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正統ヒロインには程遠い(仮)  作者: りえ
第1章 カルディナ編
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1話




「いらっしゃいませー!うちの商品見ていきませんかー!?」


...人々が大勢行き交う領地カルディナの中民街市場は、大変賑わっている。


私はその一角に構える店で、今日も元気に働いていた。


齢12歳の夏である。


この季節の仕事は、南の島々から取り寄せた果物を売りさばくことだ。


声をかける人を厳選するために休みなく目を光らせ、店の前を通る人たちを観察していると、向かい側の店で品物を手に取っていた1人の男性にセンサーに反応した。


年は少し若く、細身の体に布をたっぷりと使った袖の長い民族衣装をまとっている。


私と同じように頭に巻かれたターバンのせいで髪色は見えないが、ここの住民ではなさそうだ。


中民街市場といっても近くに港もあり、他国の人たちが大勢集うのは珍しいことではない。


恐らく旅の者か商売をしに来た若者かのどちらかだろう。


そこにある野菜が珍しいのか、瞳を輝かせながら店主にあれこれ質問をしている。


青年が必死に身ぶり手振りをしている様子を見ると、カルディナで使われている北欧語はあまり話せないらしい。


世界は広く、まだまだ未開発の地域もあるために、言語はあまり統一されていない。


先住民族が話す独自の言葉だったり、独裁王が開発した自国民だけが分かる言葉だったり、未だに解明されていないものは数知れず。


だけど、こうして海を渡り歩いてきた人たちのおかげで他国同士の繋がりができて、その人たちは互いに意志疎通をはかるため、共用語と呼ばれる言葉を使うようになったとされている。


見習いの私は腐っても商人、当然共用語を話すための勉強はしてきている。


まだまだ基本的な単語をつなげることくらいしかできないけど、


「こんな市場で難しい言葉を話す機会は滅多にない」


と、先生であるお祖母ちゃんが言っているので、とりあえず聞き取ることを重点的に。


いつか海を渡って他国で商売をするようになっても困らないように。


それがウチのお祖母ちゃんの教育理念だ。


しかし、向かいの店主は北欧語しか知らないため、青年の言いたいことが理解できないようだ。


仕方ない、恩を売ってやろうじゃないか。


そんな厚かましい気持ちで立ちあがり、行き交う人々の間を縫って青年の肩を叩く。


「おにーさん、こんにちは」


ビクリとして振り返った青年の瞳は、驚くほどに澄んだ黒色をしていた。


背中越しでは見えなかった顔には少しだけ幼さが残っている。


突然目の前に現れた小娘に驚いているのか黒真珠のような瞳を瞬かせている青年。


私は咳払いを1つ、確認するように基本的な共用語の歌い文句を口にする。


『私の言葉、分かりますか?』

「分かります!共用語ですよね!いやぁ故郷を出てきたばっかりなのに懐かしいなぁ!」


バリバリ北欧語を話した青年は感涙極まり私の手を握り振り回す。


店主が不安そうにこちらを見つめた。


私は店主の顔を見つめ返す。


この人バリバリネイティブさんなんですけど、あの困りっぷりはなぜ...?


この店主には今も昔も大分お世話になっていて共用語は話せないけど、それ以外はめちゃくちゃ有能な人だ。


これを機会に盛大に利用...ゲフンゲフン、恩返しをしなくてはいけない。


「リアちゃん、まかせて大丈夫かい?」

「モチのロンだよ!」


不安を掻き消すようにバチコンっと音が鳴りそうなくらい大きなウインクをすれば、店主の顔がざっと青ざめた。


不安要素が増えたって顔するなよ、超失礼なんですけど。


空気を読まない店主を軽く睨み付けると、改めて青年に向き直った。


「私は商人のアリア。あんたは誰?」

「俺の名前は、リョクヨウ!訳あって身分は明かせないが、たぶん旅人だからそういうことにしておいてくれ!」


明るく断言されて私は眉間を押さえる。


なぜだろう、この明るい笑顔と声音、まったく疑う要素がないのが逆に怪しい。


たぶん旅人ってそんなあやふやな身分の人が果たして本当にいるのだろうか。


めちゃくちゃ怪しい上に、着ている服は一介の旅人が身につけるような素朴な品ではない。


麻や木綿が庶民の普通なこのご時世に、絹をふんだんに使った服を着た旅人もどきがどこにいるのか。


「あーっと、ここへは何をしに?」

「買い物だ!珍しい食べ物を買いに来たんだ。息子がそういうのが大好きでなぁ。サプライズをしようかと思って黙って1人で出てきたら迷子になった!」

「....」


腕を組んでキッパリと言うリョクヨウさんに私は頭を垂れた。


一周回って最早清々しい態度に感服する。


つかこの人迷子になったって言ったよね?


なのに、なんでこんな明るく振る舞えるわけ?


ツッコミが追い付かず不完全燃焼、私はニッコリ笑顔で店主に向き直る、そして。


「ダメだぁ、手に終えない。後は何とか頑張ってくださいねー」

「ちょっと待ってくれよ、リアちゃん!」


そのままリョクヨウさんとやらを放置して背を向けようとした私の腰に店主が巻き付いて抗議をする。


一歩間違えればセクシャルハラスメント案件だったが、私も店主も必死だった。


「自信満々に割り込んできておいてそりゃないよ!ワシ何話してるのかサッパリだったのにここで放置は無理だって!」

「その人迷子らしいから、どっか送ってさしあげて。はい、解決!さようなら!」

「せめてどこから来たのかを聞いてから帰ってよぉぉぉ...!」


おいおい涙を流しながら私の腰に食らいつく店主から抜け出そうともがくも、「仲良しだなぁー」と微笑ましそうに見守る態勢をとっているリョクヨウさんは助けてくれそうもない。


