違わずにして欲しいと伝え、姫もそれに同意する。


 そして直ぐに、今もクロスベリーが栽培されている村へ向かう手はずが整えられた。

 そこは領都から馬車で一刻程の所にあり、案内人はモルガン・ラポルト。彼はジェルマンと共に島に同行した騎士で、その村・キアロッソの出身だという。



「シッククロスは、昔は村中、どの家でも織られていましたが、今ではほんの数軒しか残っておりません。その為クロスベリーも、栽培する家がどんどん減っておりまして……」


 馬車の中で、ラポルトがこれから向かう村の現状を説明してくれる。


「それでも、まだ有るのであろう?」


「はい。私が子供の頃に比べると、ほんの僅かですが」


 俯き、申し訳なさげに、頭を掻く。これから見せる物が相手の目にどう映るか、気になるのだろう。


 村の入口にある開けた場所に馬車を止めると、念の為、周王達には姫の影に入ってもらい、姫自身も隠形の術を使ってから、降りた。これで傍目には、ガレリアだけを案内しているように見える筈だ。


「ここからは道が狭いので、少し歩きます」


 ラポルトについて行くと、それは直ぐに判った。遠目には小さな林のように見える場所には、ざっと見た所、五十本程の木が植えられており、その周りは柵で囲われている。柵の中では、もこもことした毛の動物が草を食んでいた。

 そしてその周辺は全て、麦畑だった。


「かつては、ここら一帯にクロスベリーの木が植えられていました。秋に実が熟すと、兄弟や友人たちと先を争って食べたものです」


 今は麦が植えられている辺を指さしながら、そう語る横顔には郷愁の思いが滲んでいる。


(桑の実のような物かの……)


 土御門家の領地にも蚕のための桑畑があり、その実は毎年暑さの盛りの頃に、籠に山盛りになった物が屋敷に届けられていた。

 母から食べ過ぎれば腹を壊すと言われながらも、泰連(やすつら)(あき)が手や口の周りが赤紫に染まるのも構わず、ほお張っていたのを思い出す。


 香菜姫自身は五歳の頃に一度腹を壊した事があり、それ以来、さきが皿に盛った分だけを食べるようにしていた。大きくなってからは、実を煮詰めた物を水で薄めて飲む方が好きで、崋王が出してくれた氷を使った冷たい飲み物は、暑い時期の昼下がりなどは、殊更美味しく思えた物だ。


(懐かしいの……)


 近くに寄り、姫の影から出て来た周王達が柵の中へと、するりと入る。その様子を興味深く見ては、寄って匂いを嗅ごうとするモコモコ達を威嚇しながら、崋王はクロスベリーの木の間を歩き回りながら、時々首肯している。


「どうじゃ、崋王」


「よく似ておりもす。おそらく似たような物が作れるかと」


 その答えに姫は満足の笑みを返すと、横に立つラポルトに問うた。


「木の栽培は、難しいのであろうか?」


「場所によります。クロスベリーは日当たりが良く、雨の多い場所で育つと言われています。この地はどちらも当てはまりますので、さほど手をかけなくても、昔から立派な木が育ってきました」


「ならば妾の畑を作るには、丁度良い場所という事じゃな」


「しかしシッククロスに関しては、今では織ることが出来るのは、ほんの数人となってしまいまして……皆、糸にしやすい上に、他にも使い道の多い綿の栽培に変わってしまったので」


「実は妾が欲しいのは、織物では無いのじゃ。じゃが、これまで続いた技術が廃れるのも忍びないの」


 言いながら香菜姫は、暫し思案する。楮布(こうぞふ)は神事で使用される事もあるし、帯や着物に仕立てる事も可能だ。


「ならば木と共に、出来上がった布も一定量、買い入れる事にしようぞ。それでどうじゃ?」


「そうして頂けると、こちらも助かります」


 廃れる寸前の故郷の技術が、今後も生き残る道筋を見つけた事が嬉しかったのだろう。ラポルトの顔が綻ぶ。


 その後は、専用畑の候補地を案内された。そこは先程の林から少し離れた森の近くで、杉や檜に似た木々の間に、クロスベリーの木が幾本も生えている。


「今ある木を残しながら、ここに新たな苗を植えようと思います。どの程度の本数を希望されますか?」


 紙を作るのに、どれ程の木を使うのか皆目判らないため、とりあえず百本程と伝えておく。先程見た林の倍だ。

 そして少し時季が外れるが、枝を持ち帰りたい旨を伝え、ラポルトに落としても良い枝を教えて貰いながら、周王が鎌鼬で枝を切り落としていく。


 積み上げた枝が姫の背丈程にもなった時点で、流石にこれだけあれば、当時は問題なかろうと周王を止め、不思議収納箱に収める。


「さて、今の分で幾らとなる?」


「いえ、こちらの分はまだ、何も出来ておりませんし、この木も何年も放って置いたものですから、流石に代金を頂くわけには……」


「ならば次からは、幾らにするか決めておいてもらえるか。妾には相場が判らぬ故、ガレリアよ、其方(そち)に頼んで良いか?」


「お任せを。そうですね。アレでどの位の布が織れるのかが判れば、金額も出しやすいかと」


「ならば、後で機織りをしてる者に確認しましょう。私も布の価格までは判りませんので」


 馬車を停めた場所まで戻る道すがら、脇に建つ家の庭に生えている草に、崋王が目を留めた。


「姫様。あれ、トロロアオイに似ておりもす」


 影から姿を現すと、そちらへと寄っていくので、香菜姫達もついて行く。


「花の季節にはまだ早いでありもすが、あの葉は間違いないかと」


 小声で伝えてくる崋王に、姫がそっと頷く。


「ラポルト、あれは何と言う草じゃ?」


「あれは日暮れ草ですな。朝咲いた花が日暮れには萎れるので、そう呼ばれています。この辺りでは昔から、アレの種や根の煎じた物を飲めば、乳の出が良くなると言われておるため、子供の出来た家は必ずといって、植えるのです」


