番外編 優しいお母様は…… 【後】
それはロウェイ王国と連合を組み、ゲートヘルム帝国相手に戦争をするという報せだった。
(なんて無謀なことを……)
国の広さや民の数において、帝国が圧倒的に優っているのだ。
そのうえ、この二年あまりの魔素溜りと魔獣騒動で、この国の国力が落ちているという父レランドの言葉から、ヤスミンはこの戦いに勝ち目は無いと思った。
「なぜ、ケンドリックは陛下をお止めしなかったんだ!私があの屋敷に残っていれば、助言できたのに!」
「もしかしたら、あの聖女が陛下を唆したのかも」
言いながらヤスミンは風変わりな衣装を着て、偉そうに話す少女を思い出していた。ひどく侮辱された上に、大恥をかかされたのだから、忘れようがない。
(私達がお兄様のお屋敷を追い出されたのだって、そもそもはあの聖女のせいよね。もしかしたら、お兄様からお父様を引き離すために?)
不穏な考えが、頭をよぎる。
「きっと、そうに違いないわ。ねぇ、あなた。今からでも遅くないわ。戦争なんて止めるよう、陛下に進言しましょう!」
「そうだな。急けばまだ、なんとかなるかも」
「それと、もし戦争が始まったら、こんな所では不安だわ。せめてヤスミンだけでも、ベックウィズ領に避難させられないかしら?ケンドリックだって、それぐらいなら許してくれると思うわ」
「お母様……もし避難するとしても、その時はお母様も一緒ですわ!」
母の心遣いに感動したヤスミンに、トリスタが嬉し気に微笑む。
「まぁ、ヤスミンったら、なんて優しいのかしら」
柔らかな母の腕に抱きしめられたヤスミンは、
(こんなに優しいお母様を嫌うなんて、死んだお祖母様やお兄様は、人としての心をどこかに置いてきたに違いないわ)
そう、心から思った。
レランド・コルバーンは早馬まで使って、戦争を思い留まるよう綴った手紙を、陛下へと送った。
しかしいくら待っても、陛下から返事が来ることはなく、それどころか宰相の名で、徴兵の要請書が届けられた。
「もう、戦争を止める事は出来ない。この領地からも、兵を出すよう言われた」
「そんな……」
その日から、トリスタは徐々に落ち着きを無くしていき、やがて小さな物音にも怯えるようになっていった。
そんなトリスタを少しでも安心させようと、父は領近くの駐屯所に屋敷の警護をするよう、要請の手紙を出した。
「結構な金を払ってるんだ。それぐらい、させないと」
衛兵は国が雇い入れており、その給金も国が支払っているが、駐屯所にかかる諸費用は、近隣の領主達が負担している。それは税収によって変わるが、この領地からは年に金貨二十枚を出しているという。
翌朝、六人の兵士が屋敷の前にやってきたが、その中に、ヤスミンは見覚えのある顔を見つける。馬の世話をしていた若者だ。
「あなた、兵士だったの。てっきり……」
「町の破落戸か何かだと思った?ここらでは、普段はみんな、気楽な格好をしてるからな」
図星をさされたヤスミンは、押し黙る。
「あの時はたまたま休暇中でね。領主様の馬だから、失礼があっちゃ困るからって、俺が頼まれたのさ」
「十分、失礼だったじゃない!それに兵士なら、もう少し領主の言う事を聞くべきよ」
「衛兵の仕事は、領地と領民を守ることで、領主一家の小間使いじゃないからな」
若者の声は、冷たいものを含んでいた。
「これだって、みんな仕方なく来てるんだ。衛兵の半数は軍に加わっているから、唯でさえ人手が足りないっていうのに」
「ひどいわ。お母様は不安で夜もろくに眠れないのよ!」
「ヤスミンお嬢様。悪いがついこの間、この地に来たあんた達三人より、昔から住んでる大勢の人達の方が大事に思えるんだ、悪いな。それに今の時期、大型の野生動物が餌を求めて彷徨くから、その見回りに忙しいんだよ」
「あんたなんか、お父様に言いつけて、首にしてもらうから!」