悲しきかな、意志疎通は図れても文化の違いは顕著に表れるのである。


その後も膠着状態がしばらく続いたが、蹴って喚いて宥めて空かして、結局私が自分の店の品物を紹介することで決着した(丸め込まれたともいう)。


リョクヨウさんいわく、


「迷子になってもカンで何とかなる!」


らしいので、とりあえず息子さんへのお土産を手に入れたいそうだ。


腑に落ちないものを感じながらも、私はしぶしぶ自分の店へとリョクヨウさんを案内した。


「これがウチの商品ですよ!」


興味津々にかごの中を覗きこんでくれたリョクヨウさんに、まずは手前の籠に入った果物がいかに美味しく優れた物であり、なおかつカルディナ辺境では決してお目にかかれないという珍しさの何たるかを力説する。


「この果物はパイナップルといって、年中暑くてたまらない南国でしか採れない物なんです。ゴツゴツした見た目はヤシの実やココナッツに似てるけど、中身はまったく別物!ジューシーで甘酸っぱくて歯応えも上々、一口食べれば病みつきです!息子さんって私と同い年くらいですよね。子どもにも受けがいいですよ!」


なるべく大きな声で、分かりやすく聞き取りやすいように、を心がけてそこまで言えば、お兄さんは驚いたように目を見開いた。


「どうして分かったんだ? 」

「えーと、物を見る目線かな?」

「目線??」


律儀に首を傾げたに、私はここぞとばかりに咳払いをする。


「ここに来る人に限らないんですけど、人が物を選ぶ時って無意識に誰かのことを考えちゃうみたいなんですよね。家内にこれはどうかな、とか娘はこれが好きかなーとか。リョクヨウさんはさっき私くらいの年齢層が好きそうな工芸品とか順々に見て回ってたし、息子さんもそのくらいの年なのかなーって思って...当たってます?」


少し顔を強ばらせながらもコクリと頷いたリョクヨウさんに、ホッとしながらも続ける。


「ちなみに、さっきリョクヨウさんが食い入るように見つめていたスイカは、10代からそれ以下のこどもたちに大人気のものになってます」

「ハハハ、お嬢ちゃんは末恐ろしいな!」

「恐ろしくなんかありませんよ!時期商人として有能過ぎるくらいで...」

「リア!何をしとるんじゃ!」


得意気に浮かべた笑顔が一転、真上から的確に振り下ろされた拳骨によって苦痛の表情に変わる。


脳みそがクラリと揺れた勢いのまま、頭を掴まれ無理矢理前のめりにさせられた。


「ウチの孫娘が申し訳ありません!この娘毎っ回お客さんの私情を暴こうとする癖がありまして...何とぞご容赦を!」

「ちょっとお祖母ちゃん、暴力禁止!」

「うるっさい、アンタは黙ってな!」


本当に申し訳ありません、と私の頭をカウンターに擦り付けん勢いで平謝りするお祖母ちゃんに私は何も言えない。


突然初対面の小娘に息子さん事情を暴かれる手前までいって、本当なら怒って帰ってしまってもおかしくない状況を、リョクヨウさんは豪快に笑い飛ばした。


「いやいや、こちらこそ。それにしても驚いたよ。まさか視線だけでそこまで分かっちまうなんて。あ、勿論パイナップルは頂きます」

「ありがとうございます、1つ980feです!」


押さえられていた頭を上げて満面の笑みを浮かべれば、リョクヨウさんは毒気を抜かれたような表情をしたのち、破顔した。


羽振りの良いリョクヨウさんは、パイナップルを5つほど買っていき、


「またカルディナに来る時があったらサービスしてくれよ!」


これまた満面の笑顔を浮かべたのだった。


ウチの商人団の男手を貸しましょうかというお祖母ちゃんの誘いを断り、その細身に似合わぬ豪腕でパイナップルを持ち上げると、思い出したように手招きをした。


「お嬢ちゃんのことは気に入ったからな、何かあったら遠慮なく俺の名前を出せよ!」


そう言って私の頭を撫でて、満足気な表情をしたリョクヨウさんは後ろ手を振りながら人混みに紛れてしまった。


リョクヨウさんの名前って、言うほど有名なのかな?


疑問を消化しそびれて名残惜しく見つめていると、裏のテントを張り倒さん勢いで、幼なじみで同じく商人見習いのセクティが入ってきた。


ちなみに彼もこの数年で心も身体もすっかり成長し、立派なお祖母ちゃんの手足となっている。


「ばあ様、ばあ様、大変だ!」

「どうしたんだい、そんなに慌てて」

「華国の皇子たちが港に来てるらしい!」

「なんだって!?」


私の頭を掴む手を離さないまま、お祖母ちゃんが驚きの声をあげる。


華国はここ120年ほどの歴史しかないカルディナとは違い、代々続いてきた古参大国の一つだ。


周りを海に囲まれた島国は貿易の中心でもあり、それが国費の一端を担っているそう。機会があれば一度は行ってみたいと思っている。


...というか、お祖母ちゃんが興奮しすぎて私の頭をカウンターに擦り付けている。


痛い痛い痛い、鼻の頭が溶ける!!


「リア、お前は船の積み荷の確認に行ってきとくれ!あたしゃ、セクティと皇子さんたちに媚売ってくる!」

「えええ!? なんで俺だよ!」

「はいはい、行ってらっしゃいー」


暴走機関車のごとくセクティを引きずり回しながら港の方へ行ってしまったお祖母ちゃんを、呆れ半分セクティへの同情半分で見つめる。


立っていても仕方ないので、崩れたターバンを巻き直し、自分のすべきことをしようと押し車に手を掛けた。


同じくここ数年で会計主任に昇格し、バリバリ活躍しているシュリアが、カウンターから顔を覗かせた。


「リア、どこ行くのー?」

「トムさんのとこ!店番任せたー」

「はぁーい、いってらっしゃーい!」


ほのかに安心する間の延びた声を聞きながら、おいこらそいこらと亀のようなスピードで押し車を移動させ始めた。


大通りに出てしまえばぶつける心配もないので楽に進めると思っていた。


だけど、すぐにそれが大きな間違いだと気付かされる。


「うっわぁ....!」


やっとの思いで通りに出ると、溢れんばかりの人、人、人!


