8-1
俺たちにとって特別だったはずのこの場所が黒い炎に包まれていくのを、絶望にも似た気持ちで眺めていた。
全てを飲み込むようにその色で塗りつぶし、灰へと変えようとするその暴力的で残忍な光景に、あの日の町の幻を見た気がした。
聞こえないはずの声が咽び泣き、何もできない俺を呪ってやる、恨んでやる、憎いと、焦げ付く匂いを纏いながら訴えてくる。
視界の端で舞う白銀の髪。
テヤンが何か叫ぶ声。
それを頭が理解したかしないかの直後、そんな単純な感覚さえ思考すること許さない衝撃を伴った熱と痛みが全身を貫く。
腹を横一文字に抉っていく深い刃。
それを手にした俺の片割れが怒りと憎しみでぐちゃぐちゃになった醜い顔を晒し、俺に向かって不敵に口元を歪めた。
「結局お前は何も守れやしない。」
嘲るような声。
憎たらしいくらいに似ているそれはまるで自ら自嘲したかのようで、酷く不快で、それでいてなんだかとても虚しい。
思わず浮かんだ苦笑。
それを目に止めた金の瞳が、悔しげに細まるのが確認できたのはほんの一瞬。
すぐに後方から襲ってくる背中を叩きつけられた衝撃、頭部から視界を染め上げるのは鉄錆臭い俺の忌み嫌う色。
あー、最悪…
そんなつまらない言葉を胸に呟きながら、俺の視界は赤から黒へと変わり、そこで意識が途絶えた。
***
記憶の中にあるその場所はいつも燃えるような赤に染まっていた。
今もそうだ。
南の森で見たものより赤みの強い赤褐色の幹。
その先を彩るのは緑の葉ではなく、薄紅から真紅へと染まり行く無数の花。
その四片が真紅へと染まりきった時、その役目を終えるように、その姿はそのままぽとりと地に落ちる。
通年、幾重にも咲いては散るその小さな物語は、火山灰と岩石の混じった地面さえもその赤で埋め尽くす。
……そんなこの美しい森を、俺たちはいつも走り回っていたのだ。
ゾーリンゲン火山に最も近く深い麓。
赤の森、そう呼ばれたこの地を、マテイの者たちは何より大切に、神聖な場所として扱っていた。
「アベル、」
ボーッと火山を見上げていた俺の背中に、テヤンが声をかけた。
ゆっくりと振り返れば、何やら警戒した表情で辺りを見回し、シレーヌの手を引くテヤンの姿。
「…どうした?」
今さっきまでシレーヌが舞を湖で奉納していたはず。
舞で使っていた鈴や短刀はないが、いつもなら目立つからと着替える民族衣装そのままの様子から見ても何やら2人とも…というよりテヤンが焦っているような様子が見て取れる。
「さっきから変なのに見張られ…いや、たぶん囲まれている。」
「囲まれてるっ!?……何人だ。」
少し眉を寄せ、鋭い視線で周囲を睨みながら低くそう告げたテヤンの言葉に、俺も周囲を軽く見回しながら問う。
「…7……いや、もっと10はいる。気配を隠すのが上手いな…どうする?」
「どうするも何も…ゾーリンゲンの山道を追手から逃げながら進むのは不可能。お相手するしかないな。」
そう言うや否や、俺もテヤンも同時にそれぞれの得物を引き抜いた。
テヤンはそれと一緒に、シレーヌを自分の後ろへと移動させる。
「ってわけだ…まとめて相手してやるからさっさと出てきやがれこのストーカー野郎どもっ!!」
高々と響かせた自分の声は思ったよりも低く、生意気な色を覗かせている。
その俺の言葉に答えた…分けではないと思うが、黒い装束に身を包んだ謎の男たちが1人、また1人と俺たちの周囲から姿を現わし、取り囲む。
その手には見慣れない小さくて黒く鋭い刃物、それよりも少し長い片刃剣が握られている。
「…たぶん姿を現してない奴もいる。飛び道具にも気をつけろ。」
「ははっ、それはそれは…豪勢なことで〜」
聞こえにくいテヤンの低まった声による忠告に、俺はなんとも言えぬ高揚感で口の渇きから唇を舐めた。
あの南の森以来の、ギリギリを突き詰めた命のやり取り。
明らかに特殊な訓練をされてるであろう敵を前に、そんはスリルを肌で感じ、自然と肌が粟立った。
-やべぇ…興奮するな……
自然と口元には狡猾な笑みが浮かんでしまう。
ジリジリと狭まっていく包囲網。
奴らの滑るような足取りに、地面から赤いかけらがふわりと小さく舞っては散る。
しかし、ある一定まで詰める割に、向こうから仕掛けてくる気配を見せない。
「随分ちんたらしてるみてぇ〜だが…なら、こっちから行かせてもらうっ!!」
そう言って奴らの1人に切りかかった俺に、その他に4つの影がすかさず飛びかかってくる。
「そうくると思ったよっ!」
一瞬にして赤へと染まり行く銀の刃。
真横へと振り切ると見せかけた構え、そこから前の脚にグッと状態を捻りながら重心を落とし込み、片手剣の重みとその遠心力を利用しながら、両手に持ち替えた剣を勢いのままぐるりと一周する。
それと同時に、握っていた柄から先に金色の炎が勢いよく噴き出す。
『破壊の刃』
自分を中心に一気に燃え上がり包まれ灰と化す草木。
しかし、そこに黒装束たちの姿はなく、するりとテヤンを思わせるしなやかな身のこなしはあっという間に俺から距離を取り、次の出方を探っている。
-火傷の1つもしてねぇのかよ…曲がりなりにも火の神のお膝元で?
