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正統ヒロインには程遠い(仮)  作者: りえ
第1章 カルディナ編
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3話




それから1ヶ月ほどが過ぎた、眩しい太陽が人々を見下ろす昼下がり。


裏の入り口を突き破らん勢いでトムさんが店の中に飛び込んできた。


急な出来事だったために、驚いた拍子にグラスが地面に落ちて激しい音を立てて割れる。


しかしそんな様子を気に留めることなく、団員たちは皆トムさんの手にある厳重な梱包が施された巻物を凝視していた。


「おいおい、リアちゃん何したんだ!あの華国から商業許可証が届いたぞ!」


瞬間、辺りが弾けるような歓声に包まれた。


横に呆然と立っていたシュリアとセクティがほぼ同時に私の肩を掴む。


「華国って、皇族が各国から厳選した商人たちしか商売が許されねぇスゴいところなんだぜ!?お前どんな卑怯な手を使ったんだよ!」


卑怯な手とか最初から決めつけんなよ。


私は肩に乗ったセクティの手を払いのける。


「スゴいよーリア。どれくらいかって言うとね、うん、これくらいスゴいの!」


語彙力をなくしたシュリアが、両手を力一杯広げながらはしゃいでいる。


うん、普通に可愛いから許すわ。


私が特に何も言わず、微笑ましげに見守っていると、空かさずセクティの手刀が脳天に落ちる。


「痛いな、何すんの!」

「お前、俺とシュリ姉の時の態度が違い過ぎるんだよ!差別してんじゃねーぞ、バーカバーカ!!」

「差別!?私がいつそんなことしたんだよ!」


あっかんべーをしたセクティと睨みあっていると、横でホンワカとした笑顔を浮かべたシュリアが、私とセクティの肩を叩く。


「まぁまぁ、リアさん落ち着いて。セクティも好きな子に意地悪したら駄目よー?」


好きな子?


シュリアの言葉に私が首を傾げると、セクティの顔がみるみる真っ赤に染まっていった。


「そ、そんなんじゃねーしー!!」


真っ赤な顔のまま「こんな奴、別に」「そんなわけないし」などとうわ言のように呟くセクティを見つめて、シュリアは笑みを深くする。


なんのこっちゃ。


セクティの後ろに立っている団員たちがこちらを見て、静かに首を横に振った。


よせ、言ってやるなとのことらしい。


それにしても、セクティに好きな子かぁ。


昨日港に来た、他国の可愛い女の子かな?


性根のねじ曲がったコイツは、素直に好意を伝えられるのだろうか。


幼なじみの初恋相手に思いを馳せていると、セクティが火照った顔を隠さないままに人差し指をこちらに突きつけた。


人を指差したらいかんぜ。


「べっ別にお前が好きとか、そんなことねーんだかんな!誰が好き好んでお前みたいなゴリラ女嫁に貰うかよ!」

「はいはい、そんなの分かりきって...誰がゴリラ女だ、ゴラァァァ!!」


ただでさえ狭い店内で放った飛び蹴りは鳩尾にキレイに決まり、セクティは後ろに並んだテーブルや椅子を巻き込んで2メートルほど吹っ飛んだ。


衝撃で落ちてきたテーブルクロスやら花瓶やらに埋もれたままピクリとも動かないセクティ、どうやら気絶したらしい。


横で一部始終を目撃したトムさんがポツリとこぼした。


「そりゃダメだろ。口下手ってレベル越えてんだもんなぁ」


周りの大人たちが神妙に頷く。


シュリアも困ったような笑みを浮かべ、曖昧ながらも同意。


私とセクティだけが取り残された空気が絶妙に居心地悪い。


前にもこんなことあった気がするな...。


とりあえず落ちたテーブルクロスを拾い、

セクティの頬をペチペチする。


ハッと目を開いたセクティの顔が、私を見るなりまた赤くなる。


何なんだ、さっきから。


「言っとくけど、次ゴリラ女とか口にしたら許さないぞ」

「う...うるせーやい!お前こそ変な勘違いして俺のこと好きになったりとかすんじゃねーぞ!」

「安心しろよ、元々眼中にないから」


呆れたように言ってやれば、なぜかセクティがショックを受けたような顔になる。


団員たちが同情するような視線をセクティに寄越すが、本人はうつむいたまま何かを堪えるように震えている。


そんなセクティを尻目に、その横に転がっていた水差しを拾おうと手を伸ばすと、手首をがしっと掴まれた。


驚いて振り向くと、涙目ながらも真剣な表情をしたセクティが私を見つめていた。


「今に見てろよ、ぜってー俺のこと大好きだって言わせてみせっから!」

「おー、頑張れよ。好きになってくれるといいな、お前のこと」


応援するように言ってやれば、セクティが僅かに眉根を寄せた。


団員たちも私の発言に首を傾げ、怪訝そうな顔つきをしている。


私、何か変なこと言った?