どうやら華国の皇子とやらは人々から注目を集めているらしい。


しかし、これでは満足に商品の補充もできやしない。


押し車を動かせず困り果てている同業者にエールを送りながらも、私はそっと裏路地へ入った。


途端、ひんやりとした空気が肌を差し、表の騒ぎが遠くに聞こえる。


そのまま誰もいない道を突っ切った。


中民街の裏路地は、人通りが少ないことで有名だ。


治安が悪いからだとか、理由が理由なので同業者たちもあまり立ち入らないことが多い。


だから見つかりたくない時や、急ぎの用事の時などは大抵ここを利用する。


静かなのでわりと快適だ。


半分ほど道を進んだところで、誰かの泣き声が聞こえた。


もしかして、騒ぎに巻きこまれて迷子になったのかな?


「ぅ.....ひっく....」


泣き声がする方まで行ってみると、1人の男の子がすすり泣きながらうずくまっていた。


見た目は小綺麗でお貴族サマのご子息っぽいが、綺麗好きで住む街すらも分けようとする人たちが、こんな市場の裏路地なんかを使うはずがない。


警戒しつつも、その子の肩を叩く。


「あのー、大丈夫?」


瞬間、尻餅をつくように後ずさった男の子は目に見えて怯えていた。


そこで初めて気がつく。


袖の長い衣装や頭に付けている髪飾り、特徴的な黒い髪と瞳も明らかにカルディナの住人ではない。


カルディナに古くから住む人々は皆、赤毛と赤みかかった瞳が主だ。


それが、生まれてきてずっと当たり前だった認識である。


黒色、初めて見た、すごく綺麗だ。


珍しい色合いに魅いられて、思わず真顔で見つめていると、瞳に溜まった透明な滴が1つポロリと溢れ落ちた。


息が止まる。


男の子の涙が滝のようにあふれでた。


「わー!大丈夫大丈夫、泣かないでっ!」

「うぇぇ...ふぐっ...うぅぅぅ~~...」

「あんまり泣いたら、綺麗なお目々が落っこちちゃうよ!だから泣かないで、ね?」


慌てすぎて訳の分からないことを口走ってしまったけど、真ん丸な瞳から溢れ落ちる涙は止まらない。


知らない場所で知らない言葉で話しかけられたから、恐怖が爆発してしまったんだろうか?


必死に頭を回転させて、男の子が怯えないように状況を確認する術を考える。


よし、よし、こんな時こそ共用語。


商人はいつだってコミュニケーションが大事な職業なんでしょ、私ならできる。


大事な一歩は基本文!


『私の言葉、わかりますカ?』

『!!』


ポロポロと溢れていた涙が止まる。


緊張していたせいか、少々語尾がカタコトになってしまったけど、気にするほどじゃない。


目の前の男の子が少し肩の力を緩めたのを見て、まずは自己紹介をしようと口を開いた。


『私、アリアっていうの。こんなところで泣いてたから、つい話しかけたんだけど、大丈...』

「泣いてません」

『....え?』


突然聞こえたこれまた流暢な北欧語に思わず問い返せば、面白いくらいに眉間にシワを寄せた男の子が、一句一句言い聞かせるように繰り返した。


「俺は、まったく、これっぽっちも、泣いてません」

『.....』


...聞き間違いじゃなかった。


ふて腐れたように唇を尖らせている男の子の瞳から溢れた滴が、地面に水玉模様を1つ描く。


私は反応に困った。


泣いていないと強がる彼の意思を尊重すべきか、それともペラペラな北欧語について問いただすべきか。


悩みに悩んで、私は思考を放棄した。


「私、アリアっていうの。君は?」

「知らない人に名前は教えられないです」


苦し紛れに北欧語で同じ言葉を繰り返したら、めちゃくちゃド正論でかえされた。


だが、子どもながらに負けちゃいない。


正論に勝てないのなら、それなりの屁理屈で応えてあげればいい。


「私の名前教えたでしょ。そこで私と君は顔見知りになったわけだ。はい、ということで君の名前は?」

「........ハクヨウ」


切り返しが見つからなかったのか、めちゃくちゃ悔しそうな顔で名乗ってくれた。


内心優越感に浸りながらも、リョクヨウさんといい、ハクヨウといい、今日は変わった名前の人が多いんだな、とも思った。


「君、どこから来たの?」

「...誰が聞いてるか分からないから、教えられません」


しきりに周りを気にするハクヨウは、先ほどまでとは全然違う小さな声で言った。


もしかして、誘拐されることを危惧しているのだろうか?


