2話
ハクヨウたちのこと、領主のこと。
色々あった昨日がまるで嘘みたいに、当たり前の日常が過ぎていった。
私はお客さんの呼び込みや商品の仕入れ、セクティとともに港で入荷状況をチェックし、たまに立たせてもらった店先で品物を売る練習をする。
お祖母ちゃんやシュリア、トムさんだっていつも通りの笑顔。
それなのに、心の奥底に渦巻いた不安は消えてはくれなかった。
お祖母ちゃんがあの時見せた表情が、時折彼女の笑顔と重なってみえて、恐ろしかった。
次また領主が現れたら、考える度に胸に巣くった不安は積み重なっていく。
私の予感は、ハクヨウたちと別れてから僅か1週間で現実になってしまった。
それは薄曇りで時々日が射す、蒸し暑い昼下がりのことだった。
夏にも関わらず太陽が隠され、肌がジリジリと焦げるような暑さはないものの、まとわりつくような熱気が重たい。
その日のお祖母ちゃんは変だった。
いやお祖母ちゃんだけではない。
シュリアも商人団の皆も、空気がピリピリしていて、その原因が夏の暑さだけではないことは明確だった。
唯一普通だったセクティに話をすれば、彼自身も思い当たる節があったのか、拾った木の棒を振り回しながら言った。
「なーんか、カルディナ領主に妙な噂がたってるらしいぜ?」
「妙な噂?」
「近所のジーさん曰く、庶民から養子を貰い受ける気なんじゃーってよ」
近所のジーさん近頃ボケ始めてなかった?
思うところは多々あったけど、それよりも領主の噂が気になる。
養子とは、血の繋がらない大人と子どもが契約によって書類上の親子になることである。
仮契約から本契約に至るまでは細かい取り決めがあるため、長い期間が必要なのだという。
...まぁ、法律や条例を定めたのは領主だからそういうことはすっ飛ばせそうだけど。
言葉通り、もちろんカルディナにも養子制度は存在するけど、あくまでお貴族サマ同士の人には言いがたい諸事情に関連して行われることがほとんどで、ましてや領主が庶民を養子に迎えるなんて聞いたことがない。
「なんでまたそんな面倒な噂が立つんだろーね、不思議」
「そりゃ、アレアレ、嫌なイメージ無くしたいんだよ。今の領主って庶民からめっちゃ嫌われてるじゃん?だからその中から代表的な奴を養子に迎えてやることで、私は皆さんに敵意は持ってませんよーってのを示したいとかじゃね?」
「うさんくさ....」
領主が庶民から嫌われているのは、高い税金とお貴族サマばかり得をする法律を作ったこと、つまり差別待遇が主な原因だ。
それが今さら庶民に寄り添おうとしたところで、法律改定して出直してこいと罵られて終わりだろう。
それで大人たちの機嫌がすごぶる悪かったのか、と納得して船の出発準備を手伝うセクティと別れた。
私はいつも通りに品物を押し車に乗せてから裏路地に入って帰路を急いだ。
見慣れた裏道を駆け抜けて、冷たい空気をまとう影から真夏の大通りに出る。
ふと目の前を見ると、そこに領主が立っていた。
ひゅっと息を吸いこむ。
以前とまったく変わらない、張り付いた笑顔がそこにはあった。
突然の出来事に自由だった手足が強ばり、根を張ったように動かない。
ただ、ただ目の前の男が恐ろしかった。
...だって私は、港まで行く道を毎日変えているのに。
理由は、ガラの悪い大人たちが品物を奪ったり金品を要求してきたりするなどの事例がここ最近多発しているから。
自分の身は自分で守らないといけない。
だから私は複数ある分かれ道をルーティンを作らないようにわざと変えていた。
それなのにこの男は、まるで私がこの道から出てくることが分かっていたかのようにこの道の出口に立っていた。
訳が分からない。
でも、目の前の得体の知れない男から今すぐに逃げなければならないと本能が叫んでいた。
「お久しぶりだね、アリアさん。体調は大丈夫ですか?」
伸ばされた手の平が私の肩に触れる。
怖気にも似た何かが身体を走り抜けた。
うつむいたまま顔があげられず、冷や汗が滲んでくる。
....どうしよう、誰か、誰か。