「は...お前、だから俺が好きなのは」

「他国船に乗ってきた女の子でしょ?可愛い子いっぱいいたもんなー。誰かは知らんけど、間違っても好きな女の子にゴリラ女とかいうんじゃないぞ?」


笑顔でアドバイスしてやれば、なぜかセクティがその場に崩れ落ちた。


キョトンとしているうちに団員たちがそばに駆け寄ってきて背中を擦り始める。


しかし、かけているのは「今のは自業自得だぞ」とか「日頃の行いが悪い」などと追い討ちをかけるようなものばかりだ。


慰める気はあるんだろうか?


私の横でそっとハンカチで目頭を押さえたシュリアが呟く。


「今ので通算637回目...可哀想にー」

「え、もしかして失恋直後だったの?悪いことしちゃったなー」

「うん、でもそれは間違っても本人には言わないであげてね?今度こそ立ち直れなくなっちゃうからー」

「大丈夫、大丈夫、さすがに傷口に塩塗ったりはしないよ!また良い女が現れるよって言ってやるくらいだから!」

「それを追い討ちと言うのよー、リア」


もう何も言うまい、とハンカチをポケットにしまうシュリア。


頭からキノコを生やさん勢いで落ち込んでいるセクティを憐れに思ったので、そっと近寄って肩を叩く。


団員たちがどよめき、セクティは涙目でこちらを見つめる。


私はニッコリと笑ってセクティのがら空きのおでこにデコピンをかました。


「だっ!?」


突然の衝撃におでこを押さえたまま呆然としているセクティの顔を覗きこむ。


「男が失恋の1つや2つで落ち込んでどうすんの、情けない!」


後ろのトムさんが引きつった声で「いや、637回目はさすがに...」と言いかけて止まったので、誰かが止めに入ったなと頭の隅っこで考えながらも続ける。


「それくらいで簡単に諦められる想いなの?商談は粘り強さと一貫性のある主張が大事だってお祖母ちゃんいつも言ってるじゃない!1回も673回目も変わらないわよ!相手がアンタのこと嫌いだって言うなら、それが変わるくらい想いを伝え続ければいいんでしょ!!」


呆然としていた瞳の色が変わる。


団員の誰かが「結構変わるだろ、倍以上」「さりげに数増えてね?」と呟いたがそんなことはどうでもいい。


バカみたいに元気な幼なじみのショボくれた姿なんて、見るに耐えない。


でも素直になれない私は、こんな回りくどいエールを送ることしかできないのだ。


諦めんなよ、その人は1000回越えるまでにはお前のこと好きだって言ってくれるから。


たぶんね!!


「....お前も案外、俺のこと大好きじゃん」

「当たり前だろ、大好きに決まってるよ」


気が抜けたように微笑むセクティに言ってやれば、団員たちがざわめいた。


見開かれたセクティの瞳に希望の光が灯ったような気がする。


私の手を、セクティの両手が包みこんだ。


頬が微かに赤らんでいる。


良かったな、ついにか、と周りの団員たちも涙ぐんでいる。


そうか、やっと元気が出たんだな。


「.....さっきの言葉、もっかい聞きてぇ」


セクティはそう言うと、恥ずかしそうに目を反らした。


その様子を見て、幼なじみの意外なギャップに思わず顔がニヤけてしまう。


なんだ、可愛いとこあるじゃん。


...いつか絶対叶うから、頑張れよ。


口に出せない思いをこめて、私は飛びきりの笑顔で言った。


「セクティ、大好きだぞ!幼なじみとして!!」


瞬間、またも崩れ落ちたセクティに、団員たちが天を仰ぐ。


「リア、てめぇこの野郎!俺の純情をもてあそびやがって!!」

「純情!?お前にそんなものあったのか....というかなんのことだよ、そんなことしてたらその子に振り向いて貰えないぞ!?」

「頼むからもう黙れよバカリア!!」


取っ組み合いになりかけたところを団員たちが止めに入ってくれる。


引き剥がされたセクティは「なんで俺ばっかり...」と振り上げた拳を諦めたように下げる。


団員たちがそっとセクティの肩を抱き、「惚れた弱みだ、よせよ」「いつか報われるさ」と声をかけていた。


思った以上に鈍感で骨の折れる女の子らしかった。


大変だなぁと思いながら、シュリアが差し出してくれたジュースを飲み込む。


すると、トムさんが気づいたように私に声をかけた。


「リアちゃん、お前宛の手紙が挟まってるぞ。共用語で書かれてるけど読めるか?」

「あー...まだ読みは勉強中なんだよね。できれば読んでほしい」


よしきた、と団員たちが含み笑いで目を合わせ、トムさんがイソイソと手紙の封を開ける。


トムさんてば、共用語を読むのがそんなに好きなんだろうか。


変わった趣味を見つけたもんだなぁ。


私は近くの椅子に腰かける。


「『親愛なるアリア様へ、お元気ですか。私もコク兄様もとても元気です。貴女と出会い、共に一時の会瀬を楽しんでから、もう一月も立ちました。私のことを忘れていませんか?少しでも覚えていてもらえたら幸いです』」


団員たちがこちらを振り返る。


お前たちが期待するような金目の物は何もない、私は首を横に振る。


「『本題ですが、以前お話したティルズ商人団の商業許可がようやく下りました。いつでもウチに来て、お好きに商売してくださって結構です。パイナップルなる南国の果物は、ぜひ華国を訪れる際には持ってきて頂ければと思います』」