確かに、あれだけ大勢の人が集まっていれば迷子になるのは必至だし、こんな人通りの少ない裏路地に入り込んでしまえば、それこそ誰に出会ってどこに連れていかれるかも分からない。


中民街に来るのに、こんな豪華な服着てくるから...。


「だからさっき私に話しかけられて泣いたのかぁ...」

「だから、泣いてないって言ってんだろ!」


敬語が崩れるくらい顔を真っ赤にして地団駄を踏んだハクヨウ。


見知らぬ誰かに怯えて泣いていた時よりも、年相応の少年に見えた。


『ここら辺で共用語聞きとれる人ってあんまりいないから、言いづらいならこっちでも大丈夫だけど?』

『...向こうの港から来ました。でも、戻りかたを忘れてしまって...』

『それって迷子じゃん』

『迷子じゃないです!』


あくまで忘れてしまっただけだ、と主張し続けるハクヨウがなんだか可哀想に思ったので、話を合わせてあげることにした。


ふてた時に唇を尖らせる癖のあるらしいハクヨウ。


この子をもっとからかいたいな、という欲望がにょきにょきと顔を出す。


ちなみに、向こうの港というのは他国の商人や重要人物が出入りする専用のところだ。


押し車が押せないくらい人が集まっていた道の先にあるのは漁業関係者用の港だ。


つまり、あそこにいる人たちは皆、お目当ての皇子様とやらに会うことはできない。


「私そこに用事あるから連れていってあげるよ。さ、乗りな!」


昔、ミイアに言われた一言にずっと憧れ続けていた私は、ついにその台詞を口に出すことができた。


...私は元気だよ、もう心配なんてしなくても大丈夫だから。


...ミイアが元気でいてくれますように。


幼い記憶が思い起こされて、寂しさがよみがえった。


その気持ちを振り払い、おずおずと荷台に乗り込んだハクヨウを確認してから、港に向けて再出発する。


「重くないんですか?」

「全然、軽い軽い!私すっごく力持ちなんだから!」

「今初めて、貴女を尊敬しました...」

「できれば知りたくなかったな~...」


逆に今まで何だと思われていたんだ。


そっちが気になったけど、聞いたら後悔するような気がしたので黙っておく。


その後も暇潰しにハクヨウとポツポツ話をする中で、彼の事情を知ることができた。


まずハクヨウは海の向こうから来たこと。


お兄ちゃんが2人と、妹が1人いること。


お父さんに付いてきて、初めてカルディナの地に下り立ったこと。


お父さんは仕事に行くので、自由に街を観光してもいいと言われたこと。


上のお兄ちゃんと一緒に市場を散策していたら、いつの間にかはぐれてしまったこと。


そうなった時には港で待ち合わせをしようと話をしていたけど、そこへの戻りかたが分からなくなってしまったなどなど。


「ハクヨウはすごいね!こんなに私より小さいのに、もう海を渡ってくるなんて」

「そんな、俺よりもアリアさんの方がすごいですよ。女性なのにこんなにも力持ちで、強くて優しくて、おまけに商人だなんて!」


口を開けば開くほど、先ほどまでの毒舌はどこへやら、ハクヨウは私を褒め称える言葉ばかりをいってくれる。


まるで1人弟ができたみたいだ。


恐らく半分くらいがお世辞だと分かっていても、素直に嬉しかった。


お祖母ちゃんはいつも私を怒ってばかりなんだもん。


...それが優しさだって分かっていても、辛くなる時だってあるんだから。


しばらく道なりで進むと、海の表面に反射した光が目を指した。


もうすぐ着くよ、と言えばハクヨウは心なしかホッとしたような表情になる。


やっぱり不安だったんだよね。


レンガで作られた地面が熱気で僅か揺らぐ港の日の下に出ると、ハクヨウと同じ衣装を着た少年がこちらに走ってきた。


『コク兄様!』


ハクヨウが嬉しそうな声をあげたにもかかわらず少年はハクヨウを無視して私の元へと足を進めると、その勢いのまま私の肩を突き飛ばした。


「いたっ!!」


とっさのことでバランスが保てず、体が後ろに傾いて尻餅をつく。


続いて上から降ってきたのは流暢な共用語。


『お前...ハクヨウをどうするつもりだった!?』


....え?


肩とお尻に響く痛みにイマイチ状況を理解できないまま、目の前に立つ怒りの形相を見上げる。


ハクヨウは兄の突然の暴挙に驚いたのか、目を見開いたまま動かない。


『何のことですか!私はハクヨウをここまで送り届けただけです!』

『送り届けただと!?やはりハクヨウを誘拐するつもりだったのか!』


ハクヨウを誘拐!?


ちょちょちょ、待って待って待って!!


私は首を引きちぎらんばかりに横に振った。


言葉のニュアンスの違いって怖い。


これじゃ私がハクヨウ誘拐犯だ。


誘拐はこの世で最も憎むべき所業なのに、自分が間違われるとか笑えない。


『止めてください、コク兄様!』


後ろからハクヨウの声が響いた。


助かった、と思ったのもつかの間。


『アリアさんは動こうとしなかった俺を荷台に乗せて用事がある港まで乗せてくれただけです!』


誘拐犯ではありません、とお兄様に懸命に訴えるハクヨウ。


でもね、そこだけ聞いたら立派な誘拐犯!


私は涙目でハクヨウを見つめ、ハクヨウはキラキラとした瞳で般若のような顔をした少年を見つめている。


それで私が許されると思っているのだろうか、むしろ疑い強まってない?


少年が訝しげな視線をこちらに寄越す。


私は諦めたように首を横に振る。


懸命に大きな瞳で訴えるハクヨウに根負けしたのか、不本意そうに少年が唸った。


「............弟を連れて来てくれたことには感謝する」

「いえいえ、こちらこそ」


流暢に少年の口から綴られた北欧語に若干デジャビュを感じながらも頭を下げる。


少年は自分のことをコクヨウと名乗った。


これが上民街に住むお貴族サマなら


「やれ慰謝料寄越せや、コラ!」


などと少々ゲスいことをするのだけど、他国の人に対してそれをするのは酷だと思って押し止める。


すると、前の船でちょうど荷物を出そうとしていたトムさん率いる船員さんの1人がこちらに気づいた。


「おーい、嬢ちゃん!商人団宛の荷物がわんさか届いてるぞ!」

「はーい、今行く!」


公私混同はしないように決めている手前、コクヨウとハクヨウはとりあえず置いておいて返事をすると、荷台に乗せておいたボードを手に取って船のそばまで走った。


ボードに挟んであった売上高とその詳細を細かくメモしたチェックリストを片手に話をする。


「この暑さのおかげか、水分をよく含んだ果物類がよく売れてます。なんで、特に夏場限定のものを引き続きお願いしたいんですが...、あ、届いた荷物は私が責任をもって市場まで運びますので、それはこちらに...すみません、ここにサインを...」


