07
六月になった。
今年も雨が降る季節がやってきたわけだ。
三月と長谷川くんは休み時間も一緒にいるようになり、もう駄目だなんて弱気でいた彼はもうそこにはいなくて。
見に行ってみると赤嶺さんの周りにはあの子と茂木先輩がいた。
ひとりは嫌だけど悲しくはない。
これで普通の高校生活ってのを送ることができるはずだ。
「中野さんは黒板を消しておいてくれる?」
「うん」
黒板消しで先生が繰り広げたものを消して席に戻る。
「中野さん、これ、職員室に持っていってくれない?」
「あ、そうだったね、分かった」
若干任せられすぎている気もするけど大人しく運んで教室に帰還。
そんなことが放課後まで続き、
「日直の掃除もやっておいてね」
「分かった」
結局今日の仕事は全部自分がやることになってしまった。
「とりあえず掃いて、それから拭いて、綺麗に席を整えて――っと、なんだろ」
三月の席を移動した瞬間に落ちてきた一枚の薄い紙。
「えと……長谷川榛樹と別れろ、か……えっ、私の名前が書いてある」
これじゃあまるで私が願っているみたいじゃないか。
そんなことは有りえない、もし仮にそんな良くない感情があったとしてもその時は直接言うつもりだ。
「瑠依、私の席のところでなにやってんの? ん? なにその紙、貸して」
「あ!」
「あんたこれ……」
彼女は紙を握りしめて私の胸に突きつけてきた。
「やっぱり引っかかっていたのね」
「違うよ、もしそういうこと思っていたとしても直接――」
「はぁ、あんたって昔からそういうところあったわよね。こうやってこそこそ動いて榛樹に気に入られようとして」
違う、けどなにを言ったところで届かないなって思った私は言い訳することなく彼女を見ていた。
無言は肯定の証って言うし、三月の中では私がまだ長谷川くんに未練があるような人物になったことだろう。
なんで分からないんだろう、両思いの人たちの間に入れる隙間なんてないのに、その人が他の人を好きっていうことなら私はそもそも諦めるのに。
「まあいいわ、榛樹にやらないなら見なかったことにしてあげる。帰るわよ」
掃除も終わっていたので素直に付いていくことにした。
先を歩く彼女とその背中を見つめながら帰る自分。
長年一緒にいてもこんなことするわけないって言ってもらえるようなそんな存在ではないことが分かった。
じゃあ友達ってなんだろう。
面倒くさいことを押し付け合う関係が友達って言うのかな。
「おーい!」
「榛樹、今日部活は?」
「まだあるんだけど休憩時間中にふたりを見つけてな。そうだ中野、これってお前が書いて入れたのか?」
「あんたこれっ、榛樹にもやってたのっ?」
やばい、なにがやばいってもう言い訳することも面倒くさくなってしまったことだ。
あの子にあんなことをお願いして彼女ももう言わないって言ったのに結局これ。
顔も知らない誰かの手によって引き起こされたこと、真面目に反応したら思う壺ってものだろう。
「貸して、三月も」
ふたりから受け取ったものを目の前で破く。
「こんなことする人間だって思われてたんだね。まあいいけど、それじゃあね」
そうだよな、少しでも疑うってことは信用しきれていないってことなんだ。
なのにこちらは信じて生きろって? そんなことできるわけがない。
こちらが信じたってどうせ裏切られるのなら必要のないことだ。
なんか本格的に学校に行きたくなくなってきた。
「待ちなさいよっ」
「そもそもなんでだっけ」
「え?」
「なんでもない。早く帰りなよ、風邪引いちゃうし」
学費を払ってもらっていたから頑張って行ってたけど……。
一年生の六月でいきなり不登校とか、こんなに弱かったんだ自分は。
「あ……本当に休むのかい?」
「うん、ごめんね」
「そうか……分かった」
普通の高校生活ってどんなのだろうか。
友達と楽しくワイワイ毎日を過ごすそんな感じ?