遠回しにパイナップル所望しやがった、あのお坊っちゃん。


キラキラと輝いた笑顔を思い出して苦笑いをこぼせば、セクティが真顔でこちらを見つめてきた。


見開かれた目が血走ってる。


怖いし圧がすごいんだけど。


「『PS. 貴女の弟にはなりたくないなどと言いましたが、誤解を招きそうとのことなので撤回させて頂きます。すぐにでも記憶を抹消なさってください。また会える日を楽しみにして』...華国第3皇子、白葉より!?」


トムさんが悲鳴のような声を上げる。


その場にいた皆が一斉にこちらを見た。


しかし、キャパオーバーした私の頭はすぐさま現実逃避を開始する。


そっかそっかー、ハクヨウかー。


ハクヨウが皇子...........。


.........第3皇子!?


夢から覚めたかのように意識が浮上する。


どうやら目覚めた脳は私を簡単には逃がしてくれないらしい。


あのマダムキラーを彷彿とさせる人懐っこい笑みが、途端にキリリと大人びた表情へと塗り変わる。


「リアちゃん華国の皇子と知り合いだったのか!?」

「ちょ...ちょっと待って、理解が追い付かない。同姓同名の別人じゃなくて?」


いや、ハクヨウ皇子の同姓同名って何だ、どれが名字でどれが名前?


ハク、ヨウオウジ?


ハクヨウ、オウジ?


オウジが名前ってなんかめでたいな。


「バッカ、葉が名前に入ってんのは華国の皇族だけなんだぞ!?」


ほれ見てみろよ、と指差された箇所には白い葉と書かれた共用文字がある。


これ、もしかしてハクヨウって読むの?


あぁなるほど、ハクヨウって変わった名前は共用語ならではの発音だからなんだ。


ハクヨウは白葉、ならコクヨウは黒葉ってことになるのかな?


今度会えたら聞いてみよっと。


「呆けてる場合じゃないって!どこで知り合ったんだよ?」

「知り合ったも何も、トムさんも会ったでしょ?黒髪のちみっちゃい男の子だよ」


ほら一月前の、と言えば思い当たる節があったのか、トムさんが顔面蒼白。


「あっっ!!あん時のチビッ子か!チクショー、いつもの他国船のガキ共の1人だと思ってた!なんで声かけなかったんだよ俺のバカヤロー!!」


よく分からないところで後悔しているトムさんの横で、シュリアが話しかけてくる。


「皇子様ってもしかして、パイナップルジュース飲みにきた2人のこと?どっちが白葉皇子だったの?」

「ちみっちゃい方が白葉で、大っきい方が黒葉だよ」

「黒葉!?」


団員たちがまたもやこちらを見た。


なにこのデジャブ感、考える間もなく肩を掴まれる。


「第3皇子ならずも第1皇子まで来てたのかよ!リアちゃん羨ましい!!」


間近で男泣きされて、思わず顔を歪めた。


団員たちにトムさんが引き剥がされてホッとしながらも、ムスッとした顔つきの黒葉を思い起こす。


アイツが第1皇子かぁ。


しっかりしてた気もするけど、ヤンチャな弟に振り回される普通のお兄ちゃんって感じだったけどな。


そういえば、兄が2人いるってことは、第2皇子が白葉の下のお兄ちゃんってことになるんだよね。


どんな人なんだろ、やっぱ2人の真ん中ってことは相当しっかりしてんのかな?


まだ見ぬ第2皇子に思いを馳せていると、1人だけ黒い負のオーラを放ったセクティが地を這うような低い声で言った。


「...おい、バカリア」

「いきなりバカとはなんだ」

「皇子ってことは、....アレか、男か」

「女で皇子ってなかなかいないと思うけど...?」


若干戸惑って返せば、なぜかセクティは自嘲の笑みを浮かべる。


「へぇ~~...てことはアレか。あれだろ」

「あれとかアレとか訳わかんねーよ」

「お前...ぜってーソイツのこと好きになっただろ!!」

「なんで急にそうなるの!?」


人差し指で人を貫かん勢いで突きつけられるとともに、有らぬ誤解を叫ばれる。


周りの団員たちがざわめき始める。


やめて、変な表現やめて!!