「...おや顔が青い。失礼、まだ体調が優れなかったようですね。そんな様子ではすぐに倒れてしまいますよ?ケリーさんのところまで送って行きます」
「......ぃや、大丈夫、ですから」
領主の声に反動するように、身体がガクガクと震えた。
立っているのもままならず、伸ばされた手に掴まるのがやっとだ。
わざとらしく張り付けられた笑顔がこちらを覗きこむ。
その瞳の奥に瞬いた光に、意識が吸い込まれて___
「あたしの孫に何をしている!?」
聞き慣れた一喝が、混濁した意識を引きずり戻した。
身体が後ろに傾いて、気づけばお祖母ちゃんの腕の中にいた。
どうしてここに、ぼんやりとしたまま思う。
いつの間にか、冷や汗も震えも止まっていた。
「今のは他国の精神服従魔法の一種だろう。そんなものまで使ってリアに何をしようとした!?」
「そんな。何をするも何も、体調の悪そうなアリアさんを保護しようとしただけですよ?」
「嘘を吐くな、この人殺し!!」
お祖母ちゃんが悲鳴のような声を領主に叩きつけた。
お祖母ちゃんの身体が尋常じゃないほどに震えている。
瞳が錯乱し、焦点が定まっていない。
...このままでは不味いことになる。
すぐさま私はお祖母ちゃんの腕から抜け出し、2人の間に立ちふさがった。
そして領主を睨み付ける。
「今すぐ魔法を解いて!」
言葉と同時に、張り詰められた空気が緩んで、薄く開かれた領主の目が残念そうに閉じられる。
瞬間、お祖母ちゃんの瞳孔が絞られた。
私はお祖母ちゃんを庇うように腕を広げたまま、領主を見つめる。
「先ほど私やお祖母ちゃんにかけたのは、精神服従魔法じゃないですよね」
精神服従魔法はかけた相手の感情を無理やり抑えつけて自分で考える力、すなわち思考力を完全に破壊して、その名の通り操り人形のように人間を意のままにする恐ろしいもの。
しかし、これは魔法文化が豊かな国では一番に禁止された禁忌の魔法であり、いかに権力があろうとも簡単には手に入らない。
そして、私やお祖母ちゃんに共通する異常なまでの感情の高ぶり、それらを総合して考えられるのは1つ。
「...あなたが使ったのは、感情増幅魔法、違いますか?」
感情増幅魔法は、ただ相手の気持ちを大きくするだけのもの。
ただし使いようによっては恐ろしい兵器にもなりうる。
...ましてや、抱いていた感情が殺意に近いものであるなら、なおさらだ。
「無言は肯定と受け取りますが?」
私の問いに対する領主の返答は、大きな拍手だった。
対して可笑しくもないくせに張り付いた笑みを続けている領主の姿は滑稽に見えた。
「素晴らしい知識と洞察力だね、その通りだよ。感情増幅魔法は精神服従魔法と違って自我を完全に壊す恐れもないし、簡単な呼び掛けで解除されるから足もつかない」
感情を増幅させると、自分で押さえつけていた無意識のたかが外れる。
それが怒り、悲しみ、恨みなど負の感情に近ければ近いほど危険なものになる。
お祖母ちゃんの怒りの奥にあった領主に対する僅かな殺意が魔法によって大きくなり、下手すればそのまま怒りに任せて領主を殺していたかもしれない。
しかし、領主自身は動じていない。
こうなれば私が必ず止めに入ることは想定内だったんだろう。
ぎゅっと舌打ちを噛み殺す。
足がつかない、とはまったくその通りだ。
なぜならお祖母ちゃんが心のどこかで領主を殺したいと思っていたのは事実で、魔法で増幅したといえども、元々はお祖母ちゃん自身の感情だ。
魔法に影響されていたとしてもそれを実行に移せば罪に問われるのはお祖母ちゃんになる。
向こうは領主で、権力を使えば私たちのことなんてどうとだってできるのだ。
相手にするには分が悪い。
「...何しにきたんですか、こんな汚い場所まで」
汚い、とは比喩でもなんでもなくれっきとした事実だ。
ここを用事で通らなければならないお貴族サマはいつも言っている。
汚ならしい、下民にはお似合いだ、そして自分がここに生まれなくてよかったと。
私たちはそんな奴らのために生きているのかと思うと吐き気がする。
他国の人々と交流を持てば持つほど浮き彫りになる領主の姿。
緒領地に比べ圧倒的に高い税金は、すべてお貴族サマが働かなくても楽で豪華な暮らしができるようにするための、いわば無駄金だ。