目の前の船員たちとやり取りをしていると、取引担当のトムさんが船の奥からひょっこりと顔を出した。


サインをしてもらおうとボードを手渡して私は甲板に向かって手を振る。


「トムさん、久しぶり!2ヶ月くらい!」

「おーう、頑張ってんなぁリアちゃん!南国の商品は質が良いし、島民もみな親切でなぁー、もうガッポガポだで!」


ワッハッハと豪快に笑うトムさんの言葉の中に、思考回路が完全にお祖母ちゃんのものだと思わされる箇所が多数あったが、触れないでおく。


「夏は始まったばっかで、こっからが正念場なんだからな!頼んだよ、取引王!」

「まかせとけィ!」


白い歯をきらめかせたトムさんに敬礼すると、船から荷物を運んでくれる船員さんたちに荷台まで果物を運んでもらえるようにお願いした。


「いや~リアちゃんはすごいなぁ。10歳なのに、もう俺らを取りしきるなんて」

「将来が楽しみだなぁ。こりゃケリーさんも顔負けの大商人になるんじゃねぇか?」


すれ違い越しに軽口とともに誉め言葉をくれる船員さんたちに誇れる自分でありたいと、私は目一杯胸を張った。


「そうだよ!私は天下に轟く大商人になって、玉の輿に乗るんだから!」


頑張れよーという船員さんたちの、やや力の抜けた応援を聞きながら、返してもらったボードにチェックを入れていく。


「アリアさんって実はすごい人だったんですね!」

「だから、ハクヨウの私に対するその酷い偏見はなに...?」


横にいたハクヨウが興味深気にボードを覗きこんでくるが北欧語の文字は読めないらしく、眉間にシワが寄っている。


笑いを堪えながら、ハクヨウの後ろに立っているコクヨウに話しかけた。


「私これから市場に戻るけど、よかったらついてくる?パイナップルジュースご馳走してあげるよ」

「本当ですか!行きますよね、コク兄様」

「う.....そうだな」


パイナップルジュースという単語に釣られてキラキラと輝いた瞳に見つめられ、コクヨウは僅かに強ばったが、何事もなかったかのように頷いた。


本当に独特な雰囲気を持つ兄弟である。


しかし、私の座右の銘は「働かざる者、食うべからず」だ。


ということで、コクヨウにはスイカを、ハクヨウには籠に入ったパイナップルを持っていただくことにした。


コクヨウなんかはしばらくの間、


「なぜ俺がこんなことを...」


などとブツブツ文句を言っていたが、手に持つスイカの何十倍もの重さを誇る押し車を引く私を見て、次第にその言葉は聞こえてこなくなった。


そんな兄の横でハクヨウは奮闘していた。


小さい籠といっても、子どもが持つにはまだまだ大きいサイズだ。


それが両手でいっぱいいっぱい、顔を真っ赤にしながら運んでいた。


少し可哀想になったので籠に入っていたパイナップルをこっそり1つ荷台に移してやる。


「おい、ハクヨウだけズルいぞ!」


すると、スイカを1つだけしか持っていないはずのコクヨウが抗議してきた。


「しょうがないでしょ、年が違うんだから」

「年じゃない、経験の問題だ!」

「こんなに重いもの、持ったことないです....」

「ありゃ。じゃあこの先苦労するね」


軽口の喧嘩をしながら最終的に果物を全部押し車に乗っけて3人で押すことになった。


裏路地は誰もいないので、大きな声をだしても怒られない。


楽しそうな笑い声がそこらに響き渡っていた。







「あらー、お帰りなさいリア。その子たちはどうしたの?」

「知り合い、になった!私のお金でパイナップルジュース2つお願い!」


シュリアは私が差し出したパイナップルを一瞥すると、ニッコリ笑ってなぜかコップを3つ取り出した。


「じゃあ、頑張ったリアさんには、お姉さんがご褒美をあげましょう~」

「本当!?やったぁ、シュリア大好き!」


思わずカウンター越しに抱きつけば、シュリアはくすぐったそうに笑った。


子ども好きなシュリアは、いつもこうして私を甘やかしてくれる。


お祖母ちゃんとシュリアの存在は、まさに飴と鞭なのだ。


シュリアは器用にパイナップルを剥いて、機械にセットする。


汗だくになったコクヨウとハクヨウも初めて見るパイナップルに興味津々。


機械に付いた鉄の塊が下ろされ、ジュワッと溢れた果汁に皆で歓声をあげた。


夏場は貴重品である氷を一欠片入れ、渡されたジュースを私は一気飲み。


口から感嘆の息が漏れたところで、未だジュースに口を付けない2人に首を傾げた。


「どしたの、何で飲まないの?もしかして苦手だった?」

「...いや、昔渡された食べ物に、毒が入っていたことがあって...」


毒という聞きなれない物騒な言葉を不審に思うも、私は首を横に振った。