「ちょっと待ってよ!そりゃ(セクティたちと同じくらい友だちとしては)好きだけど、そんなんじゃないし!」

「ツンデレかよバカヤロー!!」


やってられっかー、と訳の分からない言葉を叫んだセクティは、そのままテントを出ていってしまった。


その背中を呆然と見ていると、同情したような顔つきのトムさんが私の肩に手を置いた。


「リアちゃんそろそろ気づいてやった方がいいんじゃないか、もしかしてわざと?」

「わざとやってあんな反応する冗談があるならとっくにやってるよ」


本気でなぜあんなに怒るのか分からないから困ってるんじゃないか。


周りの団員が諦めろ、とでも言うように首を横に振る。


トムさんが深い深いため息を吐いた時、テントの幕が持ち上がった。


「どうしたんだい、皆して集まって」


キョトンとしたお祖母ちゃんがひょっこりと入り口から顔を出した。


団員の顔が一気に綻ぶ。


強ばったのは、たぶん私だけ。


お祖母ちゃんはこちらを一瞥すると、気まずそうに目を反らした。


そんな様子を表にも出さないまま、お祖母ちゃんはテントの中に入ってくる。


その手に引きずっていたのは、ふて腐れたセクティだった。


図体がデカイくせに、まるで子猫みたいに大人しいものだから、可笑しくて笑ってしまう。


セクティがめっちゃ恐い顔で睨んできた。


「お帰りなさい、団長」


トムさんがお祖母ちゃんに事のあらましを説明すると、すぐに店の奥に代表を集めて緊急会議が行われることになった。


私たちはちょうど休憩が終わる時刻になったので、表に出て店に立っていた団員たちと交代する。


中の大人たちは大方、海路の確認や持ち込む商品の話、そして人数の調整などを詳しく決めるのだろう。


ほっこり笑顔のシュリアとムッスリふて顔のセクティとともに、今日の分の商品はすべて売り切った。


そして日が傾くころ、いつもより早い時刻に看板を下げ、奥のテントでお祖母ちゃん自ら会議によって決められたことを説明してくれた。


「まず1つ、できる限りの荷物を持って3日後にカルディナを発つ。そして向こうでなるべく早くに商売を確立させるため、成るべく全員で向かう、それが決定事項だ」


それを聞いた瞬間、シュリアをはじめとする団員の何人かが揃って顔を青くした。


シュリアは中民街で靴屋を営んでいる恋人がいたし、団員の中には結婚して子どもがいる人もいた。


心中を察したのか、お祖母ちゃんが勿体ぶるように咳払いをする。


「...ただし、事情があって来られない奴は例外だ。華国自体が限られたモンしか寄せ付けない半鎖国国家だからね。何かあった時のために拠点はカルディナに残しておいた方がいいと思ってる」


お前らやってくれるね、そう指名したのは先ほど口をつぐんでしまった団員たちだった。


ホッとしたように息を吐く人、なんとなく不安そうな顔をする人、それぞれに反応が別れた。


シュリアは安心したような笑顔で私の手を握る。


「お別れは寂しいけど、いつかまた会えるんでしょ?きっとリアなら大丈夫だから、私の分まで頑張ってね~」

「うん、シュリアも元気でね!」


すっかりお別れモードになった団員たちを励ますべく、お祖母ちゃんは夜の酒場で結団式を行った。


重々しい態度をしていたのは最初だけで、乾杯の音頭が入った瞬間、あっという間に大騒ぎになる。


私とセクティは未成年なので、酒場の端っこのテーブルで喧騒に巻きこまれないように適度な距離を取りつつ、オレンジジュースをチョビチョビ飲んだ。


セクティがふとこちらを見る。


「....なぁ、ばあ様とリアって喧嘩でもしたのか?」

「え.....」


不意をつかれてドキリとした。


返事に詰まって、オレンジジュースを飲むフリをして黙りこむ。


あの時、気まずい雰囲気が流れたのは一瞬だけだったのに、セクティは気づいたのか。


いや、これだけ近い距離で生活しながら、今まで気づかなかったことがある意味奇跡だったのかもしれない。


真剣な瞳が私を写す。


私はコクリと息を呑んだ。


「....喧嘩というか何というか、信じてたことがいきなり覆されて、どうすればいいのか、どうするのが正解なのか、分からなくなっちゃった感じ」

「....そっか」


セクティがグラスをテーブルにおいて肘をつき、目を合わさないままポツリとこぼした。


「....ばあ様とリアが目を反らした時、2人がすっげー遠くに感じた。恐くなるくらいに、真剣な顔してた」


そう言われて思わず顔を手で覆えば、今じゃねーよバカ、とセクティが私の頬っぺたを摘まむ。


地味に痛い。


その感触が気に入ったのか、ひたすら真顔で頬っぺたをこねくり回すセクティの、あまりの無表情に若干恐怖を感じ、手を叩き落とすと、ハッとしたようにセクティが咳払いをした。


「イマイチしまんねーけどさ、その、なんかあったら相談しろよ?俺とかトムさんとか、言いずらかったらシュリアとかでもいいからさ、1人で抱えこもうとすんな」


__いつかお前、何も言わずにいなくなっちゃいそうで怖いんだよ。


セクティの言葉に目を見開く。


頭の中で領主の声が再生された。


『君のそんなところは、本当にそっくりだよ』


...領主は私の知らない何かを知っている。


彼が自分の娘になってほしいと言った時、一瞬承諾してしまいそうになった自分がいた。


でも私にはお祖母ちゃんがいる、そう言い聞かせて納得した。


納得させなければいけなかった。


いつしか私にとってのお祖母ちゃんの存在は、家族ではなく今の自分をなくさないように、居場所を失わないようにするための手段に成り下がっている、そんな気がした。


商人になってその先は?


真実から目を背けたままこれからも生きてくの?


