第五夜:ゾロアスターの邪龍
メタロンとウリエルの軍勢がラピスに留まった事をバール王は斥候から聞き己が考えに確信を抱いた。
「もはや疑う余地はないな。飛天殿はラファエルの城に幽閉されている」
飲んでいたコーヒーを飲み干すとバール王は斥候に伝える。
「ただちに夜叉王丸様の軍を連れて来い」
「しかし、謹慎させているのでは?」
「構わん。主人が幽閉されているのに指を銜えて見ているほどあの軍は静かではない」
今の風は台風だとバール王は言い斥候を急ぎ魔界へと走らせた。
「飛天様の軍を台風に準えるとは貴方も粋なものね」
斥候と入れ替わるようにして妻のアスタロス公爵が入って来て自身が言った言葉を言いながら笑う。
「強ち間違いではないだろ?今の風の翼は静かなる台風だ」
言えてるわね、とアスタロス公爵は頷く。
「しかし、ウリエルとメタロンが援軍として来るとは厄介なものね」
どちらも天界では名うての軍人であり幾度となく魔界を窮地に陥れてきた人物である。
「臆したか?」
「冗談でしょ?あんな偽善の塊な奴等に負けるほど弱くないわ」
何より負けられないとアスタロスは言った。
神であった自分たちを自身達が崇める絶対神を民衆に崇めさせて自分たちを悪魔へと陥れた奴等になど負けられない。
「貴方はどうなの?」
「愚問だな。この命、枯れ果てようとも飛天殿を魔界へと無事に帰還させる」
その邪魔をするなら幾らでも戦うとバール王は答える。
夫の言葉に満足したアスタロス公爵は左手に捲いた蝮を撫でながら部屋を出て行きバール王は一人に戻った。
「必ず飛天殿を魔界へと戻してみせる」
誰に言うまでも無く呟くバール王。
皇帝の養子である夜叉王丸には失礼と思うが、彼は夜叉王丸を息子のように思っていた。
酒の席では無礼講で飲み交わし戦の時は互いに意見を言い合いながら共に苦楽を共にしてきた。
彼とアスタロス公爵の間には子供は居ないから夜叉王丸を事の他に子供のように思っている。
彼の他にも子供が居なかったり独身の軍人たちは大人でありながら目が離せない子供のような夜叉王丸を慕っていたから今回の戦は何としてでも勝たなくてはならないと決意を堅くする。
夜叉王丸の軍団である風の翼は直ぐにバール王達の元に駆けつけてきた。
普通なら2、3日は掛るのに小一時間しか経っていないのに辿り着いた迅速さに感嘆としながら暴走しないように見なくてはならないと思う。
「旦那の居場所を掴んだってのは本当か?」
ドアを乱暴に開けて入ってきたのは夜叉王丸の従者、ゼオン・エルヴィン・ハンニバル。
それから続くように参謀のヨルムンガルド、突撃部隊のフェンリル、砲撃部隊の茨木童子、密風部隊の鵺が入って来て最後に5人の中で一番、大柄な男アジ・ダハーカが来た。
他の5人に比べて落ち着いていた様子をバール王は見抜き彼がストッパー役だと感じた。
「男が揃って騒ぐな。剣王が困っているぞ」
ダハーカは5人を後ろに下がらせるとバール王を見下ろす形で立った。
「今回は相棒の為にすまねぇな」
「いいや。あの方を助ける為なら苦にならんよ」
バール王は普段の彼からは信じられないような口調と態度に感心しながら喋り出した。
「飛天殿は、ラファエルの居城に居る」
ラファエルと聞いてダハーカの縦眼が細められたのをバール王は見逃さなかった。
「あの女の城か。出来るなら一刻も早く助け出してやりたいが、そうはいかない状況か?」
「ウリエル、メタロンの軍団が援軍として来た」
「なるほど。あの2人が指揮する軍団となれば、そう簡単には手が出せませんね」
ヨルムンガルドは落ち着いた口調で頷いた。
流石は参謀というだけあって冷静になるのが早いとバール王は思う。
「大天使クラスが3人か。確かに簡単には落とせないな」
左腕が鋼鉄の義手である茨木童子は鋭く尖った牙を剥き出しにしながら唸った。
「だからと言って、このままという訳にもいかないだろ」
「うむ。何としても飛天殿は取り返すが、人質に取られているとなると後手に回ってしまう」
