九十八話
そこは大きな半島で、先端の迫り出した場所は高台になっており、そのまん中には防壁に囲まれた街があった。港は大きなものが四箇所、小さいものは桟橋等も含めると、数え切れない程ある。
大きさも様々な多くの船が行き来する姿は、この地が活気ある街だと云う事を示していた。
「此処からは、降りて歩いた方が良いと思います」
公式な訪問では無いものの、他国の使者が空から訪問するというのは、さすがに警戒されるだろうというガレリアの言葉に、香菜姫も頷く。
その為、ビュイソン領の領都へと続く街道から少し離れた林の中に、降り立った。
ここから歩いて領主屋敷まで向かうのだが、香菜姫は少し考えた後、白狐達に隠形の札を貼ると、己にも隠形の術を施した。姫たちの衣装はこの地においても、あまりに風変わりで目立ち過ぎるからだ。
「さて、これで問題なかろう。參ろうぞ」
ガレリアの持つ外交員証で、問題なく街の中に入ると、そのまま領主館を目指す。場所は上空を通ったときに確認済みだ。
「あまり他所見をするでない。諸々の用事が済めば、少し見物して回るゆえ」
レストウィック王国とは違う街並みや、人々の衣装を興味深げに見ている狐達に、姫が笑いながら言う。聞こえてくる言葉に関しては、問題なく理解できた。
(シャイラの言うておったとおりじゃな)
「この地方の建物はバルザック王国の中でも独特で、どちらかと言えばペルギニ王国に近いかもしれません。両国は昔から交易が盛んでしたから」
ガレリアの説明を聞きながら四半刻も歩くと、目的の屋敷が見えた。門前を護る兵にガレリアが声をかけるのに合わせて、香菜姫は術を解いたが、その際、周王達は己の影に潜ませる事にした。
周王達の存在は、出来る限り知られない方が得策だと思ったからだ。
そして手紙の入った筒を取り出し、此れ見よがしに首飾りを着けてみせる。
数名の兵が慌てて屋敷の方に走って行き、直ぐに恰幅の良い男がこちらに向かって来るのが見えた。
**
領主屋敷の中も、これまで見たものとは色々と異なっており、飾られている壺一つとっても、見たことのない文様が描かれている。
鮮やかな色の座布団が敷かれた木の腰掛けに座ると、花の香りがする茶が運ばれてきた。
「突然の事で、驚かれたと思います」
ガレリアが、向かいに座る焦げ茶色の髪と瞳をした男に頭を下げる。この地の領主アレクシ・ビュイソンだ。
それなりに親交のある国の外交員と、王家の紋章を模った首飾りを着けた少女が突然訪ねて来たからだろう。ビュイソンは恰幅の良い身体を縮こませて、不安気に姫達を見ている。
「ガレリア・アベケット様と、こちらの方は聖女の香菜姫様でよろしいでしょうか?」
書面を確認しながら言う。
「それで私やこの領地に、どのような御用があるのか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「実は妾はクロスベリーなる木に、興味があっての。シャイラからこちらの国にあると聞いて参ったのじゃ。出来れば苗木を持ち帰りたいと思おておるが、可能であろうか?」
香菜姫が王族を呼び捨てにした事にぎょっとしたビュイソンだが、その願いの内容を聞いて安堵した。どんな無理難題を言われるのかと思っていたら、領内に幾らでも生えている上に、特産物でもない木の苗木が欲しいと言われたのだ。
「それでしたら、実際にシッククロスを作っている村まで、案内の者を付けましょう。ここからでしたら、馬車で一日の所です。明日にでも出発できるよう、準備を整えますので」
「それは有りがたい」
相手の申し出に、感謝を述べる。しかし香菜姫は、島で見つけた日記の事が、どうにも気になってしょうがない。
日記は持ってきたが、それ以外は全て島に残したままだった。周王達が持ち出した宝冠も、元に戻してある。
場合によれば、ビュイソン家の者と共に島に戻る事になるだろうが、それぐらいの手間は承知の上で、聞く事にした。
「ところで、カール・ビュイソンという名に、心当たりはあるまいか?」
「ビュイソンはうちの家名ですが、カール、ですか……」
姫の言葉にしばし悩むが、はたと思い出したようで、
「父の弟で、私の叔父にあたる者の名が、そうであったと。しかし、叔父は若い頃、外遊中に行方知れずとなったと聞いております」