この瞬間を逃してしまったら、もう二度と自分の存在する理由を知らないままになってしまうんじゃないの?


この一ヶ月間、夢にまで見た思いの矛盾が今さらのように胸を締め付ける。


「...リア、どうした?」


心配そうに覗きこんでくるその瞳には、悪意なんてない。


セクティは私がお祖母ちゃんの本当の孫娘じゃないんだってことを知らないんだ。


知ったらどうなる?


そんなの決まってる。


『そんなの関係ないだろ?血がつながってなくたって俺たちは本当の家族だ』


皆、口を揃えてそう言うんでしょ?


言葉でならいくらでも取り繕える。


いくら頑張ったって、ずっと一緒にいたって、所詮私たちは赤の他人なんだよ。


強い絆で結ばれてるってほざいたところで、それは覆らないし変わらない。


そう思った時から、皆とは心のどこかで一線を引いていたような気がする。


私のいけないところまで、皆は先に行ってしまう、私は先には進めない。


思った以上に重い鎖が、気持ちが、心が、私の足を絡めとる。


...私は、そこには並べない。


頼れよ、そう言ってくれたセクティに返事をかえすことができなかった私はなんて嫌な女なんだろう。


仲間を裏切るという行動に対する、後ろめたさ故のものなのかもしれない。


「.....ねぇ、セクティ」


確かめるように名前を呼ぶ。


もう二度と呼べないかもしれない名前を。


「私たちって家族だよね。血がつながってなくても、そうだよね?」

「....うん、どうしたんだ?」


怪訝そうに眉をひそめたセクティがこちらを見て苦笑した。


私お得意のおちゃらけた冗談だと思ったらしい。


それが壊れないうちに続ける。


「この先何があっても、何が起こっても、私の味方でいてくれる?」

「当たり前だろ!俺はずーっと、お前の横にいてやるよ!」

「...そっか。ありがと」


グラスに注いだオレンジジュースで乾杯すると、キンと澄みきった音がする。


私は微笑んだ。


セクティも微笑む。


和やかな雰囲気を共有していると、後ろからシュリアがもたれかかってきた。


しっとりとした空気が四散する。


「どーしたの~~2人ともぉ。盛り上がりが足りないぞぉ~~~~!!」

「シュリア重たい....つか酒くさっ!」

「できあがりすぎだろ、離れろよシュリ姉!」


シュリアは私よりも一回り年が上なため、お酒を飲んでも良い年齢に達している。


しかし、酔うとこの通り人に絡むクセがあるため、普段は自重していたようだが、お祖母ちゃんにせがまれて今日は飲んでしまったらしい。


私に抱きついて頬擦りをしているシュリアを引き剥がそうと必死になっているセクティ。


首に絡んだ体温や周りの人たちの笑い声がこの上なく愛しいものに思えて、視界が滲んでくるのが分かった。


うつむいていたにも関わらず、シュリアが目ざとく反応する。


「あれ~~リアもしかして泣いてるの?ウフフフ、悩み事ならおねーさんに相談しなさ~い、ほらほらほら~~~~!」

「シュ、シュリアの髪の毛が目に入っただけだもん!離れてよー!」

「シュリ姉、絡み酒も大概にしろよー!」


剥がそうとヤキモキしていると、後ろから誰かがシュリアの肩を叩いた。


不満そうに赤い顔をあげたシュリアの瞳が驚きの色に染まる。


私も思わず振り向くと、酒場に似合わない優男風の美青年がそこにはいた。


「え、フィードさん!?なんでここに...」

「遅くなると聞いて迎えに来たんですよ。夜遅くは危ないですから」


そう言ってシュリアの頭を撫でたフィードさんは、こちらを見て少し微笑んだ。


瞬間、その後ろに大輪のバラが咲き誇ったような錯覚に陥る。


「シュリアがいつもお世話になっています。私はフィードと申します。中民街の南で靴屋を営んでおりますので、是非ご贔屓ください」


きらめいた白い歯に、私は呆然と頷く。


なんだこの無駄にイッケメンな男は、と思ったらこの人シュリアの恋人だった。


やべぇ、シュリア超幸せ者じゃんかよ。


しかし、彼の笑顔は危険だ。


酒場のおばちゃんたちが手を止めてうっとりした顔でフィードさんを見つめてるよ。


本人に自覚がないっぽいのが小憎らしい。


天然の無自覚女タラシだ、絶対。


そんな考察の中、1人そっぽを向いて頬を膨らませているのがシュリア。


どうやらフィードさんがこの場にいるのがひどくお気にめさないらしい。


お酒に酔っている分、いつもより感情が表に出ているようだ。


私はシュリアにコッソリ耳打ちする。


「どうしたの、シュリア」

「....来ないでって言ったのに、来てるんだもん」


なんだよ、もんって可愛いな!