唸るバール王の言葉の後に音も無く姿を現す男がいた。
全身を黒染めの衣服に身を包み顔半分を黒い布で隠した男は夜叉王丸の従者で影の者である鵺。
「どうだった?飛天は見つかったのか」
ダハーカが訊くと鵺は暫く沈黙していたが、重い口調で喋り出した。
「・・・殿は記憶を失っていた」
『!!』
この言葉には皆が言葉を失わずにはいられなかった。
「我が姿を現しても、懐かしい感覚しか分からないと言った」
「で、どうしたんだ?」
「本名などを教えた」
「あいつの反応は」
「自分が悪魔である事は理解していた。そして、出来るなら魔界に帰りたい事も言われた」
『・・・・・・・・』
「全てを話すと殿は、早く見つからない内に消えろと言われた」
そして自分は消えたと言う鵺。
鵺は何処か信じられないような出来事に遭ったような言い方だった。
命を賭けてでも助けようとした主人が記憶を失い自分も忘れている事に少なからずショックを受けている様子であった。
「・・・記憶が無いか。こりゃ助けるだけじゃなくなるな」
どうしたものかとダハーカは天井を見上げた。
他の者たちも夜叉王丸が記憶喪失な事にどうすれば良いのか分からない様子で往生する。
夜叉王丸を助けても記憶がない以上はどうしようもない。
いや、寧ろ過去を忘れた方があいつの為なのかもしれないとダハーカは思い始めた。
口で言うのも憚れる過去を夜叉王丸は持っている。
それを忘れているなら苦しまずに済む。
幸い鵺は夜叉王丸の過去を知らないから彼の過去を話していない筈だ。
夜叉王丸が記憶喪失なのを良い方向へと持って行こうと考えていたダハーカだが、ふと昔の事を思い出した。
『過去は、どんな辛い過去でも忘れてはいけない事です。忘れるという事は、その人の半分を消す事だから』
どんな時に言われたかは昔の事だから忘れたが、言葉だけは覚えていた。
それは然る女が彼にとっては忘れられない女性である事と、妙に言葉に力があったからだ。
「・・・・嗚呼、そうだったな」
彼はそうであった言う。
過去は忘れてはいけないのだ。
どのような過去であれ、その過去は人の一部なのだ。
その一部を消すという事はその人の一部を消すという事。
ダハーカは遠い昔に、然る女に言われた言葉を思い出し呟いた。
「何が、そうだったんだよ」
横にいたフェンリルが訊くとダハーカは懐から黒い紙巻き煙草のジョーカーを取り出して銜えた。
「いや。遠い昔、ある女に言われた事を思い出しただけだ」
自嘲気味に笑うダハーカは指先から出した火でジョーカーに火を点けてからバール王に言った。
「天使共といつ会うんだ?」
「主らが来るまでの事を考えて3日後の予定だが?」
「2日後にしてくれ」
「1日くらい早めてどうする」
「1日あればあいつの記憶を戻せる」
バール王は何か手があるのかと視線で訊いた。
「少し荒治療だが、あいつなら大丈夫だ」
「偉い自信を見せるが、もしも失敗したらどうする」
「そん時は記憶を少しずつ戻すまでだ。あいつだって望む筈だ」
「・・・・・・・」
バール王は暫く考えた。
この大柄な男は夜叉王丸の背中を護る相手であり絶対的な守護者だ。
例え幾人の死人が出ようが、それを実行するだけの力と意志がある。
それが同胞の命だろうが彼は躊躇わない筈。
もしも自分が断れば彼はどんな手を使おうと動くはず。
まだ死にたくも無いし彼の気持ちも理解できるバール王は頷いてみせた。
「分かった。2日後にしよう」
「それは有り難い」
「ただし何としても飛天殿の記憶を取り戻してくれ」
ダハーカは力強く頷くと短くなったジョーカーを素手で握り潰した。
バール王は直ぐに部下を呼び天使との話し合いを1日早めるように伝えるように命令した。
それを確認してからダハーカ達は部屋を出て行きバール王は一人になった。
「・・・ゾロアスターの悪龍の力を見せてもらおうか」
誰に言うでもなく呟くバール王の言葉は独り言として部屋に聞こえたが、直ぐに消えてしまった。