私たちが必死になって稼いだお金も、半分以上がこの税金を払うために飛んでいく。
失業して貧しくなった人たちは下民街に押しこめられ、人としての権利なんてないまま鬱ぎこむようにして毎日を生きている。
上民街と下民街の間に中民街がある理由は、お貴族サマが下民街にいる人たちを目に入れることなく生活できるようにするためだ。
ゆえに、今の領主を支持しているのは全員がお貴族サマである。
そして領主を疎んでいるのは中民街の人たちを含めた庶民たちだ。
お貴族サマにしてみれば当たり前だろう、今の領主がいなくなってしまえば自分たちは良い暮らしをできなくなってしまう。
それが分かっているからこそ、お貴族サマたちは私たちが必死に稼いだお金をはたいて領主に媚を売るため多額の寄付をする。
その金を使って領主はさらに庶民たちを圧迫する政策をことごとく実現する。
そして金が無くなったお貴族サマたちはさらに庶民たちから税を搾り取る。
まさに悪夢のループだ。
その原因のすべてである男が今、目の前にいる。
領主はめったに上民街に位置する屋敷から出てこない。
自分が疎まれていることを知っているのか、あるいは自分の利益にならない庶民に興味が湧かないのか、それは図りかねないことだ。
「...ああ、そうでしたね。すっかり忘れていました。滑稽なやり取りが目の前で繰り広げられていたもので。楽しいですか?家族ごっこは」
...家族、ごっこ?
フラつきながら立ち上がったお祖母ちゃんが、顔を青ざめて首を横に振った。
お祖母ちゃんの口から言葉にならない声が漏れる。
___その先を聞いたら戻れない。
私の中の誰かが言った。
「その娘は貴女の本当の孫ではないですものね、ケリーさん」
明日は晴れですものね、何気ない話題をふるように言い放たれた領主の言葉を、私は理解することができなかった。
...本当の孫、じゃない?
嘘だ、だって私はお祖母ちゃんの娘の娘だもん。
なのにどうして本当の孫じゃないの?
怒りでも悲しみでもなく、純粋な疑問が頭の中を埋め尽くした。
お祖母ちゃんは目を合わせてはくれなかった。
「言葉の通りですよ。アリアさん、貴女はケリー=ティルズの孫ではない。正真正銘赤の他人なんですよ」
「......やめろ」
「そう思うと先ほどまでのやり取りが本当に滑稽に思えてきますよね。あたしの孫に何をしている!?でしたっけ。赤の他人の娘に何をそこまで思い入れをする必要があるんでしょう?」
「......やめてくれ」
赤の他人。
何気ない言葉が私の心をあっさりと抉り取った。
否定する気配もなく、ただ懇願するお祖母ちゃんの姿にショックが反響する。
どうして、私たちの何が分かるの。
証拠なんてない、貴方は知らない。
そうだ、おかしいよこんなの。
私の動揺を誘うためのたちの悪い冗談に決まってる。
だってほら、領主ってとっても悪い人だもん。
私のありもしない過去を暴いて.......
___暴いて、何になるの?
「ふふ、信じられないようですね。証拠ならありますよ、ターバンを巻いて隠している貴女の髪の毛の色です」
___貴女、綺麗な銀色の髪をしているでしょう?
グサリと私の心の中の大事な部分に、深く深くトゲが突き刺さった。
視界が滲む。
目の前が見えない。
私自身が否定できない場所を、領主は容易く見抜いて抉り出した。
揺れる視界の奥にいるお祖母ちゃんは、綺麗な赤い髪をしていた。
目の前にいる領主も綺麗な赤色だった。
...私だけが違う、醜い銀色の髪。
お母さんは綺麗な赤だった。
お父さんのことは知らない。
おぼろ気な記憶は、いつしかお父さんの姿をどこかへ追いやってしまった。
「この赤い髪はカルディナの民である証とも言えましょう。しかし、先ほど私が言ったことが正しければ、アリアさんはこの領地の者ではないことになる。でも、それはおかしいですよね?貴女はこの地で生まれ育ったのですから。もし仮に、限られた者たちだけが、その系統色を受け継いでいたとしたら...」
...それは、私のお父さんのことを言ってるの?