だが父親はその事について、あまり話したがらなかったので、詳しいことは判らないという。だが姫にしてみれば、該当する人物がいることが判っただけで十分だ。
「実は、この様な物を見つけての」
香菜姫は袂から日記を取り出すと、名前の書かれている箇所を指差す。
「あっ、確かに。これを、いったいどこで?」
「ここに来る途中、人の住まぬ島に寄ったのじゃが、そこで。難波船らしき破片の側にあった」
「なんと……す、すぐに父を呼んでまいります!」
前領主のジェルマン・ビュイソンは、痩せて髪も髭も白いが、その面差しはアレクシとよく似ていた。
姫達に挨拶を済ませたジェルマンは、新たに用意された椅子に腰掛けた後、息子から日記を受け取るが、その手は酷く震えている。
その為、出来る限り丁寧にめくろうとしているのは判るものの、今にも落としそうで、見ている方がハラハラする程だ。
なんとか三分の一程目を通した時点でジェルマンは本を机に置くと、縋るような眼差しを姫へと向けてきた。
「確かに、弟が書いた物のようです。あの、その場には他に何か……その、衣服とか遺骨とかは…」
「着衣から、男と思われる骨がありました。着ていたものは、あまり上等な物ではありませんでしたが。その骨の指は、欠けているように見えました」
その問いに答えたのは、ガレリアだ。
「もしや、右手でしょうか?」
「そうです」
その返事に前領主は両手で顔を覆うと、ハラハラと涙を零した。
「では、あれは本当だったのだ……」
**
「弟のカールは見聞を広める為だと言って、十八歳の時に外遊に出かけたのです。後継の私と違って、継ぐものが無い弟を不憫に思ったのでしょう。両親は少し無理をして、まとまった金を準備し送り出しました。時折、旅の様子や友となった者について書かれた手紙が届いたりして……まぁ、最後には必ず金をせびる文言がありましたが」
当時を思い出したのか、苦笑する。
「そろそろ戻るという内容の手紙が届いた数日後、切り落とされた指を持った男が訪ねて来ました。カールを誘拐したと。返して欲しければ、金品を寄こせと言われたのです」
ジェルマンは片手で目を覆い、僅かに首を振りながら、続ける。
「それを見た母は半狂乱となり、男が要求するままに財宝を渡しました。それこそ、指にはめていた指輪まで。それと引き換えに地図を受け取った私達は、そこに書かれている場所へと急ぎ向かいましたが、その場所には誰もおらず……範囲を広げて探しましたが、結局弟を見つける事は出来ませんでした。母は失意の中、半年もせずに亡くなり、父も、その二年後に…」
そこで大きく息を吸うと、溜め息と共に思いを口に出す。
「実は私はずっと、ある疑いを捨てきれずにいたのです。弟は誘拐などされておらず、指も別人の物ではないかと。そして私達を騙して手に入れた金品で、呑気に暮らしているのかもしれないと……しかし、違ったのですね。あれは、カールは捕えられ、指を切られ、そして……」
言葉を途切らせ暫し瞑目するが、次に目を開けた時、そこには決意が宿っていた。
「聖女様。非常に厚かましいとは思いますが、出来ますれば、その場まで案内頂けませんか。最速の船と人員を大至急、用意しますし、必要なら……」
香菜姫は、相手がそれ以上言葉を発しないよう、手で制した。そして。
「妾には、その島へ渡る術がある。それを用いれば、明日一日で事は済むであろう」
香菜姫は屋外で人目につかない場所が無いか現領主に聞き、そこを待ち合わせの場所とした。
「大勢は無理じゃが、二、三人ならば同行出来よう。出立は明日の朝じゃ」
領主屋敷の客間に案内されたガレリアは、隣の姫の部屋を訪れていた。部屋では影から出た周王達が、あちこち見て回ったり、匂いを嗅いだりしている。
「宜しいのですか?」
周王達に目をやりながらの質問に姫は答えず、代わりに別の事を語った。
「妾にも、兄がおった。素晴らしく賢く、そして優しい方であった」
優しい方に続く『あった』という言葉に、ガレリアの胸が痛む。
「何があったのか、お聞きしても?」
「旅先での、急な病であった。伴の者が急ぎ知らせを寄越したが、妾は間に合わなんだ……」
悲しげに目を伏せる。
「長い間一人でおったあの者を家に戻すのは、家族の方が良いように、何故か思えての」
だからあえて置いてきたのだと、呟いた。