……残念ながらそんな普通は私にはできなさそうだ。
「ユキ、瑠依のこと頼んだよ」
「な~」
「ははは、うん、よろしく。それじゃあ僕は仕事に行ってくるから」
「行ってらっしゃい」
とてとてとこちらにやって来てくれた彼を抱いてソファに寝転ぶ。
「長く一緒にいた子からも信用されてないなんてね」
いいや、寝よう。
別に長期間休むわけじゃない。
たった一日だ、この一日だけ休んでしまえば二日正式な理由で休んで学校に行ける。
色々ありすぎた、失恋ダメージ、疑われ、人に嫌われ、こちらもいつの間にか信じられなくなってしまったんだ。
言い訳することも面倒くさくなって平日なのに家にいる。
「瑠依ちゃん、開けて」
大きな声ってわけじゃなかったのにすぐに気づいて扉を開けた。
「あれ、まだ制服に着替えてないの?」
「今日は休むよ。なんか疲れちゃってさ、雨も面倒くさいし」
人間関係も含めてだけど。
ところで、大嫌いってぶつけた人間といる気持ちってどんなだろう。
幸い人のことを嫌いになったことがないから分からない。
「おじさんから聞いたんだけど、不登校になったりしないよね?」
「しないよ。最初はそんなことも考えていたけどお父さんに申し訳ないもん。それより早く行きなよ、急いだら転んだりして危ないよ?」
「……瑠依ちゃんも行こ?」
「え、今日は休む……だっていいことないもん」
「いいから行こうよっ、休んだら行けなくなっちゃうよ!」
「いいじゃん、赤嶺さんの周りには人がいてくれてるんだから」
「私がいるからっ」
ちょっと違うけどこの子とずっと一緒にいるって言ったのはなにもでまかせじゃない。
ちゃんと思った、けどすぐ破ることになった――というか、できなくなった?
「行こ?」
「でも準備が……」
「待っててあげるから」
昔とは真逆だ、ぐずる彼女をこうして連れて行くのが私だったのに。
部屋に戻って制服に着替える。けれどそれを終えたタイミングでやる気をなくしてそのままベッドに寝転んだ。
「こら瑠依ちゃんっ」
「あ、来ちゃったの……だって嫌なんだもん」
「早くっ」
「あーい……」
まだギリギリというわけではないため教室に着いたら最後ということはなかった。
「大丈夫?」
「うん」
「休み時間とかは来るから、頑張ってね」
「うん」
けれど席に座った途端に心細さに襲われた。
「ねえ」
反応して横を見たらいつも通りの三月が。
「昨日はごめん。で、蓮花と仲直りできたのね」
「休もうとしたら赤嶺さんが来たんだ」
「休む? 体調でも悪いの?」
「あー……ま、細かいことはいいじゃん?」
ああいうことをする人間だと思われたことが引き金になった。
失恋ダメージ(笑)と笑ってしまうくらいちっぽけなことに思えた。
言い訳も、訂正も全部面倒くさい。
どうせなにかを言ったところで届かないって思った時点でもう詰み。
「気にしてないのに気にしてるフリとかいいから」
私のことをなんにも知らないんだから無理もないけど。
赤嶺さんもなんで私なんかにこだわるんだろう。
「東雲さんはさ、長谷川くんと仲良くしてればいいんだよ」
「なにそれ、なんで名字呼びなの?」
「なんでって、仲良くもないのに名前で呼んだら失礼でしょ」
「なんで勝手に仲良くないって判断したの?」
「だってあんなことするって思われてたんだよ? 小学生からずっといてそれって仲が悪いとしか言いようがないでしょ」
「あんたが勝手に線を引いてるだけでしょうが!」
ガシャンと音を立て机が倒された。
雨面倒くさいねとか言っていたみんなもさすがにこちらに注目することになった。
「茂木先輩も言っていたけどね、あんたのそういうところが嫌いなのよ!」
その嫌いな相手にムキになってる時点で負けだと思うけど。
「ま、まあまあ東雲さん、落ち着こう?」
「うるさい! いまはこの分からず屋と話してるのっ、邪魔しないで!」
「い、いやいや、みんなに迷惑かかってるからさ……せめて廊下へ行こうよ」
はぁ、別に私が叫んだわけでもないのになんで廊下になんて。
こういう人がいてくれて助かるけど、いまの彼女は誰にも止められない。
それこそ大人の強制力や、恋人の制止の声があれば違うかもだけど。
「あんたさっ、なんでいつもそうなのよ! 中学の時だって変な遠慮して距離置こうとして!」
「違うよ、ふたりが仲良しだったからだよ」
長谷川くん単体が話しかけてくれたのではなく、既に三月と友達だった長谷川くんが話しかけてくれただけだったんだ。
なのに馬鹿みたいに自惚れて、馬鹿みたいに格好いいって思って、馬鹿みたいに緊張して距離を作ってその可能性を自分から潰した。
いや違う、そもそも可能性なんてなかったんだ。
彼女は一年生の頃から好きだと言ってた、別に想った年数=成功率というわけではないが……。
「私、あんたが好きだったのに……いまは本当に嫌いになりそうよ」
こちらのことが本当に好きな人間が黙ったままでいる?