「大丈夫!シュリアは一番大事な友達で、めちゃくちゃ信頼できる人なんだよ!私がドーンと保証する!」

「...いただきますっ」

「ハク!」


勢いよくジュースを煽ったハクヨウに、コクヨウが悲鳴のような声をあげる。


しかし、次の瞬間にはそれが杞憂だとわかったのだった。


ハクヨウは目を見開き、感じた味を全身で表現しようと右手をブンブン振っている。


「コク兄様、これ、これ美味しいです!甘いのに酸っぱくて、でも後を引く何かがあって.....美味しいです!」


ハクヨウは思考を放棄したようだった。


人は未知の美味さに遭遇すると言葉が見つからなくなるというが、それは万国共通のものだったらしい。


決死の覚悟でジュースを飲んだコクヨウがハクヨウとあまりの美味しさにコップを持ったまま小躍りしている。


なんやかんやで似た者同士のようだ。


私に弟やお兄ちゃんができたらこんな感じなのかなぁ。


「皆さん、新鮮な果実はいかがー?」


2人の感動の舞を眺めて爆笑していると、シュリアが切り分けたパイナップルの果実を持ってきてくれた。


それをつまみながら、どうしてパイナップルがこんなにも美味しいのかを見守るシュリア含めて4人で討論していると、それを見かけたお客さんが次々に寄ってきて、あっという間にパイナップルを始めとする店の品物が売れていった。


コクヨウとハクヨウの手も借りて列の整理をし、日が傾く頃には並べてあった商品すべてが完売した。


「皆ー、お疲れ様~」


ありがとね~、とシュリアが顔を綻ばせながら私たちの口に塩飴を放り込んでいった。


しょっぱいと甘いが合わさったまたもや未知の味に、2人は揃って顔をしかめた。


それにまた一笑いするうちに人通りも少なくなって、辺りに静寂が訪れる。


「......こんなに楽しいものだとは思いませんでした」


近くの石に腰掛けながら、ハクヨウがポツリとこぼした。


口に入った塩飴が溶けきらない曖昧な滑舌で聞き返す。


ハクヨウは遠くを見つめたまま、言った。


「いつも城の中にいて、いつか外に出てみたいって望みがらも、いざとなると怖くなったんです。自分とは別世界の人たちの中に入っても、何も共有することなんてできないんじゃないかなって...でも、そんな考えは間違いだったみたいです」


こちらに向き直ったハクヨウが微笑んだ。


「上も下も、左右も人には関係ない。楽しければ笑って、美味しいものを食べればはしゃいで、時にはふざけたり、喧嘩したり...でも、そんな当たり前がすごく嬉しいことなんだって気付かされました。貴女のおかげです。ありがとう、アリア」

「...いや、私、なんにもしてないよ...?」


戸惑ったように首を傾げれば、ハクヨウはなぜかとても優しい笑顔になった。


何か立派な偉業を成し遂げた、みたいに云言われても、私がしたことと言えば迷子になったハクヨウを助けて、2人に荷物を持たせて、パイナップルジュース飲んで討論して、商品売りまくって、それから、それから....。


悶々と考えていると、ハクヨウの白い人差し指が、私の眉間をちょんとつついた。


「貴女は、そのままでいてくださいね」

「...急に変なこと言わないでよ」


何やら甘ったるい雰囲気が居心地悪く、目を反らしてしまう。


その間も、ハクヨウが何やら大きな瞳でこちらを覗きこんでくるものだから落ち着かないどころの騒ぎじゃない。


ふと、石に置いていた右手にハクヨウの左手が重ねられる。


思わず顔をあげれば、至近距離のハクヨウの黒い瞳とぶつかった。


よくよく見れば、ハクヨウは美少年と呼ばれる類いのものなんだなーと他人事のように思う。


あれ、なんか近いような?


口元に微笑みを残したハクヨウの顔が、ゆっくりゆっくりと近づいて.....。


「おい、そこイチャイチャするな!」


不機嫌丸出しのコクヨウの一喝に、ハクヨウが舌打ちをして下がる。


私は首を傾げた。


「私の顔になんかついてた?」

「だそうだぞ、ハクヨウ」

「...前言撤回してもいいですかね」


え、なんでため息つくの、これ私が悪いの?


なぜか正座をさせられた状態で考える。


腕を組んでこちらを見下ろしているコクヨウがジロリと私を睨んだ。


「とにかく、お前ら同い年のくせに情に流されるな。そういうことは、結婚してからにしろ!」


頭のお堅いコクヨウの説教に、ふと違和感を感じた。


「え、ちょっと待って。いいい今、同い年って言った?」

「お前とハクヨウは同い年だろうが!まったく、不純異性交遊も大概にしろ!」


オナイドシ、おないどし、同い年...!?