無意識に握ったターバンの力ない感触に、恐怖は誤魔化されてはくれなかった。
お祖母ちゃんに何度聞いても答えてもらえなかったお父さんの姿は、遠い幻のような存在だった。
どこかにいるはずの見知らぬ人。
でも今は、目の前に手を伸ばせば簡単に届いてしまう距離にいる。
もし、それが振り向いてしまったら。
そして、自分の真実を知ってしまったとしたら、私はもうお祖母ちゃんやティルズ商人団の皆のそばにいられなくなるかもしれない。
知りたい、恐い。
__でも、それが今を壊してしまうような真実ならいらない。
「貴女は自分の出生を知りたいですか?」
「全然、これっぽっちも興味ない!」
言いきると、この時初めて領主が驚いたような表情を見せた。
私は静かに自分の気持ちを押し込める。
いつもは勝ち気なクセに珍しく弱気になっているお祖母ちゃんを励ますように、私は自分自身の答えを示す。
「生まれて10年しか生きてないガキが言えることじゃないかもしれないけど、私は今が幸せならそれでいいと思う。いつかは過去に向き合わなきゃいけない日が来るかもしれないけど、それを急ぐ必要はない」
___だって、私まだ子どもだもん。
仕上げに子どもらしくあっかんべーをすれば、領主は黙りこんでしまった。
ずるい大人に対する当て付けともいえる。
大人っぽいね、しっかりしてるね、そんなことを日々言われ続けているとしても、所詮私はチビッ子だ。
ここは物分かりの悪いフリをしているに限る。
...近いうちに、彼の元を訪れることになったとしても、今は知らなくていい。
「......ずいぶんと回りくどい嫌みですね」
私は小首を傾げる。
嫌みってなに、分からないなぁを全身でゴリ押ししておいた。
ここでボロを出せば「当てずっぽうはスゴいが肝心なところはまだまだ分からない年相応のお子さま」を装うことができなくなってしまう。
領主が魔法を使って脅してまで何をしたいのかが分からない以上、油断は禁物だ。
「ふふ、そうやって無邪気な子どもを装おうとするところがまた小憎らしい...いいですよ、今日はわざわざこんなところまで君の正体を暴きに来たのではないですから」
それを聞いて呆然としていたお祖母ちゃんが顔を強ばらせた。
私の正体とやらは置いといて、これだけ長々と話しておいて本題が別とは、領主の考えることはよく分からない。
でも、一度退けられた実績のおかげで今度は正面から真っ当な話し合いをすることができそうだった。
...来るならこい!
「君には、私の娘になって欲しいんです」
...ムスメ、娘、娘?
予想外の言葉にポカンとしてしまう。
お祖母ちゃんが私を背に庇うように立ちふさがった。
「お断りします。たとえ血がつながっていなくても、リアは私の大事な孫娘であることに代わりはない!」
「ケリーさん、貴女には聞いていないですよ。私はリアさんに聞いています」
飄々とした領主の態度に、お祖母ちゃんが歯噛みをするのがわかった。
「そう言って、また怪しげな魔法を使うつもりだろう。そうはいかない、デリアに続いてリアまで奪うつもりか!!」
お祖母ちゃんの一喝に領主が目を見開く。
「デリア...?なぜ貴女が彼女の名を知っているんですか」
「うるさい、人殺し!お前にリアは渡さない!」
戸惑いの表情を浮かべた領主は、お祖母ちゃんの一喝がまるで耳に入っていないようにどこか遠くを見つめる。
そして、決心したように視線をこちらに向けた。
「言い方を変えましょう。リアさん、貴女は私の娘になってもらう。貴女は真実を知る権利がある」
「真実だと...!?今さら何を言うか!」
敵意をむき出しにして噛みつくように叫ぶお祖母ちゃんの肩を掴む。
お祖母ちゃんが驚いたようにこちらを見るが、私は首を横に振った。
「真実って何?アンタは私の何を知ってるの、それだけでも教えて」
「...私は、貴女の両親、過去、そして未来を知っている」
...未来?
ドクリと心臓が大きく音を立てた。
ページをめくりめくように浮かび上がった記憶の中から、1人の女性がこちらを振り向く。
霞んだ表情は見えない。
彼女は、夢うつつの言葉を繰り返す。
__ 貴女はわたし、わたしは貴女。
__ 貴女はいずれ、わたしになるの。
頭に反響した声が霧散する。
...なんで、今さらこんなこと思い出すの?
あれは夢、ただの夢、それなのにどうしてこんなにも現実味を持って、私の心に住みついているんだろう?