私はなにも内緒にしていたわけじゃない。
小学生時代、中学生時代だって完全に一緒にいなかったわけじゃないし相談だって乗ってもらった、告白したあの日の前日だって同じように彼女に。
でも蓋を開けてみればあんな結果で――嫌にならないわけないでしょうが、普通に対応できるわけがないでしょうが。
「大声出してどうした三月」
「……ねえ瑠依、榛樹と付き合えればその弱々な心、変えられる?」
「な、なに言ってんだよお前」
「私は瑠依に聞いてんの」
同情? そんな断られることが決まっているようなことをなんで聞くの。
「俺はお前が好きなんだ。大体、そんなことできるか」
何度振られればいいんだよ……。
「榛樹、私はあんたも大切だけど、瑠依のことも大切なの。もしここで瑠依がそうするって言ったら受け入れて」
「できないって言ってんだろ? どれだけ最低なことを言っているのか自覚あるのか? お前、大切な人に傷ついてほしいのかよ? 悪い中野、ここではっきり言ってやってくれないか」
あーこれがあの時あの子に押し付けてしまったことなんだ。
自分たちではどうも言えないから本人にNOと言ってほしいんだ。
これじゃあ結局どちらを選んでも選択した人間は苦しさを抱えるだけ。
私はこれを無自覚にあの子に……。
「ちょっと赤嶺さんに謝ってくる!」
彼女の教室に入り確認するとHRまでまだ十分はあった。
「る、瑠依ちゃん!?」と驚く彼女の手を掴んで廊下へと連れ出す。
邪魔が入ったら嫌だからあまり利用しない側の階段の踊り場で。
「ごめん赤嶺さんっ、あの時赤嶺さんに任せるなんて言っちゃって」
「へ?」
「今更言うけどさ、私は普通にあなたといたかったよ。家に泊まるのだって継続してほしかった。だって家でひとりじゃ寂しいし、なによりユキ君だってあなたのことを気に入ってるし。でもその時にも言ったけどさ、好きな人が他の人といてそれを見ることだけしかできないって苦しいんだよね。だからあの子のためにって考えて動いたんだけど、肝心な選択をあなたに押し付けちゃったから」
もう焚き付けてしまったわけだし一緒にいてなんてことは言わないけどきちんと謝罪をし、自分の想っていたことをぶつけられただけで満足で。
「あの子や茂木先輩と仲良くね。ごめん、こんな場所に連れてきて」
あの子はどうやらこの子とは別のクラスだ。
けれどもし同じクラスで連れ出そうとしたところを目撃してれば恐らく止めたことだろう。
もう入る隙間なんでないんだ、横入りして取ろうとなんてこともしない。
こっちはズタボロだけど、このことに気づけて別に怖くはないって思えた。
味方はいないけどいちいち休んでやることのほどではないって。
「名前!」
「ん?」
中野瑠依と赤嶺蓮花。
親戚でもなければ関わることだってなかったかもしれない。
「名前で呼んでよ!」
「ははは、変わったね、赤嶺さんは。昔だったら人の後ろに隠れて主張できないくらいだったのに」
「私には瑠依ちゃんが必要なの!」
いまの私には凄く嬉しい言葉だった。
けれど茂木先輩の気持ちを無理やり引き出しておいて今更できない。
正直名前も知らないあの子のことよりも引っかかってしまっているのだ。
「それは思い込みだよ、だって実際テストの時から全然いなかったでしょ?」
「もしかしてふたりのことが引っかかってるの?」
「うん、そうだよ」
そもそもあれがあったからこそここまでズタボロになってるんだ。
赤嶺さんと喧嘩していなければいまも普通に仲良くしていられたかもしれない。
「じゃあ私があのふたりを説得するっ」
「駄目だよそんなの」
「ううん、だって本当に瑠依ちゃんが必要なんだもん」
「駄目だって」
「そっちが駄目! 瑠依ちゃんとの関係を保てないくらいならあのふたりと縁を切ったっていいもん!」
「駄目だってっ、なんでそんなこと言うの! なんで恵まれた状況なのに自分から悪い方に足を向けるの!?」
というかもうHRなんだよ。
せっかく学校に来たのにあの子には絡まれるしこの子は諦めが悪いしで本当に来なければ良かったとすら思ってるけど。
けどせっかく来たのに遅刻って馬鹿らしすぎる。
「HR――」
「そんなのどうでもいい! 瑠依ちゃんがうんって言ってくれるまでここから移動しない、させない!!」
もういいって、もう大嫌いって見限ってくれたじゃないか。
なのにそれを今更、なんだこのこだわりようは。
「話は聞かせてもらいました」
ほら、こうやって寄せ付けちゃうんだよ。
それで私が言ったわけでもないのに非難されて終わるんだ。
「蓮花さんは中野さんのことが好きなんですね」
「うん好き! 瑠依と一緒にいられないくらいなら死んだ方がマシなくらい」
「瑠依」
「も、茂木先輩も……HRが――」
無情にもチャイムが鳴って始まってしまった。
「ふふ、少しサボりましょうか」
「いいですね、たまには悪くないと思います」
「い、いや、良くないでしょっ」
「そうだよふたりともっ、続きはお昼休みとかにしてさ!」
「うーん、けどふたりの言う通りかしら、それなら昼休みに」
「分かりました」
教室に戻ったら先生に怒られたけどなんとか許してもらえた。
でも私はいますぐにでも学校から逃げ出したい気分だった。