「名誉子爵に、衛兵の人事権は無いよ。それと俺の名前はマックス。マックス・レイヤーだ。一応、隣の領地の男爵家の者だよ。三男だけどな」
その言葉に、ヤスミンは驚いた。彼の事を、庶民だと思い込んでいたからだ。是迄の自分の言動を思い返し、顔が赤くなる。
「私は……そうよ、わたしのお兄様はベックウィズ侯爵なのよ。だから、お兄様に言って…」
「絶縁されたのに、どうやって?』
ニヤニヤと笑うマックスに、そんな事まで知れ渡っているとは、思わなかったヤスミンは悔しさのあまり、言葉に詰まった。恥ずかしいことに、涙まで滲んでくる。
「なんで私達ばかりが、こんな酷い目に……」
「はっ、頑丈な館と領地があるってのに、どこが酷い目なんだか」
「だって、こんな田舎で、みんな私達を馬鹿にしてるし、きれいなものなんて何一つないし、掃除も買い物も自分でしなきゃいけないし。それもこれも、全部お兄様のせいよ!」
「俺から見れば侯爵さまは、すごく優しいか、我慢強い人に思えるな」
「優しい?とんでもない!私達をこんな場所に追いやった、張本人なのに」
「それが、おかしいって言ってるんだよ。ここが本来、あんた達の居るべき場所なんだから」
マックスの声が大きくなっていく。
「あんたはここで生まれ、育つはずだったんだ。なのにあんたの両親が、ここよりずっと快適な侯爵邸に十年以上もの間、居すわったから、おかしくなったのさ」
「居座ったわけじゃないわ!お父様はお兄様の仕事を手伝う為に、お屋敷に残ったのよ。それにお母様だって、女主人がいないお屋敷で、采配を振るってあげようと……」
結果として、何一つさせてもらえなかったが、それをわざわざ言う必要はない。
「それはどっちも、この場所でするべき事だろ。しかも魔獣騒動が起きた時も、戻って来なかった。そんな領主を歓迎しろと言われてもな」
「だって、王都の方が安全だから……」
「子爵だけでも、戻って来れただろう」
マックスの話では、領主やその後継の大半は、自領に戻って領地の為に尽力したという。
「だって、お兄様が領地に戻っていたから、王都のお屋敷の管理とか色々と……」
「それは領民の命よりも、大事な事か?」
そんな事を考えた事も無かったヤスミンは、黙るしかない。
「領民が命の危険にさらされている時に、安全な場所で安穏と暮らしておいて、自分達が不安になったら、今度は守れ守れと大騒ぎをしてるんだ。笑われて当然だろ」
この二年間、この領地における魔獣の討伐から浄化の手配まで対処をしていた者の多くは、侯爵家から派遣されたという。
「あんたらは、何かしたか?」
その質問は、ヤスミンの心に突き刺さった。
(だから誰も、私達に同情してくれないの?)
鎧戸を閉め、館の中に閉じこもる日が続いた。買い物も最小限にしたので、少ない食事に父から文句が出たが、どうしようもない。
時折、警備している兵達の笑い声が聞こえるが、ヤスミンは彼等の能天気さが信じられなかった。
しかし、時折買い出しに出る町の様子は、これ迄と大して変わらず、市場でも、少し物が高くなったりはしたが、領民が不安を感じているようには見えなかった。
そして宣戦布告がら、半月足らずの早朝。突然、勝利の知らせが届けられた。
報せを持ってきた早馬は、町の広場の入口で持参の紙を広げると、連合国軍の勝利と皇帝が捕虜として捕えられた事等を、読み上げていった。
歓声が上がり、町は途端にお祭り騒ぎとなった。当然ながら知らせを受けた衛兵達は館から引き上げていき、町の中では、あちらこちらで祝杯の声が上がる。
その中で、鎧戸の閉まった領主館は、ぽつんと取り残されていた。
当然だが、領主館にも早馬によって手紙が届けられていた。然し早朝の為か、誰も応答しなかったので、手紙は扉の前に置かれる事となった。まだ、報せを届ける領地が残っていたからだ。
その為ヤスミン達が勝利を知ったのは、昼前の事だった。鎧戸を開け、冷たいが、新鮮な空気を館の中に入れると、それと一緒に、町の喧騒も聞こえてきた。