黙りこんだ私をみて、領主は言葉を繰り返す。
「貴女がそれを知るのなら、その先を共有する権利がある。そのためには過去を受け止めなければならない。しかし、それを知ってしまえば、貴女はもう、商人のアリアでいられなくなるかもしれない」
__よくよく考えておいてください。
彼はそう言って、ポツリと呟いた。
「....時間切れですかねぇ」
「お父様!!」
瞬間、私の後ろからこんな裏路地に似合わない鮮やかなエメラルドグリーンのドレスを着た少女が領主の胸に飛び込んだ。
領主が少女、もといアニエスを抱き上げる。
「おやアニエス、駄目じゃないか。こんなところまでついてきたら」
「お父様ったら、あたしに言わないで勝手にどこかに行っちゃうんだもの。仕方ないからメルドに後を追わせたのよ。行き先がこんなに汚いところだなんて、あたしとっても驚いちゃったわ。どうしたの?新しい召し使いでも探しに来たの?」
可愛らしい顔に似合わず、言っていることはお貴族サマと全く同じと言っても過言ではない。
ゲンナリしていると、赤みを帯びた大きな瞳が私を写した。
思わずドキリとする。
「あら、誰かと思えばハクヨウ様の召し使いじゃない。てっきりあの船に乗って華国へ帰ってしまったのかと思ったわ。ここにいるってことは、まさかそのお婆さんに雇われたの?一国の皇子から中民町のお婆さんだなんて、落ちぶれたのね。可哀想」
...このクソガキが。
言いかけた言葉を寸前で呑みこむ。
同情を匂わせるような言い方をしながらも口はイヤにつり上げられていた。
まったく可哀想だと思っていないことは私でも分かる。
むしろ小馬鹿にせん勢いだ。
ずいぶん嫌味な娘さんですことね。
私は領主を睨み付けると、彼は気まずげに目をそらした。
彼とて、娘には弱い立場らしい。
溺愛しているというよりか、むしろ尻に敷かれているという表現が正しい気がする。
それにしても、領主に似て無駄に顔が良い分余計に腹が立つ。
見かねた領主がアニエスを戒める。
「ダメでしょう、アニエス。そんなことを言っては」
「お父様、こんな小汚ない小娘を養子にするなんていうんじゃないでしょうね?」
アニエスの言葉に領主が目を見開き、私は青筋を浮かべる。
お前も十分小娘だろうが!
年はそこまで離れていないはずの女子を小娘呼ばわりするとかどんだけプライド高いんだ。
小汚ないは否定できないけどね、言い方ってもんがあるでしょ、言い方が!
「おい、小娘」
「お前に小娘呼ばわりされる筋合いはねぇよ。地面に足をつけてから出直しな」
だっこ癖が抜けない子どもに罵倒される筋合いはない。
遠回しにそう言えば、彼女の頬がみるみる真っ赤に染まっていった。
ざまをみろ、私は内心勝ち誇る。
領主の腕から下りたアニエスが、領主にも負けない恐い顔で私を睨み付ける。
「お前ごときがカルディナ家の家督を継ぐなんて、末代までの恥よ。あたしはハクヨウ様に嫁ぐんだから、華々しい家系に泥を塗るわけにはいかないわ。あたしは絶対にお前を認めない」
なぜ養子になること前提で罵倒どころか泥塗り扱いされなければならないのか。
それが今抱える最大の疑問だった。
返答に困って暫し微妙な空気が流れる中、口火を切ったのは領主だった。
「返事は急がない。皆や自分の心と話し合って決めてくれて構わないからね」
「ちょっと、お父様!?」
「...待って」
こちらに背を向けようとした領主が動きを止める。
私は真っ直ぐに彼を見据えた。
「.......私と両親は、似てるの?」
私の問いに、彼は少しだけ目を細めた。
「__君のそんなところは、本当にそっくりだよ」
愛しそうに一瞬だけ切ない表情をした領主は、それきり振り返ることはなかった。
領主の足にまとわりつくアニエスと目が合うと、彼女は嫌そうに顔を歪めた。
姿が見えなくなるまで、その背中を追いかけ続けていた。
返事はおそらく、決まっている。
後ろにいるお祖母ちゃんは何も言わない。
「...お祖母ちゃん」
「...なんだい」
「皆のところに、帰ろうよ」
「...そうだね」
お祖母ちゃんのシワだらけの手を握る。
共有された体温が、どこか泣きたくなるような気持ちを呼び起こした。
...この手を離したら、もう二度と会えなくなるのかな?
その問いに答えてくれる人はいない。
脳裏に浮かんだお母さんの笑い声が、遠く遠くに響いていた。
...確かめたいんだ、その先を。