「トロロアオイにも、同じ効能がありもす」


 崋王が再度小声で、姫に伝える。


「もしや根の煎じ薬は、こう、とろっとした感じであろうか?」


「よくご存知で。他所では一年で枯れるらしいが、ここでは数年は黄色い花を咲かせます。その後もこぼれた種から又生えて来るので、気がつけばずっと生えていましたね。私の母など、花を湯がいて食べたりしてましたよ」


 意外と美味しいのですよと、懐かしげに笑う。 


(どうやらトロロアオイに似た物で、間違い無さそうじゃな。しかしここまで揃っておりながら、紙が作られなんだのは不思議じゃが、妾には好都合よの。上手く出来るようになれば、いずれはその製法を教えるつもりじゃが、細かな事はオルドリッジと相談せねばならんしの)


 なんせ紙作りは、国との合同事業とする事が決まっているのだ。いくら良い条件で栽培を引き受けてくれた相手とはいえ、迂闊に話す訳にはいかない。

 しかし日暮れ草も一定量栽培したい香菜姫は、ガレリアに視線を送った。

 同じ物がレストウィック王国にあるかを問うたのだ。しかしガレリアは、首を小さく横にふる。


(無いか。じゃが、これの栽培まで頼むと、流石に相手に情報を与え過ぎるしの……)


 香菜姫は日暮れ草をこの地で栽培する事は諦め、種だけを持ち帰る事に決めると、ラポルトに聞こえぬよう小声で「種を」とガレリアに告げる。


「そのような効能があるのなら、少し種を分けて貰えないでしょうか。兄がもうじき結婚する予定なので」


 姫の思惑を汲んだガレリアの言葉にラポルトは快く頷くと、すぐに目の前の家の住人に声をかけに行った。暫く話をしていたが、直ぐに小さな袋を持って戻って来ると、それをガレリアに手渡す。

 袋の中を覗くと、有り難い事に種の他に、小さいが根も入っていた。


 その後は、今もシッククロスを織っている村民の家に見学に行くというので、白狐達には再び影に入ってもらうが、姫は術を使わずにいた。色々と質問したい事が、あるからだ。


 ラポルトの昔馴染だという機織り職人の女性は、香菜姫達の訪問に少しばかり驚いたものの、領主の紹介だというと、すんなりと受け入れてくれた。

 そこでは糸の作り方の説明を受け、その途中だという物も見せて貰う。

 枝を蒸す時間や、水に晒す期間、どの様にして繊維を解して行くのか等を姫が質問すると、その度に道具を取り出し、丁寧に説明してくれる。それをガレリアが、小さな帳面に記帳していく。


 木と反物の関係も、おおよそだが判った。先程の木の量で、反物10反程が織れるらしい。おかげで木の値段の目星もついた。


 今年の糸はまだ出来ていないと言われたが、去年の糸で織った布と共に、糸にする途中の物も資料として買う事にする。


(これで大方揃ったの。しかしこれならば、探せば竹やイ草も似た物があるのではなかろうか?)


 そう考えた香菜姫は、この土地の植物の図録が手に入らないか、ガレリアに尋ねた。


「図録ならば、領主屋敷に戻って尋ねるのが一番かと。領都ならば、その様な物を扱う書店もあるかもしれませんし。もし無くとも王都ザクトロ厶まで足を伸ばせば、手に入るかと」


 周王達に領都見物を約束していた事もあり、その案に乗ることにして、馬車へと乗り込んだ。



 ***



「姫様、あれも食べとうございもす!」 


「ガレリア、あれは何でありもすか?」


 崋王がイカに良く似た物の焼串を手に、果物の屋台を指差すと、その横では同じ串を持ち、貝殻を繋げた首飾りをぶら下げた周王が、色とりどりの布が吊るされた屋台へと、駆けて行こうとする。


 今、二人は変化の術を用い、稚児の姿でいるが、直ぐ側に前領主のジェルマンが共にいるためか、外国からの客だと認識されているのだろう。

 少しばかり好奇の目を向けられるものの、それ以上の事はない。

 香菜姫も袷の着物に袴姿だが、その髪には先程崋王が選んだ髪留めが、淡い光を放っていた。


 白っぽい貝殻から削り出された椿に似た花は、微かに虹色を帯び、香菜姫の艷やかな黒髪に映えている。


「良くお似合いですよ」


 ガレリアに誉められはにかむ様は、同じ年頃の少女達と何ら変わりないと、ジェルマンは思う。


(天駆ける神獣を従え、大海をあっという間に越える程の方とは、誰も思うまい。しかも、神獣が人の姿になれるなど、いったい誰が想像出来るだろう……)


 一口大に切られた果物を頬張り、頭に鮮やかな布を巻き付けてはしゃぐ神獣達を見ながら、ジェルマンは一人、感慨にふけっていた。



 残念な事に領都の書店には、香菜姫が欲していた植物の図録は置いていなかった。その為、領主屋敷に蔵書としてあった一冊を、ジェルマンが何としても譲ると言って聞かなかったものの、一冊しかないものを貰うわけにはいかないと、姫が断り、代わりとして購入した店を教えるよう、頼む事に。


 その為、香菜姫達はバルザック王国の王都であるザクトロ厶に向かう事となった。図録を購入した書店は、王都にあるからだ。

トロロアオイがいつ日本に伝わったのかは、諸説ありますが、国宝「松に黄蜀葵図」(京都・智積院・宝物館所蔵)に描かれている事から、桃山時代には既に日本に伝わっていたと解釈しています。

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