返答が成り立っていないのはともかくとして、ふててますよーを全開にしているシュリアはもう言葉で表せないくらいに可愛らしい。


フィードさんが大輪のバラなら、シュリアはお人形さんって感じだな。


もうこのまま永遠に眺めていたい....。


...いやいや、それよりも大事なことはシュリアのご機嫌を回復させることだ。


ふん、と顔を反らすシュリアを無下に扱うこともできずヤキモキしていると、フィードさんが困ったように肩を叩く。


「シュリア、帰りましょう?そんなに酔っていては明日に響きますから、ね?」

「......やだー」

「どうして?僕と帰るのは嫌ですか?」

「......ちがうもん」


伏せたまま顔をあげないシュリアは一貫して拒絶の意を返す。


フィードさんが悲しそうな顔をした。


関係ないのに後ろで2人の行く末に勝手にハラハラしていると、シュリアがポツリと言った。


「....私だけ、焼きもち焼くの、ズルい。私ばっかり、好きなのやだ。フィードさんが優しくて、カッコよくて、素敵なこと、みんなに知られたくなかった」

「シュリア.....」


フィードさんがとがめるように呟いて、片手で顔を覆った。


その下が火を見るより真っ赤なことを私は知っている。


セクティがオエッと舌を出した。


「焼きもち焼きの私は、嫌いですか?」

「...嫌いなわけないでしょう?」


途端2人の間に甘ったるい雰囲気が漂いはじめ、私は取り残されたような感覚になり、チラリと横目でセクティを見る。


...私は一体何を聞かされているんだろうか、痴話喧嘩に見せかけた惚気話?


横のセクティが顔をしかめる。


「好きな人でもできちゃったんですか?」

「君以上に魅力的な人はいませんよ」


歯の浮くような台詞を口にすることを許されるのはイケメンだけなのだな、とこの時正直思ってしまった。


同じことをセクティが言ったものなら、腹がねじ切れるまで笑い転げるだろう。


可哀想に思ってセクティの肩に手を置けばなぜか無言で頭をぶたれた。


瞬間、真っ赤な顔で立ち上がったシュリアが私の腕を掴んで自分の方へ引き寄せ、なぜか私の背中に隠れた。


間近に迫った酒気を帯びたシュリアの吐息に、冷や汗が背中を伝う。


嫌な予感....!!


「そんなこと言って、どうせリアに一目惚れしちゃったんでしょ!だってこんなに可愛いんだもん!」


やっぱりかー!!


逃げる間もなくシュリアが放った一言とともに私は修羅場の中心に引っ張りこまれてしまった。


フィードさんが目を見開いてこちらを見るが、私は全力で首を横に振った。


そんなわけないでしょ!


違うと言って、お願いだから!


私の前にフィードさんが立ちはだかり、私は自然とカップルの間に挟み込まれる形となる。


私はヘルプミーをこめてセクティを見る。

爽やかな笑顔でセクティは目線を反らし、ジュースをお代わりし始めた。


私は歯ぎしりした。


後で覚えてろよ、チクショウ!


「いくら可愛いと言ったところで、彼女は子どもでしょう?好きになったとしても叶わぬ恋ですよ」


恋愛対象外だと遠回しに言われた。


いや、むしろそっちの方がありがたいけれども、叶わぬ恋とか難しい言葉を酔ったシュリアの前で言ったら....。


「やっぱり...叶わぬ恋とか言って、フィードさん可愛い女の子には目がないんでしょ!特に小さい子!!」


それみたことか!


つかそれだけ聞いたらフィードさんただの幼女好きなんだけど、シュリア。


思いの外冷静になった私は、目の前で繰り広げられる会話の行く末を見守る。


つか、もうツッコむのも面倒くせぇ。


「僕が好きなのは貴女だけです!」

「私だって好きだもん!でもフィードさんカッコいいから、皆フィードさんのこと好きになっちゃう。その中にはきっと私よりも可愛い子だっているもん。そんな子が現れたら、私捨てられちゃう...リア!!」

「ひぇなにっ!?」


最早切羽詰まった惚気にしか聞こえないシュリアの言い分の矛先がこちらに向いて、ビクッと肩が跳ねる。


潤んだ瞳のシュリアが、確かめるように私を見た。


「リアだって、フィードさんのこと好きになったんでしょ?...そうだよね」


なわけあるか、とは流石に言えない。


しかも聞き方がおかしい。


なぜ私がフィードさんに一目惚れした前提で話が進んでるの?


人の、しかも友だちの恋人に恋愛感情を抱くほど私は気持ちが成熟していない。


「や、あの...落ち着こ?シュリア」

「否定しなかった!リアの初恋の相手はフィードさんなんだ~~!!」


収拾がつかないほどに泣き叫ぶシュリアに私はどんな言葉をかけるべきか分からなくなった。


ミスった、まずは違うって言うべきだったか。


というか初恋とかないし、別に好きじゃないし、見かけだけで人を好きになるような性格してないし!


世の中の一目惚れ系女子を敵にまわしそうな発言を考えていると、黙っていたフィードさんが私の手を握る。


...え、ちょっと待って、フィードさんまでシュリアに毒されたとかないよね?


フィードさんのやけに真剣な瞳が逆に不安を煽り始める。


「...すみません、リアさん。貴女の気持ちに気づけなくて」


そう言って目を伏せたフィードさんに、焦燥感にも似た殺意を覚える。


ちっげーよ!


