九十四話
ついに四章(最終章)がスタートです!
「妾は屋敷の『設計図』なるものを、書いたことが無くての」
「私とて、そんなものなど引いた事などありません。なのに何故呼ばれたのか、お聞きしても?」
香菜姫の前で困惑しているのは、蘭丸だ。終戦から三ヶ月。漸く様々な処理を終えて、少しは休めるだろうと思った矢先、突然現れた香菜姫によって、レストウィック王国に連れてこられたのだ。
「其方ならば、城や屋敷の図面の類いを、幾度か見たことがあるのではと思うたのじゃ。悪いが、それを思い出して欲しくての」
報奨として受け取った土地に屋敷を建てる為には、まずは『設計図』が必要だと大工に言われたのだが、香菜姫はそれがどの様な物なのか、皆目想像がつかなかった。
その為、いくつか屋敷の設計図を見せてもらい、それが間取りや柱や梁の位置を書き込んだものである事は理解した。
しかし、いざ己が屋敷の図面を書く段になると、どうも上手く書き手に伝える事が出来なかったのだ。
「それならば、殿に頼まれた方が宜しいのでは?」
自分よりも詳しい筈だという蘭丸の言葉に、姫は眉をしかめた。
「信長殿に頼むと、城が建ちかねん。おまけに、知らぬ間に変なカラクリや、隠し部屋をこさえられそうじゃ」
その指摘を否定する事なく、沈黙を守っている蘭丸を見ながら、姫は続ける。
「まず最初に、扉ではなく全て引き戸にして欲しいと伝えたら、それは家ではないと言われてしもうての」
元いた場所の屋敷と、この世界の建物とは、あまりにも違いが多かった。何より履物を脱がずに中を歩き回る事に対する抵抗が大きく、姫は常に落ち着く事が出来ずにいた。
「私も大工が板に書いた図を、ほんの少し見た程度ですし、細かな事は覚えておりません。しかしまぁ、できるだけの事は、やってみましょう」
なんせ先日の戦では、自身も世話になった上に、信長が散々頼み事をしたと聞いている。
「紙ならば、いくらでもあるゆえ、遠慮なく申せ」
大きな紙を束で取り出すと、机の上に広げる。
「墨壺のように、真っ直ぐに線を引く道具はあるでしょうか?」
それならばと、目盛りが刻まれている長尺の板と、黒鉛に布と糸を巻いた物を渡される。蘭丸は紙の隅にそれ等を使って二本ほど線を引き、納得すると、
「どの様な屋敷をお望みで?」
「そうじゃの。中庭のある、こじんまりとした屋敷がよい」
それならば判るだろうという譲歩が見て取れるが、そもそも公家の息女である香菜姫の言う『こじんまりとした』が、どの程度か判らない。
仕方がないので、蘭丸は実家の間取りを思い出しながら、平屋の図面を書きだした。その際、目盛りの十二個分を一間と決める。
まずは玄関から。
「間口は如何ほどに?』
「玄関は、あまり広くとる必要はなかろう。籠や牛車に乗る事はない故、式台も車寄せも要らぬからの。表玄関は二間もあれば十分じゃし、内玄関も同じで構わん」
二間の玄関が二つと言われた時点で、蘭丸は数回だけ訪問した事がある公家屋敷の間取りを、必死に思い出していた。
「方角はあまり気にせずとも、良いぞ。後々、考えるゆえ」
「取次は四畳もあれば十分じゃ。後は居室じゃが、こちらも十二畳の続き間が二つもあれば足るであろう。あぁ、此処には納戸と広縁が欲しいの。それと、こちらには中庭を。風呂はこちらが良いかの。厠はこの部屋とこの部屋の直ぐ横と、後はこちらにも一つあれば、問題なかろう」
台所の他に、雇い人達の長屋や厠、それに風呂もいると言われ、更に書き足して行く。
結局、板図もどきを三枚ほど書き直したところで漸く完成したのだが、この時点で二日が経っていた。次の段階として大工を呼び、今度は説明しながら、この国の建物の仕様に合せて設計図を書かせる。
これがまた、大仕事だった。なんせ長さの単位が違うのだ。そのすり合わせが殊の外、大変な作業となった。
一間は六尺だが、その一尺がこちらではおおよそ三十程となるらしい。ならば三十で良いとなったが、それでも元が『間』を基準とした図面の為、計算は必要で、香菜姫の算盤が無ければ、とんでもない時間がかかったと思われる。
しかも姫が至る所に引き戸を望んだ為に、扉や壁で部屋を仕切るのが常識の大工は戸惑いながら、四苦八苦しながら書いていく。
おまけに途中で居室には暖炉が欲しいと言われた時には、涙目になりながら、どうやって煙突を作るのかを姫に説明し、一から図面を引き直す事になったのだ。
天井や窓、それに建具の注文に至っては、格天井に櫛形窓、障子に襖障子、舞良戸と、見た事も聞いた事も無い物を求められるのだから、大工の目がだんだんと虚ろになっていく。
仕方がないので、その都度、蘭丸が絵に書いて見せる事にした。
窓はともかくとして、障子も襖障子も、その仕様に耐えるだけの紙がないから無理だと言う蘭丸の言葉に、姫は一部をガラスを嵌め込んだ板戸に、それ以外は舞良戸に似せた板戸にする事で一応納得した。
「仕方がないの。じゃが引手は、全て木瓜型にしてたもれ」
「聖女様、その、引手とは?それに木瓜型って……」
