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兄様から、大陸に着いたらギルドという場所を尋ねれば良いと聞いていた。
なんでもそのギルドというのは、大陸に住む人たちを助けることを生業とする、"何でも屋"のようなものだという。
町の人に訊ねて教えてもらったのが"紅狼" という名のギルドだった。
この国に唯一残っている総合ギルドだという話だ。
「改めて、俺はテヤンだ。」
古びた木造の建物の2階。
その奥側のひっそりとした席に案内された後、目の前の男がそう簡素に告げた。
抑揚のない落ち着いたバリトンは聞き慣れないはずなのに、とても耳馴染みが良い。
初めて彼と目を合わせた時、言い知れぬ緊張感に身が竦んだ。
彼は、ここにいるどの人間たちとも違って"異質"に見えた。
黒にほど近いグレーの髪に、切れ長な瞳が特徴的な精悍な顔立ち。
上背は他の人より少し高く、筋肉質ではあるが、見た目だけならそう変わらない人型に見えた。
しかし…その纏う気配に一切の隙はなく、研ぎ澄まされていて…静かであった。
例えるなら牙を隠してじっと待つ魔物。
そう、魔物が人間と共存している…そんな印象を抱かせる特殊な人間のように感じた。
一歩周囲と距離を置き、決して近づかせることのない人…
彼の力強い眼差しに当てられるだけで、自然と拳を握りしめてしまう。
「シレーヌ…シレーヌ・レナ・デュフォン・ドゥ・マッサリア。"海の帝国"の姫巫女です。」
一度名乗るのを躊躇したのは、出来ればこちらの素性を隠しておきたかったという下心からだった。
でも、いざ名前を口にしたら、隠しておくことは出来なかった。
目の前の男の眼光は凪いでいるようで、注意深くこちらを観察していたからだ。
この人には隠し事をするべきじゃないと…自分の中の直感が告げていた。
「マッサリア…ということは王族か?」
男が、何処か確信を持った響きでわたしにそう訊ねた。
「私はほとんど末席の第四皇女だけど…マッサリア帝国を知っているの?」
「行ったことはない。名を聞いたことがあるだけだ。」
他国と交流のない、閉ざされた国である母国を知っていたのには素直に驚いた。
対して、目の前の男は私が帝国人だと聞いてもその無感情な表情を変えることはなかったり
-あまり感情が出にくい人なのかしら?
そんなことを考えながら彼と視線を合わせていると、不意にその瞳がキラリと光りを反射させた。
茶とも金とも見える琥珀色の瞳。
一瞬にして目が奪われる。
「仮にも王族の人間が連れもなしに旅するのか?」
「…ちょっと事情があるのよ。」
思わず魅入ってしまったことに恥じ入り視線を外しながら、彼の問いに素気無く答えてしまう。
「…事情とは?」
…もちろん、誤魔化しておいて逃してもらえるわけもなく、男がこちらを探るようにスッと目を細めた。
何故だろう…
悪いことは一切してないのに、尋問されてる気分だ。
「…海の帝国の姫巫女は自分の力で道を切り開いて、この大陸にあるいくつかの湖を巡る修行の旅をしないといけないの。」
海の平穏を祈るために100年に一度行われる儀式。
その舞い手を担う姫巫女にとって、もっとも重大な試練でもある。
私の話に男は何か考えるように押し黙り、しばらくして手をテーブルの上で組むの再び口を開いた。
「…依頼内容は?」
「大陸を回る旅道中での護衛よ。」
「…俺らの手助けはありなのか?」
「大陸の人に力を借りるのは問題ないわ。」
私の言葉に男は納得したように小さく頷いた。
「その巡る湖ってのは?場所はわかってるのか?」
「確か…精霊の森、火山の麓、平原の北の端、雪に閉ざされた森と…深淵の洞窟だったはずです。」
何度も忘れないようにと繰り返した場所の名前を、ひとつひとつ確認するように口にすれば、それに合わせて目の前の彼の表情が険しくなった。
眉間にしっかりと刻まれたシワのせいか、より一層近寄り難い雰囲気に拍車がかかった気がする。
「精霊の森に、ゾーリンゲン…北の森としまいは常闇の小国かぁ…」
何か、自分で噛みしめるような男の独り言のような言葉に、そんなに悩んでしまうような険しい道のりなのかと不安になる。
「そんなに…厳しいの?」
「…旅慣れている奴でも、なかなか行きたがらない道のりではあるな。」
予想通りの男からの答えに、どうしたら良いのかと視線を彷徨わせてしまう。
-だって、私には…行かないなんていう選択肢は残ってない。
コツ、コツと、何かを考えるようにテーブルの上には置かれていた男の指がリズムを刻む。
それはまるで何かを推し量っているのか、悩んでいるのか…
いまいち推し量れなかったが、何かを考えているということだけはわかった。
会話がされることのない、静寂が場を支配する。
「…報酬は、さっき言ってたこちらの言い値でいいのか?」
指でテーブルを鳴らしながら、不意に男が問いかけてきた。
「…ええ、問題ないわ。」
はっきりと私が答えると同時に、等間隔に刻まれていた音がピタリと止まる。
そこに、
「あんたが受けるしかないって…もうわかってるとちゃうの?」
癖のあるハスキーな女性の声が、この場に割って入るように耳に響いた。