(帝国相手に、勝てたなんて)
今でも信じられないが、これで母が恐怖に震えることはなくなると、喜ばしい報告をしにいった。
しかし母は喜ぶどころか、ヤスミンに掴みかかりると、叫んだ。
「嘘でしょ、ヤスミン!だって勝ったりしたら、侯爵領に行く理由が、無くなるじゃない!」
「お、お母様?」
その言葉に、ヤスミンは愕然とした。母にとって戦争の勝敗よりも、侯爵領に行く事の方が、大事なのだと理解したからだ。
その証拠に部屋の隅には旅行鞄が広げられ、その上に宝飾品や下着、そして侯爵屋敷にいた頃着ていたドレス等が、ぐちゃぐちゃに積み上げられていた。
『あんたの両親が、ここよりずっと快適な侯爵邸に十年以上もの間、居すわったから、おかしくなったのさ』
マックスの言葉が、思い出される。この時からヤスミンは、これまで自分は幻想の中で生きて来たのではと思うようになった。
今回の戦で、わずか二千の兵と共に帝都に潜入し、皇城を半壊させたケンドリックは、国の英雄の一人として讃えられていた。
王宮では近々、盛大な祝賀会が開かれるともっぱらの噂だ。しかしヤスミン達が、その場に招待されることは無かった。
「ここの領主は、何一つ貢献していないんだ。呼ばれるわけがないだろう」
市場で出くわしたマックスが、大荷物を抱えるヤスミンを見かねて、荷物を半分持ってくれている。領主館へと戻る道すがら、話題は自ずと侯爵の活躍から、祝賀会へと移っていた。
「あなたは、どうなのよ」
「うちは親父と兄貴が招待されたよ。僅かだが兵を出したし、兄貴は参戦したからな」
「僅かって、どれくらい?」
「五十だ」
「それっぽっちで……」
「一人も出してない領主の娘に、言われたくないな」
「だって、領民を無駄死にさせたくないって、お父様が……」
要請のあった二十名だけでも兵を出したほうが良いのではないかと、町長も進言してきた。そのぐらいの数ならば、すぐに集まるだろうし、準備金も一人あたり銀貨十枚程ですからと。しかし。
「無駄死にさせる為の金など、払えるか!」
そう言って、コルバーンは一人も出さなかったのだ。
「お父様は戦争で領民を死なせたく無かったのよ。もし、こんなに早く終ると判っていたら、お父様だって少しは参加させたと思うわ」
マックスは信じられないとばかりに、目を剥いて、肩をすくめた。
『レランド・コルバーンは、二十人分の準備金をケチって、兵を出さなかった』。そんな噂が広がっていたからだ。
実際、領内には自ら準備を整えて出願した者が、数名いた。彼等は侯爵家の兵と合流し、行動を共にしたという。その為、帰還した際には多くの逸話を持って帰っており、それを聞きたい者達から、引っ張りだこになっている。
しかし、そんな事さえヤスミン達の耳には入る事は無い。
皆、遠巻きに冷淡な目で領主一家を見ているからだ。マックスも、必要以上に関わる気は無かった。
館に戻ったヤスミンは立ち去るマックスの後ろ姿を見ながら、これからの事に思いを馳せる。有能だと信じていた父が、今では大した能力もない事が判っている。
(そして、優しかったお母様は……)
いつも綺麗に着飾り、優雅に微笑んでいた母は、すでに存在しなかった。ヤスミンが部屋を訪ねても、腹立たし気に睨みつけてくるか、役立たずと罵られるかのどちらかだ。
「あの時、あなたが聖女に余計な事を言ったりしなければ!」
最近では、全てヤスミンのせいだと言いながら、物をぶつけられる事が増えていた。
領主館の執務室の横には、小さな蔵書コーナーがあり、農業に関する本や法律の本などが並んでいる。その中の【貴族籍法】という文字が、ヤスミンの目を引いた。それを抜き出して、パラパラと見るが、難しい言葉が多くてよく判らない。しかし。
(読んでみようかな……)
ヤスミンはその本を抱えると、部屋へと戻っていった。