思わず横を振り向けば、バレたかと呟いたハクヨウが舌を出した。


「お前ぇぇ、聞いてないぞ!?」

「別に年下とか言った覚えないんで」

「バカ野郎!そういうのは一番大事なことだろうが!どーしてくれんの、私完全に弟がいたらこんな感じかな...なんてハートフルな想像しちゃったのに!」

「俺、貴女の弟は嫌です」

「悪かったな、頼りない姉で...!」

「そういうことじゃないんですけど...」


また呆れたようにため息をつくハクヨウ。


このクソガキ、と振り下ろしそうになった拳を必死に抑える。


今までコイツは年下だから、の一言で抑え込んできた感情がすでに限界だ。


ざまをみろ、と言いたげな表情をしたコクヨウが思い出したように、


「お前先ほどハクヨウに馬鹿と言ったな、万死に値する。そこになおれ」


と言って面倒なところで弟愛を発揮し、いきなり戦闘態勢。


「馬鹿で万死とか基準がおかしいんだよ、甘ちゃんが」


私もそれに応え、最初で最後の兄妹(仮)喧嘩が勃発しそうになった時だった。


『こんなところにおられたんですか。探したんですよ、コクヨウ様、ハクヨウ様』


ふと私たちの間に影が差したので見上げると、とてつもない美形がこちらを覗きこんでいた。


夜を透かしたような黒の長髪をなびかせる彼は、一見女のように見えるのに、その立派な体格がそれを感じさせない。


私は思わず動きを止めると、喧嘩など何もなかったかのようにコクヨウかキリッとした顔になった。


『セイレイ、すまん。心配かけた』

『ごめんなさい』


2人は慌てて立ち上がると、セイレイと呼ばれた彼の元へ行き、子どもらしさの面影なんてない真面目な顔をする。


それがなんとなく面白くなくて、私はそばにあった小石を蹴ってみる。


もともと住む世界が違う人たちだってことは分かっていたけど、それを目の前で見ていたら、1人取り残されたみたいで寂しかった。


...もうそろそろ、お祖母ちゃんも帰ってくるかな、そしたら夕食の準備しないとな。


夢のような時間から、現実に戻る準備をしないといけない。


そんな当たり前を考えていると、コクヨウとハクヨウが、じっとこちらを見つめてきた。


その瞳にからかうような光が混じる。


「天下に轟く大商人になって、玉の輿に乗るんでしょ?」

「はっ、えっ、なんでそれ知って...!?」


その口から発せられたのは、話していないはずの私の野望。


見返してやったと言わんばかりのどや顔に、私は理解が追い付かない。


よくよく考えれば、あの時めちゃくちゃそばにいたので、聞こえていたのは当たり前といえば当たり前なのだけども。


...待って、玉の輿に乗るとか今さらだけど同年代の男の子に聞かれちゃったの恥ずかしい。


というかそんなガキ臭い夢叶うわけないだろ、ましてやこんな女ならなおさら、とかくらい思われてたりする?


ぐるぐると巡り廻る思考の中で、堪えきれないと言いたげなハクヨウが吹き出した。


横のコクヨウも笑うまいとして顔を反らした気がするのは絶対見間違いじゃない。


『貴女はいつ見ても面白いですね』

『商人になろうと思うのなら、ウチの国に来るといい。推薦状も書いてやろう。俺たちはお前を歓迎する』

『お二人方、何を!?』


信じられないというように2人を凝視するセイレイさん。


しかし、私は混乱の境地にいるので2人の言葉が理解できない。


「そういえば、正式には名乗ってなかったですね、俺たちの肩書き」

「今のコイツには何を言っても無駄だろう。今の話も理解できないという顔をしているからな」


ハクヨウの気づきにコクヨウが呆れたように呟く、しかし2人とも口の笑みは消えていない。


思わずゾッとするような美しさに、自分がとんでもない人たちの前に立っているのではないかという気がしてくる。


どうしよう、平伏とかしたほうがいい?


考えていると、口を挟みかねていたセイレイさんが港の方を一瞥する。


『コクヨウ様、ハクヨウ様、お時間です。会談はリョッカ様が済ませておいでですから、船に戻りましょう』

「....そうか」


会談という言葉を疑問に思ったものの、知らないフリをして話題を探す。


「船が出るんなら見送りに行くよ。友だちが1人もいないのは寂しいでしょ?」

「ふざけるな。友だちくらいいる」


せっかくできた友だち(私)に見送られないのは寂しいでしょ、くらいのニュアンスでいったことがめちゃくちゃ曲解された。


言葉って難しいね。


「ほら、見送るつもりなら早くしてくださいよ」


ハクヨウが急かすように言う。


見送られる立場である2人が偉そうにしていては元も子もないが、実際たぶん偉い人なので文句は言えない。


だけど、いきなり媚を売るのもまた、どうかと思ったので、とりあえずいつも通りに憎まれ口を叩いておく。


「上から目線で言わないでよね!」

「こんの、バカリア!」


瞬間、いつの間にか後ろに立っていたお祖母ちゃんの拳骨が頭に落ちた。


突然の衝撃に悲鳴をあげることすら叶わずに踞っていると、片手で頭を掴まれて無理やり平伏させられる。


「ウチの孫娘が大変失礼いたしました!」


教育が至らないばかりにウンタラカンタラお祖母ちゃんが横で言ってるけど、私の意識は天の上。


唇を噛んで笑いを堪えているハクヨウと顔を真っ青にして慌てているコクヨウを真上から見下ろしたところで目が覚めた。


「船の時間とか大丈夫なの?」

「いや、そろそろ本気で不味い。来い」


そう言って当たり前のように裏路地に入っていくお坊ちゃん2人に、私は感心してしまった。


お祖母ちゃんはすっかり縮こまってしまい、セイレイさんも複雑そうな顔をしながらも後ろをついてくる。


「手、繋いでもいいですか?」

「...俺も」

「え、しょうがないな...」


早足ながらも、最後だからねとなぜか私を真ん中にして仲良く手を繋いだ


そのまま、ぐねぐね道をずんずん進む。


分かれ道に立っても迷わずに先を進む様子を見る限り、2人ともすっかり裏道を覚えてしまったようだ。


オレンジ色の光が漏れる他国専用港に出た瞬間、フリフリのドレスを着た女の子がハクヨウの腕に飛び込んできた。


「ハクヨウ様、お待ちしてましたわ!」


ウェーブのかかったセミロングの赤毛と、クリクリの赤い瞳が愛らしい女の子だ。


さっきからミントグリーンのワンピースの裾が広がって私の足に当たっているのだけど、女の子本人は気にも止めない。


「........」


さっきからハクヨウが無言だ。


何となく心配になってハクヨウをチラリと見ると、顔は無表情のままだけど明らかに握られた左手が強ばっている。


目線で全力ヘルプミーしてくるが、2人とも両手を離してくれないのでどうしようもない。


すると、私にようやく気づいた女の子がこちらを睨んだ。


「誰ですの?この男みたいな女。もしかしてハクヨウ様の召し使いですか?」

「待ってください、その前に貴女は誰ですか?それから、アリアさんは召し使いなどでは...」

「そうですわよね!召し使いですわよね、やっぱり。私はカルディナ領主の娘のアニエスと申しますぅ!今日は貿易関係の会談でしたの、お姿が見えなくて、アニエス寂しかったですわぁ~!」