つか初対面にリアってアダ名で呼ばれる筋合いもねーよ!


この場で奇特な発言かまそうものなら、シュリアに代わってぶん殴ってやるからな!


腹の中でそんなことを考えていると、握られていた手に力が入る。


「貴女の気持ちは嬉しいです。しかし、僕にはシュリアがいます。お付き合いはできません!」


...だから好きじゃねーんだってば!


私の無言の叫びは誰にも聞き届けられることは話がなかった。


シュリアが呆然として、フィードさんに手を伸ばす。


フィードさんもシュリアの手を握る。


感動の仲直りシーンだ、それが私の肩越しでなければな。


「誰に何度想いを告げられようと、僕はシュリアだけを愛します」

「フィードさん...!!」


人を挟んでイチャイチャするな、バカップルどもめが。


今日の元気を一気に吸いとられたような気がして、ため息を吐く。


他所でやれー、という誰かのヤジには深く深く同意したい。


涙ぐんだシュリアとフィードさんが抱き合う直前に私はセクティの手によって戦線離脱させられる。


...なんか、好きでもない人にフラれて、挙げ句の果てに仲直りのダシにされた。


「...失恋って、こんなに虚しい気持ちになるものなのかな」

「よかったな、また1つ大人になれたんだ。一度は経験しといた方がいいんだぜ」


すべての悩みが吹っ切れたような満面の笑みで言ったセクティを無性にぶん殴りたくなった。


どうせなら心から好きになった人にフラれたかったよ。


失恋が必ずしもいいものだとは限らないんだけどね!


慰めるかのように、セクティの手のひらが私の頭に乗っかった。


仲良く手をつないだまま酒場の扉をくぐって消えた2人の背中をみながら、今度は自主避難しよう、と決意する。


深夜に差し掛かり、団員たちの盛り上がりはいよいよ最高潮になった。


トムさんが得意の腹踊りを始めたのをきっかけに、一発芸大会が始まった。


騒がしい一夜限りの夢はあっという間に過ぎていってしまった。




*******




...その日の夜、私は眠れずにいた。


騒がしい声たちがまだ耳の奥に残っている感覚があって、目が冴えてしまっているみたいだ。


気温は暑くもないし寒くもないという超理想温にも関わらず、今日のことを思い出す度にどうしても考えてしまう。


一月もの時間が経ったのに、あれ以降領主の方から接触を図ってくることはなかった。


言葉通り、私から返事を返すことを待ち続けているのだろうか。


私はいまだ、誰にも決意を示せていない。


お祖母ちゃんに話すことを躊躇う内に、いつしか普段の会話でも気まずい雰囲気が漂うようになってしまった。


領主のことを人殺しと罵ったお祖母ちゃんは私の出した答えにどんな反応をするのだろう。


思う度に億劫になっていき、気づけば今日という日を迎えてしまっている。


そう考えると、今回の華国行きは良いチャンスなのではないかと思った。


許可証は私名義とはいえ、いなくても効力は十分に発揮してくれることだろう。


気分転換をしようと、私は布団から抜け出した。


外に出ると、暖かい夜風が湿った髪の毛を揺らす。


顔を上げると、月明かりの下でお祖母ちゃんが煙管を吹かしていた。


少しだけ躊躇って、私はその横に並ぶ。


「どうしたんだい、リア。こんな遅くに」

「それはお祖母ちゃんもでしょー?」

「...お前はまだ、あたしのことをそう呼んでくれるのかい」


ふう、吐き出された白い煙が宙に浮かんで消える。


お祖母ちゃんの言わんとすることが分かって私は口をつぐんだ。


赤の他人。


孫娘じゃない。


それを肯定されたような気がした。


あの日言われた言葉たちが、今でも時々心を痛くする。


それでも私は、お祖母ちゃんの孫でいたいと思った。


たとえこの先、何が起こったとしても。


...そう思うのはきっと、私のワガママだ。


いつもは声にできなかった言葉が、スルリと口から飛び出した。


「....私のお母さんって、どんな人だったの?」


綺麗だった、お前にそっくりだよ。


いつもはそんなことしか言わなかったお祖母ちゃんが、少しだけ別の言葉を紡いだ。


「...お前の母さんは、昔商人団の一員だった。まだカルディナが1つの国だったころにお偉いさんのところに働きに行ってたんだ。美人で器量も良くて、おまけに仕事覚えも早い。向こうではかなり重宝されてたみたいだったよ。だが、ふとした時に、長年勤めていたはずの仕事場を辞めちまって、あたしたちのところまで帰ってきちまったんだ。腹の中にはお前がいたよ」

「.....それから?」

「何を聞いてもわたしが悪い、愛してはいけない人を愛してしまったの一点張りさ。唯一ハッキリと言ったのは、この子だけはわたしが育てる、だったっけねぇ」


愛してはいけない人を愛してしまった。


まるでお母さんは、夢の中に出てきたアリアさんみたいなこと言うんだね。


輪郭のぼやけた記憶の断片が、私の心に仄かな明かりを灯した。


手をつないで街を歩いた。


愛しそうに私を見下ろした笑顔。


忘れないように、無くしてしまわないように、私はそっと右手を握りしめた。


「お前を育てていた時のデリアはとっても幸せそうだったよ。笑顔が似てる、この仕草があの人にそっくりだ、...結局、あの子が言ってたあの人を、ついぞ知ることはなかったよ」