「引手は引き戸を開ける際に用いる窪みに嵌める、金物じゃ。木瓜型はこう、丸い形をしておる」
香菜姫が手で丸型を作るが、それで通じる筈もなく、それも蘭丸が絵に描いて見せる。
最後には、お願いですから、完成した外観の絵も書いて下さいと大工に頼まれ、蘭丸は己の絵心に総動員をかけて、香菜姫の希望の屋敷を描く事となった。
幸いな事に屋根用の瓦や壁に用いる漆喰などは、似たものがある上に、屋根の形も共通するらしく、そこらは問題ない事が判り、大工と共に安堵の溜め息をつく。
しかし、それらを全て書き終わるまでに、更に三日かける事になった。
出来上がった外観図を見ながら、
「庭は屋敷の後で良いとして…」
そこで言葉を区切ってじっと見つめてくる姫に、蘭丸は嫌な予感しかしない。
「ちなみに蘭丸殿は、畳の作り方なぞは……」
「さすがにそこまでは、知りませぬ。ただ、この地にも領地によっては、麦藁を使って敷物を作る地域が在ると聞き及んでおります。その者達で良ければ、探して連れて来れるかと」
「麦藁の敷物……筵のような物か。では、頼む。急がずとも構わぬが、出来れば屋敷がある程度できるまでに、連れてきて貰えればありがたい」
畳が作れるとなったら、それこそうちの殿が飛びつきそうだと思いながら、蘭丸は承知しましたと頭を下げた。
翌日、六日ぶりに蘭丸を信長の元へと帰した姫は、城の庭園を散策しながら、思案していた。
(さて、全て板戸にせざるをえなんだが、出来れば障子や襖障子が欲しいところじゃ。妾の紙は書の為の物ゆえ、さすがに無理じゃと蘭丸殿にも言われたしの。それに、その紙も今は十分な量があるが、今後を考えると些か心許ない。やはり紙が作れた方が何かと良さそうじゃ。じゃが、紙の作り方なぞ……)
そこで姫は植物を操る崋王ならば、何か知っているのではと思い、聞くことにした。
「崋王、もしや紙の作り方なんぞを知っておるか?」
「楮の皮を剥いで作る事は識っておりもす。こちらにも似た木が在るでしょうから、時間さえ頂ければ作れるかと」
「そうなのか?」
「あい。剥いだ皮を煮て叩き、細くバラバラにして、トロミをつけた水に溶かしもす。それを梳いて乾かせば、それなりの物になると思いもす」
「そうか。では悪いが、その木を探してくれるか」
「もしや、障子の為でありもすか?」
「ふふっ。困った事に、無理となると余計に欲しくなるものよ」
周王の問に、姫は寂しげに笑う。
香菜姫にとって、天気の良い日に障子を開け放った広縁は、皆とお八つを食べたり、次郎爺から武将の話を聞かせて貰ったりした、楽しい思い出がつま詰まった大切な物なのだ。
それは白狐達も同じなので、姫に寄り添うようにしながら、ならば暖かくなったら直ぐにでも探しに行こうと誘う。
「なに、急ぐ必要はない。妾もこちらの暦を学んでいる最中じゃしの。冬の星座は覚えたが、これからは春の星座と引き続き月の観察、そして時間の測定方法も学びたいからの」
雪の中で伐採や開墾を行うのは無駄が多いと判断した香菜姫は、その間、この地の事を知る事と、己の覚えている限りの真言を、その御利益や効果と共に、この国の言葉に書き示す作業に費やしていた。
暦や星座に関しては、この国の『天文学者』と呼ばれる者から教えを受けていた。『望遠鏡』なる観測器具の使い方も習い、月の観察にも取り掛かっている。
真言に関しては、オルドリッチに頼んで書記官を一人借り受けて、声に出した真言を書き留めさせていた。それを自身の目で見て、異なる箇所があれば修正させるのだ。
記憶に間違いがないか、周王と崋王にも確認を取り、不確かなものに関しては、印をつけ分けてある。
それ等の作業においても、かなりの量の紙を使用していた。
(ふむ。やはり紙は入り用じゃな。まだ、観測は続けるし、祝詞も書き留めておきたいし……誰ぞ詳しい者はおらんかの)
つらつらと考えながら歩いていた香菜姫の足は、やがて魔術師寮への方へと向いていた。トゥルーとムーンに尋ねようと思ったのだ。
(アレは『森の賢者』等と呼ばれておる故、木には詳しいやもしれん)
庭園を抜け、寮の側まで来る。その時。
「あっ、狐だ!」
幼子の声が聞こえたので、そちらに目を向けると、こちらに向かって駆けて来る幼子の姿が姫の目に入った。その後ろの、親らしき男女の姿も。
ざん!
直ぐさま姫と子供を隔てるように、茨が茂る。崋王が術を使ったのだ。それに驚いた子供が尻餅をつくと同時に、大声を上げて泣き出す。
「なんて事を!」
(面倒じゃな……)
母らしき女が血相を変えて駆けてくるのを見ながら、香菜姫は溜息をついた。
板図(図板ともいう)は、大工の棟梁が墨壺を用いて板に書く、設計図です。間取りから柱や梁、軸組や屋根の形状までかかれ、そこに組み立てるための番付けを行います。これは一般的には間口の左側の表から、横にい、ろ、は、縦に上から一、二、三とつけていきます。その為、一番最初に組まれる柱や梁には『いの一』という番付がされます。