言葉は通じているはずなのに何故だろう、まったく話が通じない。


予測不能な会話のジェットコースターに、さすがのハクヨウもついていけてない。


痛いくらいに握りしめられた手を見て可哀想になったので、助太刀しようと口を開きかけた。


瞬間、


「おやおやアニエス、駄目でしょう。ハクヨウ様が困っていますよ」


後ろから聞こえた声に、全身が強ばった。


「お父様」


アニエスがそう呼んだのは張り付いた笑みを浮かべたオールバックの紳士だった。


お父様、と彼をアニエスはそう呼んだ。


つまりコイツは、カルディナ領主。


...肺を侵食するような甘い香りが、脳内を巡った。


「離してあげなさい?」

「はぁーい...」


しぶしぶといったようにハクヨウに絡ませた腕を外すアニエス。


...なんで、気づかないの?


コイツの笑顔はまったく笑顔じゃないってこと。


一瞬だけ見えた真顔が、その奥に潜む深い闇を垣間見せたような気がした。


「...おや、君は?」


ビクリと不自然なくらいに体が揺れた。


君、という単語は明らかに私のことを指している。


「あ....」


瞬間、ハクヨウの手にギュッと力がこめられた。


まるで、大丈夫だからと言うように。


私は息を呑んだ。


「ずいぶんと2人に気に入られているようだね。私は今でも目が合うと警戒されてしまうのだけど...」

「お久しぶりです、カルディナ領主殿」


コクヨウが私を隠すように前に進み出た。


私が怖がっているとわかったのだろうか。


握られた手と地面を目線が行き来する。


領主の品定めをするような視線を感じて、さらに体が強張るのが分かった。


その視線が、ピタリと私の頭部で止まる。


そこには、髪の色を隠すように巻かれたターバンがある。


冷や汗がこめかみを伝った。


「君はもしかして....」

「リア!!」


お祖母ちゃんの一喝に、空気がフッと和らいだのが分かった。


その隙をついて素早く駆け寄ってきたお祖母ちゃんが、ハクヨウが離した私の左手を取り、引き寄せる。


「申し訳ありません、この娘体調が優れないみたいでして、お暇させて頂きますわ、領主様」

「おやそうなのかい。こちらこそすまないね、気づいてあげられなくて。お大事に」


お祖母ちゃんの影に隠れてようやく息をついた私に、領主がふいに問いかけた。


「君は、オルフランという名前を知っているかい?」


お祖母ちゃんの肩がビクリと揺れた。


...オルフラン、夢に出てきた私と同じ名前の女の子の家。


目を見開き虚空を見つめるお祖母ちゃんが、か細い声を発した。


「......知りません」

「ケリーさん、貴女には聞いてませんよ」

「......この娘は関係ありません」

「関係ありますよ。だってその娘は...」

「黙れ!!」


お祖母ちゃんが悲鳴のような声をあげた。


普段怒る時とは違う、誰かを威嚇するような鋭い声に、唖然とする。


お祖母ちゃんは勢いのまま、領主を射殺さんばかりの視線で睨み付けた。


「...失礼いたします」


お祖母ちゃんは手を掴んだまま、私の体を引きずるように裏路地へと入った。


あり得ないくらいに力を込められた腕が外れなくて痛い。


ねぇ、私まだハクヨウとコクヨウにちゃんとお別れしてないんだよ。


さっき領主は何を言おうとしてたの、オルフランってなんなの?


言いたいこと、聞きたいことはたくさんあるのに、口がうまく動かない。


無言のまま歩を進めるお祖母ちゃんに、不安がさらに煽られる。


「お祖母ちゃん、お祖母ちゃん、お祖母ちゃんってば!」


何度も何度も名前を呼んだ。


でも応えてくれない。


...目の前にいるのは、本当にお祖母ちゃんなの?


「...........リア」


立ち止まったお祖母ちゃんが私の名前を呼ぶ。


手の力が少しだけ緩められた。


「リア」


確かめるようにお祖母ちゃんは私の名前を繰り返す。


私はここにいるよ、言いたいのにうまく言葉が出てこない。


「.....アイツにだけは、騙されちゃダメ」

「アイツって...」

「あの領主にだけは、絶対に利用されたらダメ...!!」

「お、お祖母ちゃ....」


虚空に向かって何かを呟き続けるお祖母ちゃんが振り向き様に私を抱きしめた。


先ほどまでの痛みはなく、ただただ優しい家族の抱擁に戸惑ってしまう。


「....大丈夫だ、ケリー、お前ならできる、デリアみたいに奪わせない...リアは、リアだけは絶対に、守り通してみせる....デリア、デリア.....」


お祖母ちゃんは追い詰められたように、ひたすら私のお母さんの名前を呼んだ。


ねえ、私はリアだよ、デリアじゃないよ。


私はここにいるよ。


どこにもいったりしないよ。


だから、だから......


「お祖母ちゃん、戻ってきて!!」


私が叫んだ瞬間、お祖母ちゃんの瞳孔がスッと絞られ、腕の中で泣きそうになっている私を呆然とした表情で見下ろした。


「あたしゃ、何してたんだろう。リア、早く市場まで戻るよ。皆心配してる」

「....うん」


何もなかったようにつながれた手の温もりが、今は不安でしかなかった。


夕日の光が完全に途絶える。


後ろに伸びた影法師が闇に溶け込んだ。


前を歩くお祖母ちゃんの表情は見えない。


だけど、私の中の予想が確信に変わる。


領主、オルフラン、そしてお母さん。


いずれは知らねばならない真実は、もうすぐそこまで迫っている。


...今の幸せが近いうちに壊れてしまうことを、私だけが知っていた。




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