「...お母さんは病気で死んだって言ってたけど、あれも嘘なの?」


お祖母ちゃんの手が止まる。


信じられない、という顔でこちらを見た。


幼いながらにお母さんの死を認識した私にお祖母ちゃんは、あの子は病気だったんだと言い聞かせ続けていた。


昔はそれを信じていた。


でも今ならおかしいって分かる。


だって前の日までお母さん、原っぱまでお弁当持って出かけてたんだよ?


この世の不幸なんて微塵にも感じさせない、底無しに明るい笑顔で私を抱き上げてくれた。


それが私の見た、お母さんの最後の笑顔。


「......お前は本当に、誰に似たんだろうねぇ。そうだよ、お前の母さん、デリアは」


___殺されたんだよ。


お祖母ちゃんの言葉を理解できなかった。


息が止まる。


心臓の鼓動が頭に響く。


手足が固まり、お腹の底が冷たくなっていくような感覚がした。


...殺された、お母さんが。


嘘だ、なんで。


...............誰に?


「その日、デリアが珍しく落ちこんでたんだ。あの人から贈り物が来た。明日会うことになるかもしれない。そんな風に言ってた。でもおかしいと思ったんだ、7年間も音信不通だった男が何をしに会いにくるんだって。何より、あんなにイキイキとしてその男のことを語っていたデリアが、まったく愛しい人に会うような顔つきじゃなかったからね。...あの時、無理にでも止めておけばよかった」


___部屋の中で倒れたデリアを見つけたのは、あんただったよ。


お祖母ちゃんは目を合わせないまま言った。


無意識に手を握る。


それは今日みたいに、暑くもなくて寒くもない、妙に心地良い日だった。


テントの中で、お母さんは何かを守ろうとしたみたいにうずくまって、冷たくなっていた。


眠っているみたいに、目を閉じていた。


お母さんの頬っぺたは、あり得ないくらいに青白かった。


何度も何度も名前を呼んだ。


お母さんは目覚めてくれなかった。


...薄く開かれた唇からは、酷く甘い匂いがした。


「今でも思うよ。あの時デリアを1人にしなかったら、あの子は死ななかったかもしれない。今もお前の隣で笑っていたのかもしれない」


...過去のことを気にする必要なんてない。


そんな残酷な一言を、今のお祖母ちゃんに言うことはできなかった。


私、知ってるんだよ。


その時のこと、まだお祖母ちゃんが気に悩んでるってこと。


目の下にクマができるくらい夢に見て、その度に起きて、私に分からないようにこうして外に出て、1人で泣いてるのも。


お祖母ちゃんの頬っぺたに光る涙の後を見つめる。


...私がまだ、どうしようもない位に子どもだったから、そうしてくれてたんだよね。


でも私は、もう守られてるばかりは嫌なんだよ。


何があったのか知りたい。


たとえどんなに残酷な結末だとしても。


過去も未来も全部を引っくるめて、私自身を受け止めて。


今度は誰かを守れるようになりたい。


もう誰にも、傷ついてほしくない。


...これからお祖母ちゃんを傷つけるはずの私が、何をほざくんだって話だけどね。


自嘲の笑みは心の中に仕舞いこんだ。


「.......私、領主の娘になろうと思う」


お祖母ちゃんがゆっくりとこちらを見た。


その瞳にはなんの感情も浮かんでいない。


私は、じっと見つめ返した。


「いつか帰ってくるよ。こんなクソみたいな条例も、法律も、何もかもぶっ壊して。娘になるからにはそれくらいやらなきゃね。それに、領主はお母さんのこともいくらか知ってるみたいだったから、それもちゃんと確かめる。バッチリ商談取引成立させて戻るよ。だって私は.....」


滲んだ涙を呑みこんで、飛びきりの笑顔を作る。


「私は、大商人ケリーの孫娘なんだから」


お祖母ちゃんが目を見開く。


...やっと言えたよ。


私はお祖母ちゃんの孫娘でいたいんだよ。


今までも、これからも、ずっとずっと。


私は微笑みかける。


それは離れていても変わらない、そう思いたかった。


恥ずかしくて、寂しくて、うつむいた頭をお祖母ちゃんの手が乱暴にかき混ぜる。


「...当たり前だろう。今までも、これからも、お前は私の自慢の孫娘だよ」


涙で上ずった声が鼓膜を揺さぶる。


柄にもなく泣いてしまいそうになった。


お祖母ちゃんは星空を見上げた。


私もつられて上を向く。


真ん中にポッカリと浮かんだ満月を支えるように、無数の星たちが散らばり、光輝いていた。


「.....ありがとう」


私の呟きに、握られていた手の力が強くなる。


それ以上言葉はいらない、そう言われたような気がした。


私たちは、同じ空を見上げていた。




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