想定より遥か上回る相手の戦闘能力の高さに、興奮かはたまた焦りか、それとも己の導いた炎の熱か、じんわりと滲む汗が額から滑ってくる。
「シレーヌっ!下がってろっ!!」
俺の後ろで何かあったのか、テヤンがシレーヌにそう叫ぶ声が聞こえる。
ビュンと先行して飛び込んできた2つの影、短い間合いの黒い刀を持つ方を始めに剣で弾き、素早くもう一方の刃を交え、滑らせ隙間を縫うようにして剣を横に振り抜く。
片方が引けば片方が前へ、その絶妙かつ隙のない攻撃の連携をとにかく弾き、防ぎ、往なすので精一杯だ。
ジリジリと後方へと追い詰められる感覚。
食いしばった時にキレた口の中で、血の味がじんわりと広がっていく。
一閃、真横に大きく火炎斬りを叩きつけ、相手に避けさせることで間合いを確保する。
刹那、鋭く飛んできた例の小さな黒い剣。
飛ばされたのは3つ。
避けきれなかった1つが左腿に刺さり、もう1つがギリギリ右肩をカスっていく。
傷口から鋭く刺さる肌が焼けるような痛み、次いでじんわりとしかし迅速に広がる体の痺れに、思わず小さく舌打ちをする。
「テヤン、黒い刀に当たるなっ!毒使ってやがるぞっ!!」
「知ってるっ!!」
すかさずまた詰められた間合いの中で黒装束2人をかわしながら告げれば、テヤンは少し息の上がった声ではっきりとそう返事をした。
「テヤン右後ろっ!!」
-あっちはシレーヌが視界の補助をしてるのか。
そんなことを思いながらようやく一発、黒装束の1人の肩口を深く刃を突き立てる。
傷が広がることも厭わず、力任せに刃から肩口を離したそいつは負傷してるながらも素早い動きで一気に後方まで下がる。
残るは前方1人。後方から俺とたぶんテヤンに例の小刀を飛ばしてくる奴が2人。
(…コイツらの狙いは俺じゃなくてシレーヌか??)
明らかに人数の差がある敵の配分にそんなことを思いながら、1人になりバランスを崩したそいつの腹部を一気に真横に斬りつける。
上手く急所に当たったのか予想以上に吹っ飛んだそいつの体は容赦なく木の幹へと叩きつけられ、その上からまだ染まり切らない花々が血の雨のように降り注ぐ。
-腕が上がりづらくなってやがる。
じわじわと確実に毒に蝕まれる感覚。
肩から利き腕にかけて、それから左足の動きがそれぞれ鈍く、動かしづらい。
後方の2人に牽制で魔法で作った火の玉をいくつか放ちながら、素早くテヤンの方へと振り返る。
テヤンの足元に転がるのは8人、立っているのは残り4人。
その腹部には珍しく斬り付けられた傷跡があり、例の小刀がかすったらしい跡が左上腕に見られる。
そのテヤンの背に庇われているシレーヌは赤い地面に変な形で座り込んでおり、よく見れば小さな切り傷がその白い脚に幾つかはっきりと見て取れる。
-シレーヌを動けなくしてテヤンの動きを制限…いい趣味してやがる。
そんなことに皮肉な賞賛を思いながら、そちらに加勢しようと走り出そうとした…
その時、
いく手を阻むように俺の前方に立ち上る炎の壁。
それは己の使うものとは違うどす黒く、何もかもを地獄の底へと突き落とすような、そんな禍々しさが見られた。
続いて聞こえてきたのはものすごいスピードで近づいてくる何体もの馬の蹄の音。
すかさず振り返った俺を、馬上のそいつはフッと侮りを混ぜた金の瞳で見下ろし、小さくその口元を歪ませる。
「最後は随分あっけない鬼ごっこだったなぁ、アベル」
あの城を思わせる白地に金で縁取られた目立つ軍服。
その色により一層生えるのは燃えるような赤髪。
なんの運命のいたずらか。
そこにいたのは、
王国近衛騎士白金隊隊長、ダニエル・カイン・リヒターだった。