***
翌朝、ジェルマンは同じ様な年頃の男二人と共に待っていた。一人は騎士で、もう一人は神官のようだ。
「御三方共に、この事に関しては、くれぐれも内密にお願いします」
ガレリアの言葉に、ジェルマンが頷き、残り二人もそれに倣う。
「では、周王に崋王。頼んだぞ」
「「あいな、畏まり!」」
香菜姫の言葉を合図に、影から躍り出た周王達が、それぞれ乗せる数に合わせた大きさへと変化する。
驚きのあまり、呆然としているジェルマン達に、姫は周王の背に乗るよう促すと、自らはガレリアと共に崋王に跨る。
「しかと捕まっておられよ」
その言葉を合図に、白狐達は空へと駆け上がった。
ガレリアを先頭に、狐火が照らす洞窟の中を進む。
「足元に気をつけて下さい。この奥です」
横穴へと入ったジェルマンは、弟の名を呼びながら骨の側へと走り寄り、指の欠けた手にそっと触れた。
「カール……痛かったろう、寂しかったろう。こんな所で一人で……すまない。ほんとに、すまなかったな……」
ジェルマンが落ち着くのを待って、神官が何やら布を取り出し、骨の前に広げ始めた。騎士と二人で骨をその上へと移していく。どちらも無言だが、よく見ると、涙を堪えているようだ。
年月を経た骨は、触れた途端にガラガラと崩れていくため、慎重に行われる。
その途中で、宝物の入った袋は別の布の上に置かれると、こちらはすぐに包みこまれ、紐が掛けられた。
全ての骨を移し終えると、神官が祈りを捧げ、清めの水を撒く。
それが済むとジェルマンの方を向き頷いて、骨を丁寧に包むと、その上から幅広の綺麗な紐が掛けられた。
騎士がそれ等を、瞬時にしまう。
(ほう、マジックボックス持ちか)
最後に漂着した場所に足を運び、姫達は島を後にした。
その日の夕食後。香菜姫はジェルマンの訪問を受けていた。
「昨晩、ずっと日記を読んでおりました。掠れて判りづらい文字も多い為に時間がかかりましたが、漸くカールがどのようにしてあの場所に流れ着いたのか、判ったように思います」
「これから話すのは、日記に書かれていた事に、当時の手紙に書かれていた事や、私の想像を加えた物語ですが、聖女様には是非とも聞いて頂きたく」
そう言って、頭を下げる。
「あい判った。話されよ」
「弟は旅の途中で二人の男と親しくなり、共に行動するようになりました。どうやらその為にかかる費用の大半は、弟が出していたのですが、楽しい男達だったらしく、弟は大して気にしていなかったようです。しかしいよいよ旅も終わりという所で、男達は弟の金や持ち物全てを奪い、更には弟を海賊に売り飛ばしました」
「指を切り、金品を要求してきたのは、海賊達でした。友だと思っていた者達から裏切られ、海賊達に指を切られた弟は、何としても一矢報いたいと思ったのでしょう。熱を出して寝込んでいた事から、油断している見張りの隙をついて、船から脱出を試み、その際偶然見つけた宝物の入った袋を持って出たようです」
そこで一旦、言葉を切る。
「島に漂着した後で中身を見て、袋の中に我が家の家宝や母の指輪が入っていることに気づき、弟は驚いたようです。海賊達から、私達が身代金を払わなかったから、お前は奴隷として売られるのだと言われていたからです。その為、日記の最後の方は、家族への謝罪が綴られておりました」
(家宝や母の指輪……あれほど大事そうに抱えておったのは、その為じゃったか)
姫の頭に、宝物の入った袋を抱え込む青年の姿が思い浮かぶ。
『ちゃんと 払ってた 疑って ごめん』
『あんな奴ら 騙され ごめんなさい』
『思い たくさん 気付かず ごめん』
『父上 母上 兄上 ごめんなさい』
『皆 会いたい 会いたい 会いたい 会って 謝りたい』
単語の羅列で、まともな文章になっていない日記は、最後の方になると、文字は歪み掠れて殆ど元の形を留めていなかった。
だが、ジェルマンの涙が滲んだ目には、なぜか読み取ることが出来た。その文字を思い出すだけで胸が掴まれた様に痛み、涙を抑えるのに苦労する。
(聖女様に感謝を述べる為に来たというのだ。しっかりせねば)
そう己を叱咤する。そして。
「この度は長年の孤独から弟を解放して頂き、ありがとうございます。このジェルマン、老体で出来る事は限りあるかもしれませんが、何なりとおっしゃって下さい」
そう言って、深々と頭を下げた。




